昔の日本人ってほんとに古文みたいな話し方してたのか?あないみじ……岸田なりけりみたいな [535650357]
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アベ~
あべのしんぞう
いつから現代みたいな言葉遣いになった? さても聞こしめせよ>>1。刷れとかかはりなきことなれど。
きのふ近うある吉野家に行きたるに、なでふこともなう人のおほくあれば、
えもゐられず。
よう見るに、垂れ幕の下がりてあり、百五十円引きとなむ書きたる。
あなや、をこかな、しれ者かなと。
わぬしら、よき人は百五十円引きばかりにてひごろ来も来ぬ吉野家になどか来たらむ。
百五十円よや、よや。
親子連れあり。一族郎等ひきつれて吉野家に来たる、いとむくつけし。
あまつさへ、てて様は特盛頼まうわいの、など言ふ様こそ、かたはらいたけれ。
百五十円給ぶに往ねよかし。
さるは、吉野家てふ所、げに殺伐たらむこそつきづきしけれ。
ひの字めく餉台のあなたざまに居たるをのこどもの、いさかひいつ始まらむとも
しらず、かたみに刺すや刺さるるやと案ぜらるるけしきのいとをかしかるべきを、
をんな子らはいぬべし。
かかるうちに、やうやうゐらるるかと思ひしに、傍らなるしづ山がつの、大盛露だくを
とかや言ふを聞くに、さらにこそぶち切れたれ。
いで、露だくなるはこのごろにてはつゆ流行らざるを、げにをこざまなるかな。
したり顔して何のつゆだくをや。
さはまことに露だく食はまほしきものかと問はばや。問ひ詰めばや。半刻ばかりぞ問ひ詰めばや。
むげに露だくと言はまほしきのみにやあらむ。
吉野家知りたるまろに言はすれば、月ごろ吉野家知りたる人の間につとに流行らむは、
なほ葱だくにこそあらめ。
大盛り葱だくかりのこ、これなむ才ある人の頼み方なる。
葱だくてふは、葱の多く入りたるに、肉の少なめなる。これこそ。
また大盛りかりのこは、いふもおろかなり。
さるに、こを頼めば次より雇ひ人に目つけらるるは必定ななれば、危ふき諸刃の剣にて、
つたなき人にはえ薦めぬわざにこそあんなれ。
とまれかうまれ、わぬしらつたなき人は牛鮭定食などやうをば食へかし、とこそ。 明治でやっと言文一致したんだし、別にあんな喋り方はしてなかったんじゃ? トンキンの上流階級が使ってた言葉が日本語の標準になったのは間違いなく文化的損失 日本語はもともと話し言葉と書き言葉が別々だったからw 昔の日本語は話し言葉と書き言葉が違った
アホみたいな仕組みだよな
おかげで昔の日本人がどんな話し方してたのかはよくわからなくなってる 口語と文語は違うだろ
区別がなくなったのは明治以降 ラッパーみたいな奴がいたかもしれないと思うとワクワクするぜ あなかま、ひとにしらすな
みたいに話し言葉もっと書いてくれて置いたら研究しやすかったろうな >>42
能楽でやってるみたいな話し方だったんじゃないの? あなかまひとにきかすないとをかしげなるねこなりかわむ
だったか >>39
どっかの時点(多分奈良時代?)はあの話し方なんじゃないか?
そこから文語は変化せず口語はどんどん変化していったのでは >>55
漢籍が最低限の教養だった貴族社会では、文語に近い話し方してたのかもな 当時の声は録音で残ってないから
どんな話し言葉やイントネーションだったかは謎だよね 全部訓読みの単語で会話すれば江戸時代の人とも会話出来るはず 言文一致運動があったくらいだからそんな話し方はしてなかったんじゃない まず各地域の方言や訛りが今以上に酷い
大半の現代人は聞き取れないから会話だけでも恐ろしく苦労する 逆に古今和歌集の仮名序文は年代のわりに古臭くないんだよな
もちろん言い回しや喩えは古い言葉のとこが多いけど
何かのジャンルやら技法を説明しようとすると
当時からこういう言い方になるのかという...
貝原益軒の「西北紀行」などの紀行文も、あそこ行った
ここの神社はこういうとこだ、ここにはこういう逸話がある
とかの説明も江戸初期のわりには古臭くない >>64
ながらく外交パイプが中華に統一されてて、かつ他国からの侵略臣従の経験もなかったから、比較的原型に近い日本語が残されてたんじゃね? 蝶々はでぃえっぷでぃえっぷと言ってた
これマジだよ ハ行転呼が平安末期から起こった
川 カファ → カゥワ と発音変化してったそうな 最近の研究じゃ口語はそれほど変化してないってのが定説
平安時代人と現代人は使用してる単語とかが違って分からんみたいな問題はあるけどざっくり会話できる可能性は高いらしい >>39
わざわざ文語のために別ルールの文法とか作らないし古代にそんな言語学的能力もない
古代では口語をほぼそのまま書いてたが口語が変化した結果乖離していったと考えた方が自然 葵徳川三代の頃の大河は若干文語に近い喋り方してたな
あれが近いんじゃなかろうか >>71
元々文語は、漢籍や歌の引用などを前提とした、貴族ら上層階級で使われてたもので、市井の話し言葉とは大きく乖離してたと考えれば別に矛盾ないんじゃ? は行は全部パ行発音だったから
母上は「パパ上」と発音してた
これは英語で父親がパパって呼ばれてるのと同じ理由
赤ん坊が最初に発音する言葉は「ま」と「ぱ」だから
赤ん坊にとって必要なものにその言葉を当てている >>76
英語でいうパパに該当するものはなんて言ってたの? 100年前の人も今と変わらん口調だから
口語はさして変わらんよ ぶっちゃけ平安時代とかにどんな発音してたかなんて全くの謎だろ
戦国時代以降に宣教師が作った日本語辞典とかで大体わかるようになるんであって 北から南まで当たり前のように標準語を喋る現代の方が不自然だと思う 正式な書き言葉は漢文
これは純粋に書き言葉でこんな話し方してた人は中国にすら存在せず
日本語風に書き下した漢文訓読体も書き言葉寄り
古今集以来の古典日本語のスタイルは当時の話し言葉をほぼそのまま反映してたと考えて間違いない
院生期以降話し言葉をそのまま音写した資料は少ないけど安土桃山時代の宣教師の記録によればそこそこ今の関西弁に近い部分はある 今の人間だって話し言葉と書き言葉はぜんぜん違うだろ >>19
明治に言文一致運動が起きてたくらいだから幕末くらいには今と同じだろう 2・26事件時に電話での通話が盗聴されて録音されたのが残ってるけど、今人と余り変わらんよね >>36
ただのその辺の語学マニア
こんなんで確定できない 出来るわけがない テレビやラジオでたまに70年代80年代のインタビューが流れると4〜50年くらい前なのに既に違和感がある
そんな事書いてる俺は54歳なんだから当時はそれを普通だと感じてたはずなのに たぶん信長のとこにタイムスリップしてもまともに会話できないんじゃないかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています