>>408
モノホンの左翼(=マルクス・レーニン主義者)は、唯物史観という考え方を拠り所にしているから、「個人プレー」で世直しという発想はしないんだよ。そんなことは不可能だと。
たとえばマルクスが「共産党宣言」で「人類の歴史は階級闘争の歴史である」と述べている。
これは、生産力の発展→階級と階級の争いの激化→革命による支配的階級の交代という長きにわたる人類史を貫く逆らうことのできない「公式」があるという考え方。
この繰り返し、積み重ねの結果を歴史ととらえる。特定の誰それの主観、つまり何を考えたとか、どう行動したとかいう話は、大局的に世直しとは無関係とみる。
一方で右の側はそうした首尾一貫した歴史法則・公式みたいなものには興味を持たず、たとえば織田信長とか坂本龍馬とかの突出した特定個人の「ひらめきや考え」「行動の決断」によって歴史がつくられてきたと考える。まあ、ロマンティックな「英雄史観」といえるだろう。
こうした歴史や社会に対する考え方の影響があるのでは。