野村克也「子どもたちは純粋だから、元プロ野球選手に教わるのなら間違いないと、頭から信じ切っている」 [296945766]
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「プロ野球の原点は、少年野球にあり」
後に野村は「プロ野球の原点は、少年野球にあり」と語っている。野村の没後に発売された『野村克也全語録 語り継がれる人生哲学』(プレジデント社)から引用したい。
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わたし自身にコーチの経験はないが、1年8カ月(※)の少年野球の指導者経験は、監督業に大いに役立った。なぜかといえば、「間違えられない」からである。
子どもたちは純粋だから、「元プロ野球選手に教わるのだから間違いない」と頭から信じ切っている。大人はいろいろな情報が頭に詰め込まれていて、自分の考えと異なるとすぐに理屈をこねる。
その点、子どもは疑うことを知らない。だから教えるわたしのほうは正しい努力になるように細心の注意を払ったし、そのためにたくさんの勉強をした。元プロ野球選手というプライドも捨てて、真摯しんしに教えることを心掛けたのである。
https://president.jp/articles/-/68521?page=1 クソガキ「大谷みたいになりたい!」
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まずここを否定するところからなの大変そう むしろ教えるプロじゃないから参考にならなさそうって思うよな 最近の子は野球に限らずコーチよりYouTubeを優先するって指導する側は悩んでるっぽいね 山本昌だっけ?
敢えて腐った食べ物を食べて精神と身体を内側から鍛えるとかやってたの
常軌を逸したプロもいるからな 少年野球チームでイキってるオッサン監督共はなんなんだろうな 頭で考えてプロになれたら苦労はしないよ。体が勝手に動くからプロになる。 あんなに純粋だった野村克也少年が、どうしてあれだけ汚れてひねくれた野村克也選手・監督になってしまったんだろう? 部活や運動に打ち込んでいた子どもが肉体的、精神的苦痛を感じて自殺に追い込まれたニュースを見ると胸が痛みます。なぜ体罰はなくならないのでしょうか。私は指導者の意識だと思います。野球を教える指導者が、「なぜできないんだ!」と小さな子どもに怒鳴る光景をよく見聞きします。「こんな簡単なこともできないのか」という思いからイライラする感情を制御できないのでしょう。
ただ、これは根本的におかしな考え方なのです。子どもは「できなくて当たり前」なのです。できないから一生懸命に練習する。教えられたことを簡単にできる子どももいれば、時間のかかる子どももいる。上達するスピードに個人差があることを指導者は頭に入れなければいけません。
私の学生時代は体罰が当たり前でした。殴られたことは数えきれません。そのときは殴られることに特に疑問を抱くこともありませんでした。「そういう時代だったのかな」と思う部分もあります。ただ、それが正しいとは思いません。
私は「N’s method」(エヌズメソッド)、浜松開誠館高の非常勤コーチで指導に当たっています。「挨拶をしっかりしなさい」と礼儀作法で注意することはあっても、トレーニングや野球の技術を伝えたときに、「なぜできないんだ」と怒鳴ることはありませんし、手を上げることも当然ありません。子どもが委縮しますし、うまくなる可能性の芽を摘むことになるからです。
浜松開誠館高の部員たちにはしんどい練習のときも、私は「笑って! 笑って!」とゲキを飛ばします。辛いときもあります。でも好きで始めたスポーツを楽しむ気持ちを忘れないでほしい。教えられたことをできたときに、子どもは心の底から喜んだ表情を浮かべます。誰よりもうまくなりたいのは子どもたちなのです。その取り組みを支える私たち大人には大きな責任があると思います。
中村紀洋 清原にシャブ売ってた方の野村は教える側になってるぞ メジャー打者のまねした方がいいよ
運動音痴ほど上手く打てる
日本式の打ち方は運動神経必要 落合「真似をするなら前田智徳にしなさい。一番基本に忠実だから。手首の使い方が軟らかくて天性の才能なんだろうな。本人は気づいてないようだが。」 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています