■新たなる部落差別としての山口県差別
知っている人もいるかもしれないが、既にTwitterなどでは、山口県や下関市のことを「壺口県」「壺関市」と揶揄する人間が現れ始めている。
「与党以外の政党・政治家に投票しなければ、お前たち(山口県民・下関市民)は統一教会(世界平和統一家庭連合)のシンパと見做されるぞ。それでも良いのか?」という、踏み絵を迫る脅し文句とともに。
批判したり抗議したりすれば、もう、それだけで工作員扱いされる。
自分の場合、既に前世紀から与党以外に投票し続けているのだが、そのようなことを彼らは斟酌したりしない。これ以上どうしろと言うのか。
山口県民・下関市民だというだけで、壺呼ばわり、与党シンパ呼ばわりされる。「与党、安倍一族を勝たせ続けた」ことが罪だから、それだけで我々は有罪、罪人だ。
統一教会(世界平和統一家庭連合)の本拠地は韓国なのだから、本来ならば韓国こそが聖地のはずである。
何故、山口県下関市が聖地という名の呪われた土地と認定され、
日本に住む日本人である我々が、壺呼ばわり、統一教会(世界平和統一家庭連合)のシンパ扱いされなければならないのだろうか。
統一教会(世界平和統一家庭連合)の存在と活動を野放しにしていた、歴代韓国政府及び韓国の有権者は罪に問われないのに、
何故、山口県民・下関市民だけが罪人扱いを受けねばならないのか。
韓国人や在日コリアンの人たちに対して「日本人から金品を巻き上げていた、統一教会(世界平和統一家庭連合)についてどう思うか?批判しないのか?」と問うことは、踏み絵を迫る行為であり差別とされる。
その一方で、日本人である我々、山口県民・下関市民に対しては、踏み絵を迫っても差別ではないとされて、見過ごされる。
おそらく「仕方が無い。安倍晋三を勝たせ続けてきたお前たちが悪い。自業自得だ」と、そのような言葉で片付けられることだろう。
そのうち、山口県・下関市の出身というだけで、我々は、借家の入居を断られたり、就職や進学の差別を受けるようになるのではないか。果たして、これは杞憂だろうか。
これまでの人生で与党以外の政党や政治家に投票し続けてきたのに、それでも壺呼ばわりされるのであれば、もう何をしても報われないのではないか。そういう、暗澹とした気持ちでいる。
https://anond.hatelabo.jp/20230421201013