【歴史】50年前・1973年の第一次オイルショック、店からトイペパが消えたのは毎日新聞のデマ報道も原因だった [597533159]
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(ソースより抜粋)
第一次オイルショックが起きた1973年、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えた。
その発端とされているのは大阪のあるスーパーだった。
なぜトイレットペーパーは消えたのか。
あれから50年。店が閉店するのを前に、当時を知る人たちを訪ねると意外な理由が見えてきた。
「当日出勤したら、午前10時の開店前に200人ぐらいの大行列ができていた。もうびっくり仰天。これはえらいことやと。」
1973年10月31日。
大阪・千里ニュータウンのスーパー「大丸ピーコック 千里中央店」の従業員、清水暉人さんは目を疑った。
突然、主婦たちが押しかけ、トイレットペーパーを次々に買い求めていく。
これまで、トイレットペーパを買うための行列なんて見たことがなかった。
訳が分からない。
行列騒ぎは連日起き、新聞やテレビを通じて全国へ伝えられた。
買いだめの対象はやがてトイレットペーパー以外にも砂糖や塩、洗剤などさまざまな日用品に及び、全国的な“モノ不足パニック”へと広がった。
なぜ、真っ先にトイレットペーパーが無くなったのだろうか。そこには、この街ならではの事情があった。
大阪万博が開かれた1970年にかけて建設された、千里ニュータウン。
5階建ての団地などに、若い世代が一挙に入居してできた新しい街だった。
上下水道完備で、当時はまだ30%程度の普及率だった水洗トイレが、この街では各家庭に当たり前のようにあった。
従来のくみ取り式のトイレでは、主に「ちり紙」と呼ばれる紙が使われていたが、水洗トイレでは水に溶けるトイレットペーパー以外は使えない。
千里ニュータウンに暮らす12万人にとって、トイレットペーパーは“生活の命綱”だった。
そこへ、あるうわさが流れたという。
住民 赤井直さん
「八百屋さんのおばさんと話してたら、こられたお客さんが『大変や。オイルショックでトイレットペーパーがなくなるらしいよ』っていうんです」
「『え、何で?』って聞いたら『なんか知らんけど、オイルショックで機械を動かす油がなくなるから、トイレットペーパーが作れなくなるんだって』と」
実はこのとき、まだトイレットペーパーは十分にあった。
翌年の国民生活白書にも「生産実績は落ちているわけではない。生産の不足はなかった」と記されている。
むしろ前の年よりも多く生産されていたのだ。
しかしタイミングが悪かった。
10月31日、「大丸ピーコック」の新聞の折り込み広告に特売品として載っていたのが、トイレットペーパーだった。
1パック4ロール入りで138円。
予想を上回る客が殺到し、用意していた分があっという間に売り切れた。
当時の店員 清水暉人さん
「いつも水曜日にチラシを入れていて、たまたまこの日はトイレットペーパーが特売品だった。
特売は1か月ほど前から計画していて、まさかあんな事態になるとは想像していなかった」
特売品がなくなった後も、客が後を絶たない。
そこで清水さんたちは、別の商品をふだん通りの価格で店頭に並べた。
それでもトイレットペーパーは飛ぶように売れていった。
この騒ぎを新聞記者が聞きつけていた。
当時の新聞には、店内で奪い合うようにトイレットペーパーを買い求める人々の写真と共にこんな記事が載った。
<1973年11月1日 毎日新聞 大阪版 夕刊>
紙の狂騒曲
「折込み広告では「一個(四巻き)百三十八円」となっていたのに、品切れを理由に実際の値段は『一個二百円』。
アッという間に六十二円も“値上がり”したわけだが、主婦はこぼしながらも買いあさり、開店三十分で全部売り切れてしまった」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230428/K10014050991_2304281819_0428182356_01_03.jpg
当時の店員 清水暉人さん
「特売品が無くなったから通常の値段の商品を出しただけなのに、値上げしたみたいにセンセーショナルな書き方をされた。
本当に憤りを感じた。特売チラシがきっかけになって騒動が広まったとまで言われることもあった」
うわさ話が広がると、それが真実に見えてくる。
近所のおしゃべり、マスコミ、SNS、伝える手段は変わっても、デマの本質は変わらないのかもしれない。
そんな歴史を見てきたスーパーが入る商業施設が4月30日、閉館する。
店はたとえ姿を消しても、当時の経験と教訓は忘れないようにしたい。二度とトイレットペーパー騒動を繰り返さないために。 また大阪か
青森りんご略奪事件も大阪だったし地域性としてデマ大好きなんだろ 面白ければ報道するって、商業紙としては間違ってないけれども そういえば、コロナでトイペデマ発信源認定されたスーパー介護士はどうなったんだ? 1973年は、あと50年で石油が枯渇するって言われてたけど 12ロールで100円も上がってるから結果的に買い集めた人の勝ちだわティッシュも そもそもオイルショック自体は元売りのカルテルだったというね >>3
楽しんで買い占めしてるやん
コロナ禍のマスクの時もジャップは楽しんで買い占めしてたな
ゴミジャップは自分のことしか考えないゴミばかり PSE問題で煽り捲ってNHKのニュースまでいったのは最高だったわ
最近はアドブルーの品薄煽った 前回の騒動でトイレットペーパーを買った人は勝ち組だよね
結局値上がりしたからな 最近だと軽石で米不足を煽ったが国から怒られたのか一日で止めたな 大阪って独特の操られやすさとか乗せられやすさがあると思う。横山ノックを知事に選ぶくらいだし
維新はいいとこついてるよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています