http://www.tokyo-hd.org/pdf/46th/46th_04_05.pdf
四肢切断を繰り返した長期透析患者の終末期看護
【はじめに】昨年我々は本研究会にて「終末期における事前指示書について」当院の患
者に行ったアンケート調査の報告をした。
事前指示書の作成を行う中で終末期看護の貴重な症例を経験したので報告する。
【症例】62 歳 男性 原疾患:糖尿病性腎症 透析歴:28 年
左鎖骨下パームキャスより透析施行。元小料理屋経営 妻と二人暮らし
25 歳で 2 型糖尿病を発症し、34 歳で透析導入。虚血性心疾患の合併なし。59 歳で
小脳梗塞を起こしたことを契機に様々な感染症を繰り返していた。
【経過】主に末梢動脈疾患による症状や治療を時系列にまとめた。
最初のきっかけは 2004 年足趾の陥入爪、爪周囲炎であった。足背動脈の触知も微弱で
パルクス開始となったが、翌年より歩行時の下肢痛も出現し血管外科を受診している。
その際に、症状が進行した場合の四肢切断についても説明されショックを受けていた。
その後も足趾の潰瘍形成などがあり LDL アフェレーシスも行い、透析中は創部の処置や
足浴を続けたが、壊疽したため 2007 年に最初の足趾離断術を行い、翌年にも同じく右
の足趾切断術を行っている。ABI 値も 0.96 から 2 年で 0.65 までの低下がみられた
2010 年には下肢経皮的血管形成術を行ったが左足趾も壊死し、左膝下下肢切断となっ
た。手術の前には「立てるようになるまでリハビリをして、退院したら自身の経営する
店に再び立ちたい」と希望も聞かれ前向きに向き合っていた。
化膿を繰り返して抗生剤投与や処置を続けていた右手第 3 指を 2011 年に先端切除し、
その後も複数の手指・足趾ともに離断・切断となった。
右足の壊疽進行により 2015 年に右膝下下肢切断となり、両側の膝下下肢を失った。
義足を装着して続けていた仕事も、両側切断を機に復帰することは出来なかった。
残った手指も虚血・感染を繰り返し CRP 高値で経過。肺炎や敗血症性ショックを頻回に
起こすような状態が続いた。
疼痛の訴えも強くなり鎮痛剤も各種追加となった。
透析への送迎は妻が車で行っていたが「通院も大変でもう限界です」との訴えがあり
自宅近くの施設への転院を希望されたが、医師との面談の結果、当院へ数日間入院を
し患者と妻の距離を置くことで、通院透析を継続することができた。
2017 年になり全身状態悪化、透析中の血圧低下が多くみられた。末梢の虚血・皮膚
潰瘍進行に伴い各種鎮痛剤の増量を続けても痛みが強いとの電話相談がくるような状
態であった。(表―5)
疼痛コントロール困難で、当院への入院もすすめたが帰宅を希望。7 月末 CRP 高値、
衰弱も進む中、本人・妻と医師・看護師とで面談し「これ以上侵襲のある上肢切断な
どの治療は望まず、入院や透析の継続も希望しない」とのことであったが、意識がし
っかりしており、透析中断はまだ早いと思われ、透析を週 2 回に変更した。
しかし溢水となって呼吸苦が出現し自ら来院して透析を希望したという経緯もあり、
透析時間を状態により 3〜3.5 時間に減らすことで対応した。その数日後の早朝、自宅
で永眠された。最初の四肢切断から 10 年が経過していた。
本人・妻に対しての事前指示書に対するアンケートの結果の抜粋。合併症出現時には積
極的な治療は望まず、回復の見込みのない状態になった場合に透析は中止したい、との
回答であった
【考察】事前指示書導入前ではあったが、アンケートでは本人・妻ともに「回復見込
みのない状態になった場合、透析は中断したい」と希望されていた。
終末期には患者、妻と面談も行い、意思確認は出来ていたと考える。
意識が明瞭な患者の透析中断は、医療の実践の場では困難で、溢水などに注意しなが
ら透析時間や回数の変更で対応すべきと思われた。
全身状態の悪化や家族の介護疲れなどもみられたが、入院は希望されず、透析時間を
減らす等の対応をして最後まで透析は継続できた。
【結語】高齢患者や長期透析患者が増えていく中で、患者や家族の意思を確認して
それぞれの望む最期の時を過ごせるように考える必要があり、当院でも事前指示書を
導入し患者や家族の希望に沿ったケアを提供していきたいと考える。