ジャーナリストの岩田明子さん、安倍崩御の報を聞きNHKの廊下で慟哭.富ヶ谷でカラーコーンとも対面しまた慟哭 [511393199]
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亡くなったことを知ったのは、NHKの廊下でした。涙が止まらなかったです。必ず助かると信じていましたから、どうしてこんなことになるのか? と頭が混乱しました。「日本のために」が口癖で、持病を抱えながらもストイックに頑張ってきた一国の指導者が、なぜ選挙期間中にテロで命を落とさなければならないのか。こんな悲劇が起こるはずがないと、現実を受け入れられずにいました。
その日はBS国際報道とラジオジャーナルで、銃撃事件や安倍さんの歩みを解説しました。ラジオジャーナルでは、ジャーナリストの江川昭子さんと対談し、放送後の雑談の中で、江川さんから「眠れないかもしれないけど、食べることと眠ることが大事よ」と声をかけてもらいました。鉛のような体を引きずるようにしてセンターを後にしましたが、とにかくご遺体に対面しなければと思いました。
安倍さんのご遺体が富ヶ谷のご自宅に到着したのは、事件の翌日です。ご自宅には弔問を希望する人が殺到していましたが、夕方に私も対面することができました。心のどこかでは事実を認めたくない自分がいて、死に顔を見てしまったら、立っていられるかどうか自信がありませんでした。
ご自宅では、石原伸晃さんや公明党の太田昭宏さんらとすれ違いましたが、みな号泣していました。室内からは悲痛な声も聞こえてきて、玄関に足を踏み入れた途端、涙が出てきました。
元NHK岩田明子さん、慟哭が響き渡った自宅 安倍元首相との対面 母・洋子さんの言葉 | ENCOUNT
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出迎えた妻の昭恵さんや親族の方たちと手を握り合いましたが、私はお悔やみの言葉すら出てきませんでした。部屋に入ると、お母さま(安倍洋子さん)が座っていらっしゃった。憔悴(しょうすい)した表情のお母さまが「ああ、岩田さん」と顔を上げると、「晋三はかわいい子だったわ」とおっしゃいました。
このとき、お母さまの気持ちは、“子どもの頃の半ズボン姿の晋三”と一緒にいるのだ、と感じました。母親が息子に先立たれた悲しみを思うと、本当に辛かったです。私は頭に包帯を巻いて横たわっている安倍さんに、「総理、起きてください」と言おうとしましたが、ほとんど言葉になりませんでした。ただただ涙が出て、数珠を持つ手も震え、線香をあげることもままなりませんでした。
安倍さんはやすらかに眠っていました。その口は、「岩田さん、」と今にも言い出しそうに見えました。そのとき、絶望とはこういう気持ちを表現するのだと実感しました おれらニコニコしてたぜ
人前ででは必死で隠したけど
夜の10時から12時は、安倍さんとの“電話タイム”でした。それは20年間、ずっと続けてきました。この時間帯は、安倍さん自身も「情報収集の時間」に決めていて、いろいろな方面に電話をしていたようです。
私はガラケーとスマホ両方持っているのですが、安倍さんはガラケーの方に電話をかけてきました。そもそも記者として、いつでもどんな取材先からも電話を取り損ねたくなかったので、新しい服を購入したときには、必ずガラケーが収まるポケットを作っていました。でも、もうこの時間帯に携帯が鳴ることはありません。
>>5
これ重要 まずは食い扶持の心配だもんな
結局今も安倍で食ってるけど 死の前日に偶然、統一教会の話を切り出された話が好き 一応ジャーナリストのふりしてるんだからさぁ本音吐露するにしてももうすこし建前ってものがあるでしょ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています