亡くなったことを知ったのは、NHKの廊下でした。涙が止まらなかったです。必ず助かると信じていましたから、どうしてこんなことになるのか? と頭が混乱しました。「日本のために」が口癖で、持病を抱えながらもストイックに頑張ってきた一国の指導者が、なぜ選挙期間中にテロで命を落とさなければならないのか。こんな悲劇が起こるはずがないと、現実を受け入れられずにいました。

 その日はBS国際報道とラジオジャーナルで、銃撃事件や安倍さんの歩みを解説しました。ラジオジャーナルでは、ジャーナリストの江川昭子さんと対談し、放送後の雑談の中で、江川さんから「眠れないかもしれないけど、食べることと眠ることが大事よ」と声をかけてもらいました。鉛のような体を引きずるようにしてセンターを後にしましたが、とにかくご遺体に対面しなければと思いました。

 安倍さんのご遺体が富ヶ谷のご自宅に到着したのは、事件の翌日です。ご自宅には弔問を希望する人が殺到していましたが、夕方に私も対面することができました。心のどこかでは事実を認めたくない自分がいて、死に顔を見てしまったら、立っていられるかどうか自信がありませんでした。

 ご自宅では、石原伸晃さんや公明党の太田昭宏さんらとすれ違いましたが、みな号泣していました。室内からは悲痛な声も聞こえてきて、玄関に足を踏み入れた途端、涙が出てきました。

元NHK岩田明子さん、慟哭が響き渡った自宅 安倍元首相との対面 母・洋子さんの言葉 | ENCOUNT
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