悪落ちダルビッシュことダルビッシュ弟。ダルビッシュの弟なんだからそら手に負えないよな。 [605252726]
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「ダルビッシュ有の弟だからツラいんじゃ…」中3で初逮捕、特攻服で卒業式に出席…ダルビッシュ翔が中学時代に感じた“周囲の視線”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd4feda829df8494b61b44467b7441bd2bcb1c8d?page=1
中学生で人生初めての逮捕
僕が初めて逮捕されたのは、中学3年生の夏だった。喧嘩三昧の生活をしていた僕にとっては、もはや時間の問題だったように思う。
当時、僕はもう退部していたけど、サッカー部の後輩が髪を染めたことがバレて退部になるという話があった。ルールを破ったその後輩が悪いのかもしれないけど、なにも退部にまでさせる必要はないのではないか? 僕はそう思って、先生に直接抗議をしに行った。
しかし、先生の対応はかなりナメたものだった。
「髪染めたくらい許したってくれや」
そう訴える僕に対して、「ハイハイ」という感じで笑って受け流そうとしたのだ。僕は猛烈に腹が立った。
一度頭に血が上ってしまうと、歯止めが利かない。先生にハイキックを食らわせたりしてシバいてしまった。そしてさらに翌日、同級生を2階から突き落とそうとしてしまった。立て続いた2つの事件はさすがに「中学生のヤンチャ」では済まされない。
とうとう僕は逮捕された。人を逮捕することができる最少年齢である14歳のときの話だ。
そしてこの逮捕によってこれまで噂レベルだった“悪名”が世間公認のものとなった。だが、僕自身の中では後輩のためにやったことという意識もあったし、悪いことをしたという気持ちにはなれなかった。
同級生とは示談したが、先生はあえて僕と示談しなかった。僕を反省させようという思いがあったのだろう。僕は学校に戻ることはできなかった。
考えてみればそれはそうだ。先生に暴行した上、同級生を2階から突き落とそうとするようなヤツを学校に置いておくわけにはいかない。僕は福井県にある「はぐるまの家」という保護施設に入れられることになった。
はぐるまの家のHPでは施設のことをこう説明している。
福井県越前市(旧武生市)にある青少年保護委託自立支援施設です。
いくつかの経験を経て、ADHDをはじめとする障がいを持つといわれる子どもたちや、様々な境遇を生きてきた子ども達と共に家族のような生活を送りながら和太鼓演奏による慰問や公演活動によって子どもたちの情操教育に寄り添う役割を担っています。
はるぐまの家のある福井県に父親が運転する車で着いた。大きなスーパーマーケットに寄って買い物をすることになって、父親と母親は店に入っていった。車に1人で残った僕は脱走してやろうと思っていたが、そのことに気付いた2人はすぐに戻ってきた。
そして母親は「一緒に死のう」と言って泣き出した。母親は真面目に生きてきて僕をどう育てていいのかわからずに苦悩していたのだろう。僕のことをわかろうと一生懸命やってくれているのは伝わっていたが、僕からしたら「もうええって。そんなんじゃないから」という感じだった。
楽しいとは言い難い施設での生活
施設での生活は、とても楽しいとは言い難いものだった。15人くらいで共同生活をして、朝起きるとすぐに和太鼓の稽古に取り組んだ。その施設は老人ホームなどに慰問で訪れ、和太鼓を演奏して楽しんでもらうという活動を行っていたからだ。
施設には不良だけではなく、いじめられて学校に行けなくなったような子もいた。和太鼓の演奏で、タイやバングラデシュにも行った。施設の近くにあるお寺さんの住職が保護司をしていたので、2週間に1回くらいのペースで通って座禅を組んだりもした。
今思えばこれもいい経験だし、こういう施設に入れてもらえる時点で僕は恵まれている。親がいなくて入れない人もたくさんいるからだ。
しかし、ただのクソガキでしかなかった僕にとってはすべてが苦痛でしかなかった。何度も脱走しようかと思ったが、きっと後でもっと重いペナルティをくらうことになるだろうなと考えてなんとか踏みとどまった。
また、調査官がやってきて僕にこんなことを言う。
「ダルビッシュ有の弟だからツラいんじゃないか」
「お兄さんがすごいと大変だよね」
「小さなころ、お父さんとかお母さんが英会話教室をやっていて夜あまりいないから寂しかったのかな」
僕の目には彼らが大人がほしい言葉だけを探しているように見えた。子どもには子どもなりの事情があるのだが、彼らはそういう見方はせずに、単なる子どもとして接しているように感じていた。
周囲からの冷ややかな対応
そんな生活が7カ月ほど続いた。
毎日が退屈で仕方がない。どうすればこの生活を豊かにできるかということではなく、早く出られないかなと頭を悩ませることしかできなかった。
ずっとこの施設に入っていたので、僕は中学3年生の間ほとんど学校で過ごしていない。気付いたときには卒業式の1週間前になっていた。
卒業式は中学最後のイベントだ。学校には友達もいるし、僕も彼らと話したい。思い出を作るという感じではないが、中学生活にケジメをつけたいという気持ちもあった。卒業式にはどうしても出たかったので、なんとか施設を出してもらえるように施設の先生に頼みにいった。
「もう真面目にしますから」
そう言って先生に頭を下げた。それなら卒業式だけはということで、なんとか許しをもらうことができた。それ以外は一切学校に顔を出さないという条件付きだ。僕は特攻服を着て卒業式に出た。
だが、周囲の反応は冷ややかだった。
「翔が帰ってきた」
「また地元が荒れてしまう」
同級生や保護者たちの怯えるような、迷惑そうな視線が痛かった。
僕の存在は彼らの中で、近所の悪ガキという枠を超えて、逮捕されて施設送りになった悪人のように映っていたのかもしれない。
「それならこっちだってとことんやってやる」
ガキだった僕はそんな風に考え、またそこからどんどん悪さをするようになっていく。
高1で無期停学、右翼との大乱闘で警察沙汰…「伝説のヤンキー」と呼ばれたダルビッシュ翔が人生初の少年院で送った“厳しい生活” へ続く 髪染めた後輩のために2階から突き落とすとか最早、大義名分も糞もないな 公立行くとこういう猿みたいなのがいるから絶対行かしたらアカンわ 何か今格闘技のプロモーターみたいなことやってるよな
やっぱりそういう連中の掃き溜めなんだな 後輩のせいとか周囲のせいにしてるけど、普通のクズだなw >>14
マジでこれ
他人のせいにするクズの性根は死ぬまで治らない こういうゴミを早いうちに殺処分出来るような法律出来んかな 今も悪い奴らと付き合いあるんだろ?
次の逮捕も時間の問題だろ 同情するところが一切ないドクズやんけ
生まれつきだよこれ いやダル家はみんな素行悪い
というか羽曳野がそういう町だし 犯罪歴見たら何も笑えねーんだわ
マスコミが作った兄弟愛とかいらんねん まんさまはそれでもDQNが大好き
けんもじと結婚すれば刺激ゼロだが愛される毎日を送れるのにな 絶対交わることのない人種の独白が読めて面白かった
社会に必要のない人間って本当にいるんだな 翌日の2階から同級生突き落とすも後輩のためだった? 民間の更生施設にぶち込めるくらい経済的余裕はあった家庭に育ち
遺伝のおかげで兄貴同様イケメンで恵まれた身体能力を持ってこの有様とはね 植松聖
https://i.imgur.com/jlwdHm7.jpg 65頁
人は皆、本心ではダルビッシュさんや、佐々木希さんのような異性と交際したいはずですが、
自分の身の丈を考えて「好みの問題」と言い訳することで自分を納得させます。
その妥協が少ない程、羨ましい結婚と呼ばれています ヲタ系かワル系の違いだけで見方を変えるとこれも中二病の一種だろ? 母親が「一緒に死のう!」って泣いたとか、どんだけ追い込まれてたんだよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています