淀殿を江戸に、秀頼は大和国に転封

城攻めの準備を進める一方で、家康は豊臣方に和睦するよう働きかけている。まず11月中に家康の命令を受けた本多正純が秀頼家臣織田有楽斎に宛てて和睦を受け入れるよう促した。

その結果、12月3日に有楽斎から秀頼らに和睦を受け入れるよう説得するとの返答を得ている。12月8日、有楽斎・大野治長から書状が届き、牢人に寛大な処置を願うことと、転封になった際の秀頼の領地について内意を尋ねてきた。

そこで、家康は牢人の赦免を約束すると共に、秀頼を大和国へ転封させるつもりだと伝えたという。その後、家康は豊臣方に和睦条件として、淀殿を江戸に人質として差し出すか大坂城の堀埋め立てを要求し、牢人についてはお構いなしとすると伝えた。

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