江戸時代の上司は優しかった? 規定日数以上の病欠に寛大対応「ゆっくり休みなさい」 兵庫・丹波の古文書に記述 (神戸新聞NEXT)
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登場するのは、勝川次郎太夫と省之助の親子。そろって柏原藩に仕える武士とみられる。
天保14(1843)年8月3日の日記は「省之助が発熱により勤務を休んでいる」と藩に届けがあったと記録。同年10月19日の文章には、親の次郎太夫から次のような内容の「願書」が出されたとある。
「省之助は図らずも大病を患いました。快方に向かっているとはいえ、いまだ出勤できるほどではなく、長い欠勤で恐れ入ります。もはや規定の休養日数も過ぎており、退職をお許しくださるようお願いします」
これに対し、当時の藩主・織田信貞はどう応じたのか。同年12月28日の記述は「せがれの省之助が大病を理由に退職したいとのこと、殿様もお聞きになったが、心ゆくまで保養すればよいと仰せである」。完治してから勤務すれば良いという判断なのだろう。
病欠についてある程度のルールはあったのかもしれないが、現代のような労働者の権利を守る法律はなかったことを考慮すれば、「おおらかで心優しい通達に感じた」と山内さん。寛大な処遇の理由を「藩主の人柄」「父・次郎太夫への信頼」などと推測する。
(後略