https://jp.rbth.com/soren/87278-soren-gum-kinshi
国産「バブルガム」
ソ連が独自のガムを製造するようになったのは1975年にソコーリニキで起こった悲劇的な事件の後である。そのとき、ソコーリニキのスタジアムでは、ソ連とカナダのジュニアチームのホッケーの試合があった。試合のスポンサーはカナダのガムメーカー「Wrigley」で、観戦に訪れた人々はそのメーカーがガムを配るのではないかと期待していた。
試合終了後、ソ連の観客たちは、カナダチームのバスが停まっていたスタジアムの出口に向かって一斉に走り出した。しかしその出口のドアは閉まっていて、さらにスタジアムの電気が突然消えた。これは、外国のジャーナリストたちが、ガムに群がるソ連の若者たちの写真を撮らないよう、電気が故意に消されたとも言われている。ドアが閉まっていたことと電気が消えたことで、人々は押し合いとなり、その結果、21人が圧死した。犠牲者のうち13人はまだ16歳にもなっていなかった。