邪馬台国が九州にあったとか言ってる人、全員馬鹿です(笑) [381928194]
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邪馬台国と卑弥呼の謎を解く「弥生人の大量人骨と脳」が発掘!「鳥取・青谷上寺地遺跡」が示す「大乱」の証拠 | アサ芸プラス
https://www.asagei.com/excerpt/260066 「しかもこの遺跡からは日本で初となる、弥生人の脳が3人分発見された。21年には採取されたDNAによって復元された、弥生人の顔が公開されています。さらに集落中心の東側からは、弥生時代後期の人骨が100人分以上発見されており、少なくとも10人には殺傷痕が見つかっている。そのため、大規模な戦があった可能性が指摘されているんです」
そこで歴史マニアの心をくすぐるのが、弥生時代後期に起きたとされる「倭国大乱」との関連性だ。
中国の複数の史書に登場する「倭国」は当時、日本で大勢力を誇っていた国家だが、これが「大乱」を起こしたと記されている。これは日本初の大規模内戦とされ、その原因は倭国の王位継承に端を発した争い、はたまた寒冷化による食物不足によって起きた襲撃など、諸説ある。その後、卑弥呼が王の座に就くことで戦争は終結し、邪馬台国連合が成立するという流れなのだが、
「青谷上寺地遺跡の集落で見つかった大量の人骨の年代と、倭国大乱が起きた時期が2世紀後半で重なります。しかも集落ではその後、急速に遺構跡が減少し、古墳時代には終焉を迎えている。そのため新たな発掘により『倭国大乱』との関係の手がかりが見つからないかと、専門家は注視しているのです」(前出・歴史研究家)
すでに発見された人骨の殺傷痕は何を意味するのか。卑弥呼誕生までの経緯、さらには邪馬台国の場所についても、手がかりが見つかるかもしれない。 地理的には九州だろ
うどんアイランドとかなんの冗談だよw 確かになんで淡路島がわざわざ神話で最初の島に設定されてるのかよくわからんし AIは畿内説だな
邪馬台国は、日本の古代国家であり、現在の大和地方(奈良県周辺)に位置していたとされています。しかし、詳しい場所についてはまだ謎が残っており、多くの学者が研究をしています。 山田姓は、邪馬台由来なのよ。なので、今の女王は、山田優ちゃんだぞ。 だから、沖縄にも、北東北にも、たまーに、ほんのり肌の黒い、ビガビガした眼のねーちゃんをるねん。 加藤夏希ちゃんと、山田優ちゃんは、あれ、血が繋がっとんのよな。 >>1
ひろゆきの真似なんかして
おまえが一番のバカだろ もともと学会ではとっくに畿内説で決まってた話を、
民間の議論の盛り上げが結構あるからそれを醒まさないため(民間で需要があるなら研究費なども回されるから)に、
学会内の5%のぐらいの学者があえて九州説側に入って、それに有利な証拠集めばかりをしてきたんだよね 「徐福」が”丹”中毒なのは知ってた
伝説にしてるとこは誇らしいよね(笑)
ケーケケケ 普通に朝鮮半島だからな
そもそも殉葬の風習って朝鮮半島以北にしかない 普通に考えて朝鮮半島の伽耶地方にあった倭(蘇我氏)が日本列島に移ってきただけだからな
蘇我氏が飛鳥文化(外来文化)を畿内で築いたことと完全に符号する 関西から、ちょいと中国いってくるか
ってならんやろ >>38
秦から楚漢戦争の戦乱期に日本に渡った中国人も相当数いたと思う どっちでもいいから対立側がぐうの音も出ない証拠早くみつけろよ >>43
いや普通に馬鹿同士で争っているだけだぞ
殉葬の風習で普通に決着つくだろ
まともな知能さえあれば
山形明郷
中国の学者楊守啓氏がいうには、「朝鮮側の史料『東鑑( 東国通鑑) 』では詳らかではないが、
日本の史書から判断すると、高句麗広開土王即位の年は西暦3 9 1 年であり、日本では仁徳天皇の治世時に当たる。
しかし、この間、両国には抗争の事実はみられず、又、中間の履中・允恭両天皇の時代にも、高句麗・新羅と闘争の事実はない。
又、三宅米吉氏も『高麗碑考』の中で同様のことを語っている。即ち、「倭・倭人と高麗との抗争記述も、
『日本書紀』など日本側の記述に対応すべきものがなければ、強いて附会する必要はなかろう。
碑文中に現れる倭が、大和朝廷で在ることを明証した論考は現れていないのである」との見解を述べている。
倭や邪馬台が何処であろうと、我が国の古代史に繋がることではないので、
目角を立て附会曲解をする必要ないこと、論ずるまでもない。
「倭」そのものゝ総体的な輪郭が把握できず、「邪馬台」が「大和朝廷」の前身などという固定観念で、
これら倭人に関する伝記などを捏ねくり返してみたところで、
先人の糟粕を舐め啜るのが落ちであろう。
そもそも記紀って普通に偽書だからな
あんなものを「日本列島」の歴史書だと思いこんでるからジャップは極度の知的障害を疑われる
日本書紀の日本とは百済のことだからな(出典 百済人祢軍墓誌) >>47
おまえは知的障害そのものだけど
まぁ自覚ないよな
自覚出来たら知的障害者じゃないから >>1詳しくはこっちだね
> 鳥取・青谷上寺地遺跡の大量人骨 「一番の謎に迫る」 本格調査開始
> 大久保直樹2023年5月10日 10時15分
> 今回発掘するのは、2000年に大量の人骨や
> 世界的にも珍しい人間の脳などが出土した場所の近接地。
https://www.asahi.com/articles/ASR596T52R58PUUB003.html
ここマジですっげぇからな またひとりで300レスくらいするぞ
精神病の隔離施設 近畿だったら出雲大社が大阪から遠く離れた島根にある理由にならんでしょ 少なくとも書紀が偽書なのは郡評論争で明らか
はい、知的障害者を完全論破w 北東アジア源流の天孫降臨神話で9世紀初頭まで隼人の土地だった霧島に降り立ったという嘘
南洋ニューギニア源流の日向神話に神武天皇が絡む嘘
コノハナサクヤヒメは薩摩半島出身の阿多隼人族という嘘 日本人(渡来系古墳人)のルーツは扶余が建国した高句麗付近(西遼河流域古人) あった
これ
https://i.imgur.com/olA6Bbn.jpg
弥生時代の遺跡が発掘され展示されているどんな博物館にいっても
というか
その手の所に行っていれば行っているほど「ん?」と混乱することになるのが
この青谷上寺地遺跡>>1の写真
こんなもんさどう見ても最近の火災現場あとじゃんかw
しかし違う
この写真に写っているものすべてが「青谷上寺地遺跡の発掘物」
弥生時代の建物の「みぞの跡」ではなく
「弥生時代の建築物そのものがそのまま残って発掘された当時の様子」
とにかく鮮度が凄まじい 池田次郎『日本人のきた道』より
大陸からの渡来の波は、古墳時代を通じて断続的に押し寄せたが、それは中央政権の支配が拡大するにつれて、農耕が全国的に普及したためである。
このように渡来形質をもつ農民集団が本土の広い範囲に進出したからといって、古墳人の地域差が縮まったわけではない。
大陸要素の濃度という点からみれば、古墳人の地域差はむしろ拡大している。したがって、古墳人の特徴も、地域を無視して一概には論じられないが、
大ざっぱにいうと、大半の古墳人は現代日本人に類似する特徴を多かれ少なかれもっている。
百々幸雄らは、頭蓋小変異の出現頻度によって、縄文人・渡来系弥生人・古墳人・歴史時代日本人に分割され、現代人の特徴は古墳時代まで遡れると結論している。これらの特徴はすべて大陸に由来するものである。
各地の古墳時代男性頭骨の弥生・縄文判別関数値
(池田次郎・京都大学名誉教授による)
+2.12…畿内
+1.47…南近畿
+1.08…四国
+0.76…東中国・西近畿
+0.70…西中国・北東九州
+0.51…関東・南東北
+0.40…北陸
-0.87…南九州・西九州
※+は弥生(朝鮮)側、-は縄文(アイヌ)側
なお、池田の扱っている古墳時代の人骨の殆どが5世紀以降のもの。 召喚したいならスレタイを九州説推しにしないと駄目だぞ >>1にあるここの殺傷人骨の話も
ものすごくて
そりゃもうこれは「村がそのまま襲われて全滅したな」とわかるヤツ
もうホントに子供からなんから一気にぶっ殺されて
そのまま放置され遺跡になった集落だったということが
確認し放題なほど色んなもんが残りまくっている >>56
これだけ残るってのは、この状態で速やかに土砂に埋もれたってこと? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています