ここ二週間の僕のトピックをあげるなら、「50を過ぎたらバンドはアイドル」という筋肉少女帯の新曲が完成した。
「50を過ぎたら……」本当にその通りだと思っている。存在の非日常性、不条理感、幻想度……ウソっぽさ、す
べてにおいて50歳を超えたロックはアイドル的だ。

だって、そうでしょう。 本来なら若者のために作られた音楽ジャンルをがっつり初老になってまだやり続けているのだ。
“ヤング”という基本概念と光の速さで乖離していくのは当然のことだ。

社会への反発、大人への抵抗、そんなメッセージを50過ぎて叫ぶ者があるなら前者はメンドーなツイッター民だし後者はヘンなおじさんだ。

「大人は信じられない!」と憤っている輩が憤る矛先より20も30も歳上なのだ。何よりいい歳をしてライブとかやっているのがおかしいよ、ということだ。
エレキギターをギュンギュン鳴らしたりドラムをドコドコ叩いたり「やかましい! 君たちは学生さんか⁉」って話だ。
人によっては57歳になってさえ顔にヒビを入れて特攻服を着て「日本を印度にしてしまえ!」などと叫んでいる。
それアラ還のやる事か? 自分の事だが。

だからもういっそアイドルだと思うことだ。
年月を経て若い頃の怒りや主張は「かつてそう感じていたこと」というメモリーとなり、
肥大したエゴの可視化のために着用していたステージ衣装は「ま、おじさんが私服で出てくるよりはわかりやすいでしょうから」との、
仕事のための制服サービスへと化していく。
となれば、本質よりもそれは形を見せる作業ということになる。

リスナーにロックという昔日のイズムを一時的に提供する、いわば幻想配給人の務めということになる。
幻想、ファンタジー、夢をお客様に与える偶像として我々はステージに立つ。
50を過ぎたらバンドはアイドルなのだ。ファンタジーなんです。

とは言えアイドルといっても多種多様であろう。
ドームツアーを瞬殺するスーパーアイドルもあらば、チェキをこまめに撮りためて一枚一枚売る地下系アイドルもいる。
僕はここ数年チェキをライブのグッズで売っている。
今「ええっ!?」と驚いた読者もあろうが事実なのである。チェキバンバン売っている。
57歳のチェキって売れるのか? それが、買ってくださるのだ。アイドルだから。

僕も最初、V系界隈のバンドマンが最近はチェキを売っていると聞いて「なんだそれ?」と笑った。

『ロックじゃないなぁ』と感じたからだ。だがふと『もし自分の好きな英米のバンドマン、
例えばキング・クリムゾンがチェキをライブで売っていたら買うだろうか?』と想像したのだ。

「‥‥買う!」買う、そりゃ買う並んででも買う! ロバート・フリップのチェキ絶対欲しい! 
ロバフリ・チェキ!! 『そうか、ロックも結局アイドルなんだな』推し、なんだなと考え直し、自分も撮り始めたのだ。
https://lp.p.pia.jp/article/essay/271343/273773/index.html