「江戸時代の大衆食堂に机と椅子の組み合わせはなかった」説 [199048877]
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椅子と机すら生み出せなかったってジャップは何考えて生きてたんだ? たしかにテーブルは存在しないな
こういう飯屋は全席座敷だったろうね ジャップはテーブルも椅子も作れなかったから
床食いが基本よ?
土間を知らないのかよ みをつくし料理帖のドラマだか映画だかは座敷だった気がする みんな長椅子みたいのに座って食べ物横に置いて食べてるような絵は見たことあるな さすがに腰掛けるところはあってそこに食器もそこにおいて食べるんだよ
浮世絵とかではみんなそう書かれてる 当時の絵を見ると机みたいな長い椅子に座って食ってるな この食い方だな。腰掛け茶屋という業態。
https://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/mame.files/yamaya_toufu-01.jpg
https://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/mame.files/yatai-tyaya-1.jpg >>21
お茶屋さんみたいな感じで何でも食ってたんかな しいて言うなら茶店の長いベンチ あの縁台の幅があるやつとかじゃねえのか
つうか大衆食堂という概念がないと思うぞ
履物脱いで床なり畳のとこに上がるとこか
立ち食いかみたいな
広い土間みたいなとこに縁台みたいなの置いて
適当につまみ持ってきてくれて酒飲む飲み屋もなくは無いが 江戸前期は腰掛けというか小上がりに腰掛けてそこに皿置いて食べてたけど
後期は椅子とテーブルあるぞ 江戸時代後期に登場してたとしてその椅子とテーブルはなんと呼ばれてたんだ ペリーさんを接待した時の食事風景
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/mame.files/momokawa-1854.jpg
http://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/mame.files/yokohama-5.jpg
横浜で有名料亭百川の高級料理を出して接待したが
ペリーさんには全く伝わらなかった、っていう有名なシーン。
ぐぐったら、一人30万円くらいする食事だったそうな。 >>4
縁台みたいなのに座りながら食うケースもあるけどテーブルは存在しない
ケツと同じ高さにお盆を置いて食う >>32
座敷っつってもなぁ
そのへんの定食屋の小上がり席程度だな。
畳とかも敷いてなさそうな…
>>38
草生やしてないで、その腐るほどある記録を開陳してくれよ テーブルなんて自然発生的にできそうなのになんでなかったんだろうな
たまたま置いてある荷物の上においてみたら楽だったから作った、とかあっても良さそうなのに >>33
マジで朝鮮と変わらんレベルの土人よなジャップって >>33
江戸時代は間口の広さで年貢が決められてたのに
その店は間口が広いな
普通は鰻の寝床みたいに奥に細長いんだが 武士の作法的な畳に座って膳で食べるのがマナーとなってしまったのでテーブルの入る余地がなかったのかな?
箸で食うのは不便なものでも極力箸で食うみたいな >>33
長椅子はあったし寺子屋やお城で仕事するときは机も使ってたのにその2つを組み合わせるととても快適に食事ができるときづくのに随分かかったんだな ちょっと良い店は畳を衝立で仕切って膳で飲み食いした
畳の無い安い店は椅子とテーブルを兼ねる縁台の上で盆で飲み食いした >>52
これは椅子じゃなく縁台
椅子でもあるしテーブルでもあるんだよ >>54
いやいやここまで来たらこの高さで食事したら楽だろうなと気づくだろw 資料なんて適当な浮世絵見ればいいだけ
わざわざ何をどうやって食ってたか絵に残してくれてる 駒形どぜう本店みたいな座敷で年季の浅い小僧の仕事は表につないだ荷駄の馬糞掃除(´・ω・`) >>57
武士道をベースに動いてた国だから
腰が見えなくなるってのがヤバかったんだろうな。
飯食ってる最中も刀を身に着けてるからね。
http://www.edojidai.info/img/samura4.jpg ゴメン
アンカミスった
>>57
着物着てると袂が邪魔になるんだよ
だから>>54の画像ではたすき掛けしてるでしょ だらけた生活してると別に机や椅子は便利じゃない
欧米にはベッドの上に膳のようなのを置いてベッドで上半身だけ起こして朝食を取る習慣がある >>58
末期李氏朝鮮なんか誰もがヤバイと認めてるしな
同じ外藩のチベットもヤバイし言っても仕方ないよ
日本だって東北はこんなもんだろう
天保の大饉で諸藩は壊滅、支藩によっては領民7割餓死もあった 和服には男性用も女性用も袖に袂(たもと)という膨らみがある
これがある事によってテーブルの上の食器を全部引っ掛けちゃう事になる
だから床に膳や盆などの低いものに食器を置いてそこから手に取って食う仕様になってる >>69
中国でも袂あるけど
普通にテーブルなのでそれにはあたらない
https://i.imgur.com/h4blipv.jpg
床において食べる習慣だったから床に置くことに抵抗ないだけでしょ
食器は持ち上げるし わずかな例外除いて日本で車使わなかったのかと同じような話だな >>70
中国でも座る位置と同じレベルにテーブルあるでしょ
それは袂を引っ掛けない為だよ >>41
人口密度が高い国だと椅子も机も建物も足が高くならない
ネズミも虫も人間が見つけて駆逐してしまうからだ。米食文明はそう
密度の薄い小麦の地域は人間が負けるので、地面からなるべく離そうとする価値観が根付いた >>72
ペリー一行だったかも、ジャップの酒癖は異常、上級武士ですら酒乱、って書き残してるよなw >>72
下級武士がいくら死のうが知ったこっちゃないでしょ。
中世日本では天皇や将軍と座敷をともにするときでも
全員武装解除は無し。その状態から修羅に入るための武道が居合。 正座の強制も全員武器持ったヤバいやつだから動けなくしちゃえってのが根幹。 時代劇も最近はちゃんとしてるだろ
NHKの奴しか見てないから民放は知らんけど 石造りの家は床(ゆか)を張らないから椅子やテーブルを置いた
日本や東南アジアは木造りの家で地面から離して床(ゆか)を張ったので
その上で座って寝て飯を食った
まぁ大雑把に言えば床全部が椅子でありテーブルであり寝床(ねどこ)なんだよ 日本人って文化や風習を大切にしないよな、鶴橋の焼肉屋行ったら板の前に座って食べるスタイルで感心したわ >>78
江戸時代は酒はきちがい水と呼ばれてましたから
>>80
それはただの儀式やもん
帯刀しますわ
でも普段はこれよ
あんな邪魔なもんつけて食事できわけないやろ
https://i.imgur.com/ZHxrmmt.jpg >>31
30万って大したこと無くね
一文銭でおなじみの宝永通宝が1万円だから30文の食事
ちょっと豪華な定食レベル ものを書く時は机使ってたのに食事ではそうはならんの不思議だよな ケンモメンみたいな独身男性が多くいて居酒屋が繁盛してたらしいな >>21
煮売り屋って書いてんのにノータリン白痴バカは死んどけよ間抜け
>>86
一人30万円だぞ
双方の随員合わせれば30人ぐらいにはなる
総額1000万とかになるぞ >>31
ペリーの日記見たらどう考えても伝わってる描写腐るほどあるのにノータリン白痴バカすぎだろお前
エッタ見て汚い以外でネガティブなことほぼ書いてねえしアホかと
>>68
飲み込んでくだせえ >>90
煮売り屋→煮売り酒屋→煮酒屋→居酒屋やで?
居酒屋の始まりなんだが? >>72
ま~だ「卒」の足軽風情を「武士」扱いしてるノータリン白痴馬鹿がいるんだなぁ
しかも南端僻地の糞田舎の足軽を武士ってノータリン白痴というよりIQ20切ってる中卒だろお前 大正になってから洋食屋でテーブルスタイルが取り入れられたのになぜか当たり前のごとく江戸時代はファミレススタイルなんだよな >>94
お前ノータリン白痴バカとしか思われないレスしかしてないし本気でだいぶ頭悪すぎやで
一ミリもまともな歴史知らないアホほどレスしたがるのなんなんだろな >>89
今でこそ長男ってマイナスなイメージだけど長男以外人権がなかったからなぁ >>97
そもそも椅子とテーブルで食事してる(た)層がいるのに物珍しいとでも思ってるってノータリン白痴バカって言われるぞそれ…笑
少なくとも当時の水呑佰姓どころか穢多非人でも黄檗宗くらい知ってるのにそれ以下って笑えるわ >>86
レートは1両=4000文=4貫文=4万円くらいじゃないのか? >>104
田舎なんていくと乱交乱婚状態のすごい世界だぞ
貞操()状態だ >>45
テーブルと椅子とベッド使ってた天コロの存在なんて江戸期のエッタ非人でも余裕で知ってるのに絶望的なノータリン白痴バカだよなぁ
>>85
こういうエッタの子孫か知らんけど士卒の違いもわからないノータリン白痴バカって昭和生まれの中年~爺さんくらいだよな
そしてなぜか厚顔無恥のノータリン白痴バカほどレスしてるのがホント笑える 何故か机で食事をするという習慣がほとんど無かった。
一応、卓袱料理はあるけどね >>100
久々に見たわ
今日は出遅れたとおもったのかテンションがいつも以上だなw >>107
ネタだよなぁ、なぁネタだと言(虎拳
マジなら画像中にある「虎眼流」でググれ >>113
チョンモメンにとっては漫画が教科書だからな
だからチョンモメンと馬鹿にされる >>25
テーブルの概念がほとんどない
座る場所に食い物を広げる >>117
概念はあったけど食事に使わなかっただけ。
これはガチの江戸時代の写真。
https://i.imgur.com/FCm3sev.jpg 江戸時代の最後期では飲食店にテーブルと椅子があった
中村主水が机で蕎麦を食ってるが時代は文化で明治時代の直前なので背景にあっていたのかもな
大岡越前が神様になる時代だし
(中村主水の時代から200年も前が大岡越前の時代) >>45
食器を持って食うという食い方だから
テーブルいらんのよ
だから日本の食器は持っても手が熱くならないようになってる
外国の食器はそれが無い >>114
農業革命によってバランスの良かった食事が炭水化物ばっかりになったんだよな
農業は詐欺だわ 時代劇風劇画漫画なら問題ないよな
網タイツにブーツの女忍者が出て来ても問題ない
ゲーム世界風ファンタジー漫画と同じだ >>124
食器を持って食うのは日本特有の食い方らしいね。 そういえば東南アジアの動画見ても
長椅子みたいなのに片胡坐で座って
その隣に食器置いて持ち上げずにスプーンで食ってたな
かつての日本とほぼ一緒な感じなのに
なんで食器を持つ文化にはならなかったのか
スプーンの影響か?宗教か? >>3
知ってた?右手と右足同時に出して走ってたんだぜ そもそも大衆食堂自体が大正だか昭和初めだかに出来た業態だからなあ
公衆食堂の民営版みたいな感じで >>132
通俗な歴史うんちく本が一時期それを広めていたけど実際はそうでもなかったとか少し解釈が違うとかなんとか 時代劇だと普通に出てくるお馴染みのシーン
昭和じゃ毎日テレビで流れてたたからな テーブルと椅子は九州の外国人居留地くらいにしかなかったってな
江戸時代の浮世絵とか見るとわかるけど、飲み屋でもみんな
畳の上にベタ座りしてる >>131
東南アジアは年中暖かい場所ほとんどだから日本とはまた違うんじゃね
あっちは暑さ対策でスカスカの家が多くていまだに地べたに座って食べる屋台みたいなのもあって向こうの家行くと床に座って食べてる庶民は結構多い
日本は地震多いし雪降る地域多くて寒いし暖かい国みたいに食べ物が年中豊富にあるわけじゃないからなあ
この手の時代考証ろくにやってないのが普通だったよな、ある意味日本は昔からテーブルと椅子に座って上品に食べてたんだぜってホルホルの意味もあったのかもね >>131
日本でも平安貴族は食器を持ち上げて食べるのは無作法とされてて
木でできたスプーンなんかを使って汁物を食べてたらしいが
関東武士の文化が中心になってそういったマナーが無くなったと言われてる >>4
立ち食い席があって
肘をつくのによさそうな狭い置き場所みたいのがあって
ダンディなイケオジがギヤマンに清酒を注いで
素敵なお姫様の瞳に乾杯!してくれるイメージ 落語にもある屋台蕎麦は立ち食いだったんかな
即食べれてしまうかな問題もないような 畳の上にベタずわりだと、酔っ払ったらすぐに横になれるからそこは便利そうであるよねw そもそも江戸時代の屋台は
天秤棒の両側に大きなおかもち(配達に使う箱)
を引っ掛けた形の行商だから
椅子も机もないんじゃね 茶店だと長椅子のような場所に座ってる描写はあるのにテーブルは無いんだよな
正確に言えば江戸時代は椅子はあった
しかしテーブルはなく、テーブルに食器を置いて食べるという文化はなかった
ちゃぶ台がお茶の間に登場するのも戦後になってからだしな あのなんつ―かよくわからん据え膳上げ膳みたいなミニテーブルか >>31
テーブル使うかわりに個人用の膳をつかってたわけだなー。高級料理の場合も。 https://kotobank.jp/word/%E8%86%B3-87960
膳
食器をのせる盤台。古代、カシワの葉に食物を盛ったことから、古語ではカシワデといった。転じて食事をのせる盤の名や、食膳調理をつかさどる人々をさすようになったものという。わが国では古くから檜(ひ)の片木板(へぎいた)を折り曲げてつくった折敷(おしき)、木具(きぐ)、三方(さんぽう)、懸盤(かけばん)などの曲物(まげもの)の角膳が使われていた。膳は折敷の変化したもので、食器をのせる盤台を膳とよぶようになったのは、のちに挽物(ひきもの)や指物(さしもの)の盤台が使われるようになってからであろう。 畳の上に一人一人ミニテーブルを置く膳ね
あれは明治時代から戦前までは一般的で
江戸時代は武士や商家、豪農の習慣らしいけど >>31
テーブルにお膳か
本来は座敷に座布団なんだけど椅子を用意したからこの構えか ようするに座り方で台は決まるわけだ
正座してたら椅子や机は要らんもんな 日本の伝統的な食事の作法の美しさは神道の教えによるものですっていうネット記事を先日見かけてはいはいまたやっとるやっとるってなったね 明らかに禅宗の所作からの流れだろうに こういう膳に小皿載せて料理を出す習慣は日本独特なんかね?中華料理でもテーブルに大皿だし お膳に小皿というと見た目はちょっとせせこましく感じるが、食事を運ぶのは一度でいいよくて、厨房と食事場所を何往復もする必要はなさそうであるねw >>155
江戸時代の後期には長崎の卓袱料理が京や大阪でも流行って
大皿で料理を出す店もあったらしい >>108
すでに嵯峨天皇とか中国かぶれで椅子とか使ってると聞いとるわ
そんな特殊な話しとらん >>155
箱膳は水が貴重で食器を洗わないで済む工夫と言われてる
自分専用の食器セットとして食後洗わずにまた使う
だから最後にお湯やお茶入れて沢庵などで残り滓をこすり取って食べる >>21
椅子の上にあぐらかくオヤジとかこの頃からいたのか >>158
うちの田舎の家にも膳と大皿両方あったわ。
>>162
へーへーへー 椅子は、ズボン履いてる騎馬民族の文化だからな
和服漢服でやったらチンチン出ちゃうし 新潟行ってラーメン屋何軒か入ったけど
全部小上がりがあった >>3
机も椅子もあったけど文化として選択しなかったんだろ
土足で屋内にあがる国では衛生面の観点で椅子とテーブルは合理性があったけど
屋内では履物をぬぐ国の場合は盆や膳で出てきた料理を食うほうがで合理的なんだと思うぞ >>159
江戸の頃まで副菜は本当に貧弱で米で腹を満たしていたからな 箱膳は昭和まであったから親とか祖父母世代だと使ってた家もあるんじゃない 江戸時代つっても200年以上続いてるわけなんだから
初期と末期じゃ文化風俗もだいぶ違うだろ >>178
どっちかというとお膳の原型じゃないのこれ >>178
米を真っ白に描いてるな
平安時代にこんなに精米してたんだ 最近の時代劇漫画だと床ベタで食べてるの描いてるのあった >>8
こういう旗のなんとか弾正なんとかとか
なんとか玄蕃守なんとかとかの役職ってほとんどが自称らしいね
武田のはとくにそう >>183
備前守なら備前に出向するのが筋だよな
更級日記の菅原孝標みたいな、京都から茨城県まで出向させられる悲壮感がない 水戸黄門とか遠山の金さんとか鬼平犯科帳とかのシーンであったろ 家建てられるんだから、机っぽいものは作れるやろ
椅子作る知能は土人ジャップには怪しいが >>184
律令制が崩壊したのはけっこう早かったからな 一膳飯屋はあるが大衆食堂は無い
一膳飯屋は馬丁雲助の類がしかたなく飯をかきこむ所 >>183
自称てか官職風名でしょう
この時代の武士は本名なんて名乗らないし呼び合わない
基本官職で呼び合うから、官職の無いやつでも官職名を付けたがる
その風習は庶民にも広がって何とか兵衛だとか何とか郎とかが一般的になった
僕の祖先も別に官職とか持って無かったが、家系図には大縄讃岐守とある
この場合、讃岐守が表向きの名前だった 時代考証をする奴がガチガチに再現すると現代では違和感しか無いのでアレンジすると言っていた
でオタからおかしいと文句言われて大変とも Winning neo太郎は飯の時代考証だけはこだわったというから座頭市のご飯シーンは信頼できる >>198
調理場と客のいる場所の仕切りの暖簾って現実の江戸時代にはあったのかな?無かったのかな? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています