石田三成や明智光秀すら評価する人がいるけど小早川秀秋が評価される時代は来るのか [217012208]
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“裏切り者”扱いされるの可哀想w あの時代には普通のことなのに。 三成も光秀も最後に失敗したけど戦国屈指の有能だから評価されて当たり前なんだよ
小早川秀秋はそうじゃない 関ケ原のあと酒に溺れて早死したんだっけ?
裏切っても堂々としてる連中と後ろめたさ感じてるやつの差なのかもしれない ・明智光秀:織田家臣団の出世頭。畿内方面軍軍団長。丹波制圧の実績あり
・石田三成:五奉行の一角。朝鮮出兵などで兵站を担当
最後負けたところ以外はちゃんと実績あるからな
小早川秀秋は一時秀吉の養子だったって言うだけのボンボン なんかの糞映画でイケメン俳優が泣き叫びながら西軍に加勢するんじゃああ言ってるのに
家康に買収された家臣が取り押さえて西軍と戦い始めてた
ただの卑怯な裏切り者というイメージは払拭されつつあるのでは 子供の頃からアル中なのに評価とかされるわけないw
ただのバカボン以上の評価にはならんぞ >>11
なにそれ。悲劇のヒーローぶりたいの?
その改変でもアホの印象は全く変わらんな
誰が主導してようが裏切ったのは事実だし 小早川秀秋はそれなりに評価されてなかったか?
永遠に脳筋にされ続けるしかない福島正則の方が再評価絶望的じゃん 無能。いや実は有能でしたは
今川義元や武田勝頼でもう打ち止めでしょう
つーか、家を滅ぼしている時点でクソ無能なんだけどな
局地戦の戦局結果ぐらいで足しにもならねーわ 伝記的な学習漫画になってたぞ?
隆景の間違いじゃないかと二度見したが秀秋だった >>15
小早川隆景と混ざってね?
秀秋は秀吉のねねの甥っ子だよ 持久戦ではなく決戦になったのは小早川秀秋が東軍勢として松尾山に陣取ったから、って説になったんじゃないの? 国が西にあったから無理やり西側に組み込まれたって情状酌量説が目一杯じゃないかな
本人の評価は変わらんと思う >>15
いや評価するところってどこ
バカボンのままアル中で死んじゃった人だよ
登場シーンはマジで関ヶ原のみ 諸大名からは関白・豊臣秀次に次ぐ、豊臣家の継承権保持者ともみられていた。
そのため、秀秋に取り入ろうとする全国の大名から接待攻勢を受け、7歳の元服と同時に毎晩酒を飲み続けることになった。
秀頼誕生により後継者候補から外れた結果、各大名からの接待は激減したものの、
すでに酒がやめられない体になっており、毎晩の酒盛りは続いていたという。12歳にしてアルコール依存症になっていた。
慶長7年(1602年)10月18日、秀詮は21歳で急死した。
秀秋の裏切りによって討ち死した大谷吉継の祟りによるものとする逸話も残されているが、
実際に残されている病歴からは酒色(アルコール依存症)による内臓疾患が死因として最有力となっている。
評価なんてされようのない人生だろ 家康側に寝返ったのにその後裏切りものと嘲笑され速攻死んでいった奴か 長生きしても豊臣がらみの人だから取り潰しからの大阪城入城コースだったんだろうなあ 大権現様を勝利に導いたのに江戸時代でもヒーローになってないなら昔から低評価だったんだろう >>32
江戸時代は忠の価値観が大切になるので... 明智光秀は信長が重用してたし
石田三成も秀吉の秘蔵っ子だし
立派で見どころあるじゃん >>25
そんなのは関ヶ原合戦にどんだけ比重を置くか、どんだけ徳川家を持ち上げるかで相対的に変わってくもんでしかないじゃん
関ヶ原を最重要な戦いとして、更に徳川家を完全な善とする史観なら普通に秀秋はヒーローになるし 西軍が勝ったところでまた分裂、戦乱が続いてしまう...
みたいなセリフ入れとくだけでヒーローよ 子孫が残ってるかどうかがでかいンだわ
真田がすごいみたいになってるのは存続した兄弟の系統の宣伝 >>32
でも江戸時代になってから朝鮮出兵で活躍したという話が創作された >>36
上でも書いてる人いるけど、
ガッツリ徳川史観に書き換えられた江戸時代ですら、小早川秀秋が持ち上げられなかったという事実
裏切者はダメだ言うけど、三河時代に家康に反乱起こした連中は普通に許されて忠臣扱いなのにね なぜ最初から東軍に付かなかったのか
三成のこと嫌ってたらしいやん 実際家康が天下取る必要あったのかな
五大老五奉行体制維持した方が経済的には発展した気がするが 宇喜多秀家のほうが潰れがけの小大名の子供が
天下人の養子になって後継者候補の一人になるとか夢があるわ 勝ち組についたけど2年後に酒で体壊して死んだってのもな
しかも決断も遅かったしお世話になったところを裏切ってだし
いくら裏切り下克上が戦国の武士の習いっていってもかっこ悪い 関ヶ原後に若くしてさっさと死んじゃったから
余計に関ヶ原での行動の評価で固定されちゃってるんだよね
その死も裏切りの報いだの三成や大谷吉継の祟りだの言われる始末 朝鮮で蔚山城の救援して清正救ったのが秀秋だったらよかったんだけどな >>46
合議制は各々が軍を持ってる状況では一強じゃないと不安定化要因になりそう 小早川秀秋が評価されるとしたら家康に受けた恩を忘れてなかったこと
そもそも毛利輝元には何の恩義もないしそもそも秀頼のことは大嫌いのはずなんだよな
たまたま近くにいたというだけで西軍に組み込まれて命令されてムカついてただろうな 無理だろ
まず徳川家康が基本的に嫌われてるって前提がある
その徳川家康の天下取りを裏切りによって助けたっていうコンボのせいで未来永劫再評価は無い >>46
実際鎖国で日本経済大分遅れとったからなあ >>10
アホウヨって何処にでも湧くな
原発事故の最大の原因は非常用発電機を津波モロかぶりな場所に置いてたことだろ
しかもそれを国会で2006年に共産党の吉井議員から指摘されても対策取らなかった東電と政府だろ 大将である宇喜多秀家や石田三成は子々孫々まで血を繋げたのに無嗣改易じゃ零点どころかマイナス >>44
それはつまり「関ヶ原合戦の重要度の比重が足りなかった時代」とも言えるな
「関ヶ原の合戦なんてあってもなくても権現様の勝利は揺るがなかったよ」な史観ならそうなる >>52
いうて関ヶ原前後の毛利の動きに連動してる可能性は否めない
毛利は両川あって毛利やからな >>11
岡田准一の映画関ヶ原だな
小早川秀秋は昔から創作物でヘタレ裏切り者キャラとして定着してしまったのも不運だった
最近は土壇場ではなく松尾山に陣取ったときすでに家康側だったことになってるはず >>60
いや裏切り者自体は人気な武将も多いと思うぞ キャラが立ってるっていうか
小早川秀秋はそれがない 伝承だと徳川軍が急かして、恐れた小早川が寝返ったと言われているが、
解釈によっては高みの見物で掌の上の徳川ちゃんが頑張ったら小早川様がフィニッシャーしてやったようにも解釈できるな。
結局すぐ死んじゃうとヘイトのゴミ箱みたいにされちゃうな。 >>61
裏切り者は秀吉だろ
それを成敗した形だから家康は
>>62
キャラが立ってるのはあるがそれは昭和天皇やヒトラーも同じで
結局評価は低い >>64
秀吉が裏切者だとしても、結局「裏切者は永遠に評価されない」は誤りじゃん ビビりキャラにされてるけど家紋だけはトッポイよなw 実際最終的に信長と家康の関係ってどうだったんだろうな
というか家康が信長に対してどんな感情だったのか 勝ちそうな方につくって日和見の筒井順慶もいるけど
事実は違うみたいだな
裏切者は松永久秀レベルでも魅力ある人は魅力あるよね >>68
魅力があるというよりも魅力ある人物として描いた作品があるということだよ 学者って逆張りしないと生きていけない生物だしな
そうしないと存在価値がないと思われてる >>70
珍説唱えて目立たんとお金ひっぱれないというジャップ的事情があるし >>70
違う説出さないともう何も語る事も研究する事も無いからな・・・ 負けたら貶められて勝てば美化されるってのはあるけど
史実実績は変わらんし有能で戦国時代の動乱に生きざまを示した
かっこいいじゃん
コウモリみたいにあっちこっち彷徨って酒で早死にとか誰もなぞりたいって思わない生き様
同情するところはあるが…犯罪者に向ける哀れみに近い >>70
これまでが皇国史観の影響を受けすぎてたんだよ
今は純粋史学として史資料の再評価をしてる時期なんだわ 俺は逆に赤穂浪士なんてテロ集団を未だにマンセーしてる日本社会ってモンが信じられない。 悩んで決断して失敗して・・・いろいろ人間ぽい
現代に転生したら立派なチー牛になってただろう >>44
東照大権現さまも今川を裏切って織田の混乱中に火事場泥棒して豊臣を裏切って滅ぼしているしなあ そもそも吉川広家も徳川家に内通してるんだから小早川秀秋だけああだこうだ言うのはおかしいよな
酒の飲み過ぎで夭折したのは駄目だったと思うけど関ヶ原の戦いについては秀秋の行動に特に悪い点はないと思うわ
みんな裏切ってるんだから自分も裏切ったほうが得と考えるのは当然 でも豊臣が天下取れたのは明智光秀のおかげだし
徳川はもっと完全に石田三成のおかげだよね はやい時期に家が滅んだから悪く言われるってあるよね
最上とかもそうでしょ >>77
赤穂浪士が捕縛されて預けられた先の待遇は藩によって差があって
長州藩では赤穂浪士はお上に逆らった罪人として厳しく扱われたけど
熊本藩では主君の仇討ちをした忠義の志として厚くもてなされて、熊本藩から幕府に助命嘆願と召し抱えられないかと申し出もあったそうだ 三成は政治家であって武将ではなかったってなってるけど、それって実際どうなの課 そもそも裏切り者ではなく始めから東軍として参陣、先に松尾山に陣取っていた武将を追い出してあの場に居座ってる
君たちは知識が古いよ >>81
明智がやらなければ信長が生きてた=織田政権継続だからそっちは合ってるけど
関ヶ原時点で秀吉は病死、上杉討伐に乗り出してたわけで
三成は関係ないな。展開が多少変わるだけで、政敵を順に掃討していく流れは同じ >>82
まあ、名家とか家祖や祖先に偉大な人物がいたりすると敵側の家でも後に再興させたりするからねえ >>58
小早川の養子に行っただけなのに、輝元にあごで使われかけたらそらキレるだろ
秀秋の気持ちを汲んでたのは家康だけという >>81
石田じゃなくて秀頼じゃない?
あいつが産まれたから秀次が処分されて、内部分裂始まって豊臣体制の崩壊に繋がったんだし >>90
ただ、三成憎しの武断派の存在がなけければ
いくら家康でも動けなかった可能性があるからねえ 訳のわからん鐘の文字にいちゃもん付けて開戦に持っていく古狸なら口実はいくらでも作れるだろ >>90
秀次がいたところでダメだろ
信雄・信孝がいたところで秀吉は織田に遠慮しなかったわけで
ただ息子(養子)の奴が残ってるだけじゃ格が違う ぶっちゃけ小早川より吉川の方がよっぽどひでぇ戦犯だよな
いつでも家康叩き潰せる位置にいながら動かなかったんだぜ >>96
秀次が生きてたらそれと縁戚関係にある大名が豊臣側につくだろうから盤石だったんじゃね?
池田輝政とか最上義光とかは秀次が生きてたら豊臣側についてたと思うわ >>95
豊国神社で実物みたけど囲ってある部分をみてやっとその文字に気がつくレベルなのに
難癖つけた金地院崇伝もよく探したな なんか戦の才能はあったっぽいんだよな
朝鮮では大群に包囲された味方を独断で救出してたり
関ケ原も防衛ラインの一番要の所に陣取って西軍の意図を挫いてるし >>98
それ言ったら本陣素通りした島津はもっと裏切者になるぞ 大砲撃たれてうらぎってるしなぁ…
吉川さんのがまだ >>99
豊臣対徳川になったのは大坂の陣になってからであってな
関ヶ原の時点では豊臣家臣同士の争い。上杉を征伐しようと遠征したら毛利と石田が挙兵したって戦いだから
敵を切り分けて撃破していくのが上手なのが家康なんだから、万全な豊臣と徳川の激突なんて夢想してもそうはならんよ >>3
そもそも裏切ってすら居ない
偶々西軍の勢力圏内にいたから取り込まれただけで当初から家康と密に連絡を取って東軍側として動いている 評価出来る部分があればくるやろ何もなかったら評価される日は来ない 戦国時代という大昔から長州の奴らはこの国の癌でしかなかったんだよ 毛利 動かない
吉川 弁当食ってる
小早川 寝返った
むしろ小早川は堂々としていて良い方 >>104
秀次の領地だけでも石高は100万石あったんだぞ?
各個撃破は流石に無理だろ
それは徳川家康を買いかぶり過ぎ
偶にラキ珍大名とか家康言われるけどまぁその通りで家康が天下取れたのは運が良かったってのがでかい >>104
関ヶ原の戦いの前は三成の謀反発生と徳川に書状を出したかと思えば
秀頼や淀殿の居城である大阪城の本丸に西軍の総大将の毛利が陣取ってるのを許容
東軍が勝った戦後には淀殿から徳川に感状とかを出してたりするしねえ
豊臣が漁夫の利を取ろうとしてたのか行動がふわふわしてて
このあたりも豊臣が支持を失って滅亡する理由でもある気がする >>108
仙台のあたりを開発したのは関ヶ原でリストラされた長州人だろ >>59
そんなのや永遠のゼロに
>岡田准一「日本はアニメとゲームだけって言わて苦しい」「ジャップ映画も面白いでしょってものを作りたい」 [673326484]
https://greta.5ch.net/test/read.cgi/poverty/1685268255/
こんなこと言われてもな >>106あれは やる夫シリーズの傑作だと思う作者どんだけ小早川秀秋好きなんだよ >>61
別に人気があったから続いた訳じゃないじゃん。北朝鮮にして特に民からは全てを奪ったから長持ちした独裁政治なだけで >>67
それこそ上級同士の幼なじみでもあるし秀吉に対してよりは胸襟を開いていたのは事実だろうな
信長が死なないままだったら三河の辺の穏健な大勢力で満足していたのでは >>121
政権維持だけ考えたら国は貧しくなるけど搾取しまくって各地の反抗する力を削いでいくのが正しいんだろうな
徳川も北朝鮮も自民党もみんな同じやり方で政権安定してる >>111
無理だとか言われても、
実際に史実で秀吉死んだ途端に「豊臣対徳川の全面戦争じゃー」なんてやらなくて
まずは上杉から潰そうってやって、上手く毛利も釣れてしかも勝てた。豊臣孤立してからの大坂の陣だったわけで
史実で出来ることを無理とか言い出すのは意味不明 秀吉が耄碌しすぎだわな
秀次粛清して人望を失う位なら、その後の戦いを覚悟のうえで家康を粛清しとけば良かった 光秀や三成は優秀な部分が多く描かれてるけど秀秋はなんか有るっけ >>126
挙げ句の果てに一番敵になるやつに我が子を頼むと泣きついたとかなあ >>113
あの時期の諸大名(徳川以外)って自分から潰れに行ってるようにしか見えない
上杉も毛利界隈も豊臣も福島も謎ムーブかまして消えてった
みんな二代目三代目だったからなんかね 秀秋は評価すべきところがない
気の毒ではあるけど所詮は恵まれた人生に飽きただけの人物 >>129
正直個人としての能力は感じないがそれこそ時代もあるからな
逆に信長秀吉家康がこの状況でその辺に生まれてきたらなにか出来たか?と言うと >>129
徳川幕府が武家諸法度や長幼の序による長子相続を定めるまで
武家の家督には明確な規定が無かったんだよ
だから当主が死ぬと後継問題が必ずと言っていいほど発生した
家臣団が誰を立てるかで骨肉に争いを繰り広げるのは半ば常態化してたわけだ 秀秋は朝鮮出兵ではそこそこ頑張ったぞ
秀頼を後継者として固めないといけないから、突出扱いにされて武功を評価されなかったけど
まぁそれで三成を恨んだ運びだ >>129
毛利なんて大坂の陣でも内藤元盛という一門を佐野道可という変名で大坂側に送り込んでいる
あっさり徳川にばれて釈明させられ、証拠隠滅のために一族を粛清しているけど、なにがしたかったのだろうね >>129
命がけの謀反を誰も興さないしな
まぁ明治維新見れば、最後には毛利は勝ったけど >>134
朝鮮出兵絡みでは三成は武断派から軒並み恨みを買って
それが三成襲撃事件から三成失脚、三成の失地挽回を期しての蜂起で関ヶ原へ繋がるわけで
晩年の豊臣を振り回したのも三成なら豊臣滅亡へのカウントダウンを始めたのも三成と言えるんだよね 石田や明智は最後負けたってのと人の上に立つ資質がなかっただけだが小早川秀秋は多少ガイジ感ある >>134
頑張った一次資料なんてないよ
蔚山城なら江戸時代の創作だし >>139
秀次が粛清され秀次派の家臣はみんな外様に追いやられて
やり場のない恨みをこれ幸いとばかりに三成にぶつけただけ
豊臣家崩壊の引き金を引いたのは誰あろう秀吉自身なんだよ 三成は調整能力ないし、大谷に充てた書状見てても、本当に秀吉の御恩とかだけで通そうとしていていやそりゃついてくる人間少ないよそんなん、としか言い様がないけどそれを取り立てて後継者体制の基礎に据えようとした秀吉がやはり全て間違っていたとしか
そもそも家康を関東に追放して済んだ、と思うのも甘いし 評価というか裏切り者扱いが既に間違い
関ケ原の戦いの前に既に西軍であることをはっきり態度で西軍にも示してる
そもそも「秀吉に世話になった」つっても要は秀吉が好きなように利用してただけで
秀吉は実子が生まれたらポイッと捨てたからな
しかも秀次事件で減封されて、とんだとばっちりだよ
秀吉の妻のねねに感謝はしてても秀吉は嫌いだったろ
俺は三成が好きだが、秀秋も嫌いし裏切り者と思ってない ちなみに末期の日本軍が神風やら言い出したのも皇国史観が影響してる
明治期の日本軍はきちんと兵站を考えてた >>144
豊臣の徳川の関係については小牧長久手の戦いあたりまで遡る事になるからねえ
秀吉としてはさっさと手打ちをしたかったからなのか
あの時に徳川との全面戦争を避けたのが、豊臣としては秀吉の死後にジワジワ効いてくる事になってしまった 数万人の死者を出すであろう戦争を1日で終息させた天才だぞ 結局早死にしたのがな
めちゃくちゃ加増されてるし大阪の陣まで生きてたら30代半ばだしどうなってたのか 「問い鉄砲」とかいう家康の豪胆さを示すフカシの犠牲者だな
問い鉄砲で神君()家康の偉さを示すには秀秋が優柔不断じゃないと成立しない
ちな、問い鉄砲自体が大嘘なのは実証されてる
実験した結果でも鉄砲の音が秀秋にまで届かない
あと戦争経験してる人間が遠くから鉄砲の音がした程度でビビるわけがない 問い鉄砲も三段打ちも一夜城も、武田騎馬軍団、後鎌倉時代の武士は騎射で強かったとかまあ嘘というかまともに検証したら...というのは多いわな 戦国乙女好きなら評価する奴も1割おるかも知らん
ワシは嫌いだが 石田三成が挙兵しなかったら秀頼の天下になったんじゃねえの
あいつのせいで福島とか加藤が家康の家来になったじゃん
大戦犯にしか見えない 戦前の日本史については皇国史観で徐々にゆがんでいったらしい
天皇が万世一系の現人神であるのと歴史の整合性を合わせるために
実証的な研究がされないようになった 秀秋は裏切り者じゃないっていうけども、東軍の武将もこれといって秀秋の功績褒めてないし昔から裏切り者の代名詞になってる点から元々そういう評価の人だっただけでは >>154
ないない
秀吉が死んで「すぐに」家康は有力大名と禁止されてる縁組を始めて
五大老を次々と恫喝して軍門に降らせた >>156
当時の武将の武功話なんてヤクザのフカシ
前田利家なんて最も侮蔑される裏切りかたをしたのに評価されてるだろ?
そんなもん
賤ヶ岳の戦いでの勝敗を見定めてからの「オヤジ」とまで呼んでた柴田勝家を裏切ったのは当時でもありえない卑怯さ 確かにほっといたらお手紙作戦で好きにやられるだけだし、実際に挙兵するのは遅くてあのタイミングしかないのでは、という気もするな
まあその時点でも、例え関ヶ原で西軍が勝っても家康逃したらいずれまたじわじわやられたか、応仁の乱のように体制内で分裂しそうという感じしかないが そろそろ大河で毛利三兄弟をやってもいいと思う
元就はもうやったから >>157
でもね、関ヶ原がなかったとしたら
豊臣に変わって天下に号令する大義名分は徳川は持てなかったと思うよ
あくまでもも豊臣の第一臣下として号令はできても 松尾山以前から、滋賀あたりを岐阜方面に進軍してる時点から西軍とは別行動、だったっけ
関ヶ原は形成不利な西軍側が陣地から転進してる時に起こった追撃戦、って誰かがいってたきがする。 吉川広家が裏で黒田とつながってて
負けた時に助命の嘆願して毛利は首の皮一枚でつながったんだよな
でも、吉川広家は毛利家中から裏切者っていわれて家の格は下がったっていうw
ちなみに家康もコイツを知らんぷりした >>161
うーん、大義名分って理論自体、自分は懐疑的なんだよね
それは置いといても、秀頼が自分で政治しようとしたら、今までの「神輿」にされた人たちと同じように死んでたろうね
頼朝の息子たちとかみたいに >>164
家康は吉川に毛利の所領を与えようとしたらしいじゃん
それでは毛利に申し訳がなさすぎると吉川が辞退したらしいが 申し訳ないというかそんなのまさに地雷原に放り込まれるようなもんで
小早川に加増したのはこっちについたらきちんと評価してやるというアピール
と共にこいつならちょろいから後でまた切り取れるという計算もあったのではという気もするな 天下分け目の大決戦がこのグダグダぶりってジャップらしいよな >>156
秀秋は戦後すぐ死んだからな
家が滅びたら武功や功績まで成功者に奪われるんや
黒田家なんて典型例で怪しいエピソードしかないレベル >>4
三成は有能な官僚タイプでトップに立つタイプではなかったし
関ヶ原も大将は毛利だったけど毛利が大国過ぎて潰せず責任取らされた感
明智は元々優秀だったろ本能寺後がノープランで3日天下になっちまったが >>169
ティムールとバヤジット1世のアンカラの戦いも寝返りだから スレちだが、本当に強かった武将同士の頂上対決の一つがティムールとバヤジットのアンカラの戦いだよな
まあバヤジットは流石に疲労していたところを襲われた訳だが >>169
応仁の乱に比べたらマシ
っていうか日本史上の天下分け目の戦いで関ヶ原が一番シャキッとしてる >>171
千載一遇がいきなり転がり込んできたんだとしても
ノープランで本能寺を起こしたなら無能と言ってもいいと思う 逆にお前ら二十歳やそこらで1万5000の軍任されてどっちにつくか間違えたら即死亡の選択できるの >>169
損害少なく一日で決したのはむしろキレキレとも言える
戦わずして勝つが一番だよ
まぁそっから大坂の陣2回もやれるぐらい豊臣は強いんだが >>176
実際にはノープランというより誰も乗って来なかったって感じかな
信長生存中に謀反の計画なんて他の大名と立ててたら即バレするしな
信長の死亡があまりにも衝撃的過ぎて判断つかなかったのか
光秀の人望がなかったのか… 最近の研究で再評価の流れ!実は○○は有能だった! ←これ見る度に笑えてしまう 勝ち馬に乗ったんならケンモメン評価高いんじゃないの まぁ、徳川が自民、石田が立憲、小早川が民民と考えれば現代人にはわかりやすいよ さんざ言い尽くされてる陰謀論だけど、やっぱ秀吉さん、ある程度知ってたんじゃないですかねえ... 「裏切者がいたから負けた=裏切者さえちなければ勝っていた、それくらいの実力があった」にできるからなぁ >>181
勝ち馬に乗ったなら生きてなきゃいけない
死んで、しかも後継ぎがいないと家が改易されてたら勝ち馬に乗った意味がないしな
小早川秀秋の評価が低くなるのはそういう意味合いもあるのだろう >>180
まぁ、今川義元とか無能な訳ねンだよなぁ 早世したけど
生き残っていても勢力がデカすぎるから
なんだかんだで幕府に始末された感はあるな 秀秋はメンヘラって重度のアルコール中毒だから肖像画もあながちウソじゃないでしょ >>125
いやだから秀次のいない豊臣家と秀次がいる豊臣家だったら全く別物だろって話なんだが
もし秀次が生きてたら豊臣政権は続いてたよねって話だよな?
たらればの話してんのに史実がどうとか馬鹿なんじゃないか? >>190
まさに秀次のいる豊臣家は別物だろ
それはねねの家であって秀吉の家じゃない
だって当然秀次は秀頼を排除するからな ここでああだこうだ言ってるが関ヶ原の布陣図とか合戦の経緯とか全て後世の創作であることを知らないのか
当時の史料で分かってるのは小早川秀秋の裏切りで決着がついたことだけ
あくまで毛利輝元と徳川家康の権力争いであって石田らは毛利方として迎え撃った
そして関ヶ原は天下分け目の決戦でもなんでもなく
先手の石田や小西らが敗北したから毛利は戦う意志を無くしたという経緯
決戦直前で矛を収めた毛利家を許すにあたって石田や安国寺の独断であったとしたわけだ
また吉川広家などが毛利と徳川の開戦を阻止しようと根回ししたのも評価された
輝元は名目だけの総大将なので家康に弓引く意思はないと吉川広家は言い訳していたが
実際には輝元が反家康工作に動き回っていた証拠が見つかり取り潰しの危機にあった
そのへんを押さえとかないと語っても意味ないぞ 東軍から見れば豊臣親族で毛利の一翼の当主でそれが接近してきても素直に信用できない
西軍から見れば後継ぎから外されて無理やり養子に出されて秀吉に減封されたりで恨んでるはずで信用できない
こんなのが戦局を左右する程の大兵力で曖昧にうろついてたらそりゃ怖いわ そもそも東西のどちらにつくかを判断するのに、筋を通すなんて発想が無意味な状況だったのでは。長宗我部なんて東軍につくはずが、同盟のための密使が捕らえられたばかりに、成り行きで西軍につかざるを得ず、戦後に酷い目にあってるしなあ。 >>197
嘘か本当か、東軍に参加しようとして断られた島津みたいな話もあるしなw >>195
家康から見たら、関ヶ原の後はまさに秀吉が失敗した二代目への継承、つまり普代の力をそぐことの方が最大の関心事になるからな。実際には >>179
細川藤孝と筒井順慶はあてにしてたみたいだけどどっちも動かなかったな
とはいえ滝川一益と柴田勝家が北条と上杉の兼ね合いで即座に動けなかったのに
毛利とスピード和睦して秀吉が取って返したことが最大の誤算か
もっとも上杉・北条・毛利がそれぞれ方面の織田方を止めている間に
山城付近をかためて後ろから各個に叩くことに成功したとしても、
その後の取り決めでぐちゃぐちゃになりそうだけど 長宗我部元親は四国制覇をなすが秀吉に従属
長男が死んだあと、四男を溺愛して家が割れて弱体化してた
長男 九州征伐で島津に玉砕
二男 四男が相続で絶望
三男 叛意を疑われて幽閉、家康に贔屓されてるだろって四男に殺害される(家康の不興を買う)
四男は家康に睨まれて浪人
再起を図った夏の陣で負けて最後は引き回しの上獄門
お父さんが四男を溺愛しちゃったのが原因かも >>200
だから秀吉が天下人になったあとに毛利を優遇しまくったのが分かるだろ
そーとー恩がある 三成は清正や正則などの秀吉恩顧の尾張系の大名を大事に扱っていれば、身を滅ぼすことはなかったのに >>203
来ないやろな
アホすぎて朝倉滅亡させたし
影鏡の方がまだマシ >>202
平和的に傘下入りした大大名にしては、争った末の傘下入りの徳川の下の扱いだし
特別扱いではないだろ
豊臣政権下の毛利の勢力図(中国地方の大半を制覇)で冷遇しろとか言い出したらキチガイだし >>202
秀吉は家臣団の力が弱いから外交戦略を
外様に頼るしか無かったんだよね
信長が生きてたら毛利なんてとっくに滅ぼされてただろうに >>208
まあそのお陰で250年後に豊臣滅ぼした
仇討ってくれたとも言えるよな >>208
毛利と小早川両家を五大老にして秀秋を送り込んだり
やはり宇喜多秀家も五大老にして一門衆扱いにしたり
秀吉の中国地方に対する思い入れは非常に強いものがある
ここらへんの勢力は秀吉の天下取りのバックボーンかもしれん
それだけに秀吉死後に東の家康と対立するのは必然的だったのかもしれん
誤算は秀吉が秀頼かわいさに秀秋をいじめていたことだろう
その秀秋の味方になってたのが家康 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています