はてな民「悪の華、プンプンみたいな青春ジュブナイルを叩く奴は、胸の奥に未消化な青春があるんだろ?」 [584964303]
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以下抜粋
惡の華、プンプン、オナマス。青春ジュブナイルが大好き。
青春が終わっても、何を成し得ずとも人生は続く。
凡庸でも惨めでもカッコ悪くても、自意識と折り合いをつけ人は生きていかなければいけない…
みたいな。
スーパーサクセスストーリーもいいけど、それは思春期の自意識というテーマからちょっとズレる。
普通に、かっこ悪く生きていくなんて嫌だが?自意識と向き合うのを諦めて、生活や凡庸さに屈するのは全くかっこよくないが?
美しく生きられず、美しく死ぬ事もできず、死んでないだけの人間の自己弁護だが?
でもこの鬱屈をぶつける先とかそのための才能とかは特にないから、枯れかけた若さを大切に抱きしめながら美しく死ぬが?
つって首吊るなり飛び降りるなりする話があったっていいと思う。いや探せばあるのかもしれんけど。
そういうキャラクターがいたとして、せいぜい作品の芯になる部分と対比的に置かれるような扱いになってそうな気がする。
ネット小説サイトにそういうの書いたらふつうにんげん達に独りよがりだの厨二病だの拗らせてるだの、ボロクソに言われそう。
そもそも読まれなさそう。
まあ実際私も然るべき時期に自意識と向き合い、ある程度の折り合いはつけたんですけど。
ただ、中年の危機どころか23にして「ええんか?」という気持ちが沸々と湧いている。
ニーチェやらハイデガーやらが語るような価値あるサムシングを、たった一度の人生で得ようとしなくてええんか?
今際の際に後悔が過るのは怖くないか?って。
https://anond.hatelabo.jp/20230529181453
2以降へ フィクションみたいな出来事でもなければ、自意識は爽やかにハイサヨナラと決別できるものではないっぽい。
押さえつけるために、これでいいんだと思えるような、強い納得という重しが必要になる。
これは邪推だけど、思春期の延長戦やってる人間をやたら嫌う人もまた、胸の奥に未消化なそれを抱えてるんじゃないかなって思う。
何かしらの納得という重しもなく雰囲気でふつうにんげんをやってるからこそ、同族嫌悪的な苛立ちを感じるのかなって。
まあそれはともかく、ふつうに生きるには自意識を抑えるための重しが要る。
例えば結婚するなり家庭を持つなりして他者への愛、他者からの愛というありきたりながら固有の充足を得て、人生の指針とする。
これはジュブナイル作品の主人公の多くが採用していますね。勇気を出して積極的に人と関わればそこに人生のリアリティがありましたと。
あるいは、賃金労働に心をすり減らして抽象的な思考をする余裕などなくなってしまうか。現実にはこれも結構あるのかも。
私は青春作品眺めてニチャニチャするフェーズに愛着を感じてるし、この居心地の良さにもっと浸ってたい。 惡の華ってどっちかっていうと失敗したやつにこそ響くと思うけど… 作者の体験が元になってるんだろうけど
佐伯さんは本来いないんだよな
媚びの存在で担当のお気に入りとか まあ、青春ジュブナイルつうより中二病ジュブナイルに見えてしまうから引かれるんだと思う
他人のそんなエピソード見ても恥ずかしくて鬱屈するだけだし
共感性羞恥心の典型な気がする 作家の女が出てきてからの後半が何だかよく分からんかった 作品から悪意が滲み出てるからだろ
スキローやインソムニア叩くやつなんて皆無だし 登場人物がキモいから嫌われるという単純なやつなんよな
実は
イコール、作者キモいだけど 後半の展開は作者の奥さんとの馴れ初めじゃないのw
だから滅茶苦茶
クズムシ言ってた子は本当にいたんでしょ
でも、結局は今の奥さんになりました~ってつまんない結末 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています