仏教って「一切皆苦」らしいけどなんで生きるの? [769327952]
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だって仏教って元々あらゆる快楽を味わい尽くしたクシャトリアの倦怠感が生んだ宗教じゃん
ブッダの伝記読めば誰でもわかるやん
王族でもない連中がハマるのは馬鹿げている 「開眼して悟りの境地に行くと
その一切の苦しみとかいうのを超越した
心境になれる、だから仏教を修めろ」みたいなのが
要は仏教修行と理解してるんだが。
正確にはこういうのは小乗とかいうんだっけ?
もっとお手軽な大乗になると
あんま込み入った修行とかしなくても
良くなるお手軽パック救済プランも用意されてるらしいぞ。 この身体がセーブポイントみたいなもの
この身体が朽ちるまでクソゲーに付き合わなけれならない >>5
お前は苦を感じないのか
人体実験に協力してくれ 帰れる家があり、寝るための布団があり、ご飯があるのに
それ以上一体何を望むというのか
我々は乙武と違って腕があり、足が付いている
シコろうと思えばオカズに不足していない
それを持っていない人間が、この世にどれだけ多い事か
主は実に多くの恵みを我らにお与え頂いたのに、
我々はこれ以上天を呪って何を欲するのか 悟りに至るための修行段階において
一切皆苦という認識が必要なんであって
修行と切り離した議論は無意味だぞ 生物という苦しいだけの存在が循環していく流れを絶って完全な絶滅を目指そう!
悪の組織じゃん 一切皆苦とは誰しも老いや病気などによる死からは逃れられないという意味だよ
生きてるから一切皆苦 だから釈迦がはっきり言ってるだろ
解脱が必要だと。 釈尊は哀れに思われ、こう諭された。
「不憫なそなたには、例えをもって話そう。
ある所に、毎日、荷物を満載した車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、一体自分を苦しめているものは何なのか』。
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』。
牛はそう決意した。
ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。
それを知った飼い主は驚いた。
こんな乱暴な牛には、余程頑丈な車でなければ、また壊される。
やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。それは今までの車の何十倍の重さであった。
自殺を止められた釈尊の話
その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、以前の何百倍も苦しむようになった牛は、今更壊すこともできず、深く後悔したが、後の祭りであった。
牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
それと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば、苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
そなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、大きくて深い苦しみである。そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」 ワタシはシャカというすごいヒトだから
オマエはその干し肉をワタシに渡さなければならないハァハァ(餓死寸前)
なーにいってんだおめえ(猟師) 実際は「悟り開いたから悩み聞くよー」って言って乞食でも王様でも誰でも人生相談受け付けてたら
全員今ここにない勝手な自分像を言って苦しんでるからマニュアル化したんだろうな
後に人気教団になって罪人が他人の手本になりたいなんて思わずただの身元隠しで入ってきたので
いろいろな他宗教のような決まりが出来たのだろう
釈迦以前にも悟った人はごまんといて洞窟や森のなかでひっそりと死んだはず
釈迦が「あなたはなんで生きるの?」と言われたら説法が楽しいからって言うじゃないかな 一切皆苦を知らないから輪廻する
一切皆苦とさとればもう終わりは近い 不可知論は間違いでそれは高僧なら体得してることだから証明はできないけど真実なんですよ
と言うのはとりあえず信じてあげるとしても
高僧でもない俺個人はなんにも分かりゃしないんだから不可知論で終結だよね てかこの世界って何なんだろうな
皆生まれてからどんどん衰えて死んでいく
何のために世界があるのか
という事を考えないから面白くない奴ばかりなんだよなこの国 「苦」ってのは単に苦しいって意味ではなく(そういうニュアンスもあるが)
本来「ある」と認められない止まれないものを「ある」と認めてそれに愛憎してるってことを言うのよ
つまりは「ないもの」(無常のもの)を「ある」としてそれにとらわれてる一人芝居的なことをしてるよっていう意味 >>32
罪というか因と縁だな
人として生まれるのは仏法に触れられるのでラッキーと考えるので 生まれた時点で死と老いと病の苦しみが約束されてるんよ🥺 >>1
それは分かったから
「どうすれば良いの?」 >>23
これ今自殺したら来世でもっと酷い環境になるってこと? >>37
抗えないから
ただ味わい続けるだけ
おそらくこの世界には自由意志はない 何も選択出来ない
決まってるストーリーに乗るだけ
本人は自分で操縦してるつもりかもしれないがハンドル付いてない >>38
その話はお経の出典があるのかどうか不明らしい 答え・・・誰も知らない
そもそも一切皆苦なのかも不明 >>37
心の静めて、心に起こっては消える細かい働きをよーくみつめる 生きることはつらいから、どうしてらええかっていう宗教やで
答えは「解脱」や >>21
違うぞ
仏教だと子供が生まれるのも苦しみ、出会いも苦しみ
幸せも苦しみというレベルで一切皆苦 ショーペンハウアー先生を心の師にしてるから先生の享年72歳までは生きるつもりです 最近一切苦しみが無いのもどうかと思う様になってきた
そんなん痴呆老人や植物人間やラリっとる薬中と変わらんやろ
ある程度の苦しみは必要
だけど過度の苦しみは要らない >>1
修行を終えて、死んだ後に苦しみから開放されて天国へ行ける なんで生きるのかというというとやっぱ産まれちゃったから…かな
もちろん責任は親にあるんだけどそこはね、人の振り見て我が振り直せ
苦しみの連鎖を断ち切るためにも、親になってはいけないんです そもそも輪廻から解脱するのが目的で、そのためには幻想であるはずの世界を在ると誤認してる状態から抜け出す(悟る)必要がある
言ってみれば我々は一切皆苦をベースとした夢を見ている状態に近い
ただしそれを夢だとは認識していない状態である
だから自殺しても別の夢が始まるだけ
その夢の内容がどうであれ、一切皆苦のベースは依然として変わらない
だから苦から逃れるには悟りを開き輪廻から解脱するのが一番の近道になるわけよ だから人里離れた山奥で修行してこの世界から脱出(解脱)するんだよ 悟ると超能力者になるみたいな誤解あるけど、悟って自動的に能力に目覚めるケースはレアだと思うぞ
能力の使い方を発見することはあり得るとは思うが、本当に悟ったならそれで超能力者として活動することはない
なぜなら幻想においてはすべてが無意味だから
我々の視点では、超能力は非常に有用なツールに見えるが、無価値な幻想内で発現する能力は同じく無価値である
超能力に価値があると誤認してしまうと、幻想にも価値があるという誤認が生まれてしまう
夢の中で超能力を使っても、その能力にも夢にも価値が生じないのと同じ >>55
それも結構誤解されてると思う
環境を変えなければ解脱できないわけじゃなくて
環境を変えると自分のみを見る機会を多く持てるってだけのこと
一般社会生活では自分以外との関わりを多く持たねばならないから
自分のことを見なくて済む機会が多くなり
解脱を好まない自我はそれを理由に悟りから距離を取り続ける 苦を味わうために娑婆に突き落とされてるんだから
楽しむのは犯罪だよ
だからけんもうに堕っこちてるんだよ最高ですかー 一切皆苦とか言う割に悟った人たちは常に快を感じるサマディ状態になる 生きてる限り苦しみばっかりってこと
それが嫌だから死んでもまたすぐに生まれ変わる
生まれ変わり先は六種類あるけどどれもハズレ全部苦しみしかない
それが永遠に繰り返される
っていうのが仏教っていうかインド哲学の世界観やで >>37
どうする必要もない
苦しいのはみんな同じだと知ったその瞬間からもう既に解決してる
みんな平等だと思えば楽になるのが人間だから 輪廻とか本気で信じてるの?
死後の世界って誰にも分からないのにそれについて大真面目に論じるの虚しくないか… >>66
誰にも分からないって言っておきながら
死んだら無になるって妄想信じちゃってんじゃん だから不可知論でいいんだって
高僧は不可知論ではない地点にたどり着いたか知らないけど
そんなことも俺には分かりようがないし
俺個人は不可知論 高僧みたいに確信を得た訳でもないのに
高僧が言ったから「信じる」というのは「不誠実」な態度ですよね
私には分かりません、と素直に認めるのが誠実 >>66
輪廻というのをどうとらえるかは人それぞれだと思うし、それでいいかと
古代インドでもなく昔の日本でもないので やっぱ道教がいいよな
素直に寿命に執着しているとこが清々しい
米も美味しいし病気も治る この苦にまみれた輪廻から解脱するために現世で徳を積めということ 丹波哲郎が死んで霊界があったら何らかの手段で現世に連絡寄越す言うてたけど音沙汰無いとこ見るとやはり霊界は無いんだろうな >>78
現世を諦めても来世で虫けらになるだけだぞ
次は死に方選ぶほどの余裕ねえよ 輪廻転生って矛盾しまくりで整合性皆無よな
今世界の人口70億だけど100年遡ると10億人くらいしかいなかったわけじゃん?
その頃残りの60億人何してたん?て話だし
いや動物の前世もあるよってすると
アリだけでも京とかの数いるじゃん
ほとんどの奴の前世って虫とか微生物になるわけよ
人間に生まれるの超絶レアガチャに当たったようなもの
俺の前世は聖徳太子とか言ってる奴は嘘も大概にせいという話になる 輪廻をリアルなものとして考える場合、仰るとおりまさに人間に生まれたことが超超ラッキーであるとする 生き物は無限にいる
宇宙の別のところにもいるかもしれんし
だいたい宇宙は未知なことも多い 実験できるわけでもないのに原始仏教より他の方がいいとかいう話になるのはなんなの? 一切皆苦ってわざわざ言う=実はそれ克服していく道あるんやで? って事やろな そもそも中国に渡った結果苦の字が充てられただけで
現在の俺らが思う苦しみとは意味にズレがあるだろこの言葉 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています