釈尊は哀れに思われ、こう諭された。

「不憫なそなたには、例えをもって話そう。
 ある所に、毎日、荷物を満載した車を、朝から晩まで引かねばならぬ牛がいた。つくづくその牛は思ったのだ。
『なぜオレは、毎日こんなに苦しまねばならぬのか、一体自分を苦しめているものは何なのか』。
そして、
『そうだ。オレを苦しめているのは間違いなくこの車だ。この車さえなければ、オレは苦しまなくてもよいのだ。この車を壊そう』。
 牛はそう決意した。
 ある日、猛然と走って大きな石に車を打ち当て、木っ端微塵に壊してしまったのだ。

 それを知った飼い主は驚いた。
 こんな乱暴な牛には、余程頑丈な車でなければ、また壊される。
 やがて飼い主は、鋼鉄製の車を造ってきた。それは今までの車の何十倍の重さであった。

自殺を止められた釈尊の話
 その車に満載した重荷を、今までのように毎日引かせられ、以前の何百倍も苦しむようになった牛は、今更壊すこともできず、深く後悔したが、後の祭りであった。

 牛は、自分を苦しめているのは車だと考え、この車さえ壊せば、自分は苦しまなくてもよいのだと思った。
 それと同じように、そなたはこの肉体さえ壊せば、苦しみから解放され、楽になれると思っているのだろう。
 そなたには分からないだろうが、死ねばもっと恐ろしい苦しみの世界へ入っていかねばならないのだよ。その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも、大きくて深い苦しみである。そなたは、その一大事の後生を知らないのだ」