透明な卵パック、中の卵なぜ割れない? 兵庫・猪名川町に生みの親、改良重ね形状に工夫


 スーパーの売り場に大量に陳列されている卵パック。積み重ねて置いても、他の食材と袋に入れて持ち運んでも、中の卵が割れてぐちゃぐちゃに…なんてことはめったにない。どうしてあんなにデリケートな卵が割れないのか。恥ずかしながら一度も疑問に思ったことがなかった筆者。「兵庫県猪名川町に卵パックの生みの親がいる」と聞きつけ、早速足を運んだ。

 1973年に閉山した国史跡「多田銀銅山」の一角に、卵パックの第1工場跡地が残る。立て看板には「1979年11月操業開始」とある。猪名川町広根出身の加茂守さんが、透明で割れない卵パックの開発者らしい。

加茂さんを知る同町教育委員会教育振興課の青木美香副主幹(41)を訪ねると、「2020年7月に亡くなられたんです」。悪性リンパ腫を患い、85歳で逝去されたとのこと。残念だが、「おおらかな方。ワクワクするお話をたくさん聞いた」と青木さん。卵パック開発までの歴史や割れない構造の秘密を教えてもらった。

 加茂さんを知る同町教育委員会教育振興課の青木美香副主幹(41)を訪ねると、「2020年7月に亡くなられたんです」。悪性リンパ腫を患い、85歳で逝去されたとのこと。残念だが、「おおらかな方。ワクワクするお話をたくさん聞いた」と青木さん。卵パック開発までの歴史や割れない構造の秘密を教えてもらった。

 
■取引先から開発依頼
 今からおよそ60年前。それまで卵の販売は対面が主流で、新聞紙などで包んで持ち帰っていたが、スーパーマーケットの業態が広まり、大量に陳列販売する需要が高まっていた。食品容器を製造していた加茂さんの共同会社「ダイヤ化成工業」(現エフピコダイヤフーズ)に取引先から割れない卵パックの開発依頼が舞い込む。

 当初、進駐軍が使っていた弁当箱型ケースを参考に、紙製の卵パックを考案。ただ、中身が見えないと買わない消費者が多かったため、透明なパックの開発が求められた。

透明で薄く、軽く低コストな塩化ビニールに目をつけた加茂さん。連続真空成型機を使い、卵の型取りに成功。透明な卵パック第1号が完成した。

 

■改良を重ね
 再び難題が発生する。透明なパックは強度が弱く、積み上げると卵が簡単に割れてしまう。

 割れないパックの開発は簡単ではなかった。「無理やと言ってしまったらそこで終わりや」。加茂さんは2年以上、試行錯誤を続けた。

 ある日、子どもが遊ぶおもちゃ「吹き上げ風車」が目に留まった。ボールが宙に浮く形状に「卵を浮かせればええんや」と着想を得る。パックを「八角錐(すい)形」にすることで実現。新鮮な卵が低価格で全国の食卓に届けられるようになった。それから約50年。今も、ほぼ変わらず使われている。

■よりやさしく
 パックの口の留め方も進化させた。当初はホチキスで留めていたが、消費者がけがをしないよう熱圧着で閉じるように。さらに、パックが裂けないよう、糸を引っ張って開ける「ピィパック(糸付きたまごパック)」を考案。1983年に特許を取得した。

それでも満足せず、糸をテープに。誰でもより簡単に開けられるよう改良を加えた。

 販売者や消費者だけでなく、環境への配慮も欠かさなかった加茂さん。パックを回収し再利用するシステムを進めた。リサイクル原料のシートを通常のシートに挟む3層構造のパックも開発した。

会社を退職後、加茂さんは、多田銀銅山の国史跡指定や携帯基地局の設置、子どもたちへのふるさと教育などにも尽力した。

 「猪名川にこんなに誇れる人がいたことをもっと多くの人に知ってもらいたいんです」

 青木さんの言葉が熱を帯びる。

 取材帰り、スーパーに並ぶ卵パックを手に取り、横からのぞいてみる。宙に浮く卵たち。なるほど、だから割れないのか。加茂さん、ありがとう。身近な偉人に頭を下げ、そっと買い物かごに入れた。

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