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自衛隊の性加害生んだ「ホモソーシャル」の醜悪さ
報道を見て「自分には関係ない」と思う男性の盲点
陸上自衛隊に所属していた女性が訓練中に複数の男性隊員から性加害を受けた問題について、防衛省が29日に謝罪の意を表明したことが報道各社によって大きく取り上げられた。
本件では、事件発生時その場にいた20名ほどの加害者・目撃者全員がやっていないし見てもいないと証言したという。つまり、職場で公然とおこなわれた暴力事件を同僚全員が無視したということになる。
証言が得られなかったため、加害者と目される3名の隊員は不起訴となった。それを受けやむをえず、被害者自身が第三者委員会による公正な調査を求める署名活動を始めるに至った(事件の詳細はこの署名活動のページに詳しい)。
その結果、このたび防衛省によって「訴えが事実であること」、また「他の女性隊員にも同様の被害があったこと」を認める発表がなされた。そのうえで、陸自トップの吉田圭秀陸上幕僚長は「これまで長く苦痛を受けられたことに対し、組織を代表してお詫びする」と公式に謝罪、同様の事案の根絶に向け尽力すると宣言した。
本件についての世間のリアクションを観測していると間々見受けられるのが、今回起こったことを「自衛隊の閉鎖的な環境によるもの」として話を終始させようとする態度だ。
しかし、今回起こったことはけっして自衛隊だからこその問題ではない。社会のあらゆるコミュニティに同様の可能性が潜んでいる。問題は多くの「ホモソーシャル」に共通するものだ。
ホモソーシャルの問題に他人事でいられる人はいない
ホモソーシャルとは、男性・女性どちらかのみの構成員に偏ったコミュニティを指し、主に男性中心の集団の場合が多い。
自衛隊に限らず、男性社員ばかりの部署や、学生時代の部活動に至るまで、この世界の多くのコミュニティがホモソーシャルに該当する。
ホモソーシャルはさまざまな不均衡の要因となるが、その最たるものがミソジニー(女性蔑視)の温床となることだ。
公判中の滋賀医大生による集団暴行事件にも同様の傾向が見られた。本件では、性的合意を経ず一方的に行為に及んだこと、動画を撮影して仲間内で共有していたことなどが報道されているが、このような行為の背景には、男性同士のコミュニティ内で一方的な「女性」や「性行為」というものの偏見が形成され、女性の尊厳を軽んじる感覚が根付いてしまったことがあると考えられる。
属性の異なる構成員がバランスよく参加するコミュニティであれば、自然と偏った感覚が軌道修正されていくことが期待できるが、ホモソーシャルの場合、そうした偏りに歯止めが利かなくなるというのが陥りがちな状況だ。その結果として、このたびの自衛隊での事件のような形で表出することがある。
自衛隊での事件は、閉じた男同士のコミュニティでは許され、それどころか"笑える"振る舞いとして行われていた行為を女性にぶつけたことで、彼らの持っていた感覚の有害性があらわになった面がある。「これはまずいんじゃないか」と自分たちの振る舞いを問い直し、社会全体とすり合わせる自浄作用が利かなくなっていく。
男性自身をも害するホモソーシャルの有毒性
ホモソーシャルやミソジニーの問題について知るとき、男性たちの中には自分自身が否定されたような心象になる人がいる。
しかし、問題とされているのは個人個人の男性ではなく、男性優位の社会構造、システムの話であり、また男性たち自身、こうした男性優位の社会構造が規定した男性像への適応を要請されることに日々無自覚に消耗している。
規範意識を知らずのうちに学び取り、自らの心身で再現する。その過程で、女性をはじめとした男性以外の属性を持つ人はもちろん、本人自身の人生をも害し、また周囲の男たちと互いを害しあう。
そうした自他に害をなす「男らしさ」の規範意識をトキシック・マスキュリニティ(有毒な男らしさ)と呼ぶ。
2018年に起こった日本大学フェニックス反則タックル問題は、日本大学アメリカンフットボール部の監督やコーチが、自チームの選手に対し相手選手に怪我を負わせるためのタックルを強要した事件だ。
当該の試合直前の練習にて、反則タックルを行うことになる選手は監督・コーチから再三「闘志が足りない」「やる気を見せろ」と詰問を受け、その挽回の具体的な方法として反則タックルを指示された