猫はかわいいが、子供はかわいいと思えない…『完全自殺マニュアル』著者が感じた「日本の生きづらさ」の正体

鶴見 済(つるみ・わたる) フリーライター
1964年、東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒。複数の会社に勤務したが、90年代初めにフリーライターに。生きづらさの問題を追い続けてきた。精神科通院は10代から。つながりづくりの場「不適応者の居場所」を主宰。著書に『0円で生きる』『完全自殺マニュアル』『脱資本主義宣言』『人格改造マニュアル』『檻のなかのダンス』『無気力製造工場』などがある。

「子どもさえいれば幸せになれた」は正しいのか

このことは初めて公にするのだが、自分には同居しているパートナーがいる。

同居はもう20年近く続いていて、10年目くらいの時に、やむを得ない事情で結婚の届けを出すことになった。やりたくてやったわけではないので、結婚したとは言いたくない。「届けは出した」と言っておきたい。

男女二人で暮らしていると、「子どもがいない」ということを、まわりからだけでなく自分たちでもより強く意識せざるをえない。

それでも自分は、子どもが欲しいとは思わない。できたらそれでもいいけれども、できないほうがありがたいと思ってきた。

「子どもさえいれば幸せになれたのに」と思ったことがない。

育った家庭のせいで、自分は子どもに対する幻想を持てないのかもしれない。

分別のついた大人どうしでさえ、ぶつかって嫌になることばかりなのだ。子ども相手でそれが起きないわけがない。もう自分の家庭で味わったような思いはしたくない。

父親としてやらなければいけないたくさんのことの代わりに、自分はこの人生で、本当に心からやりたいことをしたい。

まずはそんな人間もいるのかと思ってほしい。そして、それもそうだなと気を和らげてもらえたらもっとうれしい。

猫ならかわいいが、子どもがかわいいと思えない

子どもは誰が見てもかわいいものだという奇妙な“常識”も、欠落感を刺激するものだ。

自分は子どもを、そんなにかわいいと思えない。

「あの人は子どもが嫌いみたいだから」と敬遠されたくないので、「子どもは好きだが」などと書いたこともあるが、本当はそれほどでもない。

猫ならかわいいと思うのに、自分としても不思議なことだ。

https://president.jp/articles/-/70381?page=1