??富士山って古事記日本書紀に記述がないしなんのありがたみもないんだけど(・ω・) [134367759]
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>>43
火山は低いほどパワーデカいのは常識だからな 万葉集は間接的表現すぎるので飛ばして
具体的な記述は
> 富士山の具体的な噴火記述が初めて現れるのが、
> 朝廷によって編纂され、主に奈良時代の事象が記録された
> 歴史書『 続日本紀 』の天応元(781)年条である。
> ここには「秋七月癸亥、 駿河国言、富士山下雨灰、灰之所及木葉彫萎」と
> あり、富士山が噴火して降灰があり、植生に被害があったことが、
> 7月6日(7月31日)に当時の駿河国によって報告されている>>66
781年の奈良時代で確定
>>1記紀の編纂は712年と720年なので
このときの富士山は「国を挙げての歴史書」でも注目されることはなかった存在となり
そこから
60年ほどが経過した頃に降灰キターという形で初めて
確認されると
まあ万葉集もいれたらもう少し遡るかもしれないが
それでも記紀に書かれていないということは確定していて
この記紀の編纂を含む8世紀に
「なんだあの山かっこいい」となった可能性は極めて高いね そうなるとだよ
扶桑だよ扶桑
>>1これけっこう盲点だったわ
中国人が扶桑っていうときさ
まずは富士山なわけさ
東方の果てにあるとされる巨木なんだから富士山でしょと
してきたわけよ
だから今も中国人の観光地として富士山は大人気なわけさ
でもさ
こうなってしまうと
古代中国が東の果てで扶桑と認識していたのは
富士山などではなく
もっと別の存在
糞デカイ木に見えるような別の存在の可能性が出てくると
これ阿蘇山の噴煙じゃね? 『山海経』が語る扶桑
下に湯谷があり、湯谷の上に扶桑があり、10の太陽が水浴びをする。
黒歯国の北であり、大木は水中にあり、9の太陽は下の枝に、1の太陽が上の枝にある
??『山海経』海経第4巻 第9 海外東經
辺境)の中にげつよういんていという山があり、
山の上に扶木がある。高さは300里(130m)、
その葉はカラシナに似る。温源谷(= 湯谷 ?)という谷があり、
湯谷の上に扶木がある。1つの太陽が来ると1つの太陽が出て行き、
太陽はみな烏を載せている
??『山海経』海経巻9 第14 大荒東經 巨木伝説ってのは各地にあるのかな
千葉の旭市には椿海にまつわる伝説がある
江戸時代に干拓されるまで椿海というそこそこ大きい淡水湖があったんだけど、これが巨大な椿が倒れた後の根っこの跡と言われてる 記紀だと桜より桃の方が珍重されてるんだよな
桃には霊力があるとされてて
いつのまにか桜の方がメジャーに 古代で巨木っつうと普通に諏訪の御柱とか思い浮かぶけど 最古の浅間神社が699年
それ以前の扱いはどうだったんだろ
もちろん山岳信仰はあったんだろうけど
大和朝廷に滅ぼされたんだろうな 富士山って竹取物語で一番高い山って言及されるくらいには有名だったんでしょ
普通にありがたいやろ
地方に行ったことないから知らんけど関西からは富士山って見えねえのか?じゃあ馴染みないのもしゃあないわ 関西からだと三重あたりからギリ見えるくらいで通常は浜松あたりが限界じゃないかなあ
古代史で記録を残した連中から見ればカムチャッカ半島の火山みたいな知ってるけど気にしない存在だったのかもね 関東だと富士と浅間が混同されてる気もするのよね
浅間神社は各地にあるけど富士神社はない
その辺にも謎があるような気がする その当時の日本って愛知県あたりまでの範囲だから当たり前 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています