「便所の落書き」は今 【はがくれ時評】(佐賀ニュース サガテレビ)
https://news.yahoo.co.jp/articles/17b446477c19b0e7a7a68f61e075cf04743cbdeb
「便所の落書き」という言葉があった。今は死語に近い。昔の公衆便所はしゃがむスタイルの和式が一般的で、目の前の板張りやしっくいの壁には必ず殴り書きがあり、眺めると結構楽しめた。和式から洋式に変わり、便所がトイレと呼ばれる今はまず見かけない。相合傘マークに男女の名前、が落書きの定番で、その他は卑わいなワードか、誰かの誹謗中傷が多かった。「便所の落書き」という言葉は「意味もなく、くだらないもの」の代名詞だった。
2000年代に入り、新聞社には新興のネット会社から要請があり、記事配信の仕組みが始まった。新聞記事を組み上げた大刷りと呼ばれる試刷りの紙に、赤ペンで丸を付けると、まもなくネットに掲載された。自社だけの記事、いわゆる特ダネは当然、赤ペンで大きく「×」を入れた。夜中印刷、翌朝配達の新聞にとって、瞬時に世間の目に触れるネットの世界は脅威のはずなのに、私も含め新聞社内の認識は「どうせ便所の落書き」と楽観していた。
あれからわずか20年余。ネットの世界の変貌ぶりは衰えを知らない。今やすべての組織、システム、事象がネットを軸に動いている、とさえ思う。「便所の落書き」と揶揄する側だった新聞社は、デジタルにしがみつき、どうやったら「落書き」に取り上げてもらえるか血眼になっている。かつては傍流だったデジタル部門は、今や社内の主流にのし上がり、腕っこきの記者をデジタル最前線に配置する社もある。紙本体が二の次でいいのだろうか。
ただし、そうした急激な成長はいくつものひずみを生んでいる。有名人のうわさ話をあげつらい、誹謗中傷する「ネット版・便所の落書き」で億を稼ぐ輩(やから)が出てきた。いや、これが単なる輩ではなく、民主的に選ばれた国会議員というから日本の将来を嘆きたくもなろう。ネットの世界は、ガセネタでも嘘でも目立てば勝ち。回転寿司屋での幼稚園児のような行為が止まないのも、面白がり、無造作な「いいね!」連発社会が背景にある。
こうした「目立てばいい」「受け狙い」の風潮は何も若者だけの特権ではない。国会などの会議出席や議員活動をいちいちネットでつぶやく「ツイッター議員」が今、いかに多いことか。まじめな「議員活動報告」との趣旨だとは思うが、どこかで有権者に媚びを売り、受けを狙い、自己宣伝のための軽いノリになっていないか。相手と向き合って議論せず、他党批判やマスコミ批判をツイッターでやる。これもそんな風潮の延長線上にある。
マスメディアもそんなノリを手助けする。わずか数件しかないネット上の批判の声を「世論」に仕立て上げ、「ネットで話題」「ネットで炎上」と短絡的に取り上げる。そもそも炎上1件に参加している人は、ネットユーザーの0.0015%との研究結果もある。(「正義を振りかざす『極端な人』の正体」光文社新書)計算すると、ざっと7万人に1人。それほどネット世論は底が浅い。しかし、テレビなど強力な浸透力を持つメディアとネットが共振することで、どうでもいい事象が「大事件」に膨れ上がっていく。
ネットに潜む「便所の落書き」を見極める目を、現代メディアは持たねばならない。
サガテレビ解説主幹 宮原拓也