母親に呼ばれて階下にいくと、テーブルには所狭しとごちそうが並べられていた。

「すっごくおしゃれに盛り付けられたサラダとか、旬のきのこのアヒージョとか。彼は高齢高齢というけど、ご両親は見た目もセンスもいわゆる高齢者という感じではない。なんだかギャップがありましたね」

そこへ出てきたのが秋刀魚だった。

「おかあさんが笑いながら、『せっかく洋風にしたのにごめんなさいね。でもこの秋刀魚、漁業をやっている親戚が送ってくれた旬のものだから、ナツミさんに食べさせたくて』って。丸々太ったおいしそうな秋刀魚でした」

秋刀魚の身だけがきれいに並べられていた

「『はい、おとうさん』とその秋刀魚はおとうさんの前へ。そして彼と私の前に置かれたのは、骨をはずされた身だけの秋刀魚でした。びっくりしましたよ。焼き魚の身だけ出てくるなんて(笑)」

ナツミさんがキョトンとしていると、母親が笑いながら言った。

「『この子はこうしないと魚を食べないの。せっかくだからナツミさんの分も骨をはずしておいたから』って。私、無言でした。言葉が出なかった。彼を見ると、別に恥ずかしそうにするわけでもなく、『さあ、食べよう食べよう』って」

家族との会話の中で、彼が今も中学生のころと同じように母に洗濯やアイロンかけまでやってもらっていることが判明した。さらに彼の部屋の掃除も母がしているのだという。それがわかったときは、さすがの彼も「いや、たまには自分でやってるじゃないか」と抗議したが、母はそんな息子を微笑みながら見つめているだけだった。

食事後、彼は母親が用意したコーヒーとスイーツをもって2階へと彼女を誘った。

「あなたから聞いていたことと、おかあさんが言っていることはずいぶん違うというと、『おふくろは年だから、妄想と現実の区別がついていないときがあるんだよね』なんて言うんです。いや、あなたよりおかあさんのほうがよほどしっかりしていると思うよと言って、私は彼の部屋を出ました。彼が追ってきて、『どうしたんだよ、何がいけないんだよ』って。私の誤解だったんだと思う、あなたはもう少し自立している人だと思ったとつい言ってしまったんです。すると彼は『自立ってなに? 僕は仕事をしているし、親にお金も渡してる。十分自立していると思うけど』と。そうね、と言うしかなかった。もちろん、結婚はあり得ないなと思いながら」

その後も少しの間付き合ったが、彼と親との距離感にどうしても納得がいかなかったナツミさんは、彼と距離を置き始め、数カ月前に別れを告げた。

「彼はしばらく黙っていましたが、『わかった』と。『結局、きみは親孝行な男が嫌いなんだね』って。そういうことじゃないと思ったけど、なにも言わずに去りました。母親に焼き魚の骨をとってもらう35歳は、やはり私には無理です」

最後は少し笑いながら、彼女は「次を探します」と力強く言った。