歴史ある新聞が息絶えんとするのを私たちは目の当たりにしている。

『大阪日日新聞』は大阪市と周辺地域を配達エリアとする。明治時代の1911年に創刊された『帝国新聞』に端を発し、戦後長らく夕刊紙としてヤクザ情報を得意とした。2000年、鳥取市に本社を置く新日本海新聞社に買収され、日刊紙に姿を変えた。

 新日本海新聞社社主の吉岡利固氏(昨年94歳で死去)には成算があったのだろう。大阪国税局の調査官から紳士服業界に転じ、鳥取エフワン(現・グッドヒル)の社長に就任。その後、1976年に経営難で休刊に追い込まれた『日本海新聞』を買収し、鳥取県の地元紙として見事に立て直した実績がある。『大阪日日新聞』買収時には「鳥取の風雲児が大阪に乗り込んできた」と注目された。

 だが、ことは目算通りに進まなかった。「大阪の地元紙」を合い言葉にしたものの、朝・毎・読の三大紙が根を張っているうえ、もとは大阪が地元の『産経新聞』も強い。部数は約5000部と低迷し、7月31日付で休刊することを6月13日に表明。100年超の歴史に幕を下ろすことになった。

 社主の吉岡氏に、筆者は深い恩義がある。2018年5月、NHK大阪報道部で森友事件の取材中に記者を外すと通告され、転職先も見つからず行き場をなくした筆者に、吉岡氏はこう語った。

「こういう言論を封殺する不条理をわしは許せない。うちの会社はどこにもしがらみがないし遠慮もない。相澤さん、あんたはうちで面倒みる」

 こうして『大阪日日新聞』論説委員・記者となって1年半が過ぎた20年3月18日、筆者はある記事を出した。

「森友自殺財務省職員 遺書全文公開『すべて佐川局長の指示です』」

 森友学園との国有地取引を巡り、財務省による公文書改竄の実態を告発する内容だ。この報道については『週刊文春』で読んだ方が多いと思うが、実は同じ日の『大阪日日新聞』と『日本海新聞』の朝刊にも1面に掲載されている。新聞は雑誌よりも早い時間に配達されるから、『文春』よりも先に『大阪日日新聞』の記事が読者に届いていたのだ。

 この反響は大きく、新聞社には多くの読者から励ましの言葉が寄せられた。吉岡社主は「相澤さん、あんたの粘り勝ちやな」とねぎらってくれた。『大阪日日新聞』は記事掲載の4日後、読者の声を1面で大きく特集した。

「『真実明らかにして』本紙に市民の激励相次ぐ」

 こんなことは滅多にあるものではない。筆者は密かに期待した。

「これは新聞の読者増につながるのではないか? 吉岡社主にご恩返しができるのではないか?」

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https://news.yahoo.co.jp/articles/fa9cb15cb9c0a214222a0631f6759cf2c6390d5e