>>219
せっかく受験勉強を頑張って大学に入ったのに境遇が理由で嫌な思い、辛い思いをするのは理不尽だし、それが境遇に起因しているなら、格差や構造を嘆くのは自然です。

しかも現実として「恵まれた学生」が何の心配もなく学業に専念できたり、就職活動やキャリア形成で有利になったりしているし、キャンパスライフや就職活動では他の学生や企業から彼らと「比較される」わけですよね。あっちの学生の方が付き合っていて楽しいとか、この学生の方が成績・能力が高くて経験豊富、とか。
人生のあらゆる局面で「比較される」以上、周囲との「比較」は意識せざるを得ません。しかも、その相対的な差は「境遇」という自分の瑕疵ではない理由によるものです。
むしろ「比較するのは無意味」というのは理不尽な格差を透明化・矮小化させる言説でしかありません。

また、「多くの学生と同じように自分の価値観と合う人間と関係を築き〜」というのも、理不尽な格差や構造を直視せずに肯定せよ、となっていますよね。
「資本主義社会」というのは不条理を透明化または正当化させる便利な口実ではないし、不条理を嘆いていったい何が悪いのか。嘆きたくもなるでしょうに。