考えたらソ連参戦しなかったら本土決戦と更なる原爆でもっと犠牲者出てたんだよな [118990258]
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そらそうよ
東京焦土にされても戦争やめなかったんだから
広島長崎の他にいくつ原爆落とされようが降伏しなかったろうよ
市民はもとより我が国は兵士の戦死数にすら関心なかったからな >>1
本土決戦なんかヤル気なかったよ
軍人がもらう恩給の財源(国民)がなくなるから
本土決戦の5秒前に戦争をやめて、生きてるだけで丸儲けやーって国民を勘違いさせるのが大本営参謀のシナリオ 兵站の維持を放棄したことで我が国は兵士がどれだけ残っているのかすら把握してなかったにも関わらず、
なんとか適当に生きてることを前提に、まだまだ行けるやろう、くらいの感じで降伏することは決してしなかったろう >>6
体当たり自爆用ボート準備してたりめちゃやる気やったで 原爆、ソ連参戦もなくても秋には終戦ってアメリカが結論だしてる 前は自分たちも死ぬからやらなかったけど、今は政府と上級御一行は海外に逃げて国民は松代の穴蔵に籠るんだ 事実ではあるが今更言うなという感じだな。
日本人は英語がわからないから80年経ってもテレビラジオ日本語のネットの情報を信じ込んでるからな
また戦争やったら確実に負ける。 天皇は原爆では降伏を決断しなかった ソ連参戦で一撃講和の希望が絶たれたので降伏を決断した これは資料もあるほんとうの話 宮内庁発表の資料で判明してる 沖縄の特攻作戦の歴々で大戦果挙げてしまったもんだから
日本側に勝機が見え始めてしまっていたからな
ソ連や原爆の存在なかったら本気でどうなっていたことやら >>16
いやいや
練習機の白菊でさえ人的損害数百人与えてる
菊水作戦では日本側の戦死者数3000名に対して米側は戦死4900名、戦傷4800名
本土には特攻用に航空機、ボート、肉弾が沖縄の10倍以上残ってる
何より沖縄と違い特攻に特化した戦術を作り上げて教令下していた
その教令に基づいて国民に竹槍訓練させてたわけだからな >>14
本音の所じゃソ連が新潟辺りに上陸したら
殆ど無防備な背後を衝かれて一ヶ月程度で三国峠越えられたら
防げる算段がないからな
しかも、王侯貴族に理解のある西欧の方が上級維持してくれそうだからな
ソ連に占領されたら問答無用に上級は縛り首にされる。
だったらワンチャン助かる方に掛けるわな
原爆なんて、あの後京都や新潟に落ちたのかも知れんが
何発落ちようが庶民の家がどれほど焼かれようが
「そりゃお気の毒」程度にしか思わんからな。
もし、庶民の生活を考えるならB29が頭の上飛び回ってる段階で
降伏してるわな 日本人は戦争終わらせたソ連に感謝しないといけないよな 戦後統治有利にするためにソ連参戦前に降伏させようと原爆落としたってアメリカ自身が言ってたことだと思うんだが ヤルタ会談知らんのか
終戦のおよそ半年前に取り分は決まってたんだよ
アメリカがどうだのソ連がどうだの馬鹿みてぇな話だよ
両方グルなんだから >>23
アメリカの「政府」は公式には認めてないんじゃね?
アメリカの史家は状況証拠のすべてがそれを指し示してるんで
ソ連にジャップ島とられたくなさのあまり原爆おとしたろうと
書いてはいるけど。
史家は誠実だが政府が公式にそうだと認めるとまずいんで
「ソ連と日本を分け合いたくなかったから何が何でも
ジャップを追い込むために原爆つぎつぎと落とした」
という公式な認知は無かった気が。 本土決戦で旧軍指導部皆殺しにしてくれればよかったのに >>23 それ、憶測だろ。
当時の政治責任者の発言で、ソ連参戦を防止する目的なんてないはず。だいたい、ソ連の参戦は米国の要請で実現したわけだし
ソ連に原爆の威力を見せたかった説は、しばしば聞くけれども 確かに連合国との講和を仲介して貰おうとした当時の旧ソ連が参戦してきた事で完全に外交交渉による
戦争終結の芽を断たれた事が日本の降伏に繋がったのは間違いないけどな
原爆で終戦になった、ってのは間違いなのは事実
しかしロシアよ、てめえ火事場泥棒して来やがって許さんからな!(怒 >>28 まぁ、泥棒に入るように依頼したのは、アメリカなんだけどな >>28
いや本土決戦なんかヤル気なかっただろっての
内地でサイパンや沖繩と同じことをしたらシャレで済まなくなる
大本営の参謀は、ムッソリーニみたいに日比谷公園で逆さ吊りにされてても全然おかしくない
赤紙をもらった運が悪い人が死んだだけって言える段階で止めたから軍人恩給をもらえた
それに火事場泥棒論もおかしな話なんだよ
独ソ戦のレニングラード包囲戦では、市民含めて100万人の死者が出ている
そういう戦争が始まった時に、日本はソ連に攻め込む構えを見せてシベリアのソ連軍が救援に向かうのを妨害したんだからね
それを棚に上げて火事場ドロボー連呼するのは子供っぽいだろ >>30 シャレで済まないことをずっとやり続けた戦争だったんだが… >>136
戦前なら、受験秀才が政治家の命令をを受けずに暴走するための仕組み、それが統帥権の独立だったわけだろ
現代のそれは終身雇用制だ
有名大出身者が入る官庁と大企業だけ、トップが社員をクビにできない仕組みを裁判官が作っている
官僚、テレビ局、裁判官、日銀、検察、大企業
そういう組織にいる人達が、公益、業績より私利私欲を考えて動いている
安倍は終身雇用に反対だったから、生前も殺害後も叩かれている
まあ戦前の軍部が暴走したのだってリストラ(宇垣軍縮)にショックを受けたからだから、終身雇用がなくせば良くなるとは一概には言えない
でも電波オークションを導入してないのがOECD加盟34カ国で日本だけであるように、日本の高学歴の既得権が異常な状態であることも事実だろ アメリカが1番避けたかったのは本土決戦で何発原爆落とそうが日本が降伏しないことだ
日本は沖縄戦で特攻戦術確立して劣勢でもアメリカに大きな被害を与えられるようになり日本はそこに勝機を見始めていた
日本の狙いはアメリカに大きな被害を与えることで無条件じゃない降伏条件を引き出すことも狙い始めていた
原爆だけでもソ連参戦だけでも日本は降伏しなかったかもしれない
本土決戦になってたら沖縄戦がかわいく思えるような戦術の数々が実践予定だったから本当に原爆とソ連参戦があってよかった 安倍晋太郎は戦争末期も東京で大学に通ってたらしいな
東京も灰にしてくれてたら息子が生まれることもなかったのに😮 >>35 安倍晋太郎は、終戦の前年に海軍航空隊に入隊してるよ
特攻隊にも志願したけど、出撃する直前に終戦になったのだとか >>1
8/9に二発目が落とされてソ連参戦だからな。
原爆二発目落とされてソ連の回答待ってたらアメリカにどんどん領地を取られて
ソ連が盗るとこ無くなって参戦する旨味がなくるから、火事場泥棒のように慌てて参戦してきたよな。
長崎の二発目はソ連の重い腰を上げさせる威力はあったな。 >>37 ヤルタ協定に規定されたソ連参戦の日付は、ドイツ降伏後二か月または三か月
ドイツが降伏したのは、ロシア時間だと5月9日。対日参戦は8月9日。
ヤルタ協定に規定された期限の遅い方に合わせてるんで、慌てて参戦したわけじゃないわ
むしろ、ソ連軍が入念に計画していたからこそ、関東軍は完敗したんだわ >>38
なぜそんな意味不明な断言ができるのかわからんけど
北方領土で死んでったジャップ軍が終われば
次は北海道、そして本州と
時間経過に合わせてジャップ軍側はただ死体を積み上げる
以外の作業にならないぞ。
敗戦直前の日本の戦争物資の状況がわかってない気がするが。
ドイツが降伏し、B29の度重なる爆撃で国内の兵器生産もオワコンに
なってた俺らにできるのは徐々にすり減りながら
死ぬことだけだった。
アメリカ軍とソ連軍に上陸レースを繰り広げたら
上手く行けば数度は撃退できるかもしれない。
けれどそれで「終わり」。
最後は弾も砲もなくなり、ソ連やアメリカ側は
銃後が安定稼働してるので
連中は兵器を追加し続け俺らはすり減り続け
そしてデッドエンド。 >>37
ソ連の対日作戦開始は、8月9日の午前0時
長崎への原爆投下は、8月9日の午前11時
つまり、ソ連参戦の方が長崎原爆投下より先に始まってるんだから、
>長崎の二発目はソ連の重い腰を上げさせる威力はあったな。
なんて説が成り立つ余地などない >>4
それこそ結果論だろ
特攻とかやりまくってた日本は今のウクライナの100倍は粘りそうなイメージだったと思うぞ
覚悟の上で侵攻したらあっという間に降伏して
却ってビックリってあたりが実相だろう 終戦当時だとアメリカもそこまで潤沢に核を持っていたわけじゃないから
何発か落としての限定的効果しか無くオリンピック作戦なんて双方にとっての地獄に突入するしか無かったろうね >>43
>>6
だーかーらー本土決戦なんかヤル気なかったっての
多くの日本人がまだ軍部に都合のいいウソを信じている >>44
何を根拠にそう思ってんの
軍人の恩給どうこうも本かなにかよんだの? >>42
ポツダム宣言について日本側が最後まで拘っていたのは大日本帝国国民の生命財産ではなく、「国体」=天皇制の存廃だったからね
だから大英帝国や資本主義国のアメリカ相手ならまだ戦えたけど、共産主義のソ連に占領されたら天皇が◯されるというのを原爆以上に恐れたから
降伏を一番後押ししたのは間違いない
本土決戦までるつもりがあったのかは別としても、ソ連参戦なかったら日本はまだ数ヶ月抵抗し続けていただろう >>45
>>30
いや、常識で考えたらそうだろ
本土決戦やったら、戦争で死ぬ人の数が5倍か10敗に増える
そしたら大本営の参謀も無事じゃ済まないし、恩給なんか絶対にもらえなくなる
43年頃にニューギニア戦線に行った軍医が書いてるが、現地の将官との会話で
「もうこの戦争は負けだ、天皇陛下に詔勅を出してもらって止める以外にないだろう」って言われたっていうんだよ
それが軍人にとっても常識的な考えだった
ただ、軍人の待遇を考えたら本土決戦の寸前に降伏するのがベストだからズルズル引き長ばしただけで
45年4月に鈴木貫太郎(226事件で襲撃された)内閣が発足したのだって降伏にもっていくためだったんだろ >>46 降伏が遅れたのは、国体護持の問題じゃなくて、国体護持だけを条件にすることに軍部が納得せんかったからだわ。
ソ連参戦が決定打になったことは確かだろうが、それは天皇の身がどうこうということではなく、軍部(特に陸軍)の先行きを絶望的にさせるものだったからだわ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています