牧口先生・戸田先生 法難80年
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初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生は1943年(昭和18年)7月6日、治安維持法違反、不敬罪の容疑で逮捕された。法難からきょう満80年を迎える。
当時、太平洋戦争の開戦から1年7カ月。日本軍はこの年2月にガダルカナルの戦いに敗れ、5月にはアッツ島で「玉砕」。軍部政府は国家神道のもとに国民精神を統制し、総力戦に駆り立てるが、日本は急速に亡国への坂道を転げようとしていた。
その中で牧口先生は国家諫暁を叫び、戸田先生と共に立正安国の道を貫く。特高刑事の監視を受けながら、逮捕までの約2年間に出席した座談会は240回以上。折伏と青年の激励のため、老齢をいとわず全国に足を運んだ。迫害を恐れ軍部に迎合する宗門に対し、両先生は神札を受けることを断固として拒んだ。
7月6日朝、牧口先生は座談会と会員家族の激励に赴いた静岡・下田で逮捕された。同じ日、戸田先生も東京・白金台の自宅で拘束される。
取り調べは苛烈を極め、東京拘置所では、飢えと孤独が両先生を苦しめた。それでも牧口先生は取り調べの刑事に日蓮仏法の正義を説き、戸田先生は看守を折伏した。
しかしついに44年(同19年)11月18日、拘置所の病監で牧口先生は殉教を遂げる。戸田先生がその事実を予審判事から聞くのは、翌45年(同20年)1月8日のことだった。
独房で泣き濡れた戸田先生は一人誓った。「よし今に見よ! 先生が正しいか正しくないか証明してやる! 若し自分が別名を使ったなら、巌窟王の名を使って何か大仕事をして先生にお返ししよう」
同年7月3日、生きて獄門を出た戸田先生は学会の再建に着手。51年(同26年)5月3日に第2代会長に就き、75万世帯の願業を成就する。不二の弟子である第3代会長・池田大作先生の死身弘法の闘争によって今、創価の連帯は192カ国・地域に広がり、牧口先生、戸田先生の遺徳は世界に轟いている。
池田先生は「大白蓮華」7月号につづった。「三代の師弟が『不惜身命』の魂で法難に立ち向かった歴史にこそ、正義の中の正義である創価の真髄があります」。この師弟の大道に連なる感謝と誇りを、“立正安世界”の誓いを今、新たにしたい。