無音、実は聞けることが判明 [146090333]
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新しい研究によると、人は音と同じように「無音」を聞いているという。ジョンズ・ホプキンス大学の研究チームは「トータルの音の長さが同じであっても、1つの長い音の方が、2つに分割した音よりも長く聞こえる」という聴覚錯覚を応用し、元の音を無音に置き換えて実験を行いました。その結果、無音は、音と同じように時間感覚を歪めることができることを明らかにしています。
無音に基づく錯覚が、音に基づく錯覚とまったく同じ結果をもたらしたという事実は、人が音を聞くのと同じように無音を聞いていることを示唆している、と哲学者と心理学者の研究チームは述べています。
人が見ているものを騙す目の錯覚と同じように、聴覚の錯覚も時間の長さを実際より長く、あるいは短く感じさせることがあります。その一例が「ワンイズモア錯覚」と呼ばれるもので、2つのビープ音の長さが同じであっても、1つの長いビープ音の方が2つの短い連続したビープ音よりも長く感じられます。
研究チームは、1,000人を対象とした実験で「ワンイズモア錯覚」の音を無音と入れ替えました。
参加者には、にぎやかなレストラン、市場、駅などの喧噪をシミュレートしたサウンドスケープを聞いてもらいました。そして、それらのオーディオトラックの中で、すべての音が突然止まり、短い無音が生じる時間を作りました(実験の音源はこちら)
結果は「ワンイズモア錯覚」と同じでした。研究者たちが音によってのみ引き起こされると考えていた錯覚が、音を無音に置き換えたときにも同じように機能しました。人は長い1回の無音の方が2回の短い連続の無音より長いと思ったのです。他の無音の錯覚でも、音の錯覚と同じ結果が得られたという。
この発見は、何世紀にもわたって哲学者たちを悩ませてきた「人は音以上のものを聞くことができるのか」という議論に対処するものであるという。
ジョンズ・ホプキンス大学の哲学と心理学の大学院生である筆頭著者Rui Zhe Gohは「私たちは通常、聴覚は音に関係していると考えています。無音はそれが何であれ、音ではない、音がないことなのです。驚くべきこと、私たちの研究が示唆しているのは、何もないこともまた、聞こえるものだということなのです」と述べています。
また共著者であるブルームバーグ哲学・心理学・脳科学特別教授のイアン・フィリップスは「私たちが耳にするもののうち、少なくともひとつは音ではないものがあります。それは音がなくなったときに起こる静寂・無音です。音の聴覚処理の特有と思われていた錯覚や効果は、無音でも起こるのです」と述べています。
ジョンズ・ホプキンスの知覚・精神研究所を率いる心理学・脳科学助教授のチャズ・ファイアストンは「哲学者たちは、無音が知覚できるものなのかどうか長い間議論してきましたが、この疑問を直接対象とした科学的研究はありませんでした。私たちのアプローチは、脳が音を扱うように無音を扱うかどうかを調べることでした。もし無音でも音と同じような錯覚が起こるのであれば、それは我々が文字通り、無音を聞いているという証拠になるかもしれません」と述べています。
研究チームは、人がどの程度まで無音を聞いているのかを含めて今後も調査を続ける予定だという。この研究は、米国科学アカデミー紀要に掲載される予定です。
https://amass.jp/168112/
事実上無音を聴くほど長生きできる 音のない部屋で作曲しようとしたら晋三の音が邪魔でペンで突き刺して終わる話が世にもであったな 音として聞いてるんじゃなくて刺激と刺激の間を感じてるってだけだろ
無音って音があるわけじゃない >>41
あー辛いけど辛い成分じゃなくてあれは痛みである
そう言うことか >>34
できない理由を考えるのではなく!←晋三の音
バーン!……バーン!←突き刺して終わる音 目の前が真っ白になっても「無絵」とは言わないみたいなもんか? 無音はそうでしょ
脳内でドンキの歌が無限ループしているから無音に感じないだけで 我々は音がない状況、空間、時間を
音がない状況、空間、時間として感知しているということ ジャグラー打ってるときからずっと無音が聞こえると思ってたんよ 無音になるとホワイトノイズのようなサーみたいな音がする 自分の筋肉の音とか血の流れの音どうやっても聞こえないか 直島の美術館に行った時ウォルター・デ・マリアの展示見たんだけどちょうど部屋に学芸員さんと自分だけになって
何の音もしない無音の部屋で階段に座って天窓からの太陽が部屋の中に差し込んで階段や彫刻に弾けて淡く広がるようなのをじっと見てた
んだけど、音がしないと思い込んでたけどよくよく耳を澄ますと10メートル近く離れた学芸員のお姉さんの鼻息が聞こえたんだよね
なんか生々しいというか無機質な空間に自分とお姉さんだけが同じ空気を吸ってるのすげえ興奮した
これもうゆきずりのセックスじゃんって
記念に展示のTime/Timeless/Notimeの絵葉書買ったわ 言葉遊びみたいなもんだろ?
音が聞こえてない脳の状況を音を聞きながらつくってるって感じの >>41
休符 余白 と同じ且つ今までの生活でイメージがあるから脳が完全に 無 にならない 音楽なってなくても頭に歌とか流れてくるようなもの 生まれた瞬間の赤ん坊とかでやっても恐らくなんらかのイメージがあって 無 にはならないはず 産み出されてから10年間
わたしはずっとそうやって嘘を吐いてきた >>30
ツー…という音を5秒×2回と10秒×1回で聞き比べると後者の方が長い秒数に感じる(有名な話)
この実験は逆に、雑音の停止時間(無音時間)を5秒×2回…と聞き比べても、音を出した実験と同じ効果が得られたということ >>39
暗き天にマ女は怒り狂う
この日○終わり悲しきかな 0は入力が無いのではなく0という入力が有るという感じかな? 相変わらずくだらん記事でスレ立てする落ちこぼれだな >哲学者と心理学者の研究チームは述べています。
こいつらほんとアホw けっきょく無音だと認識する時間間隔だから当然では? 音響心理学を理解していないって言われて
お座なりにニュース記事を探してスレ立てしたんだろうけど
統計的調査をやるのは科学というより心理学の手法だから
発展性がないね この種の問題はもう一つ以上、別の方法で客観的検証をする方法論があって30年くらい前から発展してたのはfMRIを使った研究だよね
落ちこぼれおばさんもそっち系統の研究室に間違ってロンダして喧嘩してたんじゃねぇの >>79
一瞬同意しかけたが「しんと静まった」という表現が有るからなぁ
まあ、「し~ん」とのばしたのは漫画かもしれんが 人間の知覚って無音になれるの?
身体が駆動する音は常に聞き続けてるもんだと思ってたけど 無音室に入ると体内の音が聞こえるようになるから完全無音は聞けない >>71の解説から>>1を考えると
それって「音」ってよりも
人の時間認識が意識している対象によってどう変化するかであって
これ音だけではなく
例えば視覚的に
LEDの点滅5秒×2回と10秒×1回でも同じことが言えるのではないかとか
であるのならば
これは無音という状態を人が認識しているから起きる錯覚であり
別に無音を聞いているとの証明ではないのでは? 携帯から音波を使った暗殺だ───
耳には聞こえない ボールが飛んでこなくてもバットを構えてるようなものじゃないのか 北海道に住んでた時に、車が全く通らず周りに畑しかない道路の脇に停車してエンジン切ったら、風も無風で全くの無音状態でどんどん耳が痛くなってきたから、慌ててエンジンかけた事あったわw >>93
ってことは
「音がしています」「音がしていません」という認識においての>>1
時間の錯覚であって
最初から「無音を聞いているかどうかの証明にはなっていない」ということじゃね? 「無音」を聞いていると解釈する証明のために必要なのは
まず
生まれながらにして完全に音が聞こえない「聴覚障がい者」
これらと健常者においての「無音」の差異を明確にすること
完全に音が聞こえない聴覚障がい者にとっての「無音」とは
日常的な生活空間であり
それが当たり前の世界
対する健常者は音のある世界で生きている
無音世界の住人と音の世界の住人においての「無音とは何か」を
まずは定義していかないと
こんなものは>>1いくらやっても何の意味もない 給食の時間にガヤガヤしてるのに一瞬誰もしゃべらなくなる現象のことか
てかあの現象どういう理屈なんだろ こういうのは哲学的問題の域を出ない可能性のほうが高いと思うよ
例えば思考実験として
一次元世界の住人を考えるときそれは「線」なんで
タテもヨコも高さも存在しないため
当然ながら物体やエネルギーが振動することはできず
音もなければ光もない「ただの線上の住人」となる
グラフでいえば横軸だけの世界が一次元世界
ここでは我々の存在する世界では当たり前に「ある」
ほぼすべての物理現象が存在せず「ない」
しかし時間は存在し得る
これは我々の三次元世界でも時間は次元と一体化し時空間として
認識されていることからいえること
ではこの一次元+時間の二次元時空間に「認識を持つ存在がいると仮定し」
線上の「相互作用(一次元+時間であるニ次元時空間の物理現象)」によって
ないものをあると認識できるか?
それはたとえば我々三次元+時間の4次元時空間で生きているものが
さらに上位の時空間を認識できるのか?という問題ともよく似ている話であり
同時にその次元の下位次元は認識できるという話でもある
つまり「一次元+時間の二次元時空間で認識を持つ存在」も
上位次元となるタテの概念をあると認識することは「ない」が
その下位である「ゼロ次元」という点は「ある」と認識できるとなる
そしてそのゼロ次元では時間すら「ない」
「あっても」点なので変化しないため「ない」
ついでにこのゼロ次元はすべての上位次元が共通で認識できる
「あるのにない存在」となる
これと同じで無音というストリングスが振動していない「ない」状態を
ゼロとしてとらえることはできるということでいいのでは? >>79
手塚治虫がかの表現は自分が発明したって自慢してたな >>95
お前以外にとっては定義は明らかなんだよ
下らないこと言ってないで少しは頭使え まとめ
物理現象としての音とは物体が振動する現象であり
無音とは物体が振動しない現象のこと
しかし>>1はこれを認識でとらえているため
物理現象とは関係なく後を認識できるのかどうかつまり
「"無音"を音を認識できない状態」として定義している
この条件の世界で生きているのがまったく音が聞こえないタイプの知覚障がい者
よってこのタイプの知覚障がい者が「無音」をどう認識しているのかが
この>>1問題のカギとなる
このとき知覚障がい者にとっての音を
三次元の存在が四次元を認識するのが困難であるように
上位次元の存在として考えると
「無音」とは知覚障がい者にとって「音」とともに認識するのがむすがしい
概念となるが、無音の「音がない」状態とは
知覚障がい者にとって当たり前の出来事でしかないため
かれらは「ない」という当たり前のことを認識し
まるで上位次元を下位次元として認識するように
「無音とはこの世界のことである」と認識できる
よって無音という認識は音がないことを認識している
つまり音を聞いているとなる
証明終わり やっぱこれ>>1時間認識での錯覚という実験がいらない
というか意味ないわ >>103
聞くとは音という物理現象に対して人間の脳の反応に他ならないんだから
人間の脳が音があるとき無音のときに同じ反応を示すかを検討すればそれだけでいいんだよ馬鹿 >>105
間違い
それだと人間の「反射」を観測しているだけで
認識は観察していない >>106
だから世の中みんなそういう定義を前提に検討を進めてるんだから
下らないことやりたいなら一人で考えて黙ってろカス >>107
みんなが考えているのだなんてのは
なんてのは科学でも何でもないですよ
それは妄想といいます
君はまず科学的態度ってところの基本から学ばないとネ >>108
考えていると前提にするの違いもわからねーカスは科学を語るな
哲学風の下らない論考を一人でやっとけ こういう虫みたいな人と
モメンとの関係も
上位次元と下位次元の思考実験でそのままわかりやすくなるやつ
同じ人間でもさ
認識能力によって対象を理解するための限界や時間差などの差異が生まれるので
それが知能となって表出するってだけ >>109
ふわっとしたことを
攻撃的にレスしているだけだね
なんかいやなことでもあった? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています