「このクマ、どっかおかしいんじゃねえのか?」北海道で31頭の牛を殺した謎のヒグマを追うリーダーが感じた“違和感”
「OSO18のこと、書かないんですか?」
私がしばしばネットなどにヒグマの記事を書いていることを知っている人から、たまにそう訊かれることがある。そのたびに「(OSOが)捕まってからですかねぇ」と煮え切らない返事をしてきた。というのも、昨今世間を騒がせているこのヒグマに関しては確定情報が少なく、そこを無理して書けば、いたずらにOSOの恐怖を煽りたてる原稿になってしまいそうな気がしたからだ。一方で「そのうち捕まるだろう」と思っていたからこそ、「捕まってから」などと呑気なことを言っていたのも確かだ。まさか、最初の出現から4年以上もOSOが逃げ続けるとは考えもしなかった。いったい「OSO18」とはいかなるクマなのか。(全4回の1回目/#2に続く)
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|唯一の目撃証言は4年前
“最初の事件”は2019年7月16日午前4時、世界自然遺産・釧路湿原の北に位置する標茶町オソツベツ地区の牧場で発覚した。牧場関係者が放牧中の牛1頭の姿が見えないことに気付き、捜索したところ、森の中で無惨な姿で殺されている牛の死骸を発見したのである。その関係者が思わず声をあげると、20メートルほど離れた藪の中から1頭のクマが飛び出し、逃げていった。後々まで、これがこのヒグマに関する唯一の目撃証言となる。
以来、8月5日に8頭、8月6日に4頭、8月11日に5頭……といった調子で連日牛が襲われるようになり、その被害は2ヵ月で実に28頭に及び、現場に残された体毛のDNAにより「同一犯」によるものと推測された。この頃になると、最初の事件が起きた地区の名前「オソツベツ」と、現場に残された足跡の幅が「18センチ」とされたことから、このヒグマは「OSO18」というコードネームで呼ばれるようになっていた。
|「肉の味を覚えたクマは……」
翌20年には5頭が襲われ、すべて死亡。21年には24頭が襲われ、うち9頭が死亡。22年には8頭が襲われ、5頭が死亡。被害は標茶町だけでなく隣の厚岸町にも及んだ。結局この4年間で65頭の牛が襲われ、そのうち31頭が死亡、被害総額は7000万円を越えるとされている。1頭のヒグマによる被害としては近年類を見ないほど甚大であることに加えて、最初の事件現場で目撃されたのを最後に目撃情報が途絶えたことから、いつしか「OSO18」には「忍者」「怪物」「ゴースト」といったおどろおどろしい枕詞が冠せられるようになる。同時にOSOを扱った記事もセンセーショナルなものとなっていき、中には〈肉の味を覚えたことでいずれ人も襲われる〉といった随分飛躍のある論理を展開するものも散見されるようになった。
私自身がOSOに関する報道を追う中で、最初に「おや?」と思ったのは、襲われた牛が必ずしも「食害」されているわけではないという事実である。特に2021年7月には7頭の牛を襲い傷つけながらも1頭も食べていないというケースが報告され、牧場関係者は「OSOは、牛をもて遊び、ハンティングを愉しんでいるようだ」と呻いた。
だが私が知る限りでは、「愉しみとして家畜を襲うクマ」というのは聞いたことがなかった。本当にそのようなクマが存在するのだろうか――? この「謎」をぶつけるべき人物は、道東にいる。
|日本で最もOSOに詳しい男たち
2023年6月9日。この日、北海道東部はこの時期特有の濃霧に覆われていた。新千歳から中標津へ向かうANA4883便の機内では、当機は到着地の天候次第では新千歳に引き返す可能性もある〈条件付き運航〉である旨のアナウンスが流れる。その言葉を裏付けるように新千歳を飛び立ってからというもの上空は厚い雲に閉ざされ、気流の乱れにより機内サービスが中止されるに至って、「今日はダメかな」とひそかに溜息をついた。だが45分のフライトの最後の最後になって、雲の切れ間から滑走路の誘導灯が見えたかと思うと、飛行機は無事に道東の玄関口、中標津空港に降り立った。
こんな日にここまでやってきたのは、日本で最もOSOに詳しい男たちに会うためである。
「なんだ、やけに遅ぇから、飛行機飛ばなかったのかと思ったよ」
そう言いながら、標津町にある事務所の奥からのっそりと現れたのはNPO法人「南知床・ヒグマ情報センター」の主任分析官、藤本靖である。ヒグマの生態調査と有害駆除を手掛けるエキスパート集団の参謀役を担う藤本には過去何度か取材したことがあったが、最近ではもうひとつの肩書きの方で世間の注目を集め...
詳細はサイトで
https://bunshun.jp/articles/-/64013