恥ずかしながら坂口安吾という作家知った。なんでおまえらこんな面白い人今まで教えてくれなかったんだ? [169249397]
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坂口安吾『堕落論』あらすじ紹介。戦中と戦後の違いから明確になった人間の本性、「生きるということ」
https://ddnavi.com/serial/457131/a/ 『桜の森の満開の下』と『耳男と夜長姫』は子供のときに読んで震えたが
この人エッセーの方が面白くない?
嫌儲読書部で絶対安吾と梶井出てくるじゃん この辺の世代だと中島敦のド直球の中二ぶりが一番好き 人の心がない感じがする
文学青年的な青臭さが全くないというか弱いものへの愛情が一切ない感じ
ケンモメンは好きそう じゃあ次は織田作之助読もうぜ
青春の逆説は嫌儲公認小説に選ばれるべきだわ 手塚の息子のクソ映画があったの忘れてんのか
クソとまでは言わんが改変がちょいきつくてな 日本文化私観とかお前ら大好きだと思う
戦中に書いてるのが凄いわ 本屋に並んでるんだし普通に生きてたら中学の頃読むだろ >>1
けさ俺がクラシックスレに「オモチャ箱」の一節貼ったの
もしかして読んで立てた?そうでなくともとりまグッジョブ👍 >>33
いいレスだと思う
誰だったか、安吾は小説がエッセイ的に、エッセイや批評が小説になる、と 「二十七歳」と「三十歳」
肉体と精神が分裂した安吾の恋愛は読んでて結構ツラい 戦争に負けたから堕ちるのではないのだ
人間だから堕ちるのであり
生きているから堕ちるだけだ
だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう
なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない 戦後に偉大なる神風特攻隊を賛美すると書いて、GHQから発禁を食らったのは流石であるねw 坂口安吾は一通り読んだけど難しくて内容はほとんど覚えてない
しかしこれだけは、と思う短編が『アンゴウ』
戦争体験と安吾の文学性が巧みに昇華された作品だな(´・∀・`) >>62
いまちょうどクラシックスレで紹介してきたんだけど
「不良少年とキリスト」はエッセイで
誰の何について書いてあるかが明確だから読みやすい
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42840_24908.html
安吾は嫌儲公認作家のひとりと言ってよい(生まれは名士も名士の家なのだが)
モメンならこれからも読み重ねていって損はない 「私は海をだきしめてゐたい」の冒頭をちょっと貼る…さすが嫌儲公認、モメンしてるから
(引用は旧かな、リンク先は読みやすさで新かな)
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/56806_56907.html
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私はいつも神様の国へ行かうとしながら地獄の門を潜つてしまふ人間だ。ともかく私は始めから地獄の門をめざして出掛ける時でも、神様の国へ行かうといふことを忘れたことのない甘つたるい人間だつた。私は結局地獄といふものに戦慄したためしはなく、馬鹿のやうにたわいもなく落付いてゐられるくせに、神様の国を忘れることが出来ないといふ人間だ。私は必ず、今に何かにひどい目にヤッツケられて、叩きのめされて、甘つたるいウヌボレのグウの音も出なくなるまで、そしてほんとに足すべらして真逆様に落されてしまふ時があると考へてゐた。
私はずるいのだ。悪魔の裏側に神様を忘れず、神様の陰で悪魔と住んでゐるのだから。今に、悪魔にも神様にも復讐されると信じてゐた。けれども、私だつて、馬鹿は馬鹿なりに、ここまで何十年か生きてきたのだから、ただは負けない。そのときこそ刀折れ、矢尽きるまで、悪魔と神様を相手に組打ちもするし、蹴とばしもするし、めつたやたらに乱戦乱闘してやらうと悲愴な覚悟をかためて、生きつづけてきたのだ。ずゐぶん甘つたれてゐるけれども、ともかく、いつか、化の皮がはげて、裸にされ、毛をむしられて、突き落される時を忘れたことだけはなかつたのだ。
利巧な人は、それもお前のずるさのせいだと言ふだらう。私は悪人です、と言ふのは、私は善人ですと、言ふことよりもずるい。私もさう思ふ。でも、何とでも言ふがいいや。私は、私自身の考へることも一向に信用してはゐないのだから。 >>65
上の「不良少年とキリスト」は読みやすいよ
最も有名な「堕落論」も敗戦直後の世相を踏まえていれば
短いのにモメンとして読みごたえは十分 青空文庫で読み放題だぞ
ポン中だったってのも親近感抱くポイントだよね 白痴の舞台になった蒲田周辺を歩いたことがあったけど坂口安吾のことは看板とか何もなかったな >>73
あまり良いことは書かれてないし、町は壊滅してしまったから、文学散歩的に語り継ぐこともなさそう😊 青空文庫から誰でも今すぐ読めるけど
岩波文庫が3分冊でうまく編集されてる
「堕落論・日本文化私観」が批評、エッセイ
「桜の森の満開の下・白痴」がフィクション
「風と光と二十の私と・いずこへ」は自伝的作品群
すべて解説は安吾専門家の七北数人
いちばん下をいま読んでるけど
安吾の人となりを安吾の筆で読めるんだからそりゃおもしろい
それでいて私小説の自慰にはまったく陥らない知性をたたえた文章 >>74
多摩川線沿いに歩いて坂口安吾の門扉を見たり
国道を矢口国民学校まで歩いたりしたよ 白痴で伊沢が歩いた国道は現在の国道1号線なんだけど
当時は旧東海道のバイパスとして建設途中だったみたいね
航空写真だと戦前の写真には畦道しか写ってない
戦後の写真には広い国道が見てとれるけど多摩川には橋脚しかなくて川崎側も未建設なのが判る >>59
二十七読み終えていずこへ抜かしていま三十読んでて
胸がふさがってちょっと休んでる
新潮文庫の100冊とかいまやってるのか知らんけど
夏の読書にいいんじゃないか
ちな気温38度をエアコン付けずに扇風機浴びながら読んでる
そのためではないがその方がふさわしい気がする 「二十七歳」「いずこへ(二十九)」「三十歳」読了
気ままな順番で読みつつ文庫全体の3/4読了
あしたもきょう並みの酷暑とのこと
作中、涼のため水を張った桶に足を入れる女に魅入る場面があるが
往時ここまでの暑さはなかったかと 同じ戯曲派?無頼派?のくせに太宰とあんまり作風が似てない 今年「新しい戦前」の時代、やっぱり安吾でしょが発売したばかりだからな 今よりよっぽど不自由なはずなのに
安吾の女が現代の女性より自由に見えるのは
こちら男の読者の倒錯なのかそれとも
「新しい戦前」とは安吾は言わないような気がする
戦前を戦前として書いた記憶もないような
とはいえ安吾を手に取る機会になるならば >>82
日本の女性が理想を押し付けられて家庭に入るのは高度経済成長期の話だから 坂口安吾はエッセイも好きだけど、
あの散らかった部屋の写真がすきだ
あれはポン中のときに撮ったんだろうか? おはやう…涼しいうちに残り読んじゃいます
>>84
https://i.imgur.com/4XDgOu4.jpg
(撮影: 林忠彦)
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ところが彼は奇襲作戦によって、突如として私の自宅を襲い、物も言わず助手と共に撮影の用意をはじめ、…
彼は、私の書斎が二ヶ年間掃除をしたことのない秘密の部屋だということなどは知らないのである。
彼はすでに思い決しているのだから、こうなると、私もまったく真珠湾で、ふせぐ手がない。二階へ上る。書斎の唐紙をあけると、さすがの林忠彦先生も、にわかに中には這入られず、唸りをあげてしまった。
彼は然し、写真の気違いである。彼は書斎を一目見て、これだ! と叫んだ。
「坂口さん、これだ! 今日は日本一の写真をうつす。一目で、カンがあるもんですよ。ちょッと下へ行って下さい。支度ができたら呼びに行きますから」…
机と布団と女
https://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42820_26307.html
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ちな太宰のこれも林忠彦
https://i.imgur.com/DMCqS3t.jpg 暑いときには「木々の精、森の精」が涼を呼ぶ
描写される人間が風景と一体となって、人間くささが稀薄なのが良い >>87
そ、あと冷たくしたタオルを安吾の額に置くとかね
読み終わりました
少し期間おいておなじく岩波文庫で「桜の森の満開の下・白痴 他十二篇」予定 坂口安吾ときくと阿片と桜の樹の下には死体が埋まってるを連想する 図書館で後から借りた安吾を先に読んで
いまゾラ「ジェルミナール」を読み始めた
ゾラは初めて、欧米では「居酒屋」「ナナ」より売上も評価も高いとのこと
で、そういえば安吾は仏作家でゾラの名前を挙げてるのだろうか
バルザックを筆頭に、スタンダール、フローベール、ボードレール、モーパッサン、ジイド、
ヴォルテール、モリエール、「アドルフ」のコンスタン、マラルメ、ヴァレリー、ラディゲの名は見かけた
この中では作風も時代も関係もモーパッサンがいちばんゾラに近い
バルザックもゾラが後継扱いされるぐらい
でもゾラの名前を直截に安吾が出してる文章にはまだ当たってない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています