映像のキュビズムである。
宮崎駿の「君たちはどう生きるか」は、映像とストーリーテリングのキャンバス上で新たな冒険を描き出す壮大な作品だ。本作は、その画一的な手法を拒否し、代わりに視覚的混沌と一見意味不明なシーンを用いて観客に挑戦する。この視覚的混沌は、ピカソが晩年に描いたキュビズムの作品を彷彿とさせる。

初期の宮崎作品、たとえば「となりのトトロ」や「風の谷のナウシカ」では、はっきりとした起承転結があり、観客は容易に物語を追うことができた。
しかし、「君たちはどう生きるか」では、物語は抽象的な状況や描写によって間接的に示される。 各シーンやキャラクターの行動は、ピカソのキュビズムの作品に描かれた形状や色彩と同じように、一見、意味不明に見えるかもしれない。しかし、それらが持つ深い意味を探求し解読するのは観客自身の役割だ。ここに、宮崎が新たな映像表現を試み、観客に対して映画体験の新しい形を提案していることが見て取れる。 この映画は通常の物語形式を拒否し、新たな映像言語を模索している。

ピカソの作品が時間を経て評価されるようになったのと同様、この映画もまた時間とともに評価されるであろう。
その前衛性が観客に新たな視覚体験と深い思索を提供することで、宮崎駿の映像世界の新たな一面を垣間見ることができる。
最終的に、「君たちはどう生きるか」は観客に直接的な物語や明確なメッセージを提供するのではなく、観客自身が作品を通じて自己の経験や視点を模索し、新たな解釈や洞察を見つけるよう挑戦している。この作品が宮崎駿の映像世界の新たな章、そして視覚芸術における新たな表現の形を切り開いたと言えるだろう。 😤