豊臣秀吉と徳川家康・織田信雄(のぶかつ)連合軍による「小牧・長久手の戦い」について、尾張藩士が江戸中期に記したとみられる軍記「長久手記」が名古屋市内で見つかった。
折り本形式の全6巻で、登場人物が戦場で目印に使った馬印や肖像画も描かれているのが特徴。専門家は「『小牧・長久手の戦い』に関する最古級の軍記の写しで、家康が神格化される以前に合戦の実態を記述した可能性が高い」としている。
名古屋市の徳川美術館で23日~9月18日に開催される「徳川家康 天下人への歩み」展で初公開される。
所蔵する名古屋市南区の理学博士、水野峰男さんによると、この軍記は約20年前に市内の古美術商宅で発見されたが埋もれていた。今年、別の古美術商を介して水野さんが購入し「戦国史の研究に役立ててほしい」と同館へ貸し出し、展示されることになった。
同館学芸員の薄田大輔さんによると、第6巻の奥書に元禄13(1700)年、尾張藩士で旗奉行を務めた大沢繁豊(号・無鉄、1625~1704年)が著したとある。繁豊は尾張藩士の人名辞典「士林泝洄(しりんそかい)」に登場する実在の人物。寛文4(1664)年に鉄炮頭、元禄元(88)年に馬印や旗を管理する旗奉行になった。
巻頭や文中に秀吉を表す「ひょうたん」や家康の「金扇」などの馬印を明示。また、両陣営の総大将である信雄と秀吉、当初織田家の跡継ぎだった三法師(織田秀信)の肖像画が色彩豊かに描かれている。
名古屋城調査研究センター(同市)の学芸員で、NHK大河ドラマ「どうする家康」の資料提供を担当する原史彦さんによると、「小牧・長久手の戦い」に関する軍記は、江戸後期に記された写本が数十件現存するが、大半が作者不明という。この軍記について鑑定した結果、奥書の花押を書き写した痕などから、これも写本であることが判明した。
原さんは「18世紀から家康は神格化され、その後は実名ではない『東照大権現様』や『権現様』といった表記に代わるなど過度にそんたくした軍記物が増えてくる」と指摘。その上で「今回の軍記は『家康公』と実名で記された上、『信雄卿』に次いで2番手で書かれている。神格化以前の書物の形態をとどめており、興味深い」と話している。
https://mainichi.jp/articles/20230715/k00/00m/040/159000c
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