「自殺」は古代ギリシャ・ローマで非難されていたのか、称賛されていたのか?(クーリエ・ジャポン)
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生物の進化と相反する自殺には有史以来、賛否両論がある。古代ギリシャ・ローマ時代でも、自殺を明白に非難する声もあれば、自由を尊重する行為だと評価する声もあった。イスラエル紙「ハアレツ」の考古学記者テリー・マデンホルムが両論をたどる。

古代ギリシャ時代の最初期、自殺はひんしゅくを買うもので、神々への侮辱と見られていた。命はかけがえのない賜物なので、いつそれを手放すかは人間が決めることではなかった。生死の問題は、全能の神の領分だったのだ。

プラトンによれば、自殺者は尊ばれなかった。分け隔てられた墓に埋葬され、そこが彼らの墓であることを伝える墓石や文書もなかった。

アテナイの雄弁家アイスキネスによれば、こうした「哀れな者」の手は身体から切り離され、別々に埋められた。その理由は、アリストテレスが説明するように、手は命令に則って行動する下僕のようなもので、それゆえ暗殺者と考えられたからだ。

アリストテレスにとって自殺は結局のところ、意志薄弱な行為だった。愛のために死ぬとか、「いかなる不安」を避けるために死ぬなど、勇気の性質ではなく、卑屈な精神を物語っているからだと──。

さらにひどいことに、女ならまだしも、真の男は自殺などしないとアリストテレスはほのめかす。自殺は「悲惨で困難な状況から逃避する女々しい心」に相応しいものだからというのだ。

だが、古代ギリシャ時代の初期に自殺が非難されたのは、何よりも市民集団を守るという理屈に基づいていた。自殺は長らく、近親者と神々への不義理というだけでなく、市民の義務に反する罪、義務放棄の行為として見られていた。

「人が生きているのは祖国のおかげなので、その生を自主的に手放す行為は、現実において市民としての明確な義務を犯罪的に放棄していることを意味する」とアリストテレスは説明する。

自らの命を絶つのは、都市国家(ポリス)への侮辱であるばかりか、家族構造を破壊することでもあった。自殺する男性は、妻と子供たちから、経済的、感情的、物理的な保護を奪う。

それが、ギリシャ神話のなかで、自殺しないようにと王女テクメーッサがアイアスを説得したときの論拠のひとつだ。アイアスは、女神アテネによって精神の病を負わされていた。

若い女子や男子が自殺する場合、家族は新しい姻戚(いんせき)関係が生まれる可能性も奪われる。家族の経済は本来、世代間の結束と生殖にしっかり基づいており、都市国家を重んじる住人は、自らの義務に忠実であり続けることが求められたのだ。

だから、自殺は背徳で犯罪というのが一般的な見解だった。

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