(ソースより抜粋)
カリフォルニア大学の研究者たちが着目したのは、映画レビュワーたちの存在でした。

研究者たちは2015年から2019年の間に公開された448本の映画と、それら映画について一般公開前に書かれた2万9000件の映画レビューワーの評価を分析。

そして「①成功した映画に低評価を下していたレビュワー」と「②失敗した映画に高評価を下していたレビュワー」が存在するかを確かめました。

そして研究者たちが調査を行ったところ、極めて優秀な「失敗の前兆者」が発見されました。

彼らが映画の一般公開前に発信した映画レビューが肯定的だった場合、高い確率で映画の初週売り上げは低調に陥いります。

また彼らのレビューが否定的なものだった場合、高い確率で映画の初週売り上げは好調なものになりました。

研究者たちは「失敗の前兆者」の特性を持つ映画レビューワーが書いたテキストに対して文章分析を実行し、他のレビュワーと文体や語法、性格特性に何らかの違いがあるかを調べてみました。

すると「失敗の前兆者」は普通のレビュワーに比べて、映画に対して分析的で形式的な書き方をしていたのに加え、「私」のような1人称の代名詞の使用頻度が低いことが判明します。

「分析的、形式的、1人称を使わない」で書かれる文章は個人の感想だという前提が隠されてしまい、絶対者や神の視点で語られがちになります。

そのような文章はしばしばレビューというより映画に対して審判を下す「判決」に近いものになり得ます。

また「失敗の前兆者」の一般大衆に対する態度を文面から分析したところ、大衆の意見を重要視せず、自分のレビュワーとしての能力に過度な自信を示す傾向がありました。

「失敗の前兆者」としての特性を持つレビュワーは、アマチュアから映画批評家の大家として知られるトップレビュワーまで広く存在していました。

またトップレビュワーかつ「失敗の前兆者」の特性を持つレビュワーの文章を解析したところ、
高評価なレビューを書くときには他のレビュワーたちよりも、より多くの「副詞」が含まれているという特徴があることがわかりました。

※副詞は「ゆっくり」「はっきり」「とても」など、名詞以外の言葉や文章を修飾する言葉。

また低評価なレビューを書くときには、より一段と分析的にな文体になっていたことも判明します。
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