文學界新人賞・市川沙央さん 「なにか職業が欲しかった」
ままならぬ体と応募生活20年の果てに 
https://book.asahi.com/article/14917541
・療養生活という名の引きこもり
取材は市川さんが両親と暮らす自宅で行われた。お母さんに案内された部屋で、
市川さんと目が合った瞬間、その射貫くような眼差しに気圧された。市川さんは
筋疾患先天性ミオパチーという難病により、人工呼吸器を使用しているため、
発話に大変な体力を使い、リスクもある。そのため取材も最小限お話いただく形をとった。

「病気は幼い時から判明していたのですが、14歳のとき、疲れやすくなるなど症状が進み、
念のため入院。さなかに意識を失い、目覚めた時には気管切開され、人工呼吸器をつけていました。
そこから療養生活という名の引きこもり状態に。

20歳を過ぎて、世間では就職という年齢だなあ……と。家から出られない、話せない自分にできることは……
と考えたとき、小説家になろうと思い立ちました」島田雅彦さんのファンだったことから、
当時島田さんが選考委員を務めていた「文學界」に応募しようと

『優しいサヨクのための嬉遊曲』の右翼版を書くも、400字詰め原稿用紙5枚も書けず、
純文学は断念。小学5年生の頃から夢中で読んできた集英社コバルト文庫の
コバルト・ノベル大賞(現・ノベル大賞)に方向転換。(清も昨年初応募。
一次選考は通過したものの、「設定がありきたり」とばっさり落選……)

「コバルト・ノベル大賞の応募は20年以上皆勤賞。もはやライフワークですね。
文學界の結果が出る前に締め切りだったので、今年も出しているんです。
最初の応募作が一次選考を通過し、その後も最高で三次まででした。

ほかにも、女性向けライトノベルやSF、ファンタジーの賞に応募。
多いときには350枚程度の応募作を年3本書いていました」

書くことしかなかった
20年以上落ち続けても書くことを諦めなかった。「10年ほど前に、コバルト編集部から
電話がかかってきたんです。『類い稀な才能がほとばしっている』って絶賛されて。
連絡はそれきりでしたが、自信を持ちました。

それにほかにやれることがあれば、そっちに向かえたんでしょうけど、私には書くことしかない。
自分にとって身体的に一番ラクなのが小説だったんです」昨年もノベル大賞に応募した
最大の自信作があえなく落選した。

「『ゲーム・オブ・スローンズ』をロマンス寄りにした感じの物語で、側弯症で片目も奇形の
王様が活躍する話でした。物凄いものが書けた、もうこれで絶対に獲るんだ、と思っていたので、
三次通過止まりという結果に心がぼっきり折れて………。

当時、早稲田大学の通信課程の卒論で『障害者表象』という重いテーマと向き合っていたこともあり、
どんどん心が荒み、この暗いどろどろをぶつけるのは純文学しかなかろう、と。そう思い立ったのが昨年の夏頃でした」

・主人公の釈華は市川さんと同じ難病で年齢も同じ。これは私小説なのでしょうか?
「自分としてはせいぜいオートフィクション。重なるのは30%という感覚です。ただ私小説的に
読まれるだろうと予想できたので、家族には読まないでと言ってあったのですが、父が読んじゃって…。
かなりショックを受けたようで、喧嘩になっていまだ冷戦中です」

・正業がある人への劣等感
『ハンチバック』を書き上げ、受賞したことで、“どろどろ”は解消されたのでしょうか。「通じたな、と思いました。ただ、
受賞してもまだ書き手としての劣等感が消えません。私は書くしかないから書いているのであって、
正業があってそれでも小説が好きで書いている人々には絶対に勝てないと思っているんですよ。

とはいえ、環境のせいにしながら20年以上しつこく描き続けるということもふつう出来ることではないのだろうし、
どこか反語なんでしょうね」

第169回芥川賞発表 市川沙央『ハンチバック』に決定 デビュー作で受賞