じゃあどうすれば西軍は関ケ原で勝てたんだよ。ちなみに戦犯第一位は毛利らしい [523957489]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
関ヶ原の戦い、歴史作家「西軍の敗因は毛利輝元」…石田三成と大谷吉継の「考えに違い」
2023/07/24 08:10
略
関ヶ原の戦いで西軍が敗れた要因については、総大将の毛利輝元が大坂城から動かなかったことを挙げた。
また、三成が長期戦を想定していた一方、吉継は短期戦の構えを見せていたと指摘。
「西軍には、戦い方を巡る二つの考えがあったのではないか」と推測し、長期戦を想定した兵力分散も敗因の一つとした。そして「勝ち目が非常に薄い戦いだった。ここで決戦をする必要はなかったのではないか」と結んだ。
https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/07/20230722-OYT1I50064-1.jpg
https://www.yomiuri.co.jp/culture/20230722-OYT1T50159/
やっぱ長州は糞だわ 戦わないのに勝てるわけないだろ
まず主要兵力が戦闘をすることが最低条件だろう 輝元が関ヶ原に来てたらさすがに空弁当食べられないんじゃない >>23
輝元が親父の半分くらいの統率力を持ってたら小早川が裏切ろうが勝ってる 総大将だったのに軍を動かさなかったんやろ?
それが支配力の有無の問題だと主張してんの? とは言ってもあの関ケ原布陣図って旧参謀本部の創作じゃん? >>25
恐らく西軍最精兵であった立花宗茂、小早川秀包、島津義弘が何もしてないからな
戦意旺盛だった長宗我部盛親も吉川に塞がれて何も出来なかったし 薩摩も毛利も卑怯なヤツらだよな
確かに長期戦は無理
電撃的に大将狙いが吉だったよね🤔 >>28
輝元が秀頼を引き連れて戦場に現れたらさすがに家康もどうすることも出来なかっただろうね
でも輝元は家康が東に行ってる間にセコセコ西国で領土を掠め取りたかっただけで、家康が向かってきた途端西軍の主要大名全部裏切って1人で土下座しやがったからな 総大将は毛利輝元だったのに何で許されたの?
石田三成は処刑されたのに 西軍が全員東軍に寝返れば実質西軍も勝ったことにならね? 日和見主義的な参陣ばっかりだったのを見抜けなかったもんかね。石田三成は。 小早川を参戦させなきゃとりあえずは拮抗するんじゃね
オマケで裏切った奴らも裏切らないやろ 毛利関係ほとんど裏切ってたか様子見だったから短期でも長期でもほぼ負けだったという >>29
三成が器でなかったのが悪かったって言ってるようなもんだな 動くと思ってたのに動いてくんなかったってのは気持ちが一つになってなかったってことなんだからどうすればよかったも何もないよな >>42
TBTF(too big to fail)じゃねーの? >>36
島津なんかは家康の家臣である鳥居元忠が守る伏見城の警護を申し出たが
元忠に断られたので仕方なく西軍になったって話もなかったか? 上杉と徳川が開戦するまで待つことはできなかったの? 1つの因果でその結果に至ったワケでは無いだろうからいく通りもの答えあるだろうね >>42
いわゆる決戦前に降伏してたからというのが
最近の説での主流 >>42
秀吉が武家にも公家同様の家格を設定したから
毛利家は清華成ってやつで、公家で言うと大臣の家格
この家格は基本的に処刑されない
だから毛利や宇喜多なんかの清華の代わりの尻尾切りで石田や小西や安国寺が処刑された 三成と島左近で徳川本陣に奇襲かけるくらいしないとだめだよ🪭🤓 昭和生まれのノータリン白痴って妄想すごすぎるよな
絶望的なボンクラの理想形だろこれ 毛利のところのクズの吉川広家を難癖つけて蟄居に追いやって粛清する。
これで毛利の主力を南宮山本なんかに置かないで最前線に置かせ監視する
あんなところに陣取って、徳川が普通に無視して進んできてる時点で内通してるのはバレバレ
小早川も毛利が動かないのを山の上から見てから裏切ったようなもの
まあ最大勢力の毛利が総大将の時点でどーしようもないよね >>42
完全に潰しちゃうと影響が大きすぎるから
いくらやらかしても雪印とかビッグモーターは潰さないようなもん 大物勢はどちらが勝ったって地位揺るがないだろうし、そもそもやってる感のいくさだろ 決戦前の根回しで勝負付いていたじゃん
戦う味方を増やせなかったんだから敗北は必然 布陣図って後世の創作なんだっけ
戦国時代そういうの多すぎてよく分からん
とりあえず外様の小早川が毛利に着くわけ無いしその時点で勝ちは無さそうだよな
長期戦にして上杉に頼っても東北は伊達が暴れてるし真田も攻勢に回るには兵力が無いし徳川本隊が来て一層不利になる
短期決戦で家康仕留めるのが唯一の勝ち筋っぽい 利家が健康で生きてればさすがの家康も対抗できなかったよな
家康と揉めた時に四大老と五奉行と武断派半分以上が利家に付いたし 毛利とは話がついていた説あるよな
毛利からの裏切りがあまりにも多すぎる >>72
吉川が話をつけてた
秀元はそれを知らなくて、結局本家も潰されかけたから怒り心頭に発すで秀元と吉川の確執は幕末まで続いたんじゃなかったかな >>72
少なくとも毛利の家臣の一部は家康側と内通していたのは書状があり確実 >>42
事前に毛利は動かないので所領安堵してくれって吉川広家が徳川に話を付けてたからね
ただ、大阪城で毛利が色々下知を出してる事が後でわかって
毛利の所領を取り上げて吉川に渡すなんて事になりかけたが
吉川が頑強に辞退して、結局は毛利の所領を減らす事で決着した 挟み撃ちに出来る状況だったのは間違いなさそうなので普通に攻撃すれば勝てる
つまり吉川が悪い 輝元は最初ノリノリだったのに両川の反発あったとはいえ途中からやる気無くなったのは大坂で何があったのか? 西軍は烏合の衆なんやから誰も統率出来ないし必死に戦う事もしないやろ 関ヶ原であんな姿見せておいて、維新でよくあんなでかいツラ出来るよな
恥という概念が無いのか? そりゃあ総大将は毛利だし積極的に動かない上に
毛利の両輪が敵に寝返ってるんだからそらあかんわ
明治維新するくらいなら300年前にやっとけという 裏切り者が出なければ勝てた
毛利さんなり大一大万大吉のオテマミと金払いが足りなかった ゲームだったら楽勝で勝てるのにな
西軍は守りに徹して高低差と川を利用して相手が疲弊するのを待てば良い
地の利は完全に西軍
しかし実際はクソみたいな武功やら人間関係やらのランダム要素と人間模様でそうは行かないのがゲームとの最大の違い
守りに徹したらやれ「臆病風に吹かれたか!」
夜襲するって言ったら、やれ「卑怯千万、堂々と勝たないで天下に示しがつかん!」
もう封建国家の連合軍なんて烏合の衆そのものですわ 滅ぼした大名
信長・・・今川、斎藤、朝倉、浅井、足利、三好、松永、北畠、畠山、武田
秀吉・・・明智、柴田、北条
家康・・・豊臣(秀頼)
武田、上杉、伊達・・・特になし
信長以外は過大評価 >>73
そいつらはそのまま東進して駿府なり江戸なりを狙ったほうがワンチャンあった気がする 最初から何もかも仕組まれてたんだよ
小山評定も三成の出陣も直江状も
事の発端の上杉家が改易無しって時点でもう 歴史ってさ、全部本当に起こった事じゃないよな。なろうみたいに適当に書いた巻物だっていっぱいあるのに。信じて大昔の事をあーだこーだ言ってヤツって1番バカだと思うわ 山から直接西には降りられなかったのでは行けるなら家康は桃配山に
本陣を置かないし山を降りて来た時ように北側に兵力配置してるし 誰かが裏切らなければとか誰かが裏切ればとか考えてもゲームじゃないんだから結果なんてわからんやろ でも西軍が初戦勝っても無傷の徳川本体と連戦しないといけんし… >>91
いまのヤンマガの「本能寺が燃えるんじゃが?」読んでたら、
とことん苛烈に滅ぼして回る信長戦略はいずれ枯死してたと思うわ >>96
古事記からしてラノベとかなろうやから今更それを言っても >>93
その仕組んでたとされる毛利が一番被害でかいんですがそれは
山口県に押し留められるし
それだって吉川が毛利を取り潰すくらいなら私の領地を全て毛利に差し出しますってやったからだし
毛利は一県に小早川も吉川もお取り潰しになるとかいう
ほんとまともに動けばこんなことには そもそも家康は運がいいとこあるからな
太くなったのだって、本能寺の変の棚ぼたで武田の遺産を継いだおかげやし >>91
竹田は諏訪とか制服してるじゃん
上杉も伊達も有象無象蹴散らしてる まあ結局関ヶ原の敗因は石田三成が敵を作りすぎってことに集約する
更に遡れば秀吉が豊臣家そのものを蔑ろにしたせいで政権の基盤を築けなかったことだが >>96
特に今語られる関ヶ原はほとんどこれ
銀英伝の陣形を真面目に語るようなもん 立花宗茂を本戦に連れて行く
赤座小川脇坂は大津城へ 内戦と裏切りばかりやってきたジャップ
そりゃ陰湿な民族にもなるわw >>106
三成の責任にしたのも
毛利の責任回避の結果なんだよなぁ
総大将が責任取らずになにやってんだか >>96
こういう俺はお前らと違うアピールして水を差すやつが一番馬鹿 >>103
直後に小牧長久手で下手打ってんだよなあ 小早川も毛利が信じられなくて高いところに陣取って様子見てたじゃん
吉川が余計なことせずに毛利が普通に攻撃してれば小早川も裏切らなかったよ 総大将を引き受けたくせに日よりみして
流れによっては味方すら裏切り
責任は全部部下に押し付け
そんな子孫が安倍な訳ですよ やっぱ淀君が秀頼を戦場に送り込まないのが敗因
な? 【 腐 れ ま ん こ 】 だろ? >>106
ぶっちゃけ、三成は佐和山に隠遁したままでいれば
関ヶ原も起きずにすぐに家康が征夷大将軍になる事はなかったわけで
三成の自らの復権への野心が結果的に豊臣を潰した形になったな でも毛利の奇兵隊に幕府はボロ負けしたよね
はい論破 高台院が北条政子になってれば
養子の早川秀秋を留められた
もっと言えば
秀吉57歳の時の子=秀頼が生まれてなかったら
秀次も健在で勝ってた
所詮は歴史のif やる気ないヤツばっかりなんだから
天下を二分する戦いとか無理
家康暗殺とか狙う方がまだ可能性あったんじゃ? >>110
??「私が責任を取ればいいというものではありません!」 >>117
そのときの豊臣のスタンスは豊臣政権内における家臣同士の戦いってだけだったので
主君の秀頼が出てくるってのはおかしいんすよ
結果的に立場が逆転してしまっただけの話で
なので秀頼も家康の関が原での勝利を賞賛して、この当時までは家康も主君を立ててるんですね >>117
関ヶ原合戦の経緯からして淀君が徳川率いる軍と戦うような事をさせる訳がないんやけどな
輝元が戦場に出たら大坂城内が東軍方に付く流れになるし出陣しようにもできん
まして上杉征伐で空になった九州、四国に自領拡大の計画を持っているから毛利本軍を関ヶ原に送れないっていうのもあるし 毛利が家康と口裏合わせしてたなら大阪から動くわけもなし
なんだこの記事 >>100
信長の敵は室町王権という当時の人々の常識だったってことよ
信長が上洛してきた時に信長に従った畿内周辺の勢力は義昭が京都から追放されて再上洛の動きを見せた時に一斉に信長から義昭に乗り換えた
これは信長を裏切ったというより室町時代ってそういう時代だったとしか言い様がないんだよね
将軍は有力大名に支えられて京都で将軍になり、ケンカして京都から離れてそこで味方の大名を募って再上洛する。これを繰り返してたから >>117
淀殿とかは三成が謀反を企ててるので急ぎ上洛するようにと家康に書状を送ったりしてる
秀頼を西軍で参加させるわけもない 小早川隆景がもう少し長生きしていれば
とはいえそれなら家康も動かないか >>121
当時から秀頼の嫡出性は疑問持たれてたらしいがな。
もちろん当時DNA鑑定なんかなかったし
これが愛子レベルで似てたら誰も嫡出性は言わないだろうが
あれだけ秀吉は女好きなのに誰も子供生まなかったうえに
よりによって2メートルの大男だしな。 勝つには秀頼出陣しかなかったな
加藤清正とか福島正則は東軍についたけど秀頼出陣なら西軍についた可能性あるし
毛利も秀頼が出陣するのに自分は大阪城で留守番してますってのはないと思うし 毛利は官軍大将として大阪城を守ってるって感じだったんだろうか。
前田利家が生きてたらどっちについたかね >>1
そもそも家康に牙をむくべきじゃなかった
そうすれば勝てたんじゃね
光成が挙兵してくれたからよかったもののそういう事でもなきゃ
家康はどういうタイミングで牙をむくのさ
挙兵したところで加藤清正や黒田は徳川につかない
そうこうしてるうちに秀頼が成人して・・ 家臣の戦争を止められない上に勝手に領土再分配するのを止められない豊臣家は関が原が始まった時点で終わってんだよね 毛利が家康と口裏合わせっていうけど結局毛利もガッツリ領地減らされてるんだから家康の口車に乗せられただけだよね
やっぱり毛利が戦犯じゃん 西軍ってケンモメンの寄せ集めで
好き勝手に発言するだけだったんだろ? >>138
どのみち無理かな
秀吉政権が既に民意を失ってたし
家康が綺麗にしなかったらまた戦国に戻る可能性が高かった で?
こいつらはチンギス・ハーンやティムール、ナポレオンや袁崇煥に勝てるの? 小早川を冷遇したのも秀次殺したのも家康を朝鮮出兵させなかったのも秀吉が悪い
つまり大体秀吉のせいで負けた 安倍の先祖って安国寺恵瓊?
「吉川広家、君と僕は同じ未来を見ている」
とか言って説得してそう >>134
まあ日本は血より家の存続が第一なので、秀吉がこれが俺の息子で豊臣の家はこいつが後を継ぐと認めればそれで問題はないんよね
まあ血は繋がってないよねとは当時から公然と思われてたみたいだけど、豊臣家の場合秀吉が死んだ後秀頼を支える一門が誰もいなかったってのが致命的だわな
大量に豊臣量産してた秀次系を皆殺しにしちゃったから >>133
それを言うなら秀吉の弟の秀長が長生きしてたら違ってたな
秀長は秀吉と違って大名からの信頼が厚かったらしいし
秀長が秀吉より先に死んだから豊臣が狂った
あとは前田利家もだな 仮に西軍が勝利していても毛利に統率力がない、石田に人望がない以上
また戦乱の世に戻ってしまった可能性のほうがはるかに高いと思いますよ
豊臣の寿命はもっと短かったかもしれません 毛利が動かなかったのは吉川広家のせい
だから西軍が負けたのは吉川広家のせい
江戸時代は毛利本家から吉川家は冷遇された 内通してた吉川も、ここで西軍が勝っても内部でまとまらないと見越してたんだよ
そしてまだ秀忠軍等の勢力を残してる家康といずれ第二の関ヶ原が起こるのは不可避
決定的なことになる前に頭下げとくのが上策だと判断したんだな
その吉川のお陰で徳川への復讐を果たして明治政府の盟主となったわけだし >>145
その原因作ったのは托卵した淀
雌鶏無くと家滅びる
日本では豊臣家が代表例 >>144
せめて同年代のヌルハチホンタイジと比べてくれ
ちなみにヌルハチには勝てない >>141
黒田「担がれてるだけなんですよね? 知ってます。じっとしてくれたら本領安堵って家康さん言ってますからお願いします」
輝元「了解! (嘘だよ色々策謀してるよ)」
~戦後~
家康「調べれば調べるほどお前むしろノリノリだったな!(ブチギレ)」
自業自得 >>152
でも毛利家が存続できたのは吉川が全ての領地を差し出したお陰なんやで
感謝しろよ
そもそも吉川が裏切ったのは輝元がアホすぎて器じゃないのでって理由だし 七将事件や関ヶ原はあくまで豊臣家中の家臣同士の序列争い
なんだろうが、
関ヶ原後、大阪の陣までに豊臣があんなに求心力を失って
徳川に皆、付いたのは淀殿や大野兄弟がちゃんと政治してなかったからなんだろうか。 まあ一番労せず豊臣側が徳川を潰す方法は朝鮮出兵で徳川を朝鮮に送り込む事だろうな
成功する事はないから後はどうとでも料理できる 輝元は部下の嫁を強引に奪うやつだし
叔父二人にもバカ!バカ!と厳しく言われてたから
完全にどうしようもないんだよなぁ まあ仮に石田三成が勝ったとしても
それこそ秀吉のような簒奪者になってた可能性もあるわけで
幼く優秀でもなさそうな秀頼が当主という時点で豊臣は終わっとる >>157
吉川がアホだったよね
戦後の資料改竄っぷりもやらかしを抹消する必死さが伝わってくるし
毛利家を粗略にしない
↓
とは言ってたけどお前大坂で色々悪さしてたな改易するわ
↓
しゃーないな吉川にやるはずだった周防長門だけくれてやるわ
明らかに家康は最初から毛利本家を潰すつもりだったよね。吉川が余計なことしないで毛利が一致団結してりゃ東の徳川西の毛利で並び立ってた可能性はけっこう高い >>141
吉川が毛利は動かないって事で徳川と話を付けてたのに
毛利は大阪城で西軍の大将としてガッツリ指示出してたりしたって証拠が後から出てきたから仕方がない
本来なら改易モノだったけど、内通してた吉川が身を呈して徳川と交渉してあれだけで済んだんだし 主犯は秀吉だな
秀頼のためにいろいろと大名の恨みを買いすぎた
最上なんか豊臣絶対に滅ぼすってなっちゃったし
次点で人徳のなかった三成 >>161
でも大減封のときリストラ家臣のリストに涙を流しながら署名した優しき人だから、、、 >>168
大河ドラマのとき
伊達政宗も最上義光も「おのれ秀吉!」って感じだったけど
あんなふうに思ってる外様って多かったのかね 戦争ってのは始める前に段取りつけておくモンだろうと >>169
減封でも誰も解雇しなかった上杉はんと比べるとボンボンやな 秀吉は織田家後継者が定まらないのを利用して
自分が政権乗っ取った実績があるのに
自分亡き後の後継体制を整えておかなかったのが謎。
大老合議制なんて自分が清洲会議以降にやった事を考えれば
権力闘争にしかならない事は見えてただろうに。
結局、小牧長久手で家康を潰しておかなかった事や
秀次を処分した事とか不満を溜めた朝鮮の役とか秀吉自身の失策
が大老達に付け入る隙を与えたんでないか。 >>170
最上は15歳の最愛の娘を秀吉に殺された
秀次が嫁にくれってしつこく言ってきたから仕方なく嫁に出したら輿入れの最中に秀次が切腹させられて一族郎党巻き添えで一緒に殺された
最上は秀吉に助命嘆願したけど間に合わなかった 鶴松が早逝してなければ
秀頼が産まれなければ
秀頼にちんこついてなければ >>167
これで改易された長宗我部ほんとかわいそう >>176
しかも殺した後も畜生塚って頭おかしいことやってるからな
死んだ後も辱めるんだからそらガチギレするだろうよ
某コラ見たく最上「ば〜〜っかじゃねえの!?」だろうよ もし大坂夏の陣で幸村が家康のクビとってたら徳川幕府崩壊した? 家康潰しとけばってよく言われるけど豊臣政権自体が大大名の寄合所帯みたいなもんだからしょうがない つーか東軍もあくまで豊臣家のためというのが建前だからな >>182
既に秀忠が将軍だったし戦の大勢には影響なく大阪城が落ちただろうから江戸幕府が揺らぐほどの影響はなかったんでないか >>159
家康は朝廷から征夷大将軍の地位と政権運営権を得てる
武士は朝廷(あるいはその代理者)から官位をもらって成立してる役職
どれだけ武力があるかとかはあまり意味がない
豊臣の場合は関白を秀吉が得た事で摂家を筆頭とする貴族からも恨みを買ってた可能性もある
家康はさっさと関白の地位を摂家に返してたし >>184
建前は天皇の為じゃないのどっちも
後から負けたほうが賊軍にされるわけだが 秀次コロコロした時点で豊臣の天下か終わることは運命づけられてたよ >>185
信長実子だった豊臣秀勝が長生きしてそのまま天下人を継いでたら割と全部丸く収まってた感じはある ぶっちゃけ秀頼が産まれなければ何の問題もなかったよな そもそも秀忠遅延してたのになんで関が原を通過しようとしたんだろ
しかもなんで三成らはそれを迂回してまで通せんぼしたん
行軍中に後ろから襲ったら良かったのでは >>187
朝廷なんて実力者に捨てられないように後付けで権威を与えてるだけだよ
朝廷が認めないと天下人になれないというわけではない
家康は関ヶ原後に秀吉の国割りをほぼ全面的にひっくり返して徳川の国割りをやり遂げてしまった。その時点で豊臣の天下は実質終わってる >>174
秀吉が家康の事を律義者だと常日頃評してたように
自らに下った後の家康の事は心底信頼してた可能性がある まぁ秀吉は部下としては優秀だったけどトップの器ではなかった >>192
小早川が後方で暴れはじめたので
あわてて小早川攻めをしたところを
家康が追撃した説がある
そうなると色々府に落ちると思う >>192
それただの正面決戦やん
戦う場所選べるなら有利な地形を陣取ってから戦うだろ ぶっちゃけ家康も東北の大名に旗印として祭り上げられてるでしょ
最上筆頭に秀次の件で東北大名ほどブチ切れてる感じ
伊達も駒姫の従兄弟同士だからな
家康だけなんとかすればいいって感じじゃないわ こう考えるとやっぱり戦術、戦略共に戦国最強は秀吉だな
家康も結局自然死するまで待たないといけなかった
毛利、明智、柴田、徳川、長曾我部、島津、北条辺りのオールスターズ相手に全て勝ち抜き自分で片付けてるわけだし 戦う前から半数が調略にかけられてる時点で...
秀吉存命中に謀叛の疑いをかけて潰しとくべきだった >>187
摂家筆頭たる近衛が信長に征夷大将軍と合わせて
公家の役職の関白や太政大臣を打診したって噂もあったようだが
やっぱ、実際に貴族の最高冠位に就かれたら豊臣に恨みあったんかな。粗暴なサルめみたいな そもそも小早川隆景が嫡男作ってれば乗っ取られてない >>192
家康の作戦勝ちというか上手さというか、やはり野戦が得意なんだろう
三方原の逆をやったとか言われるけど
家康的には通せんぼでも背後から襲撃でもどっちでもよかったんじゃないか >>210
その場合毛利本家の養子にねじ込まれてた可能性があるんだよなあ 三成じゃ無理って言うけど
三成以外立たないから三成だった訳で
戦う前から負けてるよ西軍 >>210
側室持たなかったらしいけど
どっちに原因があったんだろうね
吉川広家が一人増えるだけでさしたる影響も無かった気はするけど >>213
まあ三成は貧乏くじだと思う
戦う前に勝負はついてる >>209
わざわざどうでもいい京極討伐に行かせちゃったんだよ
あんな城適当に抑えだけおいておいて立花宗茂と小早川秀包を関ヶ原に動員出来れば大分違ったと思うんだよね >>206
天下の先を描けてなかったわな
>>207
成田って凡人に負けたわけだしな。 まぁ家康がやったことを秀頼もやったらよかったな
家康と秀頼なら家康の方が先に死ぬわけだし
死んでから秀忠か家光に決戦を挑めばよかった >>216
まあ、それを言ったら秀忠のことがあるから東軍もだいぶやらかしてはいるんだよな >>153
吉川は過去の所領の配分の問題で石田三成を恨んでたんだよ
石田三成なんかに協力したくないってのがデカい 父親の吉川元春からして秀吉を快く思ってなかったみたいな話あるよね >>219
そもそも家康も決戦1発で総取り出来ちゃうとは思ってなかったっぽいけどねえ
北関東の防備も固めさせてるし秀忠も元々は信濃を固めるのが目的で、本拠地関東の守備を固める動きを見せているからね >>214
隆景は美少年だった
若い頃大内義隆(ガチホモ)に小姓として仕えた >>210
元々秀吉は毛利本家に押し付けようとしてたのを隆景が本家を守るために小早川で引き受けたって流れじゃなかったっけ
秀吉はその前に毛利の九州への国替えも打診しててこれも隆景の小早川家で被ってたはず >>23
最近は小早川は始めから家康側だと双方に認知されていたということになってる
そもそも松尾山城に陣取ってた西軍を追い出してあの場所に着陣してるからな 名将直江兼続、最上を制圧することすらできず
宇都宮で待ち受ける猛将結城秀康を失望させる >>228
終戦後に小早川は裏切ったことを死ぬほど馬鹿にされて病んで死んだとかだし最初から西軍説はどうだろうな >>231
何をもって最初とするかじゃない?
伏見城攻めてた頃は西軍松尾山占拠した時点では東軍 >>226
山口にいたのは長兄の隆元じゃなかったっけ
隆景はわりと早くに小早川をついで三原とかあの辺にいたような >>228
小早川は戦いが始まってもなかなか動かなかったので日和ってたのは間違いない
双方から怪しいとは思われてたがどっちに付くか決めたのは当日だろう >>231
単にガキの頃からの大酒飲みが原因だったって説もある 光秀が夜襲の提案突っぱねて島津の機嫌損ねて島津最後まで動かず
やる気なかった訳じゃない長曾我部を内応してた吉川と同じ配置にして巻き添えで動けず
2万以上の毛利本体を大阪城に置いて参加させず
全部クリアなら余裕で勝っただろうし毛利本体だけでも多分勝ったと思う 信長の野望の西軍勝ちルート
毛利輝元出陣をさせる→宗家が戦闘に参加することで毛利秀元も空弁当をぶん投げる
こちらの戦線が崩壊する前に敵部隊を一部でも敗走させる→小早川が日和って東軍に突撃する
秀忠が間に合った場合も同じく西進してた真田昌幸が逆に西軍退き口を脅かしすという
もっとif見てみたかった 岐阜城をソッコーで抜かれた段階で詰んでた説強いな
つまり織田秀信が悪い 石田三成じゃなくて宇喜多秀家が統率してたら西軍が勝ってた 献策が退けられヘソ曲げて本戦は静観
勝敗が決した所で大量の犠牲者を出しながら敵中突破
かっこいいみたいに言われるけど
かなりのガイジだよね 小早川は裏切りではなく最初から東軍だし、三成ら西軍は小早川が陣する松尾山の前に陣取ってたんだよな。で午前中には壊滅して敗戦とあっけない戦だった。今の陣系図は明治になって陸軍が根拠無しに決めた物で笹尾山に布陣とか最初の善戦は捏造。 毛利本家が大馬鹿なのは間違いない
大阪城に篭ってただけならただの馬鹿だったが
関ヶ原本戦に全く関係ない四国に侵攻して全く大局が見えてない
結局この私戦を徳川に咎められて改易されて吉川家が本家を救うと言う馬鹿みたいな流れになる 宇喜多の横に毛利本体いて並んで攻めれば多分家康の首飛んでたよな
西軍ー東軍ーーーー毛利分家吉川、長束安国寺、長曾我部みたいな配置だから退路無かった 毛利輝元は小早川隆景からどうしようもないボンクラだと言われてたし
安倍晋三みたいな馬鹿だったんだろうな
こんなのが総大将では勝てる戦も勝てん >>239
宇喜多家中もろくに統率できてない時点でお察し 結局毛利輝元は何がしたかったんだ?
祖父や叔父全員に馬鹿にされた人生 >>238
織田って信長と信長の親父は評価高いけど
それ以降って秀吉に政権奪われたりダメな一族のイメージ まあそもそも発端となった上杉直江も何したいのかよくわからなかったしな
あそこまでやるなら江戸まで攻めてけよ >>195
遺言で家康に秀頼のことを頼むとあるからな
秀吉の誤算は家康が諸葛亮みたいな忠義者ではなく極悪な簒奪者だったということ お前らなんでそんなに詳しいの?
石田三成と徳川家康しか知らんわ >>239
秀家はノブヤボでも能力低いし大した実績はないぞ 布陣みた限りでは西軍の勝利は揺るがない構図らしいな
それでも負けたのは烏合の衆ってこういうことを言うんだろうか チラ読みだけど家康は徳川包囲網に反発しただけで最初から天下を狙ったわけではないって本にかいてた 石田三成襲撃事件、つまり秀吉死後半年の時点で
既に東軍の主力武将はほぼ引き抜かれてたし
西軍の調略もかなり進んでたと見るべき
やはり殺すなら秀吉存命中だったな 宇喜多の本体は明石だし他の侍大将も有能揃いだから後詰があったらもっとやれた
イキり福島とかボコボコにされてたからな >>251
初めて買ったPS2ソフトが決戦だったから 日本の歴史は天皇の歴史だけど東西云々は関係あるの? >>249
NHKの歴史探偵によれば
直江状は後世の捏造で
実際には「街づくりしてるか上洛はちょっと待って」って返事したら
「いいや待たない」って家康達が進軍してきて大慌てしたってのが真相らしい
どっちにしろとっとと恭順した前田利長に比べるとアホだけど >>246
あれも家康にグチャグチャにされたんよな
まあ秀吉が宇喜多に押し込んだのが宇喜多家中では気に入らない勢力がいたのはたしかだが、裁定した家康がわざと反秀家派に甘々な裁定をして火種を残し続けたから >>258
西軍プレイで裏切り組を最前線に配置しとくと、なし崩し的に戦ってくれるゲームか
秀頼や金伍が単騎駆してくれるバカゲーでもあった記憶 >>245
小早川隆景「こいつバカだわ」
吉川元春「こいつバカだわ」
豊臣秀吉「小早川隆景のバーター」
吉川広家「こいつバカだから俺が何とかしないと」 >>248
息子たちの中では有能だった長男が本能寺の変で後追いで死んでしまったからな 毛利隊を前線付近に移動させる
小早川隊に裏切らない様に目付をつけておく
吉川隊に早目に弁当を食わせておく 戦国板にあった「関ヶ原で家康が西軍に寝返ったらどうなったの?」ってスレ草生えた >>248
確かに信長と争った織田一族や
信長の兄弟に子息合わせても有能と言えるヤツはほぼいないな >>267
だから弁当食ってたのは毛利秀元隊だって何度言わせるんだ >>252
寿命は長いから…
なお信之より先に死ぬしそもそも天草や光國にはどうしても 決戦の明石全登ダンス好きだったわ
決戦だと関ヶ原の戦いで西軍を勝たせることもできたし大坂の陣で秀頼を勝たせることも出来た まあ家康は根性あるよね手当してるとはいえ挟撃の形で中央で負ければ退路もなかった
押されてる時に山降りて前進して尻たたいて押し込んだしな
バイクで大垣の方から古戦場巡りしたけど俺なら本陣あそこにできずに負けたと思う >>266
お家騒動を防ぐために子供の内から後継者信忠で一本化して他の一門には信忠の部下として徹底的に仕込んでたからな
結果として信忠も欠いた織田家はそれぞれの系統が団結することなく各々独自に家の存続を図って秀吉に天下を奪われるけど、団結しなかったことで家が現代まで残ったとも言える 決戦しない
持久戦になれば佐竹が江戸に突っ込んで終わる 小早川隆景、前田利家、羽柴秀長
こいつらが生きてたら勝てたかもしれんが
でも島津義弘、立花宗茂、大谷吉継、真田昌幸がいても勝てなかったからなあ
何をしても無理だったんだろう >>167
どう考えても毛利だよな
小早川なんかきっかけにしか過ぎん 宇喜多秀家ってもう帰ってもいいぞって言われたけど敢えて八丈島に残ったんじゃなかったっけ
かなりの長生きだし晩年は釣り三昧で楽しかったんかね >>275
天下取る気がなかったら法で禁止されてた無断の政略結婚をしないよね
秀吉が死んだ途端家康は簒奪するために無法者になった
家康が品行方正だったら関ヶ原の戦い自体がなく豊臣政権が続いてた あと小早川が本当にアホだったのかは疑問
勝った側がいくらでも捏造できるしスケープゴートは必要だった >>276
まあ信行とかと骨肉の跡目争いした教訓だろうな
おかげで信忠が一緒に死んでしまってボロボロになったが 毛利の消極戦法も家康の調略の結果なのだから
家康を倒せるのは秀吉だけだったと思うぞ
信長秀吉武田信玄らと戦ってきた家康とボンボン達では勝負にならない >>275
家康ってわりと博打打ちというか
勝負所では躊躇なく攻めに出てくる感じではあるな
大坂攻めだって、もっと後ろにいたってよかったわけで 秀吉に育ててもらった恩がある黒田長政、加藤清正、福島正則が三成憎しで東軍にいったのも致命的だったな
三成が秀吉から人たらしの技術を学んでたら西軍が勝ってたかもしれん 毛利が出ないからとか
毛利がビビってるからとか
戦犯毛利とか言うけど
所領安堵の約束で手抜き試合やるって
とっくに調略済みだったから
家康に反故にされたけどw 毛利なんて田舎猿は潰しておけばよかった
残すなら完全に小早川に移行 毛利なんて幕末もそうせい公の御飾りで何もしなかったんだからさっさと潰して置けば良かったのにな 隆元さえ長生きしていれば毛利も一枚岩だった
つまり尼子が悪い 戦いっていうのは始まる前から結果自体は出てる。
それを確実なものにするための作業が戦い。
だから負けた側が勝つルートっていうのは基本的に存在しない。
そしてそれとは別に戦いでは焦った側が負ける。
三成くんは焦りすぎた。我慢出来ない子は何やっても成功できない。
そういう意味でも三成くんが勝つルートっていうのは存在してない。
待っていれば家康はいずれ死ぬのだから彼が死んだ後で好きなだけ暴れれば良かった。
中途半端に優秀な人っていうのはその中途半端な優秀さ故に異常なレベルの傲慢さを手に入れるから待つことができなくなる。
そしてそれが死を招く。
今起きてる戦争でも焦ってる側がずっと負けてるでしょ?
あれだって焦らないでどっしり構えて対応してればもっと違う状況になってるのよ?
殺し合いの状況下ではアドレナリンとか出ちゃうから普段冷静な人でも焦りがちになるのだけど、そこで焦ってはいけないわけよ。
人と同じことしてる限り人と同じ存在にしかなれない。
人と違うことする相手には絶対に勝てないの。
逆に言うなら相手を焦らせることができればどんな戦いにも勝てるんだわ。
家康や秀吉はそれの達人だったのよ。
絶対に焦らない上に相手焦らせる達人に絶対に焦る人間が挑めば当然負けるわけ。
何かに焦るんじゃなくて何かで人を焦らせる人間になりなよ、そうすれば成功できるから。 >>108
MVPは大津城関ヶ原前日落城だからな。京極が早い段階で折れてあれなかったらどうなったんだろうね。 >>29
お爺ちゃんじゃなく?
まあお父さんも優秀だったみたいだけど >>70
>>72
もう読書感想文に取り掛かってるんだ。偉いね☺ 普通に山の上に陣取っていた毛利勢が背後を付けば勝てただろ
殲滅させないまでも初戦で勝っとけば全然違っただろ 薩摩は内乱が酷すぎて関ヶ原どころじゃなかったって話だしな 小早川と吉川が性格悪いから元就爺がいないとダメなんだわ 家康は五大老の中で一番めんどくさいポジションになっていたからわざわざ戦いたい奴なんていなかった
失脚した石田が再起を図った戦いに過ぎず誰も本気で関わりたくない
そして秀吉子飼いの武将たちの母親ともいうべき北政所が家康側に着いた時点でガチでやる気があるのは家康派で戦う勢力がほとんどとなった
豊臣政権内において家康罰すべしより石田死ねの総意が勝った 家康を東軍に引き込めていたら多分勝ってただろ(適当 家康も最初は鎌倉幕府みたいに
形だけ豊臣をトップに据えて徳川が執権として実験を握るってなもんだっただろうに
反徳川を一つにまとめてやっつけられるって本当三成は余計なことしたな >>299
今起きてる戦争でずっと負けてる側ってどっちだよ
長文書いてる癖にビビりが見えるな >>299
小早川の裏切りは事前工作あったとは言え
かなりギリギリの所だったろ
戦場で三成有利に動いていれば多分裏切らなかった 徳川側は負けても豊臣勢の家臣が壊滅するだけだし政治的な動き強かったな
秀忠の遅参も佐竹とかの反乱対策に中間地点に置いてた事に対するカバーストーリーだったのかと思うわ 家康が晩年に方広寺の鐘名文にキレて豊臣追いつめたのは加齢の影響もあるんだろうか そもそも総力戦なんて無かったんやろ
小早川は最初から東軍で大谷壊滅させてから黒田と合流して石田壊滅させて終わり
家康が来たのは終わってから >>317
淀殿が徳川に臣従しなかったので
徳川は豊臣を滅ぼすしか無かった
淀殿が暗殺されていて秀頼が臣従していれば
多分九州か東北に飛ばされて豊臣家は存続していただろう 秀忠も石田も将軍や大軍の将の割に戦功が無いよなぁ。 信長の野望新生だと石田がもろ豊臣所属で
関ヶ原が豊臣vs徳川になってる
つくったやつ馬鹿でしょ
あくまで豊臣内部の勢力争いなのに
家康が秀頼に反乱起こしてる 三成は人望と言うよりお金がなかったらしいな。
矢銭に困ってた。
あまり多くない石高を自領の発展の為に注ぎ込む人で領民からは大層、慕われてたが、調略とか兵を集める資金に困ってたそうな。
国守や管理職としてとても優秀でも戦とか政局には向いてない人が大軍の将をやってしまった。 >>228
流石に西軍の認知は無いだろ
あんな布陣して敵方だったらまず西軍が攻撃しなきゃ >>308
もう読書感想文に取り掛かってるんだ。偉いね☺ 小早川が裏切り者のクズ扱いされてるけど
前田利長も
西軍の招集をドタキャンした裏切り者だよな
前田軍がちゃんと関ヶ原で戦っていれば
西軍が勝ってたと思う
まぁ、前田家の家訓は『織田家に仕えよ』だから
豊臣に義理立てすることも無いんだろうけど そんな昔のこと諦めろよまず信長があんな形で死んでんだから
夢のまた夢だ 1日で終わったんだから烏合の衆じゃどうもこうもないよね 毛利両川
の
毛利本家+2つが両方ともやる気なかった結果wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 家康は石高で秀頼すら上回ってたし
毛利上杉の倍以上
誰が主君の器か武将達は分かっていたのだ >>313
小早川なんて関ヶ原前から勝手に味方のはずの
西軍を追い払って松尾山に布陣したり
完全に西軍の指揮系統外れてるよ
戦が始まって速攻で大谷軍攻めて壊滅させて
あっという間に終わったって説のが説得力あるレベル もっというと豊臣秀次を残して、朝鮮出兵がなければ勝てた
つまり秀吉の傲慢さがすべての元凶なので秀吉を否定しなければいけなかった >>167
この布陣図って本当なのかね?
家康の立場からしたら毛利の気が変わったら完全に終わりじゃん
壊滅的に負ける じゃあとかどうすればとか
そんなこと考えるからダメなんだよ 桑名沖に戦艦大和と武蔵を配置
家康の着陣を待ち両艦から桃配山を標的に一斉射を行う
毎分36発の46cm三式弾を家康本陣に間断なく浴びせる 布陣は問題なかったんか?毛利軍を小早川の後ろぐらいに置けば 前田利家って秀吉の友達だから西軍と思ってたけど東軍なのか
それなのになんで外様大名にされたんだ? >>343
利家は死んでいて息子の代
息子も最初から恭順していたわけではないので
母親であるまつが活躍したので大河ドラマになった >>343
利家は関ヶ原の前に死んでる
息子の利長が家督を継いだが家康の政治力の前に上手く立ち回れず母親を江戸に人質に送る羽目になっている
譜代大名は関ヶ原より前から徳川に仕えてた大名なので関ヶ原以後の前田家は外様 >>346
第2次上田合戦が起こらないなら、秀忠ではなく家康が指揮する徳川軍主力と戦うハメになる
真田は真田で戦ってて凄い大事な役目果たしたんだよ >>327
三法師が美濃で奮戦してるのにガン無視してたよね? 毛利元就の3本の矢は全部不良品だったよね
3本まとめてもバキッと折れた >>329
本当の天下を分けた決戦は小牧長久手の戦いだわな
半年以上続いて、絶長期の秀吉の大軍を退けた家康に三成が勝てる訳が無い
この戦いで実質的に徳川の天下は決まった もっと大坂城近辺でゆっくり戦えば途中で仲裁が入って和平になったんじゃない >>352
全然決まってないだろ
家康は降伏したわけだしその後反秀吉勢力はどんどん減って行き秀吉は再び家康を討伐する予定だった
が大地震が起きて断念(なかったら徳川は滅亡していただろう)
そして家康は完全に秀吉の臣下になるわけで(だから関東行きを拒否できなかった) >>354
城持ち大名が一つ物理的に消滅するくらいだったからな。そりゃ厭戦気分になるわな。 子供の頃から人質として過ごし戦場を駆け回ってたおっさんにただの茶坊主が勝てるわけないやん >>351
つうか三家とも元就の息子から代替わりしてるし
輝元は元就存命時からこらやべえって心配されてた器だし
小早川は本家の毛利の跡取りに秀吉からやべーの押し付けられそうになったから
自分のとこに身代わりで引き取ったのだし
吉川は実質二代目の元春の長男が早死にして次男とはいえ既に3代目だし
元就死んでから30年近く経ってるんだからそりゃ経年劣化もしますわ 大河で小早川隆景を鶴見辰吾が演じた時は嬉しかったな
鶴見辰吾はどんな役でも演じきる良い俳優だぜ
小沢仁志が最近の若い俳優はダサいヤクザ役をダサく演じきれない、半端者と嘆いてたけど、鶴見辰吾思って言ってると思うわ 西軍というか豊臣の天下が目標なら三成たちがどうにか立ち回って10年後くらいに秀頼が一か八か西軍の総大将として戦うしかないだろ
17、8歳くらいで
秀吉が死んだ時点でほぼ詰んでるよ
武田家の勝頼みたいな信勝までのつなぎの役割できる駒もいないし 秀頼の中身が清の康熙帝だったら
家康倒せるだろうけど 関ヶ原は詰みなんだから、関ヶ原を起こさないのが正解なんだよ
調べるほど家康の怖さが浮き彫りになるだけよ
三成と兼続の挟み撃ち作戦見抜いた上で乗って叩き潰したってだけだ 織田秀信が岐阜城で籠城を選んで粘ってれば、秀忠が到着する前に立花宗茂たちが合流してもう少し有利に戦えてたと思う。
というか西軍は兵を散らしすぎたよな。 >>176
酷いよなこれ
女子供39人も三条河原で処刑したんだろ
駒姫なんて、まだ秀次にあったことすらなかったとか
あまりにむごいわ >>366
堅城で定評がある岐阜城で籠城して消耗させて
当初両軍が想定していた尾張決戦になってれば
西軍有利だったって説の人は結構いるね 江守徹の石田三成ほんと好き
あれ見ると西軍勝って欲しくなるほど好き 成り上りの豊臣のために死ぬ気のあるやつなんているわけないだろ
織田信長が治めてるほうがその後は良かった気はする。
部下は楽じゃないだろうが。 >>368
有利どころか後続が川越えしないといけない東軍側が圧倒的に不利になる
待ち構える西軍が鶴翼の陣で東軍の先にやってきていた福島、黒田らを4倍以上の数で撃退できれば東軍方についた大名の半分は風見鶏やろ 吉川広家の謀を事前に察知して自国に帰らせる
立花宗茂を大津城に関わらせない
この2つだけで相当変わるわな
もしかして関ケ原のMVPって京極高次じゃないのか…? よく馬鹿にされてる毛利輝元だけど割とマジでワンチャン天下狙ってたと思う。
当時の輝元の状況で
・負けた時に絶対にお家取り潰しは避けたい→自分は出陣せず代理を出した
・でもあわよくば天下獲りたい→ガチの腹心の吉川に戦況次第で突撃しろと命令しそれまでは動くなと厳命
・情報を精査するとどうも東軍有利、というか西軍からの裏切りも濃厚→情報を掴んでたからこそ吉川は動かず、戦後吉川が輝元からお咎めなしなのがその証拠
以上のように考えると輝元の行動は実に合理的で野心家で結果は負けたけれどお家取り潰しは免れたから凄いと思う
戦後吉川が輝元のお家取り潰し免除を嘆願したのも家康を始め東軍連中から吉川の心証良い情報入手済だからプロレスで計算済だし。
そんなバカな!って思う人はじゃあ東軍勝利濃厚なあの状況でどうすれば輝元は勝てたのか、かつ負けても助かる道があったのか考えてみてほしい >>378
領地大幅に削られたんだから只の馬鹿じゃん >>378
おめーがケツから家康叩いとけば西軍の勝ち確やろ
何天下分け目で他力本願やってんだよw >>380
麓にいた長宗我部と合力して側面と背面から突撃してたらまあ家康本陣は総崩れの立ち位置やからな
ただその合戦で家康に勝ってもその後西軍というか毛利有利に豊臣が動くかどうかは分からん
なんせ家康は淀から信任されて上杉征伐に行ってて伊達最上は家康方
そして温存されている秀忠本軍と結城秀康の関東留守軍がおる
家康に恩義を感じている大名は多数で輝元に恩義を感じていて関ヶ原後も豊臣、家康と対立してでも輝元に付こうと思う大名が一門以外にどれだけいたかは相当怪しい
豊臣と縁戚なのは徳川だし小早川とはほとんど縁が切れてるし九州、四国への野心見せたからその辺りの大名とは上手くいかないのは確定やしな 三成が輝元と秀頼連れてきて関ヶ原横断して家康を問い詰めればワンチャンあったなw >>382
三成と大谷が謀反を企ててるようだから急ぎ上洛せよって
淀殿から家康に書状が出てるように、関ヶ原の段階では淀殿に家康を排除するような意志はない
秀頼を三成の道具にさせるなんて事は淀殿が許しはしない >>377
吉川以外の毛利の宿老も大抵は徳川方じゃなかったかな 豊臣政権続けようが、徳川になり代わろうが他の大名にはもう天下の目は無いんだから勝てる方に付くだけでしょ
毛利が徳川に対抗できる勢力なら全く話が変わる
豊臣の為じゃなく毛利政権の為に動いたろうよ >>385
それだと輝元と秀元がバカみたいじゃないですかぁ あくまで豊臣政権内部の権力闘争なんだよね関ヶ原は
だから秀頼(淀殿)は出て来ない
でもこの結果家康が事実上日本のトップみたいなもんになり大坂の陣へ 戦後いろいろバレて改易されそうな輝元を庇っての吉川広家の起請文より:
この度のことは輝元の本意ではありません。
輝元が心底人間が練れてなく分別がないのは、各々ご存知のことではないですか。
輝元は今後、家康様に忠節を尽くしますから、どうかどうか毛利の名字を残して下さい。 秀頼関係無いのに戦後に豊臣の力が大きく後退したのはどういう理屈なの そら関ヶ原メインで戦ったのは豊臣小飼の武将同士だからな
そっから家康に人材持ってかれたりしてるし >>390
所詮秀頼は御輿だから
担ぎ上げる人間次第ってことを理解してなかったし
その気のある人間もいなかった
現代で天皇が権威が落ちてるのも同じ理由 >>390
豊臣恩顧の武将なんて言われてるが
そいつらは秀吉に仕えていたのであって
豊臣家に仕えていた訳では無かったという事 関ケ原起きなかったら一応家康が豊臣政権の実権握るとはいえ完全一強にはならず
成長した秀頼と家康亡き後の徳川のゴタゴタでまあ揉めてるやろな >>66
東軍の伊達と最上が後方にいたから追撃は難しかったと思う
やはりテルのバカさ加減が全て
家康にまんまと騙されて領地没収とかアホとしか言いようがない >>393
家康はその反省からすぐに秀忠に将軍職譲って
過去にどれだけ貢献した者でも徳川家に全面服従しない奴は粛清したからな >>389
これテルには分別が無いとか言ってるけどお前はどうなんだって話だよな
家康に忠節尽くすなら家康の家臣になれよ >>394
ただね
既に家康が死んで徳川の長が家康でなければ、豊臣が滅亡するような事はすぐにはなかったと思うよ
それは家康の性格がどうこうではなくて
あんなチャンスがあれば一番戦力を持ってる戦国大名なら天下を狙うのが当たり前って意味で
だから、俺は豊臣滅亡の戦犯は三成だと考えてる
三成が挙兵して関ヶ原が起きてなかったら、少なくともすぐに豊臣が滅亡する事はなかったしね
後世からすると、徳川の後の行動から三成の挙兵を豊臣の為とか忠義の視点で見てしまいがちだが
三成の行動は中央から左遷された権力者が自身の復権の為に周囲を、果ては守るはずだった本家を巻き込んだだけだし
豊臣が滅亡した一番の戦犯は三成だと思うけど、後顧の憂いって意味で
秀吉は自分に自信があり過ぎたのか家康を信頼しきってたのか、徳川の処遇には疑問もあるし
秀吉の周りの連中は秀吉の威光が死後も通じると過信し過ぎてたな 秀吉は自分が似たような手法で織田家を屈服させたのに秀頼が成人まで豊臣の天下が続くと思ってたとは思えないな
秀吉自身が丹羽長秀や蒲生氏郷なんかに才能に見合った大領を与えたけど息子はその器量になしって没収してるし、領土の世襲をあまり重視してなかったのかも
自分も三法師(織田秀信)に岐阜城と中納言の官職を与えてそれなりに遇したし、徳川の順番になるのはしょうがないけど家康も豊臣家を粗略にしないでねぐらいの気持ちだったのかも 秀吉は晩年に徳川と島津が外国勢力と組んで怪しい動きしてたのが発覚したりしてるから心から家康を信じてたってのはあり得ないんだよね
それでも豊臣政権の東国運営に徳川が不可欠なパーツだったのと他の大名も大して信用してなかったってってことかな 安国寺恵瓊が処刑されたのはなんでなん?武将でもないのに。大老の宇喜多秀家でさえ流罪で済んだのに >>399
徳川については、秀吉は秀頼と千姫との子供に賭けてたのかもしれんね
千姫との間に男子が生まれてれば例え大阪の陣があったとしても
流石に家康でも曾孫を殺すのは難しかっただろうし
秀頼と千姫に子供ができないように色々画策したのが淀殿だったって話もあるが
それが本当なら、そっちの面でも家康にとって都合が良かったな >>402
大老は清華相当の家格
血統重視の日本では清華家の人間が処刑されることはない
石田も小西も安国寺も才はあったけどその分敵も多かった。この機会に殺してしまえっていう力が働いたんだろう
安国寺の場合は吉川のプッシュだろうね 戦犯は吉川広家と福原広俊だろ
輝元は第三位くらいよ >>407
大統領である秀吉が死んだら
時期大統領候補の舅であり、首相と最大与党の党首を兼ねてたみたいなのが家康だわな
誰が政治的に潰せるっていうんだか…
実際、逆に政治的に潰されたのが関ヶ原前の三成だったり、前田利長だったり >>404
まあそれで秀吉政権の中枢になるはずだった池田輝政も立場悪くなって五奉行が幅を利かせる流れになったからな
もっと言うと小田原征伐後にまず秀吉が亡くなって秀長が存命
これで朝鮮出兵はなくなり秀長、家康、利家後見による秀次関白就任
ここで五大老に徳川、毛利、前田、宇喜多、池田輝政に据える
一門宗筆頭大名は秀長、次席秀秋として秀長から秀秋への一門筆頭引き継ぎ準備もする
浅野を外戚筆頭の位置に据えて終身奉行職
木下を外戚次席に据えてこれも終身奉行
一門、外戚以外の奉行は奉行畑の家を奉行職家として徳川の老中職と同じ体制を作る
結局徳川が史実でやった権力の継承システムを豊臣政権がきっちりやって、タイミング見計らって外様は難癖付けて減封して力を削いでいかないとどうにもならんかったと思う 結果論だが北条を滅ぼさないで北条と手を組んで徳川攻めた方が良かったな >>278
小早川隆景はともかく、利家、秀長が生きていたらそもそも関ヶ原は起きていなかった。特に秀長がいたら誰も逆らえない。 五大老合議なんて自分が清洲会議でやった事考えれば
秀頼が三法師にされかねないのは目に見えてたし政治に疎いのに出たがりの淀殿が上手く立ち回れないのも分かってたと思うんだがなぁ >>396
秀吉だって関白を譲っただろう。秀頼が生まれなければ豊臣は安泰だったよ。 >>411
秀長も晩年秀吉と金銭問題とかでトラブって距離置かれてたしそんな良い関係じゃなかったんよね
ホント豊臣滅亡の引き金はほとんど秀吉自身が引いてると言っても過言では無い >>414
結局城主、平時の大名くらいの器でしかなかったんだろうな >>414
豊臣一族が謎すぎてな
その辺に関する史料がもし出て来たらそれで秀吉の身内に対するスタンスも分かってくるかもしれない
秀吉が父親のことに一切触れないし父方の親戚というのが一切出て来ないとか、父違いの弟秀長と秀吉がなぜこんなに優秀なのかとか >>414
そうなのか?
多少あっても、不動の二番手と思っていたが。 >>417
もし見つかれば歴史が文字通りひっくり返るだろうが、
結局戦国期の農民に関しては詳しい文字資料は期待できないってことなんだろうな。 毛利輝元って大坂の陣の時も
家臣を大坂に入城させて
戦後ビッグモーターみたいな弁明してなかったっけ
何やってんだろうね本当に >>417
母のなかにしても
秀長やあさひ以外にも種違いの弟や妹がいて
秀吉がわざわざ探してまで殺してるのも含めて闇が深い家系やね >>421
自称弟については半分天一坊と思えなくもないが、尾張で貧しい暮らしの異父姉妹を呼び出して処刑は残虐だね。
病気で暇を出された侍女が結婚して、私結婚したんですって秀吉に挨拶に行ったら処刑されたって話も何かで見たなあ。 これ見た目は派手だけど実際は調略引抜コマンド連打の寝返り外交ゲーだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています