曹操の子。母は環氏。曹拠、曹宇の兄。鄧哀王。
【演義】記述なし。
【正史】年少期から聡明で理解力に優れていた。202年、孫権から象が献上された際、群臣の中で1人だけ象の重さの量り方を考案し、曹操を喜ばせた(象を船に乗せ、水面が来た所に印を付け、象を降ろした後に同じ印の所まで石を積み、石の総重量を量る)。判断力、仁愛の情を曹操から愛されていたが、13歳で病没。名医の華佗を処刑したことを曹操に後悔させた。曹丕も「倉舒が生きていたら後継者になれなかった」と漏らしている。
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