”源義経”過大評価筆頭武将ってマジ? [606275763]
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
兵庫県出身の漫画家:大川ぶくぶ氏のイラストを起用した「加東市謎解きラリー~義経からの挑戦状!~」開催中【2023年9月30日(土)まで】
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000084.000020633.html ペルソナ5ではそこそこ使える仲魔
特にバフかけてからの八艘飛びがエグい 判官びいきという言葉の由来だし過大評価されてるに決まってますやん 同情票なんだからそういう指摘は当たらない
判官贔屓って言葉わかるか? チンギスハンになったとかいうのは過大評価すぎる。
そこまでビッグな奴だったら、頼朝ごときに負けてない。 ただのバーサーカーで武将じゃないんじゃね
ちょっと強い兵隊 >>35
この辺りはほんとショーもない
異世界転生レベル チンギスとか言ってるやつ
韓国人の起源説とか在日認定と同じでこっちまで恥ずかしいからやめてね 楠木正成もそうだけど非業の死を遂げたから神格化されてる感あるよな
まぁ本当に強ければ秀吉みたいに天下とってただろうし過大評価とか言われるのも仕方ない ワンパターンな鵜飼い攻撃しか戦術がない時代の人ですから 義経四天王は、
奥州藤原氏家臣2名と盗賊の頭と京都で無差別殺人してたキチガイ僧兵 血を見るの好きでゴロつきはみ出し者集めて愚連隊みたいなの組んでたり
そりゃ兄貴も見限るよな怖すぎる 武将としては優秀だったんじゃないのか
天皇側に騙されただけで政治力は無かった 平家追討で派手な奇襲攻撃を何度も成功させたことは有名であるよねw 鵯越の逆落しとかw >>49
乱世なんだから別にいいだろ
プリゴジンみたいなもんだよ弁慶なんて 誰もが軍事の天才とは認めるけど
御家人たちに手柄を譲れないから頼朝に潰された 壇ノ浦の戦いの総大将は源範頼だしな
義経の奇襲や非戦闘員殺しのせいで重要目的の安徳天皇と三種の神器の奪還に失敗したという見方も多い 平家追討を成功させた将軍として凱旋し、栄光の絶頂から一転反逆者として追討される身になるという波乱の生涯は英雄伝説となって後世に伝わったわけであるねw >>36
奥州藤原
関東頼朝
甲信越義仲
西日本平家
ぐらいで割れて固定化してたんじゃね 確実に分かってる史料で考える過大評価はぶっちぎりで織田信長と徳川家康 脳筋で兄ちゃんの指示を全然きかなかったらしいよね
三種の神器の剣も沈めちゃったしねぇ 当時の大将クラスの武将は血筋だけ有ればいいただの神輿
実際の実力者は家臣団の中や監察にいる 義経が過大評価というより頼朝が過小評価されてるのでは?
凄い義経を犬のように追い込んでなぶり殺しにしたんだから 芸能の祖磯禅師の娘が静で、身内の不幸話をネタにした作品群が産まれる
やがて出雲阿国を祖とする歌舞伎が義経関連の作品群を取り上げ過大評価に拍車をかける事になる 義経のイケイケな気質を伝える挿話として逆櫓論争は有名であるねw 義経も諸々の英雄伝説に見を包まれているよねw 橋弁慶や仁王立ち伝説で知られる義経の従者弁慶の存在もほぼ伝説だしw 一の谷の奇襲も逆櫓の論も伝説じゃないかと言われるが事実の可能性も否定できないわけで、楠木正成同様にその存在は事実と伝説の間で朦朧としているといえようw 戦果あげて頼朝にとって邪魔な存在になるまでは本当なんだから過大ってほど変な評価でもないだろ 過大評価どころか、ただの愚将なのに名将扱いされてる
一谷も屋島も壇ノ浦も完全にまぐれ勝ちだし宇治川は数で勝っただけ
知盛が兵士の全権を握ってたらボロ負けだった まーたこれかw
有能とされる過去の人間を過大評価だと言い出す例の奴w
諸葛孔明は全然凄く無い!とか大好きだもんなお前らw 血の気が多くて脳筋で頭が弱いけど権力あるって昔ほど手がつけられなさそうね 長いものに巻かれろの日本人でも、判官びいきという
言葉もあるし 犯罪者集めて嫁はキャバ嬢
喧嘩になったら卑怯な技使うヤベー奴 大義名分を糞真面目に実行しちゃったアスペみたいな奴だよね
結果>>58だからどうしようもない >>72
それ言ってるのはにわかもいい所の素人だよ
諸葛孔明は演技の活躍とは少し違うけど史実でも三国志随一の傑物
義経は普通にゴミ >>71
歴史なんて結果がすべてだろ勝てばいいんだよ >>65
ぶっちゃけ戦指揮以外は頼朝バケモノだろ
ローマで言うオクタウィアヌスみたいな感じの
既存の官職積み重ねたら何故か独立した新しい政治形態が出来ました、みたいな 頼朝も好物は鮭とばだったりこの時代の武士の兵糧しょぼすぎだろ絶対転生したくない 滅ぼした大名
信長・・・今川、斎藤、朝倉、浅井、足利、三好、松永、北畠、畠山、武田
秀吉・・・明智、柴田、北条
家康・・・豊臣(秀頼)
武田、上杉、伊達・・・特になし
信長以外は過大評価 >>75
鎌倉殿の13人ではそのへんのヤカラ感ちゃんと匂わせてたな >>78
名将ではないよね
結果が全てとかいうんならそれ学問じゃないよ
義経は客観的に見て明らかにゴミ
梶原景時が正しい 新説()で上げ下げしないと歴史家()や雑誌やアフィカスがおまんま食い上げだからな >>78
もしもなんてないしな
大昔の勝者に対してあんなのまぐれ勝ちだ!とかアホすぎるわな 栄養状態悪いのに八艘跳びなんか出来んの?
脚色だろ
じゃなきゃみんな人間やめてるメンタル >>83
山本権兵衛も言ってただろ
東郷選んだ理由は「運が強い」からって
運がいい、というのは物凄いプラスポイントだし
嵐の中四国に漕ぎ出して屋島奇襲出来るぐらいには
これが平家倒したあとはその運がからっきしなくなって
逆に逃げる途中嵐でちりじりになるんだけど 戦術級で優れていても名将扱いされない
評価されるのはマクロ視点が持てる戦略家だ 江戸時代には多くの判官者が作られたわけで、これも義経伝説を彩る多くの物語の一部であるといえようw 代表的なのは勧進帳であるねw 逃げてチンギス・ハーンになったんだぞ
この過大評価笑えるだろ 梶原景時は真面目な御家人であり、頼朝は有能な政治家であったが、伝説の中では景時は嫉妬に狂った極悪人であり、頼朝は義経の栄華を妬んだ陰険な復讐鬼とされているねw 実際はビッグモーターのコナン君みたいな感じだったとか 義経が栄光の絶頂へと一瞬でかけあがり、そのあと直ぐに破滅へと転落するという放物線を描く障害のパターンは、楠木正成と共通しているといえようw 頼朝や景時がみんなで手柄立てられるように入念に計画立てて持ち場割当ててたのに
義経はそれ無視して抜け駆けして手柄独り占めするから
誰も義経に付いていく御家人は居ないのでした…… >>90
神器を奪還するのが先
で一乗谷の時は交渉中に義経が勝手に突っ込んだという説がある
梶原景時がブチ切れて当然 >>35
日本人「源義経は大陸に渡ってチンギスハンになった!」
これモンゴル人笑うらしいな 飢饉の中遠征して平家ぶっ殺したんだから稀代の将軍だろ 義経は同時代人が戦術・戦略に優れた大将軍と評価してたんで愚将ではない
後白河院というキチガイに関わってしまったために破滅しただけ 倶利伽羅峠の木曽義仲と、一ノ谷、屋島、壇ノ浦の義経は出来の悪いなろうレベル 虎の巻持ってたから知らない人いっぱいだろうからその分強かったと思う 戦に勝つだけじゃ駄目なんだよな
誰に手柄を立てさせるとかそういうことのほうが大事 >>100
後白河院に煮湯を飲まされたと言えば 崇徳さんもそうだな
非常に問題が多いと思う ちなみに義経公には菩提寺がない筈 父義朝も大したことないヤツだからね
頼朝が凄いからぶら下がりで弟義経も肉付けされて一廉の人物になってるだけ >>98
チンギスハーンが英雄扱いなのはモンゴルと日本くらい。
北方の野蛮な殺戮者、東方からやってきた悪魔くらいに思われてる。
フン族のアッティラ大王とか混同されてたりするし てか全力で集めて郎党数百人とかの時代に
勝ち馬に乗りに来ただけの数千数万の夷を、個人が戦術なんてもの発揮出来るほどに御せる訳もないんだよね
あの時代の名将なんてのは全員嘘っぱち、正味勢いだけだろ
精々が武勇に優った猛将ってとこ 事前に双方で合戦の日時を話し合って決めて行う時代に奇襲かけまくってたらしいやん
当時の感覚からいうと卑怯者 >>107
いや割と中央アジアならどこでも崇めてるけど?
基本ウズベクはティムール崇拝強めだけど、西部はチンギス原理の名残りでこっちのが強い
但し当時からフトバは上げられなかったので、銅像やら石碑の数は負けてる
まあ全体的に中央アジアでチンギスの逍遥があるのは事実
意外なところでは北インドの一部ではムガルからの流れでチンギス裔を顕彰する石碑とかがいまでもあるとか >>109
保元の乱・平治の乱から夜襲奇襲かけたもん勝ちよ 粛清当時は難しかったろうが
のちに義顕(義経)にあやかった名付けを
摂家将軍ですらしてたくらいだから、
頼朝政権側の文献に残されている以上に凄まじかった、というのが実際のところだと思うよ >>112
負けりゃ物理的に首と胴切り離されて晒されるんだから四の五の言ってらんねえわな
それでもルールは守るべきだ派もそりゃいたんだろうけど
そんなこといってるぬるいやつは結局死ぬだけという世の中だし 頼朝が陰険なイメージなのは、やはり平家の幼児や静御前の赤ん坊を命令して殺させたせいだろうねえw 義経にはそういうイメージないからねw だから一般大衆には人気で、平泉に観光行くと義経推しがすごいよねw >>116
そうだっけ?聞いたことないなw 非戦闘員の漕ぎ手を射ろ!という命令出したのがどっかで非難されてた記憶はあるがw
手塚治虫はそれまでの純真な英雄義経のイメージをひっくり返して、徹底的な悪党に描いたりしたよねw 都落ちした平家の残党がいるかもしれないと
京近辺の民家住人ごと火をかけたり
屋島で与一が扇に矢を当てたあと
それを称えて舞う平家側の武士を殺せと命じてたり
結構人の心の機微が分からないタイプではなかろうか 逆に水夫を射たことは別に非難はされてないというか
特に明記すらされてない
だいたい矢を弾幕のように範囲内に飽和攻撃する中
同じ船に乗ってる人間を
一々あれは武士、あれは水夫と狙ってるのだろうか 源義経は宇治川の戦いの折に河原の家が邪魔だと焼き討ちさせたけど
戦場で非情なのは大将として優れているからだと賞賛されてるよ
甘ったれた温情で次々裏切られた平宗盛はとことんバカにされてる hasso-beat
昨年は大河にアニメに活躍したなこの人 この時代の権力者の兄弟はそれぞれ神輿に担がれて殺し合うのが当たり前で
平家滅亡後に用済みとなった義経が殺されないためには
家臣・郎党を捨てて出家遁世するか
頼朝に潰されないだけの力をつけるしかなかったんじゃないかと
そのために後白河に後ろ盾を求めたんだけど
後白河は義経のことを権力闘争の駒としか見てなくて頼朝に睨まれとすぐに見捨ててしまった >>123
平氏自体がその反証になってるけどね
内部での葛藤や火種はいろいろ指摘されてきたようにあったけど、一門は最後まで結束していた。苦境でそれを示した平氏はすごいよ >>124
清盛一門に関しては子女の婚姻を通じての摂関家や院近臣との血縁ネットワークが力の源泉ってのもあったし
清盛死後の後白河の切り崩しで六波羅も福原も失った流浪の身で
一門以外頼れるものが無くなったというのもある
でも当時には珍しく兄弟仲が良かったのも確かなようですね >>124
平氏っていうか平家はそうだけど
院宣下ってるし、官位も尽く停止
今更中央貴族を本家に国司に抗う荘園の下司に戻るのは無理でしょう
急速に台頭して外戚にまで収まった平家が従来の荘園公領制に逆コースなんて
団結というか、もう集団自害の勢いだったのでは 平家物語を見た後「やっぱ源氏ってクズだわ」
鎌倉殿の13人を見た後「やっぱ源氏ってクズだわ」 どの資料を見ても戦神扱いされてるから強さは本物
人物像についてはバラバラ なんちゃらの逆落としとか常人には思いつかないだろ
ドイツのロンメル将軍並の発想力 はるか後世の関ケ原辺りでも戦争の実態はほとんどわかってないんだし義経の時代なんて創作&創作だろうな 論功行賞のために合戦の記録を取ってるからそんなにデタラメということもないよ
源義経は宇治川の戦いの時に櫓の上に登って紙と筆を持って味方を鼓舞したと平家物語原本に書かれてる
手柄は全て記録して頼朝に届けるから励めってことやね 日本の武士が戦場で名乗りを上げるのも、論功行賞を受けて、より多くの恩賞をもらうためだったしねw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています