「ロシア兵と刺し違える覚悟」 ウクライナに渡った日本人義勇兵が戦地で見たもの

ロシアの侵攻を受けるウクライナ側に立って戦う外国人義勇兵だった日本人男性が、上毛新聞の取材に応じた。「ロシア兵と刺し違える覚悟だった」。そう話す男性はなぜ戦地へ向かい、何を見たのか。

 男性は本多右弦さん(50代)=仮名。7月中旬に帰国し、現在は群馬県前橋市で暮らす。穏やかな風貌と話しぶりは、兵士という言葉のイメージとは結び付かない。

単身キーウへ

 5月下旬、ポーランド経由でウクライナに単身入国した。荷物はスーツケースとバッグ一つ。事前に都内の住居は引き払い、日本には戻らないつもりだった。

国境からバスで首都キーウ(キエフ)に入り、ウクライナ外務省や軍の基地を訪ねて義勇兵の志願者だと伝えた。だが、「ここは窓口ではない」などと受け付けてもらえず、困り果てた矢先、宿泊先で偶然出会った日本人のジャーナリストが、日本人義勇兵の男性と引き合わせてくれたという。

各国から志願

 この男性が所属していたのは義勇兵の部隊「ジョージア軍団」。男性が上官に話を付け、本多さんは部隊に加わった。キーウ市内の拠点で1週間ほど過ごし、さらに別の基地へ移動した。

 兵士の大半が、ロシアと領土問題を抱えるジョージアから志願した人たち。本多さんは日本人以外に、米国や英国、スペイン出身の兵士にも会ったという。

 基地では大勢の兵士が戦闘訓練を受け、本多さんは主に基地での警戒任務などに当たった。大部屋で寝泊まりし、食事は支給される肉や豆の缶詰、パンなど。数日おきに空襲警報が鳴り、爆発音がたびたび響く環境だったが、「大変な状況の中でも、街に出るとウクライナの人たちは明るく、たくましく生きていた」。義勇兵と分かると、市民から深く感謝されたことも印象に残っている。

なぜ戦地へ

 日本政府はウクライナ全土に退避勧告を出し、渡航を止めるよう呼びかけている。危険を承知で、なぜ戦地に向かったのか。

 インフラ関係の技術者として働いていた本多さんは2年ほど前に病を患い、退職を余儀なくされた。当初、病状は重く、死を意識する日が続いたという。「自分の命を何かに役立てたい」。そんな思いを抱いているときに起きたのがロシアによるウクライナ侵攻だった。

 「ウクライナ人のために命を使えるなら、無駄死にではないと思った」。戦地に渡ることを決心し、病気から回復したタイミングでの渡航を決めたという。

https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/321143