【急募】豊臣秀頼「豊臣家を存続させる方法🥺」 [616817505]
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ふつうに国替えと人質のんどきゃよかったろ
あんなプライドだけの強欲ババアに屈したのが間違い 国替えして千葉県の大名に収まってれば良かったんだよ 全国の浪人に声かけて難攻不落の大阪城に籠もれば楽勝やろ
タヌキも内心では秀頼を恐れてるはず 大阪城に引きこもってると、じきに家安が死ぬ
淀殿が大砲に驚いて、講話して、堀を埋められたのが敗因 大坂城から隧道を通って脱出して鹿児島でのうのうと生きてんじゃんよ、秀頼の末裔は 小田原城を落とした秀吉の子供が大阪城に引きこもるなんてちょっと面白いよね 徳川家とも豊臣家とも縁戚関係にあってあれだし外交的に解決するのは無理な話だった 家康「『国家安康 君臣豊楽』……?とんでもねぇ鐘銘だなぁこれぇ!?」
家康「もしかしたら・・(五山僧の空気を確認)」
月渓和尚「それに近い」
林羅漢「ほぼそれに近い」
五山僧「まあまあまあまあ」
家康「これは た、い、へ、ん な 鐘銘ですよねぇええ(上擦った声で)」
五山僧「意図があるとすれば、という言い方はしてた」
林羅漢「一応保険はかけてらした」
家康「でもね、向こうから言ってるしね。ちょっとこれ大変なことだなぁ」
秀忠「だから! 秀頼さんというか だから! 豊臣家は小さくなるんですよ!」
家康「とんでもねぇ話だなぁこれぇ!?」
林羅漢「私は清韓にチャンスを与えた訳でしてね…」
秀忠「いやぁ!それを見事に蹴っ飛ばしましたね!」
家康「こんなの!許される訳ねぇに!決まってんだろ!」
林羅漢「これはもう間違いなく戦になりますね。 そして”徳川に責任はない”はずです。私は牽制球を投げましたから」
秀忠「いやいや!徳川の責任では全然ないですよ!福島さんの全責任です!」
林羅漢「びっくりしましたね」
家康&秀忠「びっくりした!」
家康「いや!これはとんでもない事ですよ! とんでもないなぁ!」 格式的には豊臣家のほうが上だったから今川みたいに武家やめて貴族として生きる道はあった 淀殿を江戸に送って素直に大和郡山に移ればよかった
ただそれだけの話 おっ?タイムトラベル行くんか?
豊臣家に取り入って黄金でもごっそり現代に持ち帰るんか? 大阪城捨てて東北の隅っこあたりに領地貰って小大名になっていれば存続出来たかも >>15
え?父親の名前もよくわからない百姓の家柄じゃねーかよ >>20
大和郡山に移るように促されたのを無視したからな 転封を受け入れるか一か八か畿内を制圧して天皇から徳川家討伐の勅命を受けるべきだった 臣従姿勢貫いとけば織田みたいに子孫残せたかもしれんけど
所詮何やっても家康にいちゃもん付けられて潰されてた気はするよな 樽に隠れて水路で脱出
って言うか豊臣秀吉からあんなデカいのが生まれるわけないから豊富家じゃねーだろ 生き延びるだけなら実はなんぼでもチャンスあったよね
家康は割と寛容に見える
まあ実際はどうだったか分からんけどさ >>25
猪熊事件とかおよつ御寮人事件見る限り
もうそんな力は朝廷にはない >>24
秀頼は死んでも大名家としての豊臣は残る。
徳川家から養子受け入れて跡取りにすれば血は徳川家になっても豊臣家は残るし まぁとりあえずやるかやられるかよな
少なくとも家康が天下取ったら次の代で潰される 浪人を全員開放して大和に引っ込めば助かったろ
プライドか知らんが自業自得だわ >>26
家康は、というか最高権力者は評判気にするから秀吉が三法師を大事にしたのに家康は秀頼を殺したと言われる様なことは出来ればしたくなかっただろう 秀吉も淀のNTRと誰の子かわからない秀頼育てて跡取りにしなくちゃいけなくて脳みそパーン >>30
ぶっちゃけ改易されても存続はできるわな
生涯島流にされても宇喜多秀家みたいに子孫が島で大繁栄したケースもある 秀頼に切腹を命じたのは秀頼で家康は秀頼に判断を投げている 自分の義理の叔父に攻め滅ぼされる関白とかどういう動きすればそうなるんだよ逆に >>33
それだけで解決できるとは思わないが利用価値はまだあったろ
少なくとも味方の士気は上がる
まぁでも結局のところ秀頼が足利尊氏とか楠木正成のような軍略に優れた武将では無かったことが根本的な敗因なんだよな >>14
コピペにあれだけど
唐突な福島さんでくすっと来た 木下家は残ったから...
散々迷惑かけた北政所の実家の血筋だから秀吉も本望だろう 織田家はなんだかんだで幕末まで存続したそうだし、無害な存在になるか血は徳川にして実施徳川の分家にすれば家は残せたのでは >>44
士気が上がっても仕方ない
寄せ集め浪人衆が正規軍に勝てるはずもない せっかく大坂抑えてたんだから京行って家康追討令出させろ >>1
信長の野望の最新作は夏の陣勝利のIFシナリオがあってクソ面白いぞ
勝利後も徳川は巨大だが、真田幸村や明石全登が頑張って天下統一まで行けなくもないw 秀吉生存時から徳川とも親戚関係だから外交的に解決するのは無理で結局詰んでるんだよな
豊臣家にとっては秀頼が生まれてしまった事が最大の失敗だった >>52
徳川方も所詮は諸侯の寄せ集めなんだが😅
現代的な正規軍なんて無い時代っての分かってないんだな
頭悪そう 出が良くなくて譜代の家臣ってのも存在しない豊臣にとって自分の権力の象徴だった大坂を捨てるっていうのはキャリア全部捨てるって事と同じだからそこから出ていくという選択肢は無いんだわ
そこが居城を転々としながらも経済的基盤の尾張はガッチリ固めてた織田や三河武士団を抱えてた徳川なんかとの大きな違いかもしれん 徳川に全部差し出して家臣になる
秀頼だけ切腹すりゃ存続はいけるんじゃね 種無し秀吉が全部悪い
家康とか11男5女もいるのに 家康は孫の千姫に懇願されて助命してもいいかなってちょっと思ったけど
秀忠の方が絶対に許さないみたいのなかったっけ
葵徳川3代だっけっか >>64
二条城で会見したときに家康が危機感もった程度には有能 成人した時点で既にどうしようもないほどの状況になってたんだから
徳川家に恭順を示して大阪からの国替えも受け入れ犬になるしかない
江と千姫居るし
子供でも出来たら徳川の血筋でもあるからな
ワンチャンなんとかお家も存続できたかもな 淀が豊臣家を滅ぼすための最適ムーブしてるからあいつをなんとかしないと無理だろ
あいつ秀吉が嫌いで復讐でやってるだろ 大坂を退去して
大和か伊勢への転封を受け入れるか
公家になる
淀君は江戸に居住
それでも家光の代で取り潰される可能性はあるけど >>64
いやむしろ内政向きの教養ある大名だった
ただの池沼なら戦うまでもない >>14
最後の福島が改変ミスなのか?
それとも福島正則のことなのか? >>59
大坂の陣の時点で家康だけで10万人以上の兵を動員できたし
他の大名も関ヶ原の戦いで家康からたんまり恩賞貰って御恩と奉公関係は出来上がっていて、もう江戸幕府軍は盤石だったんすよ
浪人衆は誰の上につくとか下につくとか面子が邪魔して統率がねえんだわ 何もかも秀吉が種無しだったのが悪い
譜代が居ないからせめて自分の親族くらいはしっかり固めなきゃいけないのに子供は全然居ないわ関白の後継ぎ殺すわ
赤ん坊の秀頼残したまま家康に摂政任せて死ぬわ
こんなの簒奪してくれと言ってるようなもんだろ
中国でも実権握った高官が幼少の皇族擁立して簒奪なんて定番中の定番コースやんけ ただの池沼ならむしろおだててほっとくよな
勝手にオウンゴールして自滅するから
そういう改易騒動いくらでもある 朝鮮出兵にあたり、親しかった醍醐寺の義演に、秀吉が護摩祈祷を頼んだところ、出兵中に秀吉が病死して終戦となった
秀吉の意図通りではないだろうが、一定の効果はあったのではないか
秀次とその係累をぶっ殺してabちゃんのように因果応報ルートを招くのではなく
代わりにお家存続の祈祷でも頼んで満足しておれば、秀吉の意図通りの形でなくとも、天の配剤で豊臣家は続いたのではないか
秀吉なき後の豊臣家は、存続可能性がそれなりにあったようにも見える、のに滅びた 1大名に落ちたとしても、謀反の疑いとかで改易させられたでしょ。
切腹エンドかな。 家康は何が何でも秀忠を殺す気だったと思うから無理だろうね
やるなら大阪城も立場も捨てて浮浪して生きるしかなかった >>74
時の足利将軍が実子居ないから弟に継がすことを決めたら男子が生まれて急遽弟は中継ぎに変更にしたんだけどその後どうなったでしょうか? 漫画にもなったセンゴク家は昭和47年で毒男だったのでお家断絶
ここで生き延びても未来永劫続くもんでもない 転封したとしても豊臣家はネームバリューあるからいずれ潰されたんじゃないの >>40
島では好き放題ヤリ放題だったんだろうなあ
妬ましい
宇喜多秀家許すまじ >>75
毛利元就のひ孫にあたる家臣をこっそり大阪城内に入れたもん 秀吉は醍醐寺と高野山に寄進しても、その前に徳川方の根来寺と戦争してるので、そうなる経緯からして、因果応報を前提とするなら、天はその時点で既に家康に味方していたようには見える 秀頼って誰の種なん?
そいつが豊臣滅ぼしたようなもんだろ >>89
それを言ったら喜連川だってネームバリューあるし >>72
数が多かったから勝てただけで徳川方も統率は乱れてただろ
下知を待たずに勝手気ままに突撃した話は有名だぞ?
何も知らんなら黙っててな😅 秀頼って大坂の陣のときもう20歳すぎでしょ
名のある戦国武将の20歳頃の活躍ぶりと比べれば普通に無能でしょ 普通に関ヶ原で事前の工作含め全力出すしかなかった
ミッドウェ−の後にどうすれば良かったかとか言ってるのに等しい 豊臣家に関しては存続させる方法が山のようにあったのを
淀殿が悉く潰してあの状況に陥っただけだろ >>95
浪人衆なんてもっと纏まりが無かったんやで
大名が国人衆を束ねるのはただでさえ大変なのに
浪人束ねるのなんかもっと困難と分かるね? 強いていえば早期の淀殿暗殺が豊臣家を存続させる方法では? >>99
無理だよ
秀頼が成人していたならまだしもあの時点の茶々にそんな力はない 関ヶ原は天下分け目という割に
大阪の陣まで15年あるけど何やってたの? 上杉は毛利も 大名として残したし
今川と北条も 少大名として残った
豊臣家も残るチャンスは十分あった >>108
さすがにそのまま攻め込めば東軍の豊臣恩顧の大名が敵に回るでしょ >>84
弟やから揉めた
血統変更じゃない兄弟継承の時に兄に実子誕生したら普通は跡を継いだ弟の養子に入れる
そして秀次は嫁方の甥で立場が違う
これは血統が変わる継承になるんで秀次は何と言われようと秀頼が元服するまでの中継ぎが正解
秀次の取り巻きの池田らをそのまま秀頼の大老にしつつ秀頼による抜擢を受けた大名をそれに交えて緩やかな政権引き継いをやるのがソフトランディングやったと思うで >>107
あるよ
豊臣家が石田三成を全力で支援してたら徳川家滅ぼせた 大和への移封を受け入れて
千姫との間に子供作って淀と一緒に江戸へ人質に出す
あとは徐々に貴族化していくしかなかったやろな 淀殿が政治を決めて 秀頼はただのお飾り だったのに
秀頼が全ての責任を押し付けられて かわいそうだな >>25
朝廷工作は徳川側に今川氏真が居る以上無理でしょ
アイツ舐められ過ぎだけど、家康の天下取りの影のMVPやぞ >>108
豊臣政権に近い大名の減封や大阪城からの退去とか
一方で幕府を開いた徳川家への人質を求めたり天下普請の下知を出すことで政権は豊臣から徳川に移っているという事実を知らしめていた
だからこそ大坂の陣への招集に全国の大名が従った >>112
三成なんて誰も付いてこないから毛利が総大将になったんだが >>105
いや軍の統率に関してはどっちもどっちだわ
味方に向かって発砲とか城攻めなのに下知を待たずに勝手に攻撃とか普通にありえんからな 何で豊臣家は関ヶ原の戦いの後、220万石から60万石まで減らされてるの?
関ヶ原の戦いまでは豊臣家のほうが上でしょ? >>118
よほどのクズだったんだろうな三成
歴史上であそこまで人望のない人間はなかなかいない 関ヶ原の西軍の黒幕は 毛利で
石田三成はただのスケープゴート だろう >>119
ここでも散々出てるが徳川はむしろ何度も救済案出してる >>14
これ好きw
茶坊主どものクズっぷりも良く出てる いちばんセックスしてたのは松の丸殿らしいよな
元人妻なのに懐妊しなかった >>127
毛利は毛利でバラバラだったからな
不運が多すぎた >>111
秀吉が死んでしまったら秀次にとって秀頼は邪魔になるんだよ
秀吉が死んでしまってたら誰も止められない
そこまで読んでるから秀吉は粛清した
戦国時代ってのは家督継承を巡っての戦争が非常に多い >>123
東軍も西軍も豊臣軍として戦い
勝った東軍が正豊臣軍で西軍が偽豊臣軍として認められた
豊臣軍が逆臣に勝ったんだから豊臣家が恩賞として領地を与えるのが当然 公家になって退く、国替えに応じる
なにより外に出て世の流れを知る >>124
人望じゃなくて石高や戦績が足りない
毛利は説明するまでもない中国の雄だけど、三成は秀吉の子飼いに過ぎないし 抗うには小さすぎ
従うには大きすぎ
まあ無理
琉球にこっそり逃れるぐらいか アホの淀殿の墓は、太融寺という、大阪駅からほど近い、梅田の高野派の寺にある
【大阪梅田】太融寺へ行ってきた【大阪の寺院】2020年7月23日
https://chikuhobby.com/tera/taiyuj/ 家康は敵にも優しかったから
武田の家臣や今川も許してやった
豊臣家も土下座すれば十分に生き残れたろうに 生命乞いして真田ゆかりの信州あたりの一大名としてしぶとく残る >>127
毛利と上杉と秀吉の子飼いが反家康でまとまったのが関ヶ原の戦い 豊臣恩顧で五大老固められなかったのが敗因だろ
元々敵対してた徳川を入れちゃダメだった >>137
福島正則やら加藤清正やら池田輝政あたりはどう考えても三成嫌いだったから東軍に属したんだわ >>123
220万石の大部分は豊臣家の直轄領ではない
戦功に応じて渡す土地がプールされてただけ 石田三成が勝ったところで
結局三成に滅ぼされてたかもしれない
忠臣とかいうけど野心のない奴が寺の小坊主から大名にまでならない
天下泰平のために大坂城の秀頼はどうにかしなくてはならなかった >>123
豊臣家は、関東にどかんとでかい領土のある徳川と違って、飛び地の領土が多く、削られやすかった >>144
入れなきゃ入れないでその時点で敵対するも同然じゃん >>145
三成嫌いってのも家康側に付くための大義名分作りな気もするけどねぇ
あの時代の武士なら秀吉が死んだらまた戦国時代再開って読んでただろうし >>150
福島正則はマジもんの豊臣家の忠臣だったけど三成が嫌いすぎてやむを得ず徳川についたんやで >>144
もし毛利、上杉、宇喜多を豊臣恩顧というなら徳川も豊臣恩顧だよ 毛利家が全部悪いからな
総大将の癖に三成に全部押し付けて
部下スジの吉川と小早川もうまく使えずに
真っ先に逃げ出した 関ヶ原前だと毛利上杉前田宇喜多が手を組めば徳川の石高上回ってたからな 当面、豊臣家を存続させるだけなら
「秀次を殺さない」「秀頼を豊臣家当主にするのを諦める」で終わり
秀次の子供達が豊臣家の後継者になるのを
秀吉が許さなかったのが対立の原因だからな 石田三成 なんかどう見てもスケープゴートにされた
かわいそうな 弱者男性だよ >>157
秀吉は朝鮮出兵なんかせずに適当に理由つけて徳川を滅ぼすべきだったわな 家康に莫大な領地を与えたのは普通にアホだったと思うな
前田家に用地を与えてれば安泰だったのに >>9
援軍のない籠城戦では希望はないでしょ
堀を埋められた時点で実質的には降伏したようなもの >>163
石高を減らす大義名分がないから仕方ないわな 豊臣家の直轄地の兵を使えれば普通に家康に対抗できたのにひよるから >>164
お堀の役割を軽んじて負けた秀頼
大坂の陣(豊臣家の失敗)
https://business.ntt-east.co.jp/content/keieilab/history04.html
大坂城は10万の兵が10年籠っても戦えるように、設計されていた。
唯一、力攻めに弱いと見なされた城の南東にも、真田信繁の守る真田丸が築かれ、12月4日、前田利常(金沢120万石)勢がここへ押し寄せたが、手痛い反撃にあい、攻城方は多数の死傷者を出している。
同月16日、家康はかねて準備していた大筒で、一斉砲撃を開始させたが、大坂城を多少損傷することはあっても、落城させるまでにはいたらず、逆に、城内からの砲撃も激しく、将兵の損傷は寄せ手に多く出た。
このあたりから、家康方に焦燥感がただよい始める。
なにしろこの年の冬は殊の外、寒気が厳しかった。
特に74歳の家康にとって、10月以来の出陣の月日は長く、寒気はその身に堪(こた)えたことであろう。
家康は大坂城の難攻不落を、秀吉より聞かされていた。
当初から講和にもっていく腹づもりであったが、大坂方はこの大切な“徹底籠城”の戦略を、秀吉亡きあと忘却してしまった。
危機管理が徹底されていなかったのだ。 嫁は家康の子なんだから
苗字徳川にして家康の養子に入ればワンチャン
領地は返上して大阪出て僻地に10万石弱くらいの大名としてなら >>168
人心が離れるような事をした秀吉が悪いわな 秀頼が物心ついて以降の話だとすると
淀殿を軟禁した後、家康に臣従する地方大名になるしかないだろ
家康なら巧妙に弱体化させてくるだろうが
自分からまな板の鯉になる以外ないわ >>156
プリゴジンみたいなムーブだったな
戦わんなら最初から大阪城占拠するなよって話だわ >>144
毎度、思うんだが「豊臣恩顧」の概念は
「豊臣に恩があるのに裏切ったやつら!」と
後年の関西人が批判するために作られた概念だと思う
秀吉自身が「織田恩顧」なのに織田を裏切ったことは
特に問題にしない関西人が捏造した概念だと思う
当時の武将達は裏切りが常識の戦国大名達なんだから
そんなに恩には縛られないだろう
当時的にも主家を裏切るのは悪いことだが
主家以外の大名では、そんなに重罪には考えない
それは主家を裏切った秀吉や家康が大名達に支持されたことでも明らか 秀頼が正室千姫(徳川秀忠の娘)との間に男児を誕生させて世継ぎとした上で家康を後見人にする
これで徳川側から攻められることは絶対ない >>163
秀吉は「近畿の地方政権」を目指していて
統一政権にはこだわりがなかったらしい
家康に限らず、信雄、輝元、景勝にも
「近畿から遠ざける増封」をした・しようとした
「増封に釣られて、田舎に行ってくれるなら良い」と
考えていたみたいだ
秀吉以前は近畿の地方政権のトップを
「天下人」と言っていた時代が長かったから、
ある意味、当たり前なんだが >>9
眞田幸村の進言を受け入れて瀬田・宇治川の橋を落とし、京都を焼き払って東軍の進軍を阻めば勝っていた >>9
ジャップの城って大砲に弱すぎるよな
なんで大阪城攻めまで誰も使わなかったんだろう おめーが前線で督励するとか
講話して堀埋められるとか
大将の意見聞かねーから負けたんだよ
アホなんか? >>167
>大坂城は10万の兵が10年籠っても戦えるように、設計されていた。
一体何を根拠に言ってるのか分からんが
11月19日に開戦した大阪の冬の陣が12月16日に和議だからな
一か月ももっていない
食料はもっても、弾薬が尽きるとか
長期の籠城戦に耐えられるようになってなかったんだろう 小牧長久手が全てでしょ
あそこで兵を引かなかったら徳川の世はなかった
かもしれない 堀埋めさせなけりゃ普通に勝てたんじゃないの
少なくとも冷戦に持ち込めただろ 講和するくらいなら、最初から家康に頭下げて国替でいい
国替は拒否した上で、講和して堀を埋められてから、丸裸の大阪城で戦う謎判断 秀頼の遺骨が大阪城で見つかったらしいけど、本物なんだろか
秀吉の遺骨と併せてDNA鑑定やってほしいな >>182
大友宗麟がポルトガルに依頼して毛利方の門司城を大砲で攻撃してる
そもそも大砲だけで城は落ちないし
威嚇の意味の方が大きい
冬の陣でも城兵を休ませないように昼夜問わず鬨の声を挙げるとかして城兵がヘトヘトに疲れたところで
本丸に向けて大砲を打ったから淀君の心を折るのに効果的だった 家康やっつけとったら今頃日本の首都は大阪だったんか よく早めに下ればというけど天下人の豊臣と今川なんかでは違うんではないか? 黒田親子が天下統一したら福岡が首都だな
そのくらい豊臣勝利のタラレバはありえない ワンチャン関白として存続するとしても大坂城捨てる位の事しないと潰されて終わるだろ >>176
いわゆる秀吉恩顧の大名たちはもとからの独立した家や国人たちでは全くなく
秀吉の領地の運営を任されていた純然たる家人だから流石に罪はあるよw
もちろん織田に対する秀吉の行動も同じで悪質な裏切りなんだけど >>192
フロイスによると日本の城は大砲に脆弱のように言ってる
「たとえ関白の城が、大砲を装備しない日本においては
もっとも鞏固なものであるにしても、
我らヨーロッパの城に比べるとはなはだ脆弱であり、
大砲四門をもってすれば半日ですべてを破壊できる…」
(完訳フロイス日本史5,2000,177p)
大阪の陣で12月16日に大砲100門で攻撃して
同日中に大阪方がほぼ降伏に近い和議を受けいれるって流れからすると
四門は誇張にしてもフロイスはそれほど間違ってなかったと思う 家臣団引き連れて太平洋に繰り出していればシアトル辺りに城建てて全米制覇出来たのにね 秀頼ってお拾いって幼名で「願掛け」で生まれたんだっけ? >>182
技術的に大砲超後進国だから
でか投石機(カタパルト)すらなかったよねほぼ 真田丸ではルソンに海外逃亡したらみたいなのあったね 1:秀次を殺さない
2:朝鮮の役に徳川を送り込む
あとなんかある? てかみんな末期の豊臣秀吉が大嫌いだったんだよ
口には出さないけど、朝鮮くんだりまで行かされてウンザリしてたのよ、はよ滅べよって 秀頼のオカンを追出せば、堀が埋められることはなかった 徳川家康は形式的には秀吉の臣下なんだろうが実際は同盟者とかそんなんだからホイホイ命令とかできんかったとおもうよ 秀次がやる気出してそのまま簒奪できなかったんかね
秀吉個人は見限って豊臣のためにとそっちについていこうと思う家臣もいただろうに そうなる前に早々に手を打った秀吉はさすがということなのだろうけど 家の存続だけなら家康の最後の提案飲んでおけばよかったろ
その後殺されるかも…云々は豊臣恩顧の武将もまだ多々いる分、直ぐには無茶なこと出来ずに沙汰に従ったのにさらに無茶なこと起こすのもなかなか難しいだろうし
んで、家康先に死ぬだろうから、あとは千姫通じて関係の良い秀忠ならそのまま名前だけは許して残したろ 自公政府がどんどん外堀内堀埋めてってるからな
お前らは大谷がんばえー
とか言ってる間に 秀吉は秀頼と千姫の縁組を頼んだし
家康は家康で約束どおり千姫を嫁がせてる
もっと遡れば秀吉は人質時代の秀康や秀忠を厚遇し
家康自身にも礼を持って接してる
秀次事件や朝鮮出兵があったにせよ
秀吉は死後も徳川との関係が悪くならないようにはしてたし
家康もハナから秀頼を潰すつもりだったわけでもない
関ヶ原後の15年間の秀頼、淀君の政治センスの無さが全て
淀君には北条政子や北の政所、芳春院(利家夫人)のような聡明さがなかった >>205
豊臣秀長と前田利家が1610年位まで元気 大阪の陣で秀頼はいい年だが関ケ原時点では幼児
当事者能力がない
だから淀殿の責任が問われるとはいえ、そういう状況を作り出したのは秀吉
荷が重いと考えなかったのか >>34
幕末には300大名家は殆ど親戚みたいになってるから
さっさと血脈諦めたら大名家としては存続したかもな
因みに豊臣氏族は滅びたと思われているが
公家の地下家に豊臣氏族が2家残っている
木工寮の官人佐野家と滝口武者の木下家 淀殿は淀殿で、醍醐の花見の際に、北政所の向こうを張ろうとして、席次争いした逸話があるなど、人格に問題があるというエピソードから叩かれているので、なおのこと秀吉の采配が問われる >>200
そら木と土で出来てるのだから大砲の打撃には弱いよ
でも打撃を与えることと城を落とすこととは別の話で
兵糧攻めみたいに城の構造物に打撃を与えずに落城させることもできる
当時の日本の攻城戦で大砲があまり使われなかったのは供給量の問題もあって有効でない、費用対効果が小さいと判断されたからで
それが>>182に対する答えじゃないかね
別にフロイスより秀吉や家康がバカだったわけじゃない 存続だけなら楽勝だろ?
卑屈になればいいだけだからw >>203
カタパルト(投石機)は応仁の乱の時に一部で使われたみたいだけど
全国的にもあまり普及してない兵器だよな >>226
実は慶喜は処刑される予定で
薩長方のバックにいたイギリスが
反対したから処刑されなかったという経緯がある
『一外交官の見た明治維新 下』(1960)
>大久保はまた…もし大君が屈服するなら
>一命は助かるかもしれないが、
>会津、桑名は首を失うことは免れまい、と考えていた
…
>(パークス)卿は西郷に向かって、
>慶喜とその一派に対して苛酷な処分、
>特に体刑をもって望むならば、
>ヨーロッパ諸国の輿論はその非を鳴らして、
>新政府の評判を傷つけることになろうと警告した。
…
>西郷は、前将軍の一命を要求するようなことはあるまいし、
>慶喜をそそのかして京都へ軍を進めさせた連中にも、
>同様に寛大な処置がとられると思うと語った。 淀君にしてみれば徳川に対する甘えみたいのもあったかもしれんね
叔父の信長と家康はずっと同盟関係にあり
妹お江は秀忠の正室で跡取りも甥の家光でほぼ確定
息子秀頼の正室は千姫
と何重にも結び付きがあったんだから
本丸が焼け落ちてなお米蔵にこもったのも
毛利も上杉も島津も許されたんだし
真田や後藤といった現場指揮官が討ち取られた今
縁戚の自分達を家康、秀忠は悪いようにしないはずみたいな 千姫との間に男の子供が居たら1万国の大名で存続出来たかも 全て石田三成が悪い
あいつのせいで秀吉に恩義を感じてた奴らが離れた
関ヶ原だって東軍の大義名分は豊臣家のため 家康が死ぬのは1616年
1615年に豊臣方が堀を埋め出したので夏の陣が起こるわけだがもう1年我慢すべきだった 20代なら反徳川勢力を内部に浸透させつつ臥薪嘗胆で耐えればよかっただけ 元々豊臣は藤原摂関家の一員なんやから、一旦そこに収まればいいのにな
どうせ家康は1616年には死ぬんだから、それから本気出しても間に合う >>239
秀吉がお公家様を目指した意図が伝わってなかったんだろうな >>233
結果的に石田三成は徳川幕藩体制に協力してしまった形だもんな
挙兵もせずに、可哀想だけど上杉は見殺しにしとくしかない
とりあえず五大老五奉行は維持しとくべきだった >>240
秀吉と近衛前久のプランは、秀吉が藤原摂関家の一員、豊臣の直轄領を源泉として天皇を支えていくっていうもので、元は農民の秀吉を貴族にすることに及び腰だった近衛前久もそれならって豊臣姓が下賜されるように動いた
その通りやっとけばね 黒田を冷遇して三成を超特別待遇にしたのがそもそもマチガイ 秀吉と利家の死後は大阪城内に家康専用の別の天守閣を建てたりやりたい放題だったから
三成が五奉行だった時点でも誰も家康の専横は止められなかったんだろ >>230
甘えと言うか、織田の人間からすりゃ家康は下の人間って意識が強かったんちゃうか
だから藤原摂関家という強みを生かさず、下っ端クソ漏らしに頭下げたくないわ!って思いが先行した >>224
幕末会津の城をアームストロング砲で1000発撃っても落ちなかったんだから
日本の攻城戦では攻城兵器自体があまり意味ないのだろうなと
城壁や門を壊して侵入路を作る目的にはありなんだろうけど >>244
超特別待遇でもないが
石高は黒田のほうがあるぞ
>>245
でも待ってりゃ死ぬし、跡目争いも起きる
その時が本気出す時 日本の城は、上に乗ってる天守閣とかは飾りみたいなもんで、本体は曲輪だぞ
城の紹介写真ではとりあえず天守閣がドーンと写るけど、天守閣は城の一部でしか無い 大砲で曲輪も破壊できるならそりゃ日本の城は大砲に弱いと言えるけど、そんな破壊力持った兵器はバンカーバスターの登場まで待つしか無い >>244
まあ家康も江戸開府後は重用してる家臣が変わるし、それは当然なのでは
政権樹立後は三成みたいに算盤をはじける家臣が重要だった
あと黒田官兵衛は別に冷遇されたわけじゃなくて中津を任されたのは信頼の証という説もあったような
司馬先生が過大評価してるだけで >>250
巨大な土塁と堀で構成される日本の城は当時のヨーロッパの大砲では攻略不能
ってジェフリー・パーカーも書いてるね >>254
治長とか三成とか言われてるけど
陰陽師(祈祷師)の可能性が高いらしい >>96
祖父譲りの180センチ100kgの体躯
母と祖母譲りの美丈夫
初見で家康が「こいつは殺さんとヤバい」と思ったほどの受け答えが出来る知性
武芸も達者で伊達政宗が「秀頼が出陣したら逃げろ」と部下に言い含めてたのは有名な話
スーパーマンのような男だが
惜しむらくはマザコンで母にすがられ最後まで出陣せず自刀した
実際秀頼出陣してたら戦況をひっくり返せた場面は何度もあったし
真田信繁(幸村)は何度か秀頼出陣の偽報で敵を追い払ってる >>257
秀頼が出陣したらヤバいってのは単に士気の問題でしょ
戦場に出たことがないんだから上杉謙信ばりの名将かどうかなんて誰にもわからない
家康のエピソードも司馬先生が飛び付いて有名にしたけど後付け臭い(あるいはリップサービス)
わかってるのは祖父の浅井長政に似た百貫デブだったということだけ
そもそも出てこなかった時点で武将としての程度は知れてる >>257
物心つく前に秀吉死んでしまったからな
淀殿も長男は自分の見てない時に死んでしまったので秀頼は自分が育てるとなってしまった >>40
大名としては改易された福島正則の福島家も旗本として明治維新を迎えてるしね >>257
大坂城からほとんど出たことすらなく政務にもほとんど携わってなかったボンボンに家康が恐れるもクソも無いやろw 徳川の時代が続いたから現代が徳川史感に侵されてるけど
家康が2年早く寿命で死んでれば普通に秀頼成人、関白で豊臣政権が続いてた
いざ戦となると諸大名は家康の武力を恐れて徳川方に付いたに過ぎない >>263
二年早くてもたいした違いはない
既に秀忠が将軍になってるし、関白の位は家康が摂家に返してるし
既に豊臣には他の大名に号令をかけるような力も権限もない
大阪の陣だって集まったのは浪人だしね
秀忠も家康との対比だと凡庸な二代目みたいに見られる事があるが
幕府の体制を盤石にしたのは彼だし、大阪の陣の時に最終的に豊臣家の滅亡を主導したのは家康よりは秀忠って言われてるほど非情でもある 簡単
帰農して名主になれば殺されなかったし今の時代富裕層で復活
大阪城を差し出し配置転換で東北か九州にいく 織田信雄や信秀が普通に秀吉の家臣になってるんだから
秀頼が家康の家臣にならないのは、単にプライドの問題だよな 織田信秀みたいに子ガチャしまくれば信長というSSRが生まれるからな
とにかく子作りが大事 >>1
秀吉が既に「豊臣家を護る」ではなく「秀頼に天下を継がせて、秀頼を護る」
の方針で
片っ端から秀次一派を殺し
小早川秀秋も排斥してるからね
どうにもならん。
でもなろうみたいに
「秀頼に生まれました」なら
単に関が原に千成瓢箪を掲げで西軍に加担すればクリア オネがそっぽ向いて子飼いの武将が秀頼になびかなかったんだろうし道は無いんじゃね >>256
三成は100%無い
大野治長は巨体も似てるし
「織田の血の後継者」にもできるんで秀吉がわざと許可した可能性もある >>272
朱元璋は正しいやつを殺してる
秀吉は間違ったやつを殺してる
「殺すべき」て意味の正しいと間違いな >>269
まあ元を正せば秀吉自身が豊臣家の体力削りまくったのが原因だよな 身長150cm弱の秀吉から180cm超えが生まれるなんて誰が信じるんだよ
恩顧が裏切りに躊躇しなかったのってそれだろ 秀頼が凡愚のフリして家康の傀儡として生きていけばワンチャンあったな
なまじ将器があったばかりに家康から警戒されて潰された 松方弘樹主演で
柳生一族の陰謀て映画あったよね
柳生十兵衛が家康を暗殺する映画だけど
最後は猿飛佐助が印を結んで宇宙に帰るラスト(笑) >>276
でも淀殿からは1人だけじゃなくて早くに死んだけどもう1人生まれてるからなあ >>275
淀殿を老いては子に従えとシバいとけば良かった 鐘名文にいちゃもんつけて大坂の陣とか老害丸出しすぎて >>279
それが、俺のカキコと何か矛盾する?
最初の実の子が死んで、焦って二人目をデッチ上げたってことでもいいし >>277
秀頼は巨漢の肥満児でずっとオカンの言いなりで大坂城引きこもったまま生涯を終えたのにどこに将器があったんだよw
ボンボン通り越してガチ引きこもりレベルの人生やで >>279
その1人目の鶴松も秀吉の実子なのか怪しいよね 徳川の世で豊臣って家を残すのはなかなか難しい面があるけど
秀頼の血を残すのは割と簡単なんだよね
血を残したいなら千姫との間に子を成せば良かったんだから
仮に男の子が生まれたとして、家康にとっては曾孫、秀忠にとっては初孫になるはずで
大阪の陣で秀頼が処罰されたとしても、千姫の子までは徳川も殺せるはずもない
秀頼が死んだとして豊臣を継ぐんじゃなくて、いずれ松平を名乗る事にはなるだろうが
秀頼が太閤の血を本当に継いでるのかはともかく、名目上でも秀吉の血は残せた
豊臣を潰すとすればこれが家康のウイークポイントにもなったはずで
これをやらなかった、できなかった時点で豊臣家はマヌケ
これについては淀殿が千姫に秀頼の子ができないように色々画策してたって説もあるし >>269
自身がかつて主君の織田家を清洲会議で引っ掻き回して潰した自覚があるから、後継者が多すぎると良くないと考えたんだろうか
本人としては関ヶ原のような頭目争いを回避したい一心だったのかも 千姫孕ませなかったあたりからして危機感足りてないよな
文治派と武断派の融和を必死にやらなかったことも無能
秀頼は若かったから仕方ないとして、淀の力不足
北政所は、力不足なのか家康のスパイなのかどっちなのか分からん
北条政子や寿桂尼クラスはなかなかいないよね >>287
大和移封を認めて淀を江戸に人質に出し
千姫との子を作って後目にして秀頼は早期隠居くらいしかないやろな 上手いこと立ち回れば将軍家親族の扱いで前田~御三家に準じた家格は保てただろう 豊臣家滅びたのは、昔は秀頼の母ちゃんが全部悪いって話だったけど
今は秀頼個人が悪いってことになってるのか? 加藤や福島にしても、200万石の徳川が関が原で勝ったら、どういうことになるか
なんて、分からんほどバカじゃなかったよな?
豊臣が65万石にされても特に異も唱えなかったし 結果を知る現代が想像する以上に家康は後見人いずれ秀頼に返すという大義は生きてたように思う
家康がいたからこそ諸大名はお家大事で仕方なく参戦したのであって
家康早々に死に、秀頼が関白に就任すれば諸大名は徳川に付かず戦にはならんのでは
そうなると家光すら将軍になる事が微妙な話に >>154
真の忠臣ならどんだけ三成憎くても大阪方を敵に回さんだろ、単なる脳筋 秀吉子飼いの大名が生き残ってるかぎり大名として生き残るのはかなり厳しい気がするな
幕府打倒できてしまう勢力としては存続は無理だと思う
福島と加藤が死んだら5万石ぐらいでわんちゃんあるかどうか 千姫との間に息子ができてたら
秀頼は引退して江戸に住まって、息子に後を継がせるという形で生き残れたかも 福島正則の一番の罪は戦上手すぎたことだな
岐阜城を数日で落とすなんて秀吉や家康でも無理ゲーだろ
関ヶ原前に西軍は実質詰んでるわ 貴族化して高家豊臣氏として5000石程度
子孫は浅野の子孫に松の廊下でぶっ刺される >>293
徳川に将軍宣下があった時点で、豊臣には関白になるような力はもうない
そもそも、武家の豊臣に関白職が行った事は関白を独占してきた貴族である摂家にとっては屈辱でもあるし
関白を摂家に戻した家康は当然感謝された >>294
三成が事を起こそうとしてるから何とかしろと家康に知らせて大坂に戻れと手紙を書いたのが淀殿だから
その手紙を根拠に家康が我が東軍こそ豊臣家の守護者であると関ヶ原に挑んだわけで 関ケ原に遅参してきた将軍が関ケ原の功労者を改易(´・ω・`) >>297
東軍MVP兼豊臣家戦犯福島正則
桶屋の倅には過ぎた将才だった 朝廷は秀頼を関白にする事は既定路線だったのではないかな
2014/04/13(日) 15:03:42.64ID:FQJoI0T7
清華家である家康へ征夷代将軍に任じた時には、
清正らに最高家格である摂関家豊臣姓を与えて牽制していた朝廷。
豊臣姓の豊臣恩顧大名を次々に作り、徳川より上の家格を増やす策謀。
豊臣完子を妻に持つ九条幸家がわずか22才で関白にして朝廷が仕掛けてきたわけで
秀吉の猶子近衛前子を妻にしている後水尾天皇の義弟である秀頼も
22歳で関白になれる前例をつくった朝廷の動きから恐怖を覚えた家康が、
方広寺鐘銘事件をデッチあげて21歳だった秀頼を死に追いやっただけのことだ。 >>301
例えば福島正則は減転封の処分を受けただけで改易ではない
福島家の改易は正則の死後に勝手に遺体を火葬したり、不手際があったから
福島家自体はそれでも功績が考慮されたのか旗本として残ったしね 福島正則は本多正純の追い落としに巻き込まれたみたいのもあったような 秀吉が種無しってことは医学が発達してなかった当時でも周知の事実だった
しかも150cm程度しかなかったチビの秀吉に対して秀頼は2m近い大男
秀吉の子でないことは誰の目にも明らかな状況に加えて
性格の悪い淀君と性格の悪い石田三成と性格の悪い大野治長が周りを固めてたので
豊臣恩顧の武将すら離れてしまったのが致命的だった >>307
当時の人の平均身長と甲冑から最低される秀吉の身体を調べ直して 現代の医者が秀吉存命の時代までタイムスリップ
秀吉の寿命を10年延ばすだけで家康は詰むw >>278
夢じゃ夢じゃ夢でござる
じゃなかった? 家康は関ヶ原の後に秀忠の娘を秀頼の正室にしてるわけで静かにしてれば豊臣家自体は残れたと思うけどね
それこそ信長亡き後に織田家が豊臣家に下ったように
淀殿は抵抗してたけど二条城で秀頼が家康と会った時は上手く行ったっぽいのに急に徳川へ敵意剥き出しになり大坂の陣で自滅 秀頼の体格が記録どおりなら白鵬よりもデカいことになるか本当かよ? 秀吉の女好きは有名だけどそれに反して子供がいなさすぎだからね
そりゃ種無しと考えるのが自然 まず幸村達牢人を追放しただちに武装解除
もっともそんなことやったら幸村達も確実にキレるのでもう手遅れなんだけどね >>278
千葉真一の柳生十兵衛が真田幸村の謀略とごっちゃになってない? >>297
岐阜の主将はかつて秀吉が担ぎ上げたあの織田三法師秀信でしょ
なんでそんな人を最前線に放り込んだのとしか 秀吉が健康に気を付けて家康より長生きする以外にない 困難な状況で現実的に判断できる人物が周囲にいなかったか無視されたせいだよね >>277
凡愚で身の程知らずだったら一番救いようがないじゃないの >>246
今年の大河の家康から見た織田家と秀吉は人間のクズのオンパレードみたいなものだが
家康からはこいつら嫌な奴等だなと見えていたのかもね 淀殿が産後の日だちが悪くて病死して
北政所(か頼まれた人)が秀頼を養育してたら違う結果になったかもね
>>308
あるよ
福島正則は城の修築について本多正純から口頭で了承を得たが
後で秀忠と土井利勝からそんな話は聞いていないと改易されたという話もある 国替え受け入れたら将軍の娘婿なんだし潰されることなかったのに
でかい城に住んだから判断力がおかしくなってたんだろうな >>3
このルートはこのルートで
なんで秀吉がわざわざ作った大阪城から
自分から退去して滅ぼされたんだよ
ルートにしか分岐しないだろ >>20
岡山と大分にある豊臣姓の大名は?
血が繋がってないならノーカンか >>63
史料でもそのようだな
先がある秀忠にしてみれば癌は切り捨てたい >>329
つっても家康が秀吉により国替えされたように
秀頼も国替を受けるのが筋では >>328
まあ
大阪城から長年ずっーと出なかった引きこもりで教育ママの言う事をハイハイと聞いてたマザコン
というふうにも考えられるからね わざわざ千姫嫁がせてるくらいだし、やろうと思えば余裕で滅亡回避できたろうな 秀吉が長生きしていた場合、家康は抑えられるかも知らんが、自分とは似つかぬ巨漢に育った秀頼を見て、自分の子供か疑ったのではないか >>1
例のラスボス令嬢をどうにかしないと
日本3大悪女だろ
淀君って
どこで闇に落ちたんだか? 大阪城は元々超難攻不落の石山本願寺なのに
わざわざ堀を埋めちゃうから…
粘れば家康も死んだから
真田と石田に任せれば良かっただけ >>303
朝廷は豊臣家をかなり重んじてたからそれに脅威覚えたってのは間違いないよね >>337
秀吉は実子じゃないとわかってたと思うぞ 石山本願寺は、後の大阪城を拠点に、信長との戦争を10年も耐え抜いた
でも、同じ城を舞台とする大阪の陣は、あっさり講和→堀を埋められて再戦陥落になった
どこで差がついたのか、慢心、環境の違い >>311
家康が比較的簡単に天下取れた理由の一つに
秀吉が朝鮮出兵して西国の武将を中心にかなり疲弊させたのに
家康は東国に移封されて間もないからってのもあって
軍役負担してなかったというのもあるので
朝鮮や明との戦いがさらに長期化したとなると逆に家康の
有利に働く可能性がけっこう高い
あんま徳川幕府に全国的に反発起きなかった理由の一つに
豊臣政権時代の税負担の高さと徳川幕府の相対的な負担の低さがあった
なんて説もあったはずだけど
秀吉の対外戦争路線と大規模建設事業路線が10年継続してたら
税負担の高さから反発が強まって自壊してたかもしれないし >>338
秀吉に父親の浅井長政殺されて、その秀吉(百姓)の囲われものになったんやで?自分は織田信長の姪なのに 石高で国力ランクがつけられるようになった理由が豊臣政権末期は貨幣経済が崩壊してたからといった説もあるよね >>328
淀君殺すしか豊臣がきのこる方法はない
徳川に豊臣を討たせることが淀の秀吉に対する最大の復讐になってるんだし >63
>179
>325
大河ドラマのシーンを真に受けて史実と思い込む
絶対やっちゃいけないこと 関白位を返上し
家康に公的に臣従を誓い
大坂城を出て辺境の20万石程度の領地に移ることを了承
これをやってれば死ななくて済んだと思うが
うーんでも家康が許しても秀忠はどうだったか…🤔 >>349
秀忠なんて戦下手なんだから
家康が死んだあとに、九州で島津と決起したら楽勝だと思うぞ >>345
あー、そうなの?
あー、そうなのかな?
じゃー、ラスボス令嬢が破滅フラグを折るには?
そうしたら今頃日本の首都は大阪ですwwww 結局秀頼がどうよりも淀殿が主題になってしまっているという
その意味でも秀頼の影が薄すぎなんよね >>353
真田が大坂城に入って真っ先にやるべきだったのは、淀君暗殺
豊臣に忠義を尽くすというなら、三成がやるべきだったことは淀君暗殺
徳川が豊臣を残す気があったのならやってたでしょ?ってことは淀君暗殺(やってないってことは、豊臣はどっちみち潰すつもりだったんたろ)
雌鳥鳴いて国滅ぶ お前らは女心を分かってないな
多分一番豊臣家を断絶させたかったのは
淀君本人
多少のブレはリスカ失敗だと思えwww >>357
秀吉は親の仇、でも秀頼は我が子
個人の感情としてはどちらを取るかね
複雑だ >>353
後世の判官贔屓で器量があったことにされることもあるけど
現実はオカンに言われるがまま大坂城に引きこもってただけで
ガチで何もやってないまま死んだ人生だからな 配置換えに応じて田舎に引っ込んでれば豊臣家存続できて生きられたぞ
大阪城に居座られたら公家サイドもコイツを関白にして持ち上げて武家の総大将の徳川(征夷大将軍)に当てようと画策するし
徳川もそれを嫌って潰したんだから >>353
浅井長政と市の娘で父は叔父の信長に兄(異母兄)ちゃんの万福丸は豊臣秀吉に処刑されてる
こんだけ歴史に翻弄された人もいないな 淀殿が現代技術で作った地下トンネルで直接家康本陣に切り込む斬新なCMが昔あった >>363
そんな面倒なことするぐらいなら
ドローン攻撃すればいいだろ どっちにしろ徹底恭順しても権威落とすために豊臣の姓は返上させられて
それ以前の藤原に戻るだろうから豊臣は消滅するわな 淀君のせいとか批判する人多いけどさ
・4歳の時父親が攻め滅ぼされその戦いのMVPは秀吉で兄(9歳)も秀吉に処刑されてる
・14歳の時秀吉に攻められ両親は自害
・19歳の時秀吉(51歳)の側室になる
現代風に言えば家の使用人だったオッサンに家族殺されて数年後愛人にされるんだぜ
そんな人生歩んできた女性が秀吉の為に必死に豊臣家残そう、繁栄させようと思うか?
むしろ逆で豊臣家なんて無くなってしまえば良いと思わないか?
そう考えると数々のアホと言われる行動に納得が行くし
秀頼が誰の種であれ自分がお腹を痛めて産んだ子なんだから秀頼には愛着あるのも当たり前で
相反する変な動きも「豊臣家は潰れれば良いと思ってるけど秀頼は大事」って事なら行動に一貫性があるし何も矛盾していない 秀吉でない子種で豊臣家の世継ぎを産んでる時点で復讐は済んでるだろ 淀殿のせいと言うより意思決定を行っていたのが秀頼だったのかどこだったのかと言う事なんだろうね
大坂方は負け組だから当時の資料がおなじみ改ざんや燃やされて残ってない線もあるけど >>159
そいつらが手を組んで、いっちょ本気で徳川潰しますかぁとなるメリットあるか?
仮に徳川を滅ぼしたとしても、仲たがいして応仁の乱みたいになりそう >>22
徳川も発祥はよくわからん流れもんだし実際は似たようなもんだろ 戦国は秀吉が完全に終わらせた
主家の世継ぎが幼かったのをいい事に長い時間掛けてわざわざ大乱を引き起こしたのが徳川 >>145
加藤や福島からすれば好き嫌いの問題以前に上杉や毛利とつるんで関ヶ原みたいな国内の勢力を二分するような戦争を画策してる時点で
石田三成は忠臣でもなんでもないヤバいやつみたいな印象しか持たれてないと思うぞ
仮に西軍が勝っても豊臣は勝者の食い物にされて似たような未来しかまってないし
多くの豊臣の家臣からすれば毛利や上杉よりも徳川の方が数段マシだろ
これは大阪の陣も同じで浪人衆なんて城に入れたのが失敗で入れたが最後でマトモな家臣なら時勢を説いて徳川への臣従を薦めるだろうけど
浪人衆は忠義心なんてなく一発逆転を狙うだけだし結局大阪城は火薬庫みたいになってやるべきじゃない戦争をやって滅びるハメになった
他の大大名なんかは改易になっても実際は滅びることなく小領主として生き残ってるわけだし秀頼も生き延びることはできただろ 秀次を殺さない事だな
秀頼が生まれたら速攻で関白を譲らせ秀次は後見役にする 秀吉って年々人気が落ちている気がするな
昔は明るいイメージで語られる事も多かったけど最近は残虐で嫉妬深い感じで語られることが多くなってきている気がする >>338
北条政子や日野富子は優秀な人物で現代なら政治家や経営者として名を馳せるような人物だけど
引っ掻き回したげく悪手しか打たない淀殿は家柄だけで持つべきではない権力握っちゃった最悪のパターンなんだろうな ババア拉致ってどこかの山寺にぶっこんでおけばよかった 淀殿を悪く言うのは徳川史観に過ぎん
いまだに江戸時代の売女の呼称で淀君とか書いてる奴いるし 徳川を悪く言うのも薩長史観に過ぎないんだけど
某小説家の影響で関西方面だと理解出来てない人が多いんだよねw ああ徳川史観好きは関西関東の対立で見てる東京史観ってことか
江戸しぐさと似たようなものかw 大坂冬の陣で和議に応じず戦い続ける手もあった
昔の大砲の弾は炸裂しないから被害は限定的で
わざわざ虚仮威しに応じてやる必要などなかったのに
淀殿のヒステリーで堀を埋められ丸裸
そりゃ負けますわw 滅ぼした大名
信長・・・今川、斎藤、朝倉、浅井、足利、三好、松永、北畠、畠山、武田
秀吉・・・明智、柴田、北条
家康・・・豊臣(秀頼)
武田、上杉、伊達・・・特になし
信長以外は過大評価 もし何か一つ変えて豊臣家を救えと命令されたら、
淀殿を暗殺すると答えるわ つーか猿は種無しなのに跡継ぎ生んでる時点でバイタ扱いされてもしょうがない下地はあるよなw >>367
コレ
こんだけやられて秀吉LOVEだったって言う方がオカシイレベル
息子への愛情は有ったとは思うが自分を弄んだ豊臣家は滅んでも構わないぐらいの気持ちだったろうな 淀殿自身にもバックがいなかったんだよな
父の浅井は滅んでるし 豊臣家そのものが少な過ぎる
秀吉が粛清してしまったからな
徳川家なんか腐るほどいたのに 母親のお市の方も秀吉(これは嫁がされた勝家との主導権争いで信長の命令ではない)にやられてるんだよな
なんで好意もてると思うのか 大坂を捨ててれば余裕で存続できただろ…後で油断して改易されるかは知らんけど 淀が原因と言えば原因なんだろうけど北政所が豊臣家を見限った時点で豊臣家の滅亡ルートは避けられなかったと思う >>376
豊臣史観は戦前大日本帝国の頃に賛美された概念でもあるから
それと穿った見方すると”今太閤”こと田中角栄の再来をいろんなところが警戒しているとかね ちょうどアルファシンドロームに陥った犬が天下人後の秀吉だから
そりゃそれ以前と以後じゃキャラが違いすぎて当然だよ
一見しっぽを振って愛らしい犬だが自分がボスだと思った瞬間暴君と化すからな お母ちゃんをきれ
遠ざけるのではなくなきものにしろ
生かしてたら誰が担ぎ上げるかわからん 家康くんだって長い間人質になってたんだから
君も我慢して隠居したほうがいいよ >>392
北政所は秀頼が秀吉の子じゃないことを確信してどうでも良くなったんかね >>376
で変なキャラの大河でさらに人気が落ちるとw >>382
東京史観てw
豊臣史観は大阪史観なのかよw 晩年秀吉ひでぇからなw
一番ヤバい家康に全権任せて死んでいくとか
淀がわざとやったてんなら秀吉だってわざと豊臣家滅ぼしたレベルだよw 蔑称とされる淀君の呼び名を使って過剰に悪く書いてるのは
長く続いた徳川時代を経た為に豊臣を悪く書いてる偏った見方を植えつけられてる疑い持つ必要があるぞと書いたら
変なのが湧いてきたからな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています