浄土教「阿弥陀如来様はあまりにもすごい方だから念仏唱えるだけで極楽浄土に引き上げてくれるぞ!」→お前らなんで入信しないの? [786835273]
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>>192
方や念仏、方や法華経だが
神社参拝を否定し
神祇不拝してるところはよく似てる
ごった煮の日本らしくなく
新興宗教っぽい >>193
ぽいと言われても…
それぞれの成立年代はすぐ分かるだろ >>194
浄土真宗教団が実際にできたのは
室町時代後期
当時、大きな勢力だった一向宗や時宗教団を背乗り乗っ取り工作かけてだから
創価学会なみに新しい >>195
おお!!!
その論文どこすか?印仏研?東大?筑波? ChatGPTに聞いてみた
阿弥陀信仰ってほぼキリスト教じゃね?
キリスト教の予定説と浄土真宗の阿弥陀信仰には、いくつかの類似点が見られます。以下にその類似点をまとめてみましょう。
救済への依存:両教義とも、信者が救済や永遠の幸福を得るために、神(キリスト教)または阿弥陀仏(浄土真宗)に対する信仰と依存を強調しています。信者は自己努力だけでは救済を得ることが難しいとされ、神や仏の恵みに頼る必要があるとされています。
罪と浄化:両教義では、人間は罪深い存在であり、その罪から救われる必要があると説かれています。キリスト教ではイエス・キリストの犠牲によって罪が贖われるとされ、浄土真宗では阿弥陀仏の力によって罪が浄化されるとされています。
信仰と信心:どちらの教義も、信者の信仰心や信心が救済において重要であると教えています。キリスト教では、信仰心をもってイエス・キリストを信じることが救済の鍵とされ、浄土真宗では、心からの信心が阿弥陀仏の浄土への導きとされています。
永遠の命への希望:両教義とも、信者が死後に永遠の幸福や救済を得る希望を提供しています。キリスト教では天国で神と共に永遠の命を過ごすとされ、浄土真宗では極楽浄土で阿弥陀仏と共に永遠の幸福を迎えるとされています。
これらの類似点は、キリスト教の予定説と浄土真宗の阿弥陀信仰が、人間の救済と永遠の幸福への道を信仰と信心を通じて模索している共通のテーマであることを示しています。ただし、教義や背景には異なる要素も存在するため、詳細な比較を行う際には注意が必要です。 覚鑁上人や高野聖など真言宗系の念仏布教も忘れてはならないでしょうね >>198
阿弥陀信仰と言うが、その信心すら阿弥陀仏側から提供されるものだという認識についてはうまくぼかして書いているなww
多分、難し過ぎて確信が持てなかったんだろう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています