浄土教「阿弥陀如来様はあまりにもすごい方だから念仏唱えるだけで極楽浄土に引き上げてくれるぞ!」→お前らなんで入信しないの? [786835273]
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ガチでドラゴンボール探しに行くバカがどこに居るんだよ >>4
真宗は願うだけで救済されるから
念仏を唱える必要もない 阿弥陀如来・口称念仏・極楽往生は浄土宗や浄土真宗だけでなく、母体となった天台宗にも天台浄土教はあったし、真言宗とくに新義系では念仏が取り込まれている >>8
逆やったわ
浄土宗が念仏唱えたら極楽浄土
浄土真宗は思想を信じたら極楽浄土だった いくらなんでも楽し過ぎだろ
鎌倉時代とはいえ皆怪しまなかったのか あまりにうますぎる投資の話とか真面目に聞く気すら起こらんだろ
それと同じ 俺「南無釈迦牟尼仏…南無釈迦牟尼仏…ブツブツ」 紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士紫雲院殿政誉清浄晋寿大居士 童貞のまま死んだら、不老不死の美少女妻100万人が待つ天国に行けるという、宗教を自分で作って信仰してるから。 ケンモ公認宗教は真宗大谷派だから
葬式不要、思想は人権平和主義左派 ホルホル教の時代だろうな
白人様が日本を褒めてくださるのを見てホルホルすると極楽浄土 Wikipediaによればこうらしい
浄土宗(法然)
阿弥陀如来の思想を理解し信じて念仏を唱えれば、阿弥陀如来が極楽浄土に連れて行ってくれる
浄土真宗(親鸞、法然の弟子)
阿弥陀如来の思想を理解し信じれば、念仏を唱えなくても阿弥陀如来が極楽浄土に連れて行ってくれる
時宗(一遍)
阿弥陀如来への信・不信を問わず阿弥陀如来は極楽浄土に連れて行ってくれる
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%B0%E5%90%8D%E5%BF%B5%E4%BB%8F 入信するだけで合同結婚式で結婚できる某宗教の方が現実的じゃね? 浄土真宗は無条件救済だぞ 誰でも救うてくださるから阿弥陀仏さま有難うと本願から感謝の念を発するのが南無阿弥陀仏なのだ オーム統一が規制できないのは神仏も同罪で恐れてるから 浄土真宗ともなると、ほとんどキリスト教と変わらないよな 極楽ってなんだよ
簡単に輪廻の輪から抜け出してんじゃねえ 信者獲得のため簡単にしていってるのが笑えるのが仏教 法然「智顗が言ってたし」
親鸞「智顗が言ってたし」
信仰の源が「智顗」という怪力乱神を持たないただの僧なのリスクでかすぎる
龍樹でも使えるぞ ややこしいこと言っても理解できない
百姓向けの宗教だろ浄土宗て 死んでから戒名ついて仏弟子になるってのも変な話だよな
もう転生してるんだからときすでに遅し
悟りを得る暇なんてないじゃん じゃ高い仏壇も葬式も必要ない
宗教団体も必要ないな
念仏だけ唱えてればいい 先祖の墓が浄土真宗だと
自分のやる気のなさはやっぱり遺伝なんだなと妙に納得するよな 仏教に入信するなら浄土宗だよな。極楽浄土になりてえよ 仏教は本編完結してないのにスピンオフが多すぎる
編集が無能 法然はガチの天才
親鸞は秀才タイプ
一遍は踊る奇鬼才 輪廻とお盆に先祖の霊が返ってくる事は矛盾しないの?
Wikipediaのお盆と輪廻-仏教のところを読んでも俺の頭ではちんぷんかんぷんで理解できない
誰か教えてください 浄土宗に入信しなくても救ってくれるなら、入信しなくてもえーやんw キリスト教の洗礼みたいな入信儀式とかも必要ないし
個人的に信じるだけで別にかまわないよ >>44
釈迦が死んだ後の仏教は滅茶苦茶なんで理解する必要ないよ
特に日本に入ってからがひどい お盆って仏教以前からあるんじゃね
メキシコにも死者が帰ってくる祭りあったろ >>44
梅原猛が言うには盆は仏教ではなくもとは原始神道のイベントらしい
原始神道の死生観では死後の世界は天国とか地獄じゃなくて
今、我々がいる世界の鏡映しのような場所だから
たまにこっちに帰ってくるというのも別にそんな変なことじゃないらしい >>36
死後49日の間に悟りを得るOJT研修受けられるらしいから大丈夫 そんなお許されるなら禅とか山伏で苦行やってる奴がアホみたいじゃないか 浄土真宗「救済力がインフレしすぎて信じなくても救っちゃうらしいぞ」 >>16
セックスしないなんて誰でも出来る
俺でもできる
オナニーが難しいんだよ >>36
宗教上は葬式の時は生きてる設定らしい
生物的にはちゃうけど >>50
>>54
ってことは今の仏教では輪廻するやついないのかよ
釈迦もおったまげだろ とにかくその設定を信じて日常を送ればいいんだよ
阿弥陀如来が気に入らないなら、まど神様でもカラーコーンでも唯物論的進歩史観でもいい 法然と「方丈記」の鴨長明は同時代人
源平の乱世に加え大火やら地震やら飢饉やらで
末法、末世はリアルだった
法然を解説書でもいいからひとつ
例えばややクセがあるが阿満利麿(あまとしまろ)を
「方丈記」は薄いし原文でも読めるがふつう訳と解説も添えてある(ちくまか角川の文庫)
それに現代の小説家の堀田善衞(ほったよしえ)の「方丈記私記」を併せ読んで
ケンモメン的には天皇制がいかにクズかを強く思い知るべし
夏休み、読書して過ごすならいかがかと >>51
心を鍛えるという意味はあるかもね
元々の仏教とは関係ないとは思うが >>47,48,49
ありがとう
やっぱり意味が分からんわw
でも先祖の霊が帰ってくると思いたい気持ちも理解できるし、そういうもんだと思ってればいいんだろうな 全世界で宗教という嘘が流行ってるのがすごい、人間とはなんて悲しき生き物なのでしょう、ですがこの壺を買えばあなたは救われます >>47が典型だが仏教とはそもそもとか釈迦はそもそもとか
日本の仏教は仏教じゃないみたいな話なら読書しなくても鼻ほじりながら誰でも言える
もちろん嫌儲仏教スレでも毎度おなじみの定期レスだから
今さらアドバイスにもならない あまりにも救済の力がありすぎて一切衆生を救いとれるらしいな
これもう阿弥陀(無量光、無量寿)だろ あまりにも救済の力がありすぎて一切衆生を救いとれるらしいな
これもう阿弥陀(無量光、無量寿)だろ しかし悟入して極楽浄土行くのなら俗世との縁は切れるわけだから墓参りも変な話だ >>51
そういう奴らは人間のちっぽけな力や修行ごときで悟りを得られると自惚れてるんよ
あれこれ考えずにどーんと阿弥陀仏の慈悲にすがっていれば全員極楽浄土よ >>51
そういう奴らは人間のちっぽけな力や修行ごときで悟りを得られると自惚れてるんよ
あれこれ考えずにどーんと阿弥陀仏の慈悲にすがっていれば全員極楽浄土よ >>59
教祖や教義と地域の風習の矛盾で論破はい終わりではつまらんよ >>59
教祖や教義と地域の風習の矛盾で論破はい終わりではつまらんよ >>51
山伏は修験道だから仏教徒はまた違うのでは >>64
法然は信じても疑っててもいいからとにかく口を動かして念仏を唱え続けろ(徒然草)と言っていたらしいな
親切な指導だよ >>75
そんなん思考停止やん
やってる感の元祖か? キリスト教とかもそうだけど、
教祖が死んだ後に後世の弟子が勝手に膨大な量のオリジナル解釈テキスト追加していくのは許されるの? 日蓮や宮沢賢治みたいな天才が浄土宗を棄てて法華宗に帰依したのは何なんだろう
天才を惹きつける何かがあったんだろうか 唱えるだけかよって言うけどやらないだろ。
信じてないからだよ。唱えるだけっていうのが一番むずかしいから
全財産を捨てるとか滝に打たれるとか豚肉を食うなとか禁欲生活
なんらかのペナルティがないと人は満足しないわけだけど、
それが「打算的」だって言う話。それで救われようとするのは煩悩の塊。
南無阿弥陀仏とは神に「任せる」であって頑張るから助けてくれってのは
完全にこっちの都合で神を尊重してはいない。 親鸞「そもそも人間ごときがそう簡単に悟りを得られるわけないだろ……だから肉も食うし結婚もするぞ!!」
ほんまこいつ…… どこまでバカなこと言っても仏の名前出せば信じてもらえるか選手権でもやってたのか当時? 一遍上人が浄土教、救済宗教の究極形
信じられない者は救われないのか?
阿弥陀如来の教えを広める念仏札を配ってた上人が、あるひとに
「どうしても信じる心が起きない」と言われてどうすれば良いのか思い悩んだ時に
熊野権現の神託を得た
「信不信を問わず念仏札を配るべし」
阿弥陀如来を信じなくても救われる!
口からでまかせの念仏で自動的に極楽往生する! >>78
仏教には如是我聞という便利な言葉がありまして「私は釈迦からこう聞きました」と書けば何でも釈迦伝来のお経になるのです 南無阿弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無八幡大菩薩
ところで南無ってどういう意味だ? 極楽往生を願う心も
地獄を恐れる心も
悟りも
何もかも捨てて
ただひたすら念仏を唱える
自他の違いも
自分と仏の違いも
生と死の違いも
この世と浄土の違いもなくなり
自力も他力もなくなり
浄土教はお釈迦さまの教えに帰結する
一遍上人の到達点 そりゃマザームーンが唯一神だから
壺民党もそう言ってる >>87
なんか上で阿弥陀は無料光とかなんとか言ってるがそのことか?
ていうかポイントはそこじゃねえよ馬鹿 元々仏教とは宇宙の原理であり法則であってそれは釈迦生誕より先に存在して釈迦はそれを発見したに過ぎないから
なんかこれ釈迦っぽい言い回しだな…ってレベルでも十分立派な仏教になるのですね
この辺は昔の中国の偉い学者さんたちが釈迦はこんな事言わない!って厳選してるので、まぁだいたい釈迦っぽい教えとして通じているのでした 全てを飲み込む一遍上人の教え
阿弥陀如来の化身である熊野権現の神託で成道したから
日本の神々も厭わず尊重するし
踊り念仏という身体を実際に動かすパフォーマンスによる境地だから
自力も他力も神道も密教的なものも全てを包み込み抱合したザ・日本 つーか、阿弥陀如来パワーがすごすぎて念仏唱える必要も、入信する必要もなくどんだけ悪事を働いても極楽確定
この状況で宗教に金使うやつはバカでしょ。まぁ、出会いを求めるとかの目的があるならいいけど >>96
だからそれまで世界観を持たなかった階層に恐ろしい勢いで信仰が浸透していったのですな
信仰が広まれば信者同士に連帯感が生まれて横の繋がりが出来る 社会が動いてしまう ただひたすら念仏
念仏三昧は
念仏禅という悟りを得る手法
自力も他力も突き詰めていけば
結局、同じもの
富士山も吉田口から登っても
富士宮口から登っても
途中の景色は違ってもたどり着くところは最終的に同じ >>77
法然は晩年、一日で六万回も念仏したらしい
阿弥陀経にも念仏を何日唱え続けなさいと書いてあるから、まあ何かしらの根拠はあるのではないだろうか うちも浄土真宗大谷派みたいで、親父が死んだとき改めてひと通り調べたら
マジでなんもしなくていいらしくてワロタな
まー田舎だからある程度常識的なことはしたけども ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています