【悲報】現代美術の意味不明さは異常。 [961998241]
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東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
https://www.mot-art-museum.jp/
VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:: EXT was configured 東京観光っつったら美術館っしょ! とか言う謎の勢力が多いから行ってみたけど、よくわかりませんでした。 現代美術の展示会でメガネを適当に床に置いといただけで客がメガネの写真撮り出したやつすき 抽象画なんかは色々考える余地があるが
現代美術はマジでわからん はぁ~、せめてゴッホ展とかモネ展にしときゃよかった。 近代美術だってコンテクスト理解してなきゃただの意味不明な代物 作品そのものとそのコンテクストを結びつけて理解しないといけないからな 意味不明に見せかけて意味だらけなんだよね
たまに意味ありませーんってのが出てくるけど、それですら意味がないという意味を持たせてる 実はマネロンに使われてるんだろ本当に無価値なんだよ知ってるよ
美術品がマネーロンダリングに 競売会社、銀行は無回答:朝日新聞デジタル https://www.asahi.com/articles/ASN9Q6GV3N9MUHBI010.html >>4
その通り
みんなが、誰が価値があると言っているから価値があるんだろうというB層思考にならなくていい。 マネロンや密輸に使われてるだけでしょ
金を出してる側で素晴らしい作品だと思ってる奴なんて一人もいないよ 東京の美術館も、入場料結構するんだよね。 まぁ俺は謎の手帳をスッと提示するだけでチケット購入列すらスルーして入れるんだけどね。 現代美術が評価されるのは100年後だよ
昔の絵だってそう バスキアだけはすげー好き
草間彌生と岡本太郎はまあまあ好き
アンディウォーホルは良いとも悪いとも思わん
あとは知らん 絵師とかいうキモい肩書きの連中のキモい作品に金銭発生してる事の方が意味不明で理解できない >>27
エロのほうが本能に根ざしてて理解できるだろ メインストリームの芸術やっても昔の人には勝てないからね
セルフプロデュース頑張るしかない でも、“感じる”ためには相応の勉強とリテラシーが必要だと思う。感じるためのアンテナを磨かなくてはなるまい? 意味がないという意味がある。
↑いやこれもうただの屁理屈やん・・・・・ >>33
実際見てみれば作品はエネルギーを放出してるよ >>33
感じる必要なんてないんだよ
その作品がどういう文脈の中で作られたかが重要
極端に言えば作品そのものの見た目はアイコンに過ぎない ちょっと変わったトンチに数千万の価値を与えるから変になる 藤田玲司が便器褒めてたのはがっかりしたね
そこは筋を通してほしかった 西洋美術の始まりはミメーシスでいわば概念の偶像化
そう言う意味では現代美術も同じ道を歩んでいる >>44
それな
西洋美術史を学ばないと近現代美術は理解出来ない >>44
西洋美術史を学んでも
すべての作品に制作背景はある 時代のエネルギーと一体化してるかどうか
バカにはわからないしわかる必要もない わからないと怒るクレーマー増えたよな
お前の知能や感性の問題だよ 偉いおっさんがこれは凄いて言ったらどんな落書きやガラクタも価値がでるんだからもう作者関係ない
あとはバカが勝手にメタファーが~とか気色悪いこといって勝手に感じるし バスキアたちのニューペインティング以降
大きな美術運動ってないよな >>49
その制作背景を理解するためには西洋美術史を学ばなければならない
個々の制作背景は西洋美術史を学んだ後の話 >>57
理解じゃなくて制作背景はあるって言ってるんだが
制作背景に優劣があるとでも?
>>56
WW2以降美術の中心地がパリからNYに移り
アクション・ペインティング、ネオダダ、ポップ、ミニマム・・・・
いろいろ変遷したが90年代あたりから世界へ拡張した 絵の下手なやつが伝統の画風じゃ勝てないからこれが芸術やでって言い張ってるだけとしか思えん >>60
AIは美術の世界を新しく開拓してるかな
楽しみ >>62
ダダ以前は作画技法の模索はあったけど、ダダで芸術全否定して今はそこからの延長なんだよね 「いま」の現代美術ってわかりやすいだろ
わかりにくいとか言ってるやつはエアプ ダダイズムは世界は前進していくと考えを第一次世界大戦が取り壊してしまった 現代美術見てちんぷんかんぷんなら
近代美術見てもちんぷんかんぷんだろ >>73
おのれ自身でもう負けてるってわかってるんじゃないの?同じ土俵で勝負してない時点で そういえばよくわかんないけど暇だったから山下清展行ってきたわ
なんかクソガキが描くような絵ばっかだった
例の花火の貼り絵はしばらく目が離せないくらい凄いと思ったけど >>74
だから何をどういった基準に基づいて勝負するの? こんなもんまったく意味はない
食う為に現代美術とか言っているだけ
阿保らしい
何か チー牛 って現代美術をやたらと敵視してるよね。何で?
自分たちをバカにするリベラルの牙城にでも見えてんだろw ポストモダンとか言ってまだ遊んでるの?わーくに
もうポストモダンって否定されて30年経つけどな 現代美術が情報で出来てるということは神秘がないとゆーこと
かつて岡本太郎が芸術は呪術であるといったが
そーいう意味で確かに現代美術は物足りない
多分これは現代人が昔より知的になった代わりに
大事な何かを失ってしまった様に思えるのと関係すんだろうな
自分の中に無いものは表現出来んのだろう ほいよこれ87億円の絵
この絵の価値がわからない奴はセンスなしね
https://i.imgur.com/xOxVlIe.jpg そんなのより、出来のいいアニメゲームフィギュアの方が後世美術品として珍重されてたりしてな 好きか嫌いかくらいならわかりそう
世界最高額ついたステンレスのうさぎは好きだよ >>88
少なくとも制作者側には明確な理由があるんだろう
そういうのはなんかつまらん >>86
こういうのをゴミだと言う勇気が必用じゃねーかな
まさに裸の王様そのまんまだわ >>90
岡本太郎が持ち上げた縄文土器の方がそういった側面は強いだろw >>91
何がどうゴミなのか明確に説明出来るなら勇気なんて必要ないと思うけど >>92
縄文土器として類型化されてるということは
個人としてのなんらかの理由を越えとるって事よな
つまり民族の、もしかしたら人類的な普遍かもしらんのだよな
あの表現は >>87
200年後にはそうなってるでしょ
作者が死ぬと価値が跳ね上がるのが芸術作品のいやらしいとこ >>94
あれ
それ
これ
抽象度が高すぎるのを言葉で表現すると
こんな感じになんじゃねーかな 現代ものは…家の適切な場所に飾られてるかどうかよ
そこで住人のセンスが問われる
本来は美術館で見るようなものじゃない 仮に神を見た人がいて
私はあれを見たのです
あれはとても言語で表せるものではない
だからあれというしかないのです
とかいう人がいたらどう思う?
神はあれである
↑
言いたいことは分からんでもないが
この一文自体にはなんの価値もないだろう 金沢の21世紀美術館行ったけどマジで意味が分からんやつあった
意味が分からなすぎて覚えてないレベル >>101
大げさに言えばギリシャ哲学だよな
水玉はドットでありつまり原子というかアトモスであると
だから水玉で構成されたカボチャを自然な風景に配置したとき
水玉カボチャに対するそーいう認知と
本来は区切りなく全てがアトモスに還元される世界なのに
そう認知してない自然の背景の間に
なんかアンビバレントな感覚を覚えるんだよな
なんかふしぎーな気持ちになるというか >>86
これ貼って騙したつもりになって勝利宣言してるの本当馬鹿だよな
そもそもこれ自体有名作家の真似してる時点で騙したことになってないから 大塚美術館行ってみ
最初は楽しめるが現代美術は落書きやぞ 美術と芸術はちょっと違うからな
音楽や踊りは独立して存在しうるが形ある美術は社会の評価から切り離されては無価値 >>23
現代美術は投機目的の売買が中心
要するに市場経済に緊密
だから現在の資本主義が崩壊すれば価値は無くなる なんかこうガツンと来るアートないんか
刺激が欲しいわ >>117
美術館いけよ
こないだ新国立へ蔡國強展見に行ったがなかなか刺激的で良かったぞ
現代アートは単品で見るより個展で見たほうが楽しくてええわ 投機用品だからね
芸術家は画廊と組んでパーティで金持ちと交流して値を吊り上げていく
ニューヨークでもパリでもそういう輩が夜な夜な集まってる 思想、理念、意味、ビジュアル、良し悪し
なんて何も考えてない
ただ奇抜か否かだけ見てるから馬鹿にされる >>98
何らかの共通する理由があったから類型化されてんだろw >>121
美術品が投機の対象になるとか何百年前からある話じゃん >>124
その理由が現代みたいに理屈ではないってことよな
違う言い方をするなら
理解出来てしまうものはつまらないということ
何故か分からんけど良いと感じてしまう感動してしまうのが良いんだわ
何故か分からんゆえに神秘であって
理解しうるものは神秘でもなんでもないわけだ 情報で出来ている表現は作者によって説明可能なんだよな >>125
そうだね
そんなもんに金銭以上の価値をつける現代の美術信仰が狂ってんだな というか、それこそ作る側は中国とか日本韓国から周辺世界からでているのに、中心地は西洋で動かんのな。
値付けする側の地位ってホント強いね >>126
何その思い上がりw
当時の人間には当時の人間なりの倫理も論理もあったから共同体が維持されていたんだろ 分からない方が感動出来るなら
英語や日本語の映画よりもウルドゥー語の映画の方が感動できるってことだな >>130
縄文土器から倫理や論理は分からんでしょ
ハート型土偶とかわけの分からない人型土器もあるが
諸説あるがよーわかってないしな事実として >>131
要は心の無意識の深い部分まで刺さるか否かって事よな
理解できるものは意識のごく浅い部分で処理されちゃうとゆーこと >>132
当時の人間の倫理や論理は当然反映されてるだろ
共通する特徴があるんだから >>133
無意識の深い部分に刺さったと自覚出来てる時点で無意識でもなければ深くもない 金持ちがこれを買うのは別にいいが、公営美術館が騙されて税金で買うのはおかしいと思う まあそもそも、感動とか神秘とかそういうの排除したところにあるのが現代アートなんだから、
そういうのがないと現代アートにいうのはお門違いだろうな。それがないから現代アートは好きじゃないはわかるけど。 >>134
その論理や倫理はいわゆる信仰が源であって
つまり理屈じゃないよね >>135
ボールが飛んで来たのを無意識的に避けたりするけど
それを自覚することと意識的に出来る様になるかは関係ないからな
自覚したところでそれはやっぱり無意識的な反応だよ >>139
何かを信じるのは信じるに足るだけの理屈や理由があるからだろ >>140
無意識の人間はボールを避けられないけど?w >>142
その民族や人類に共通する普遍、要はイデアとか集合的無意識みたいなもの
自分の中にもあるそういうものを惹起するのがいいんだよね
ところが個人的な理屈で構成されたものだと
個人的であるがゆえに自分の中にあるとは限らない
ゆえに深い感情が惹起されないつまり感動せんのよな >>143
意識と無意識な
無意識状態の話じゃない >>144
だったら高い評価を受ける現代美術作品も
お前の言う深い感情を多くの人間に惹起させたってことだよな >>145
感動したと意識出来てる時点で無意識ではないよな >>146
バスキアとか映画だと北野武のソナチネとかがそんな感じだわな
つってもソナチネは現代美術じゃないかもだがw
いずれにせよあれだな
自分の場合の基準はこんな感じなんで
例え金銭的な高評価を得てる作品でも
自分の基準にあわんものはぶっちゃけゴミだなって思うわ >>144
あとお前はアウトサイダーアートをどう考えるの?
ヘンリー・ダーガーの作品なんて個人的な理屈や衝動しかないようなものだけど ただの権威主義だろこんなの
作者が藝大出のエリートだったり金持ちが買って初めて評価されたり >>147
無意識だよ
違う言い方をするなら
芸術は得体のしれない無意識を知る手段でもあるということ
岡本太郎の芸術は呪術であるってのは
要はこーいうことだわな >>149
ミーハーにメジャーなもの評価してるだけじゃん
バスキアなんてとっくの昔にモダンアートになってるよ >>152
じゃあ分からない理解できないという感情を惹起させる現代アートも立派な美術作品だよな >>150
レス読めば分かると思うけど
現代美術を一概に貶めてるわけじゃないよ
はっきり言えば金銭的評価の割に「浅い」作品を
白けた目で見てるだけだよ 音楽も現代音楽訳わからんで
古典派のモーツァルトがいちばん好き
ロマン派のショパンも好き >>155
一般論として語ってんじゃんw
>現代美術が情報で出来てるということは神秘がないとゆーこと 分かりやすいものは分かりにくいものよりも素晴らしいというのは
ただの権威主義 >>153
>>154
アートの評価って個人的なものだと思うんだよな
つまり自分がどれだけインパクトを受けたかが全てであって
仮に高評価の古典でも
そこからなんの衝撃も受けなかったとしたら
自分にとって無価値ってことだと思うよ 分からんよなぁ
壁に紐の切れ端を画鋲で留めたのとかタバコの吸い殻集めたのが数百万とか言われてもえー???ってなる >>160
それが当たり前の反応だと思う
みんな正直になった方がいい >>159
美術史的な評価、個人的な評価、投機品として評価etc
別に多方面から評価したっていいだろw >>161
だったらってどういうこと?
自分の書いた文章が理解できてないの? コンテクスト()
じゃあ文藝でも読んだほうがいいんじゃないですかね >>163
よく切れる刀と切れないけど高価な刀
アートは本当は実用品でもある
岡本太郎的に言うなら呪具だなアートは
自分の中の深淵にアクセスするための道具だ
自分の価値基準はその実用性いかんにある感じだわ >>167
何でそうやって一方向に安易に定義付けして思考停止しようとすんの?
考えるの苦手? 現代美術なんてこれっぽっちもわからなかったけど一枚だけ引き込まれる絵があって2時間ぐらいずっと凝視してたことあるわ
あの絵なんだったんだろう? 現代アートなんて知的ペテンの究極であって叩き潰すべき公共の敵だよあいつらは >>164
現代美術の定義だとバスキアも現代美術だよん
で、君とやり取りする前にバスキア好きって最初に書いてるしな
つまり言い訳でバスキア好きって言ってるわけじゃないよ >>14
意味だらけじゃなくて意味があるかのように見せかけ深読みゲーム >>168
実際そう思うからしゃーない
投機の道具としての価値とか興味ないし
売れてるアイドルに興味なくても別にいいじゃんね >>171
これは現代美術一般についての意見だろ
>現代美術が情報で出来てるということは神秘がないとゆーこと >>176
ほんこれ、これがわからんやつは現代美術見なくてええと思うわ >>165
そういう不安を煽ってマウントゲームさせて金儲けするのが現代アート >>177
情報で出来ていないものについては当てはまらないって事よな >>175
つまりお前の主張には客観性がないということね >>176
じゃあそれが当たり前の反応だと一般化するのもおかしいよね
個々人の感情を尊重するのであれば >>181
書いてる通りそもそも芸術に客観的評価を持ち込むのがウンコだと思うしね
自分はなーんも感動もせんけど
ただ世間的客観的に高評価だからこの絵は良い絵なんだ!とかさ
ぶっちゃけおかしいと思う >>180
お前はどういう形でバスキアの作品に出会ったの?
全く予備知識無しで出会えたか? >>187
もう覚えてねーな
多分昔テレビで見て知ったと思う 五輪のマークを選定するときみたいに
村の仲間で褒め合ってるだけ >>184
岡本太郎持ち出して自節を補強してんじゃんw
お前は日本語も理解できないガイジか?w 繰り返し言うけど、「いま」の現代美術は分かりやすい
1970年代−80年代に流行った「コンセプトアート」が「現代美術」だと思い込んでる人が多い
お前ら、それもう40年も前の話だぞ >>186
当たり前の反応だと一般化するのはおかしいよな
個人的な感情を優先するなら >>188
じゃあ情報を踏まえた上で知って評価してるんだよな >>190
岡本太郎が言ってる事も一意見でしかないでしょ
なんで太郎マンを持ち出したかと言えば
別に客観的にそうだと言うことではなく
単にそのほうが楽だからだよ >>195
だっさい権威主義だよなw
167 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 2023/08/18(金) 01:17:38.28
>>163
よく切れる刀と切れないけど高価な刀
アートは本当は実用品でもある
岡本太郎的に言うなら呪具だなアートは
自分の中の深淵にアクセスするための道具だ
自分の価値基準はその実用性いかんにある感じだわ コロナや公共施設が老朽化してんのに
ダンボール箱買った自治体あった気がするw >>194
ただチラッと紹介されたのを見ただけだからな
こんなの女に一目惚れとかするのと同じで
よくある現象に過ぎんよ 狭い知識で知ってるのはキャラクターものが多いような印象
kaws futura 村上 LY 奈良 joan 六角 faceoka 花井 ながば
アート系ソフビ界隈とか
江口寿フォロワーっぽいの
KYNE backside works
あとはちゃんと芸術っぽいの
こたお arsham banksy
総じて売るためにキャッチーな作風だな
ミーハーなのであとはよくわからん >>196
個人的に価値を認めるか否かではなく
客観的な評価を求める方が権威主義だと思うよ 「これには深い意味があるのに理解できないの?」
ひたすらこれを煽ることでしか現代アートは成立しない
マウンティング差別主義者のペテンゲーム >>201
日本の現代美術はネオ・ポップ以降、そういうキャッチーなわかりやすい方向やね
それと、一方に会田誠とか震災アートだのの批判的視点の作品がある感じ
根本的に、「現代美術はわかりにくい」って誰のこと指して言ってんだろう?
毎度こういうスレが立つたびに疑問に思う >>203
ああ他の人へレスしたやつか
まあ>>160は一般化してもいいんじゃねーの
普通あーいうのにビビッとは中々こんよ 意味は説明に書いてあるんじゃないの?
というかむしろ説明だけ読めば良いと思う
そっちが本体なんだから >>209
美術館にある「歴史的作品」ならともかく、
いま、という意味での「現代美術」には解説なんてだいたいついてないよ >>212
作者に意図を語らせてそれ聞けばいいんじゃね むしろ現代アートは
万人向けでわかりやすいんじゃないか
全て言語に置き換えられるわけだから
説明読めば門外漢でも「分かる」 >>212
じゃあゴミじゃん
マジでなんの価値もねえわ
そんなもんのために公立の美術館のスペースが占有されてるとか許せないわ
全部粗大ゴミで処分してくれ お前らがイメージしてるのはあれだろ?
現代美術じゃなくて、1910-1970年代までの「アヴァンギャルド芸術」じゃないのか?
解説だのコンセプトだのが必要なのもそれだよ
現代美術について、このスレ語ってる内容が大幅にずれてるとしか >>214
全て言語で置き換えられるということは
語り得ないものの表現ではないってことだしな
その辺が物足りないんだよな >>215
根本的に、「公立美術館」にあるものを現代美術と見るのがまず間違いだから
公立美術館の「××展」はだいたい歴史的価値が定まった歴史遺産だよ
そっちはほぼ歴史書と同じだ。解説読めばいいだろう ぱっと見何なのか何訴えてるのかわからん形の絵や彫刻はやっぱりわからん
抽象してるのはほんと作者の解説をつけろ >>216
俺がイメージしてるのは
20年ぐらい前にテレビで見た
トゲトゲスパイクの球を天使のガワが覆ってる作品だな
作者がこれは現代人を表現していて~とか説明してるの聞いて
なんかこんなもんかと正直思っちゃったんだよな >>218
よくわかんねーからpixivのエロ絵でオナニーして寝るわ
現代美術とか近代美術だの美術屋の言葉遊びに鼻くそほどの価値もねえわ
よっぽどエロ画像のが高尚だね >>208
単にルサンチマンじゃんそれ
自分の理解できないものは憎いっていうw アートの価値を客観的に示して
他者にそれを証明しないといけない(金にならない)から、わざわざ説明文書いて
体系の中に位置づけて見せて初めて
なるほど、たしかに
この商品は2000円だなと
金額に納得してもらえる >>202
特定の人物持ち出して自説を補強するのが権威主義じゃなかったら何なの?w >>86
87億円の価値をつけた人がいるのはわかる
だからどうしたの? >>219
理屈で好き嫌いキメるとか非人間的だろ
ゴーヤも若い頃は体に良いと理屈で分かってても嫌いだし
でも年取ったら何故か体が求めるのか
不覚にも美味しいとか思うようになったりすんだよな
好き嫌い、まあ心に引っかかるかどうかなんて理屈じゃないのよな 自分の評価がそこまで大事なら
市場価格なんて無視すればいいのに
無視できないのはやはり他人の評価が気になるからなんだろうなw >>223
他の人も言ってるように
説明聞いて理解できるものがあんま好きじゃないんだよな
好きなのは考えても説明聞いてもなお理解出来ないやつ >>225
岡本太郎の言ってる事も一意見に過ぎないって立場だよ そんなことより版画の抽選に外れまくるわ
あれも当選者決まってんのかな(´・ω・`) >>229
自分にとってそうだと言うだけだよ
別にみんなゴーヤ食えって言ってるわけじゃない >>221
たとえば「現代の音楽」とひとことで言ってもジャンルは幅広い
それと同じで、「現代美術」も幅は広いよ
>>222
そら単に君の好みってだけの話じゃね
いわゆるハイアートと商業芸術は価値のあり方が異なる
ハイアートは一点限りの価値。商業芸術は大量生産の価値
商業芸術の価値は、どれだけ(安価に)大量に出回るか、どれだけ売れるかに価値があるので、
むしろ市場的権威というか、「みんながそう言ってるから」に寄ってるのは商業芸術の方なんだね 「みんながそう言ってるから」で価値が決まってるのは
むしろ漫画やアニメやエロ絵のほうなんだあね
対して、美術作品の価値は、美術史における位置づけによって決まる
簡潔に言えば、骨董品と同じ遺産価値
織田信長が人に好かれようと嫌われようと、安土城跡には遺産価値がある、ってのと同じで、
世の好き嫌いの問題とも、違うんよ オナニーもある意味メッチャ人間的行為で
例えば良くない表現だが
現実でレイポ出来ない抑圧を
オナニーとか言う疑似体験つまり遊びで開放してるんだよな
開放するってのは人間として生きうるあらゆる可能性のうち
未体験の経験をするって事で
別に鳥が飛ぶように魚が泳ぐように
人間も生まれ持った可能性の一端をオナニー(に限らず遊びは全てそうだが)で
疑似体験しとるんよな
つか一口にオナニーと言っても
レイポモノに限らずオナネタは数限りなくあるわけで
その様々なシチュを想像して楽しむ能力は極めて人間的だと思うw だからある意味エロ絵もアートなんだよな
オナネタと一口に言っても
抜ける絵ってのは創造性の産物だよやっぱ 作者と同等レベルの人には
別に説明文というか
言語要らない。色々共有出来てるから
見たら分かるしそっちのが精度が高い。
でもそれ以外の万人にその価値を
証明しようとすると
価値を翻訳する必要が出てくる
なので説明文は必要悪だけど
説明文使って
そうでもないモノをハイに見せようと
し始めるとインチキに傾きすぎる >>240
イジワルな言い方をすれば
俺には分かるんだ!俺は高尚な人間なんだ!
みたいな自尊心をくすぐるところが
現代美術の価値なのかもな 正論大好きなご時世に答えがないもしくは分かりづらい物ってだけでアートになっちゃうんだよ エロ絵のキモヲタ的なやつでも
アヘ顔ダブルピース発明したり創造性が確かにあるしな
あと四肢欠損とか理解しがたい表現もたくさんあって面白いと思う >>240
高等専門化する現代ではそれは仕方がないよ
たとえばアインシュタインでも山中教授でもいいけどさ、
やってることは凄いんだけど、その論文を直で読める人間なんて少数でしょ
または論文そのままを出版しても売れないでしょ
だれかが実証検証して、解説して、応用して、たとえばGPSや網膜再生やの日常の生活に応用して
はじめて社会や人々ははその価値が実感できるし享受できる
これと同じで、現代美術も広く応用や解釈のもとに社会に広がっているんだけれど、
そのもともとの価値を解説するのは難しいよ
ここらへんは自尊心やマウンティングって問題じゃない。専門化によって生まれてしまう現象だわさ ロダンの彫刻にマッス(量塊)とかいう考え方があるが
そういうのと関係しとるのかな欠損趣味
確かに彫刻の上ではトルソーや
ミロのヴィーナスだったりニケ像だったり
欠損、不完全故の美というものも俺らは見出すことが出来るが
でもこれがエロ絵になると欠損に対して嫌悪感しかないのが面白いし
欠損エロ絵にチンポ勃つやつがいるのはもっと面白い >>244
つってもこのスレでも現代美術の面白さを具体的に力説するやつが皆無だからな
だから本当かよと思っちゃう >>246
それを説明しようとすると、「マウンティングだ!」とか「説明頼り」とか言われちゃうわけよね
専門学には解説がいる、っつうだけの話なんだけど、
ここらへんは学者を信頼してもらうしかないんじゃね >>247
人間ってほんと面白いよ
だって欠損エロ絵にチンポ勃つ奴がいるんだぜ
それも一つのジャンルになるぐらいにはね
これは自分が書いてる分からなさとは別物だケド
個人的には理屈的な理解の困難さばかりでなく
こーいう意味での(感覚的な)分からなさに対しても
できるだけオープンマインドでいたいと思う
だって面白いから >>248
それはそれでいいいんじゃね
そも、「欠損」は18世紀美術あたりでも繰り返されたテーマだしね
もともと腕があったビーナス像の欠損を美とみなすのは
この時代の廃墟趣味とか、そのあたりからだよ
逆の言い方すると、既にそれは早くから探求されてるテーマ
そうした探求が先にあるから、興味を持つジャンルもある、
というかある程度確立されたジャンルとして現代にある、とも言える ついでに、欠損とエロスというか、衝動に組み合わせるのは、
現代美術のはしり、ダダイズムなんかでもしきりにやってる
一次大戦後の、欠損傷痍兵がわんさかいた時代に、
フロイトの精神学なんかとも結びついてった運動だからさ >>249
理屈を理解する面白さってのは
誰しも学生時代勉強で体験するものだしな
だからそういうのを好む人がいるのは理解の範疇なんだよな
でも欠損エロ絵を好む奴については理解の範疇の外っていうねw
上で書いたようにミロのヴィーナスみたいな美術性ともまた違った感覚なわけでほんと面白いと思う
つか思うけどこの手のアブノーマル性って危険であると同時に才能なんだよな
あくまでも遊び、疑似体験の上で
ノーマルに対してその魅力を語りうるならば
それはノーマルにとっての可能性の拡張になりうるんだよな >>233
見た後にバスキアについて調べたんでしょ >>253
俺だけがテキトーに言ってることじゃないよみたいな感じ >>254
調べてすらいないよw
つか調べようとしたけどあんま情報なくて放置 理解できない人がわざわざ近づく必要もないし
理解できる人たちをけなす必要もないと思うよ
好き嫌いにも
すみわけが大切 >>251
欠損エロっつうか、丸太女なんかは、ダダイズムの起こったエログロ時代の産物なのな
SMが18世紀のマルキ・ド・サドから始まってるというか、彼が有名であるように
理解の範疇外、ではなくて、美術史、文化史的には既知の範疇だよ
このように、もともとはむしろ認識を拡大する位置に現代美術や文化ってあるわけだけど
それ説明しようとすると歴史解説になるので、それがややこしいって話だな アニメや小説を理解できない人もいるだろうし
理解できて大好きな人もいる >>261
哲学史の理解と哲学そのものの理解の違いみたいなもんだな
知りたいのはなんで欠損にチンポ勃つのかというその理由なんよね
これは芸術に対する態度にも通じると思う
芸術史上の位置づけを理解することが
芸術を味わうこととイコールではないんじゃないかな >>259
そういうことではなく
なにがどうしゃあないのか >>267
87億の絵を貼った奴がいるからしゃーない >>265
論文でも引用するでしょ
だからといってみんな権威主義ってことにはならない >>271
ワッチョイもIDもない変なスレだからしゃーない
ぶっちゃけ不便だわな ソナチネを観てなんで感動したのか分からないということは
自分でも把握し言語化出来ない無意識の領域の何かに刺さったということ
個人的にはこういう意味での分からなさが
芸術の価値だと思うね >>263
勿論イコールではない
が、専門化について言った通り、それを味わえるのは最初は少数かもしれないよ
マルキ・ド・サドは監獄にあわせて14年、精神病院に16年放り込まれてた
それを再評価してもってきたのがダダイズムを継いだシュールレアリズムの連中で、
だからこそ今日、彼の名は文化史の一角を占めている
実感に直結するか、または社会に受容されるかは必ずしもイコールではないんよね >>275
聖書なんかそうだが
聖書が客観的に価値を持つかなんてどーでも良いんだよな
本当に聖書に良いことが書かれてると思ってる人にはね
結局は繰り返しになるが自分で味わうということが大事で
それをしないなら本義から外れた
それこそ権威主義になっちゃうと思うんだよね
もちろん歴史的位置づけも大事だけど
それは芸術の本義じゃないしね >>274みたいな感じでその理由を探ろうとするならば
すなわちそれは自己探求であって自己理解につながるんだよな
これは自分の中の未知の領域の開拓であって
そう言う意味で理解できるものとは本質的に異質なんだよな
理解出来るってことは未知じゃない部分に刺さっとるのよな 意味不明だから意味があるんだろな
ゲームのデフォルメされたドット絵が色々な想像掻き立てるのと一緒で
意味がはっきりしてると受け手の解釈の余地がなくなる
そういうアート >>276
逆でしょう
どーも現代美術を権威化してると言いたいって感じがするんだけど、
実際にはSMの例を挙げたように、現代美術史は認識の拡大をしてきた歴史だよ
現代美術は、とくに「いま」の創作者はかなり実感なり直観なりを重視する主義だ
だからこそ他人から見て「わからない」感じになってるのが現状なんだけどな
それを説明するのが美術史、ないし文化史、なわけだけど、ううん そういう意味でバスキアも
なんでこんなに心惹かれるのか自分でもわかんねーんだよな
でも「だからこそ」自分にとってはメッチャ価値があるんよね >>279
上でも書いたが俺は現代美術全般を批判しているわけではなく
>>221みたいなのだからね
同様に君も具体的に何を養護しているのか書いてくれたらわかりやすいと思うわ >>221みたいなのをこれってどうなの?って思うってこと >>281
上の>>221に関しては実物見てないからわからんのだけど、
そもそも、感覚が違って、作者にとってはそれが実感かもしれないし、
なんとも言えん。なのでこの場合こそ説明が必要になるわけだけど
マルキ・ド・サドなんかは誰かが説明し救済する必要がある例
もう一つ、説明過多として挙げられやすいのは「コンセプチュアルアート」だけど、
こちらはそもそも感覚的受容を目的としない。それをトリガーとした文字通りの謎解きだから、
この場合、解説はネタバレでしかなく不要なんよな
>>221がどちらに属しているものか、何とも言えないのであれなんだけども >>284
要は上で誰かが書いてた様な
情報が本体の作品ってことよな
そもそもコンセプトアート?
謎解きが目的ならそれこそ謎々なり
物理学学んで宇宙の謎に挑む方がよっぽど価値があると思うけどね
単なる謎解きでしかないならばね
それこそナゾナゾの本なんて千円ぐらいで買えるし
謎解きが本義のアートの価値なんて本来それぐらいじゃないかな コンセプトアートじゃなくてコンセプチュアルアートか >>210
そういうお前は権威化という言葉を権威化してるだけだろ >>287
別に権威化することが偉いとか言ってないからなw
むしろ逆で権威化への否定だわな そもそも「考える芸術」という事自体が矛盾なの
考えるなら学問やればいいだけで、それでは捉えきれないものを表現するのが芸術でしょ
つまり理屈を超えた感性を表現する能力のない連中が
芸術を似非学問化して深読みゲームに転換してごまかしてるだけのペテン 知能の低い人間にはついてこれないゲームになっちゃってるからね
馬鹿が苛つくのもわかるよ オレ芸術わかってますの知ったかが集まって
互いにイイねしあってるのが現代芸術界隈
単なる内輪受け >>291
ほらこれが本性よ
「これには深い意味があるのに理解できないの?(本当は大した意味などない)」
といって相手をバカにしてマウント取るだけの差別思想
現代アートの本質は実は「差別」なんだ >>291
もしそうなら芸術は完全に学問の下位概念になってしまうね
でもそうじゃないんだよな >>285
それは「コンセプチュアル・アート」についての感想かな?
繰り言だけれどコンセプチュアル・アートは1970年代の流行で、
いま現代美術のいちジャンル。これをもとに現代美術すべてをみんな語り過ぎ、って感想だけど、
ただ、これも時代性とか、立ち位置とかが大きいよ
いま有名なコンセプチュアル(ネオ・コンセプチュアル)・アーティストなら、
ダミアン・ハーストのホルマリン漬け作品なんかが有名だけど、
https://media.and-art.jp/art-studies/conceptual-art/damien_hirst_artworks/
「情報を食う」のではなく、本来はこんな感じで感覚的衝撃から問題提起するようなやつだ
ここで提起される謎解きは「生命について考える」または「生と死について考える」なわけだけど、
情報が本体、というような無味乾燥なニュアンスのものでは本来ないよ
この作品についてみんなあれこれ語る(語りたい)から情報は過多になるわけだけど、
ここでも考えさせられる、または提起されるによって認識の拡大というか変更を観るものに迫っている
>>221がどんなものかは知らないけど、ほんらいこういう感じのものだけどね >>269
87億というのは市場がつけた客観的評価
何で気にすんの? >>274
言語化する能力がないだけ
それは単にお前が馬鹿なだけ 美術と芸術は異なるもので
現代美術は鑑賞方法に作法やルールのようなものがあるってことか >>296
動物ホルマリン漬けにしてもなんの衝撃もないし生死についてもなんの考えも深まらない
実際何も変えていない
結果的には「面白い」と思われてハーストが金儲けをしたという資本主義的現実があるだけ
ビジネスとしてみればもっと金儲けしてるやつはいるわけで大したこともない >>296
そうは言っても君はその作品から本当に感覚的刺激を受けたのか疑問だよ
それを書けるなら説得力が出ると思うんだよな
本来はこんな感じで感覚的衝撃から問題提起するようなやつだ
ここで提起される謎解きは「生命について考える」または「生と死について考える」
↑
生や死について考えるのにこの作品である必然性はないしな
それこそ聖書なんか無料でネットで読めるし
生死についてちゃんと考えられるぜ
だから君はこの作品でなければならない必然性を語らないといかんわけよな >>303
まあ、それは君の感想だ
自分は実物見たけど、巨大さもあって衝撃は凄かった
写真ではなく、目の前で巨大な死体が浮いてるのはかなり衝撃力ある
と、同じく衝撃受けた人がいるからまあ話題になったわけで、
そういうこっちゃないすかね? >>297
人間には無意識ってあるからね
ドラマや小説でもよくあるでしょ
私なんで涙が出てるんだろうとか >>298
バカバカしいと思うからレスの対象にしたわけよなw >>304
というような感じで、こちらが受けた「実感」って伝わらんのよなあ、なかなか
で、もっと別で考えろ、とか説教されちゃうの
現代美術の辛いところや >>299
調べようとググったら
それぐらいはすぐ出てくるからなw >>301
無意識を全て言語化出来る人間はいないからな
余談だが肉体の動作についても同じよな ちなみに、現代美術は現物を観て、実地で体験してなんぼ
事件も、ニュースで聞くのと実際に体験するのとではえらい違う
事件を体験していない人に、実感を伝えるのは難しいことだよ
他でスレが立ってる東北の大震災や戦争体験なんかもそうだね
ダミアン・ハーストの作品は一度実物を観るのをお勧めするな
賛否は両論ではある
屠殺場なんかでも体験できることかもしれないが、美術館で突然体験するとなかなか衝撃だよ >>308
俺はソナチネを見たとき涙が止まらなくて
レンタルビデオ(笑)で見たんだけど
あまりにも感動して連続で3回繰り返して観て夜が明けたよ
それぐらいの強い衝撃だったので
デカイ死体が浮いてるの見てビックリした
で収まるもんじゃなかったんよな 初見で理解できる独創性が藝術だと思っている奴等は教養が足りない。わかりやすいのは商品だけだぞ >>314
まあ、それはそれでいいんじゃない
映画(ビデオ)も解説やPVじゃ中身の面白さは正直分からん
同様に、現代美術も写真では実感は伝わらなんだろうな >>313
大震災や戦争の直接体験とは比肩できんでしょ
言ったら動物園でキリンのデカさに驚くのと似たジャンルではある 教養だの理解だの言う事自体の問題を指摘してるんだが
ほんと現代アートヲタってずれてる >>316
問題は衝撃の大きさなんよな
深い部分に刺さってない場合
ある程度意識化されとるから
その分衝撃が弱まるんよね 体験の重要性なんて古典芸術でもスポーツでも言われることで別に現代アートに限った話じゃない
体験したところで現代アートのペテン性と差別性はなくならないということ >>317
似たジャンルではあるよ
動物園も、情報誌読んでるだけじゃ、わかんねえよな
デートなんかも、そこいってみてはじめて価値がある、みたいな >>318
直感だけで理解できるのが芸術って論はどっかで論破されたんじゃなかったっけ 現代美術側がタコツボ化してるという側面もあるけど
それよりも大衆のほうが深く考える事とか即時的に理解できない事への抵抗が増してるんだと思うね >>319
>>320
いや、他者(この場合はこちらのこと)の受けた衝撃や深度を頭から否定しながら、
何言ってんだいというか
何を求めてるのかわからん。よほどそのほうがペテンや差別性じゃねえの? >>320
体験は体験でも芸術に必要なのは内的体験だと思うんだよな
物心つく頃から鶏の首シメるの見てきた田舎の親父と
初めて鶏〆るシティーボーイでは
同じものを見ても受ける内的体験は違う
芸術に必要なの後者の体験よな >>322
だから直感(感性)と理解(理性)は別でしょ
そもそも論破なんてありえないよ
感性と理性のどちらを上に置くのかということに結論なんて出るわけがない >>321
衝撃度としてキリン見るのと同じ程度って事よな >>324
大して衝撃受けた様に見えんからしゃーない >>327
それそれ。どーして程度を勝手に措定するかなあ
観にいったときはそれ以上に衝撃は大きかったけどね。自分としては
何故、これを頭から否定するのだろう? >>330
いやいや、それは言い訳だね。頭から否定してかかろうとしてる
やっぱこれ伝えるのは難しいね、っつう話にしかならんやん
結局多言を尽くすしかない、みたいな結論じゃねそれじゃ
解説し言を多くせよってか? バンクシーなんて法律無視してスウィフトの100番煎じレベルの稚拙な政治アピールをやってるからな
自分は法律を超える選民であって特権が有るんだって主張してるのと同じで
とんでもない差別主義者 >>331
であれば君も
語り得ないものに価値があるということに同意するってことになるね >>333
語りえないものに価値があることを否定しはしないよ
が、このやりとりが証明してるように、結局言説がいるじゃねえの
そゆうことだよ
権威とかマウンティングの問題じゃないんだわ。こういうの
専門化とか、個別的とか、そういう位置にあるって問題だってことだよ >>334
誘導尋問みたいなことして悪いがそういうことなんよな
芸術は衝撃とそこからの展開に意味があんだよね
あそういうことねふーんなるほど
↑これは芸術じゃないんだよなぶっちゃけ
考える事語ることが大事というよりそれらは副次的で
何より衝撃、そしてそこから展開していく思考も含めた自己変革
それこそが芸術の本義だと思うよ まあ現代音楽も現代美術も芸術の自己破壊みたいなとこあるよねw 見てわからない絵を書き出したのはやはりピカソだろうねw だから考えも変えてしまうのが本当の芸術なんだよな
命や生死について考えるのって大事
↑これは衝撃受けなくても誰でも語り得ることだしな
そこから芸術体験によってどの様に思考が変化したか
それが芸術が持つ本来のパワーなんだよね >>340
でも俺らはドラえもんで
スネ夫ヘアーとかいうキュビズムをガキの頃に受容しとるしな
だからかぶっちゃけピカソとか見てもそこまで衝撃じゃないよね >>307
バカバカしいと感じるのはお前が客観的評価を重要視してる何よりの証拠 >>309
調べようと思うこと自体お前のポリシーと反してるよな >>339
創造は破壊とセットだしな
でも新たな創造の完成こそ進化であって
破壊は単なる途中経過でありそれ自体に大して価値はないんだよね本当は >>334
多分それもおかしい。何故なら、結果として誘導尋問としても頭から他者を否定してかかってるからさ
そもそも、「これは芸術じゃない」を言うためのそういう芸術論ってなんなんだろね
私が納得できない言説を吐くものは芸術ではない、みたいな話でしかないような
芸術は感性か悟性か、みたいな議論はカント、いやプラトン以来お馴染みな話だけど、
そこらへん分節したりどちらかを副次的にして考えるものではあまりないよ
どちらかといえば、悟性的なものを持ってきて芸術の自律性を言うのが近代芸術学だけど、
それを逆に軽んじ過ぎじゃないかい? >>343
無意識を言語化するのってむちゃくちゃ難しいんよ
そのためには外部からモデリングされた構造を持ち込む必要があるが
それは象徴であってそれそのもの表現にはならないのが難しいトコロよな >>344
市場のつけた客観的評価に否定的だからバカバカしいと思うわけよなw >>345
調べようと思ったけど情報が出てこなかったって書いたろ
あと調べないのが良いとかそんなことは一切言ってないぞw >>311
何にどう感動したかはいくらでも言語化可能 >>349
無意識じゃないもの
感動という感情を具体的に実感してんだから >>347
たんなる個人的感想じゃないって示すため
そうすると一々噛みついてくる余計なレスが減って楽だからね
出来たら君も余計なつまらんやり取りやめて
芸術の話してくれたらありがたいけどね >>350
怒りを感じてるわけだろ
本来眼中に入らないはずのものに >>351
知らない方がいいんだろ
情報入れずにまっさらな気持ちで見た方が >>354
牽強付会なだけじゃん
岡本太郎もいい迷惑 >>348
ハッキリ言えば現代芸術って
伝統芸術に対するただのアンチテーゼに過ぎないと思うわ
言ったら筋繊維の破壊による筋肉痛みたいなもんで
価値があるのは回復してより増強された筋肉であって
(つまり現代芸術の次に来る芸術の形態)
現代芸術は筋肉痛みたいなもので
それ自体に大した価値はないと思う
あと頭から否定ってのはそりゃそうだw
そもそも現代芸術に否定的な考えだから
ちゃんとその価値を語られんと納得せんよ 芸術は形になるものではないとか、
隠されたものこそが真実だ、とか芸術は破壊なのだ、とか
現代美術というかアヴァンギャルド芸術が編み出してきた「思想」だけが流布されて定着してるこの変な感じ
なのに、当の現代美術作品の見方がまったく定着していないこの変な感じ >>352
無理だよ
それが出来るのは無意識を全て言語化した人だけ
そしてどういう人はいない >>358
>伝統芸術に対するただのアンチテーゼに過ぎない
それは1910−70年代の「アヴァンギャルド芸術」だよ
ちなみに半世紀ほど前にシーンとしては終わった世界だよ
ついでに、アヴァンギャルドは2つの戦争と革命の時代、っつう時代性と一体になったものだよ
そらこの保守化の時代に、価値は実感できないんじゃないかいね >>353
意識に登って来た感情自体はね
でもその理由を言語化してないから
往々にして人は感情を制御出来んのよな
特に感情のエネルギーが強ければ強いほどね
逆に言えば感情の原因を完全に言語化出来ているなら
人は感情を完全にコントロール出来るよ >>355
貼られなかったら当然話題にもせんよな
でも貼られた以上はレスせんと即ち肯定だから
レスせんといかんのよな
その意味でのしゃーないよな >>356
理想としては情報を知った上それにとらわれずまっさらな目で見るのが一番いい
つうか現実問題として人間は刻一刻情報が蓄積して見方も変化していくものだから
汚れのないまっさらなのママってのは現実的じゃない >>357
悪い言い方をすればバカ避けだよw
君に絡まれたから意味なかったのが想定外だったが >>359
たんなる過渡期の徒花だと思うわ
そのうちジンテーゼとしての芸術を誰かが生み出すんだろうな
楽しみだよ >>361
まだ終わってないでしょ
君?の出したおっきい魚も
古典芸術に対するアンチテーゼの範疇だわな
違うと言うなら具体的にどこが違うのか書いて欲しいわ >>366
そうでもない。モダンデザインとか、フォルマリズムや抽象表現とか、
或いは、「隠されたものこそ真実」っつう、精神分析学(シュール)的な考え方とか
それらすべてアヴァンギャルド由来だよ
それらが社会に敷衍して定着した。この恩恵受けてる面は結構大きいよ >>368
隠されたものこそ真実なんて古典そのものだよ
そしてそれこそが芸術の本義よな 全部、流行らそうとしている人らのおかげでしょ
たまごっちとかティラミスと同じ 精神分析によって無意識が言語化されただけで
それ以前から無意識なるものの表現は会ったんよな
神話、宗教、詩とかな >>367
先に書いたけど、それ(コンセプチュアル・アート)は現代美術の「いちジャンル」
これをもって現代美術を全て語ろうとする人が多いようだけど、と(>>296)
要するに、「コンセプチュアル・アート」は嫌い、ってこと言ってるだけでしょう
ちなみに、ネオ・コンセプチュアルアートはそれほど否定の姿勢を持ってないし、
既存芸術へのアンチテーゼの姿勢なんか持ってない
インタレーション自体は既にありふれたものだし、作品のテーマも別に美術史をひっくり返す、でもないしな
テーマや衝撃の狙いはあくまで生命とかそのへんだよ だから歴史的に神話や宗教が芸術の題材にされてきたのも必然なんだよね >>369
そのうち、あなたの言うように実感とか、深層心理とかに結びつけるのは20世紀的だね
たとえばロマン派が言う「隠されたもの」はもうちょっと理念的なものだよ
古典でいうところの「真実」のほうが悟性的っすよ >>372
まあ先に書いたように小賢しいのが嫌いなだけであって
バスキアとか好きだしなw
まあでもあれだよ
破壊の後の創造は次元が違う進化になるからね
これは理由を説明するのが難しい直観的真理だけど
個人的に期待するのはそーいう
超絶進化したまだ見ぬ時代のアートであって
そーいうのをはよ見たいと思う >>371
神話、宗教、詩
それらは天啓、神の言葉であって言説なんすけどね
個々人の無意識とか、実感とかと違うで DJとかラッパーはミュージシャンと言えるのかみたいな問題ちゃうの?
出来るやつが敢えてやってるのと出来ないやつがハッタリでデカい顔してるだけのと区別がつかんという >>374
宗教画とか神話の絵とか
あれ本当はみんな隠されたものの表現だしね
君の言葉で言うなら悟性の表現って成るのかな
いずれにせよあれは描かれとるもの自体もいいが
その意味するところ表現するところに目的があんだよな >>375
超絶進化なあ
いずれにしても、ここ近年は現代美術はかなり一般的ブームで、過去にない動員になってきてる
みんなに「わかりにくい」とか「小賢しい破壊芸」と見られるところを越えてきてる感はあるんだけどね
名作が生まれるといいね >>376
こういうのはいしきてきに考えて書き留めたらいかんのよな
無意識から登ってくるものをそのまま表現するから意味があるんよね >>362
言語化するための理論や言葉を知らないだけだろ >>381
理屈で言えば
ジンテーゼはテーゼやアンチテーゼとは次元が違う段階にあるということだが
まあこれは理屈だけ聞いてもふーんでしかないと思う >>383
君が俺に粘着する感情とその理由を書いてみて >>364
まっさらってどういうこと?
白痴ってこと? >>365
岡本太郎持ち出せばもっともらしくなるとでも思ったの? >>386
何でそんな無駄な作業をわざわざやって貰えると思った? >>390
君は自分の感情を言語化出来るんでしょ?
だから君の感情を書いて証明してくれたら信じるよってことw >>380
隠された、といいつつ、結局のところは聖書や神話という書物に書かれた物語なんよ
表現する目的とするところもキリスト教の神話、なんで、
というか、聖書や神話、有名人以外の人物描けるようになったのはほんと近世代になってから
個々人の内面を描く、はほんと近代に入ってからの話だからなあ >>393
物語は象徴表現なんよな
だから何を象徴してるのかというのが問題になるわけよな
例えば神話における文化神は
無意識から意識に登ってくる閃きの表現よな
つまり神話的な神々の物語というのは
無意識の力学の象徴表現なんよね なんで個々人の内面というよりは
より普遍的な人間精神の表現なんよね >>394
聖書や神話が人々の無意識の昇華や象徴的表現かどうかはしらないけれど、
近代以前の画家は「教会や有力者の注文で絵を描いた」なわけで、
画家にとっては言説主導っすよ
むしろ、画家にとって「隠されたもの」は、その神話とは違う面に見出すのが美術鑑賞では一般的です だから普通は自分が閃いたとなるけそうじゃなく
神々の領域(無意識)からプロメテウスがやってきて俺に知恵を授けてくれた
というふうに昔の人は考えてたわけよな
無意識というのはよくわからないものであり
故にそこで起こることに対する知識は神秘なのよね
で、この様な意識意外のなんらかの領域(この場合なら神々の領域)を想定した構造になっている自体
無意識という言葉がなかっただけで
精神分析学の登場以前にも
人間はそーいう領域を認知しとったのよな つうかユング派自体その理論は神話研究の結果だからなw IDなしスレかよ
なにか別のと勘違いしてそうなレス多いけど立体版絵画みたいな感じで普通に楽しめるよ
まあ横の説明も見ないと意図までは読み取れんがそれは他のもそうだし >>396
その教会や有力者がなんで宗教画を発注したのか
というのが大事なわけよね
宗教画というのはまさに
人間にとっての神秘、隠されたもの
その表現に他ならないからなわけよね
現代人からはドラゴンボールの絵を書いたのと変わらんように思えるけど
ホントはそうじゃないんよな >>397
それは歴史の複雑さを無視し過ぎてるんでは?
欧州古典画の理想像とされているものは、ルネサンスのダヴィンチとかラファエロとかだけど、
キリスト教権威が大きく揺らぐ中、キリスト教以前のギリシャを対抗規範に立てて、
その神話ではなく、科学性や人間身体性をうたいあげたもの
キリスト教社会で、ずっとギリシャが理想美だった複雑さを頭に入れておいてください
欧州の古典画はそんなに神秘主義で描かれてないよ。特に典例とされてるものは >>400
>>401に書いた通り、キリスト教と古典画の関係はそんなに一筋縄ではないよ >>401
結局それも現代まで連なるアンチテーゼの大きな流れの一端なんよな
まあ俺が言いたいのは
隠されたものの表現ってのは別に20世紀の専売特許ではなく
むしろ大昔からずっと芸術においてテーゼだったって事よな >>402
そもそも歴史的にずっとそうだったと言ってるわけじゃないからね
昔から隠されてきたものの表現はあったし
古においてはむしろそれこそが芸術の目的だったって事よな
まさに岡本太郎の言う
芸術は呪術よね 人間中心主義とキリスト教中心主義の葛藤を包摂したのが
トマス秋茄子だったのう
ギリシャ思想というのはいったん途絶えてたんだけど
十字軍やらなにやらでイスラムから
アリストテレスやら占星術やら入ってきて
それが急速に広まってホントはキリスト教もちょっと危なかったんだよな当時はw >>403
んー。あなたが理想として挙げそうな欧州古典画には、
アカデミーで培われてきた科学的技術、デッサンって手法があるからな
>隠されたものの表現ってのは別に20世紀の専売特許ではなく
それは結構、近代以降の芸術の特色としてはっきりと明示しておかねばならない点なんすよ
プラトン以来、中世まで、芸術家は「職人」であって表現者ではなかったことを忘れちゃいけません
この特色は「ずっと変わらない」として無視すべき点ではない
それとも、中世ピザンチン美術が典例なのかな? 何事もバランスが大事で
キリスト教中心主義によりすぎたのもまずかったが
ルネッサンスで人間中心主義によりすぎたのもホントはまずいんよね
人間中心主義に偏りすぎた結果
現代はエゴイズムが横行する時代になっちゃった >>406
同じ歌を歌っても人によって違うからね
何を歌うかだけじゃなくどの様に歌うかも立派な表現だと思うよ 学校では普通ルネッサンスを良いこととして習うケド
上で書いたような意味で本当は負の側面もあったんよな トマス秋茄子の時代のギリシャ思想の急速な流入によって
100年後ぐらいにルネッサンスが起こる起点になったわけだが
大きなバランス修正の観点から見れば
結果的には良かったんだろうな
ギリシャ思想に対抗するためのトマス秋茄子による論理体系化のお陰で
今の時代に繋がる自然法などの概念が生まれたわけだし
何より結果的に行き過ぎたとは言え
キリスト教中心主義、というか神中心主義から脱却出来たわけだし いやさ、キリスト教的公理は「隠されたもの」であってはならないわけですよw
神は心の中に隠されてある、ってのも錯覚しがちだけど相当近い時代の考え方だしね
実在しなきゃならないんすよ、天上に
というか、キリスト教的にはイエスは復活してそれを示されたので、もう疑うな、顕現されてあるって話でね
宗教に対する感覚が違うと思うよ まあだから重箱の隅をつつくようで悪いが
ギリシャがずっと理想美だったわけではないんだよな >>412
でも、典例として挙げるのはだいたいそこらへんでしょ?
リマネスクとかゴシックとか、あのあたりの宗教画が理想か? >>411
暗夜って概念があるが
神は暗闇の中にあってその姿が見えないもの
知覚できないものなんよな
あと神は遍在するものだよ
あまねくあるものよね
でも神はイコール自然じゃないわけよね
そういう意味でも神は暗夜よなまさにw >>413
理想は芸術は爆発だ!だなw
要するにインパクトのある芸術体験できるのが一番で
形式とかどうでもいいわ個人的にはね >>415
それはキリストが生きてる間までの話
復活して神は顕現したので、あとは「光」なんす あとはあれだな
そもそもの話
神の国は人間の中にあるって聖書にあるよ
つまり新しいどころか聖書が出来たときからある考え方 >>416
爆発かー
上の方の話よくわからないんだけど、岡本太郎挙げてたのは誰なのかな?あなた? >>417
信仰の神秘の話よな
神を信じました救われました
とはならんということよね
つまり信仰の過程において
神を求める時の話ね >>419
このスレ俺と君とあと2~
3人しかいないんじゃないのw
岡本太郎は俺しかいってないよ >>418
神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。
いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。(ルカ伝)
が出元だな。それ。で、そのキリストが死んで復活したから、
神や天上は人の世に顕現した、ってのが聖書の流れだよ
割と大事なキリスト教についての解説なので、覚えておいて欲しい
神は偏在するっていうアニミズムとは異なるところだよ >>421
なるほど。岡本太郎はいいね。ああいうのが好み? >>422
であれば人間は救われる必要ないでしょ?w
現実即神の国ならね 好きなら勉強して感じられるようになればいい
アニメ絵の最新流行を追えているかどうかみたいな知らん人にはどうでもいい話さ >>423
理論は好きだけど作品はそんな好きじゃない
ぶっちゃけ太郎マンの作品は情報で出来とるわな
まあ嫌いではないけど爆発はしとらんっていうw >>424
あるんだけど、選ばれた人しか入れない。審判が必要
それがまた、念仏唱えりゃ全員いける法華経あたりと違うところ ぶっちゃけ不発弾だよ岡本太郎の作品は
他者には爆発しろと言っときながら
本人の作品は不発っていうねw
まあそういう人間的なとこも含めて好きだわ岡本太郎 >>426
まあ、そもそも、「爆発」は生き方を言ったものだからね
「ぼくが芸術というのは生きることそのものである。
人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、 その生き方こそが芸術」
がCMで略されて芸術は爆発 >>427
死んだらみんな神の国だよ
かと言って万人救済主義じゃないけどな
何故なら生きてる間の救いはやっぱ信仰の如何によるしな >>429
情報には生命の神秘がねーんだよな
命ってのは停滞ではなく躍動であって
体験したものの命を揺さぶって躍動させるのが芸術なんだよな
そういう意味での爆発が作品にないという 象徴的な形で神秘を描いてなくても
いま神を描いてるんだ、という意識が微細な部分に表れていたりはせんかな >>432
そして私さへ信じない一遍の詩が
私の唇に登ってくる
意識したらむしろダメだよ ↑
私の魂ということはいへない
から始まる伊東静雄っていう人の詩だけどね
私の魂じゃないんだよね
私の魂から来た言葉じゃないから
神の言葉であり故に預言や啓示たりうるのよな
私の心が書く神の言葉は何処までいっても私の言葉であって
神の言葉、神を書くことにはならんのよな
難しいけどな つかもう朝じゃねーかw
お前らありがとう仕事するわ 未来派芸術とかロシアアバンギャルドとか好きだけどもう廃れたんだね 草間彌生美術館のそばに住んでるけど観光客なんか全く来ないとこなのに外人がいっぱいくる
草間彌生の何が外人に刺さってるのかわからない コネと宣伝の世界
やってる事は下らないパフォーマンス >>392
なんでそうやって論点をずらして逃げようとするの? シェルパの登山に大した価値が無かったのは
シェルパはただ登ってるだけで
体系と価値(説明文、批評)を
創造、布教してなかったから。 神を見た!では
第三者にその存在、価値を証明できないから
やはり神を展示した
その横に説明文が必要 神を見た!では
第三者にその存在、価値を証明できないから
やはり神を展示した
その横に説明文が必要 >>436
もともと未来派は戦争で、ロシア・アヴァンギャルドは粛清で終わったろ
それを受け継いで発展させてきた歴史はあるわけだけど、
未来派(フォルマリズム)の影響はモダンデザインほか絶大だし、
ロシア・アヴァンギャルドも80年代の名誉回復から当時の文化状況への影響は絶大
日本では西武セゾン(の堤清二が日本への紹介を後援した)やパルコなんかの
バブル期デザインや現代美術ではネオポップ勃興に繋がってる
廃れたというより、社会化したとか、日常生活にまで敷衍して溶け込んだというか >>431
感動とか情動とか衝撃とか、そこらへんまるで否定するわけじゃないんだけど、
岡本太郎もそうだけど、すでに故人で、岡本なんかは生誕110周年記念展とかを去年やってたとこ
どうしても当時、時代状況や文化状況のなかで人々が受けた感想や衝撃、作品の与えた役割を、
現時点のわたしたちでは再現できないところある
すでにそのスタイルは社会に受容されて見知ったものでもあるし
敗戦による混乱と大恐慌のない現代に、ヒトラーが生まれてもただのキティガイに終わる、
または「またかよ」言われる、みたいなもんで、
そこらへんを繋いで説明する、美術史上の位置を説明するのが解説であり、文脈だの言われるものなんだけどね >>440
どっちかじゃなくて止揚すんのよ
対立からの脱却ね >>441
論点通りだよ
君の主張を証明してってことだからね >>447
社会全体がエゴイズムに走ってしまって
エゴならざるものが分からんくなっとるのよな
だから逆にこういうのが新鮮なんだよね
逆ルネッサンスみたいなもんだなw
まああれだよ
我思う故に我ありならみんな分かるけど
人我を思う故に我は一人の他者なりってのは
あんまみんな分からんのよな
もし古いスタイルが社会に受容されきっているのだとしたら分かるはずだけどね
つまりは今のあり方てのも本当は進化じゃないのよな
単に以前のやり方の逆張りなんだよね 嫌儲の現代アート好きなやつって
ニューヨーク近代美術館すら知らないアホだぞ 大学の数学科が小学生の算数理解できないとおかしいからな
小中高大と段階的に全部理解出来るようになるのが本当の進化よね アーティゾン美術館で抽象絵画の企画展やってるから見てこいよ
セザンヌからの歴史的展開で見せてくれる当たり企画展だぞ ゴッホより~
ふつ~うに
テオ・ヤンセンがっすっきー お前らもそろそろ正直になれよ
本心から>>86を素晴らしいと思ってるのか? 実際誰も意味なんか分かってないだろ
誰かが「良い」というから、自分も「良い」という
ただそれだけで成り立ってる業界よ まあ環境問題とか資本主義とか
割と行き詰まりつつあるんで
現実とリンクした形でアートもそろそろ変化の兆しが出てくるんじゃねーかな
時代の変化とともにエゴアートもそのうち終わるよ マティス展良かったからケンモメン見に行ってくれ
最終的にたどり着いた境地がポップな絵なのが面白い 多分なんかの現代美術展の宣伝スレだったのだろうケド
ボロくそ叩きまくってごみんね
でもあれだよ
嫌儲にスレ立てるのが悪いわ >>451
そこらへん考え方はいろいろだけど
古典宗教画において「隠されたもの」や「象徴」って、一般にはイコンとかアレゴリ(寓意)って名前がついてる
この蛇は何を意味し、この植物は何を意味し、ってのが一般には「隠された意味」だけど、
何のことはない、聖書読めばわかる、というかそういう謎解きのことを言うんね
実のところ、「コンセプチュアル・アート」ってこういう謎解きなんで、性質は似てる
美術史の教科書を読んだ人間にはわかる
「現代美術における宗教画」だと一部では言われていたりもする
歴史的に見て、
現代美術の、特にアヴァンギャルド芸術はミーイズムではなく、むしろ極反対の社会意識の塊だよ
カンデンスキーは、自身の生み出したフォルムについて、「これは私の共産主義だ」ってなことを言ったわけだけど
アヴァンギャルドのわかりにくさってあれだよ、左翼過激派が論言だらけで何言ってんのかさっぱりわからない、
とかいう類いのものだよ?もともとは
アヴァンギャルドの再興を求めているのかい? >>462
共産主義も思想である以上は語りうる物だしな
だからそういうもんじゃなく
まさに語り得ないものとしか言いようがないわね
で、蛇は何を意味しというか
上で書いたように神話自体が(キリスト教的神話も含むね)無意識の働きの象徴だから
それを題材にするなら必然的に
意識では知り得ない、つまり神秘たる
無意識の働きそのものが隠された意味なんだよね
で、こういうのは直観するしかないんだよな
いちいち思考して考えずとも分かってしまうわかり方ね >>463
その直観主義に降りてきてるのが、最近の「ミーイズム」とやらの現代美術なんだが?
つうか、瀬戸内国際や六甲ミーツアートなんかでやってる野外インストラクションは
地方村興しと絡まって実際のところ地蔵とか地鎮祭とか、ああいう土着神秘に接近してる
そういうのつかまえて「わかりにくい」とか「ミーイズム」だと叩いてると思ったんだけど、
なんか言ってる図式がおかしくね? キリストが十字架にかけられて槍で突かれるシーンも
あれ多分史実であるとともに
人間の精神で起きてることの象徴的モデリングなんだよな
でもこういうのは直観するしかねーんだわ
上の暗夜のとこでも書いたけど
こういうのは直接認知出来んのヨな
だから直観的に神秘的な確信をするしかないっていうね
だから一瞥体験なんよ
見たりカンカクするわけじゃなく
瞬間的に一瞬で分かってしまうものなんだよな >>463
で、
>神話自体が(キリスト教的神話も含むね)無意識の働きの象徴
でも実はなくて、見ている人、特に現代人にはさっぱりだから、
この宗教画はこういう意味です、と躍起になって美術評論家が解説してるんじゃないすかね
マジで古典宗教画なんてその意味、直観ではわからんところ多いよ
あれほど解説の塊な世界ないで >>464
集合的無意識と個人的無意識の違いよな
普遍か個人的か
汝(神)か我(ミー)か >>466
まあハッキリ言えば信仰がないと分からんよ
つうか芸術は呪術であるじゃないが
まあぶっちゃけアートの真髄って
宗教感覚がないと理解不能だと思うんだよな
ここまでは書きたくなかったけど >>467
神話が時代の人々の意識の集合体だとして、
時代が違えば現代人にはわからん部分も多い
現代人には現代人の意識があるからね
キリスト教自体、次代によって随分神話や聖書の解釈を変えてきてるからな
簡潔に、神話は違う宗教の人からすれば不明なものだよ
ユングの集合的無意識やフロイトの精神学に対して常々言われる批判だけど
そこまで神話や無意識は絶対不変的なものではない >>469
ごく分かりやすく言えば
白と黒どっちが良いか?
みたいな感覚は共通するからね
だから人類的な不変じゃなくて普遍的な共通するマインドってあんだよね
で、現代人の意識が進化したものかと言えばそうじゃない
エゴの行き過ぎた肥大の負の側面がそろそろ現れて来とるしね
だから現代的な意識で作られたアートってのは
やっぱり現代的な問題を内包したものになるんよね >>468
>宗教感覚がないと理解不能
それそれ。そこが自分が気になってるところ。そうか?っていう
とりあえず、その件は置いておいて
その宗教的感覚とか、アニミズム的な感覚とか、そういうのに寄って動員数を増やしてるのが
現代美術の「いま」の現状だよ
「鎮魂」とか「土地の記憶」とか、意識高いところの定番テーゼじゃね
それが現状で、かつそれが「現代美術は分かりにくい」とこのスレで叩かれてるってのが現状なんだな
岡本太郎の「土着性」とか「生命」とかもそう、いわば現代美術の流行りのテーマじゃないすかね >>472
ぶっちゃけ言うけど、マインドとか、現代的エゴとか、
そういうことを意識高く言っちゃうのが「現代美術の意識高さ」として叩かれてる部分なんだけどね
要するに、言ってることがそこらの現代美術作家、
特にこのスレで叩かれそうな人達が言ってることと変わらん ルネッサンスの人間中心主義が
行き過ぎた神中心主義の是正において意味があったように
行き過ぎた人間中心主義、
まあエゴイズム全盛の時代においては
エゴイズム的文脈上の現代アートよりも
割と大きな意味があると思うんだよな
でもあれよな
神中心主義が良いってことじゃないよ
両者を止揚したジンテーゼとしてのまだ見ぬ次代のアートこそ
個人的に楽しみにするところなんだよな >>473
そもそも俺が問題にしとるのは>>221みたいなのだからな
現代アート自体を批判してるわけではないということ忘れんでくれたらありがたい >>474
意識高い系と本当に意識高いのは違うからねw
まあちょっとエラそうだけどそういうこと >>476
たぶん、>>221も天使のガワ使ってる以上、なんか神秘的なものテーゼにしてる気がするんだが
実物見てないので知らないけれど
岡本太郎やピカソが注目したプリミティズム、原始司祭的な芸術とか、
一見滑稽な感じがするでしょ。「なんかよくわかんない」(でも面白い)
「いま」の現代美術が「わかりにくい」と言われるのは、そういう局面なんだよ
もしくは、考えるな、感じろ、みたいな観方のすゝめもそう
繰り言だけれど、現代美術的な観点や考え方は一般に敷衍してちゃっかり定着してるのに、
作品そのものの見方はまったく定着しない(最近はそうでもない)この不思議 仮想通貨とかNFTと同じで
価値があると思わせて金をつぎ込ませるのが目的だからな
転売して最後に掴んだ奴が負けるの >>478
上でも誰かが言ってた様な
いわゆる情報が本体のアートが問題だと思うんよな
ぶっちゃけ>>86の価値の妥当性なんて
理屈を盛ることで付加するわけでしょ
故にそういうのは必然的に情報が本体と化すし
これは君も否定できんと思うけどね
で、考えるな感じろなんてただの原点回帰でしかないからね
そういう意味では良い傾向なんじゃないかな
考えるだけで全てが分かるなら
高学歴の無能とか存在しなくなるからね いわゆる指月の例えって奴よな
考えるってことは対象そのものではなく
対象を指し示す指を見るに等しいって事よな
まあ書き方が悪かったな
宗教感覚がないと芸術分からんと言うか
アートは宗教的な深みをも包括するものである
ぐらいに思ってくれ >>480
そうじゃなくてね、現代美術の「いま」を誤解してるってのが再三言いたいことなんよ
言われなくてもそういうことは現代美術やってますがな、というな
で、そういう時代が始まって既に半世紀ぐらいは過ぎてる
この間、美術館が動員数を飛躍的に伸ばすなど、
成功するなり社会的需要が進むなりしてはいるんだけど、
いまだ説明過多だのNFTと同じだのの言説が跡を絶たない
いつまで半世紀前の話をせにゃならんのだ、みたいな >>482
>>86の言い訳よろしく
これも現代アートでしょ? いつまでたってもギャラリーフェイク、藤田による批判の取ってつけたような引き移しとか、
いい加減それもどうなのよ。という
オタ界隈に対してはむしろ、誤解の解消に言を要してる
>>483
言いわけも何も、マーク・ロスコの解説でも読めばいいのでは?
ついでに言うと、これも60年は前の作品だ
歴史的価値について、調べればいいのでは? >>484
そうやって逃げる不誠実さが信用を失うんよな
君は外部の評価に従うことでしか
モノの価値を評価出来ない人なわけ?
違うでしょ? >>485
作品の信頼がなぜ、自分の信頼と直結するのかわかんないんだけど?
外部ではなく、歴史遺産だよ。美術史における。そう言ってるだけだよ
歴史上の偉人、織田信長だの新選組だの、なんでもいいけどそのあたり、
知りたければ調べればいいじゃねか?それと同じ
簡潔に、抽象表現主義、戦後アメリカに現代美術の主軸が移ったときの
代表的な画家だけど、ちなみに、この時期のアヴァンギャルドの社会性を漂白して神秘性へと以降する
テーゼを持ってるのがマーク・ロスコだよ >>487
君の信頼とかどうでもいいw
君だって俺の信頼なんかどうでもいいのと同じね
で、不誠実な擁護は擁護の対象たる現代アートの信頼を損ねるからね
で、歴史的価値が大事というのは
君の中でアートの価値は
芸術性より歴史的価値が大事ってこと? アートの値段の付け方って専門家以外には独特過ぎてよくわからんのよね
株価だったら、似たような企業の業績がこれぐらいだから株価はこれぐらいが妥当ってのはわかるし
不動産だって路線価とか周りの土地の値段みてこれぐらいが相場ってのはわかる
アートは似たような作品の金額が過去これぐらいだからいくらってわけでもないし、技巧が優れてると高いってわけでもない
作家の背景とかギャラリーの信頼性とかそういうものが大きそうな感じがする。 こういう胡散臭さが現代アートには常について回るんだよな
みんなが書いてるとおりだ
マンセーしとる奴ってホントに芸術性を評価してるの?
っていう >>488
現代美術、というかハイ・アートの価値は美術史において決まる
そう再三言ってるよ
商業芸術は、対して売り上げや人気で価値が決まる。繰り言してることだよ
何というかな、60年前の自民党総裁、たとえば佐藤栄作の価値を尋ねられてるような感覚だわさ
その業績を詳しく説明することはそりゃ時代性を含めて出来るけど、
たとえば反自民派の立場でいうのか、逆なのかで説明するには結構慎重を要する
そんな感じよ。自分で調べたら、ってのは >>489
>ちなみに歴史的価値も外部評価っていうねw
それが誤解
美術史って簡潔に言うと、一般の歴史同様、アカデミつううか学問が決定するもんよ
で、美学美術史は外部でもなんでもなく、美術そのものでっせ >>449
お前が自分の感情を説明する批評理論も言葉も知らないということは認めるわけね >>490
そもそも、「これが数十億の値段がするのはなんでや!」ってオークション価格のことを指すのな
オークション価格はオークション価格であって、
美術史上の価値とはある程度別のものなんだよな
なので、美術史上の価値からオークション市場の値段を説明しろつったって、
そらオークションで売れたから、以外に説明しようがないのな。それらは別物だから >>493
読んでも大して面白くなかったのに
漫画史上高評価という理由で
そのつまらなかった漫画を人に薦めるのはどうかと思うぜ
所有欲とか投機とかそういう目的の人にならいいかもだが
面白い漫画を読みたい人にとっては君の態度は間違ってる >>494
調べると調べないの止揚
つまり調べた上でまっさらな目で味わう >>495
君の外側の評価だよね
家康が使った枕の歴史的価値は君が決めたものじゃないでしょ? 感じながら考えるのもまあ悪くはないよ
その二律背反性のもやもやもまあ表現だな、と思える位にはなった
まあやはり好んで見たいという程ではないが >>496
説明から逃げるってことねw
おk
このままだと不毛だから以降無視するわ
楽しい内容ならレスするけどね >>498
あのな、たとえば手塚治虫をいま読んでも古臭くて「面白くない」と思う人は結構いるでしょ
だからといって「価値がない」「勧めるのはどうかと思う」じゃねえってばよ
手塚漫画には手塚漫画の歴史上の価値があるわいな
どっかの中学生みたいなこと言ってちゃいけないですよ >>501
どっちも必要なんだよねホントは
歴史的にどっちかに偏って来ただけで >>500
ああ、自分の外側という意味ではそうだね
でも、美術の外側ではないすよ?なんか言い方で胡麻化してる感
美術史上で価値が決まるのだから、美術史を説明する
そんだけのことだけど、何か不都合あるのかな? >>503
それはアートを味わう態度じゃないって事よな
君の場合はなんだろうね
権威を味わってるみたいな感じかな >>505
>>485
つまり君は君自身で良し悪しを評価出来ないってこと? >>506
単に、あなたが反知性主義とか、学問嫌いとか、そんだけの話じゃないかい?
歴史の話をしてるのはさ、織田信長の価値に好きも嫌いもないんよ
あいつ嫌いだ面白くないからとって安土城の歴史的価値は変わらんだろ
解釈が変更され、史上、それほど重要人物じゃなかったの教科書から消す、とかならともかく 権威付けしとるだけで
みんなが良いと言ってるから良いんだ!
と言うのと本質的に同じだわな
自分が美味しいと思ったものを食えばいいのにね >>508
>>86は自分の感覚とは関係なく最高ってこと?
理由は外的評価が高いから? >>509
そういう、反権威主義、芸術は権威ではないのだ!
っていう現代美術が開発してきた観念だけそうやって定着してんだよなあ
ほんと、こういう片手落ちの観念、どこからやってくるんだろう
芸術の価値は学問的価値だってのは、アヴァンギャルドが終わってから定着してきた考えだから、
おっさんほど知らんのだけど、
鑑賞や美術史教育は大事。いま美術教育なんかもそういう方向
いま歴史教育の重要性が言われてるじゃね。好き嫌いで歴史は勝手に描けんよ ゴッホの絵とかも死んで評価されるまではゴミなんだろうな
同時代に生きてたとしたら >>510
あのさ、この女の子、一般にかわいい、
でも俺の好みはこうだ、ってな話、ごちゃまぜにしてどうすんの?
なんとなく、芸術は超個人的なもの、ミーイズムの極致、みたいな感覚なんだろうけど、
一般に美とは何か、とか芸術とは何か、つったら、そういうこと言わないんじゃないかねえ >>511
>>512
君は芸術そのものを味わってないし
芸術そのものの価値なんかどうでも良いんだよな
なんか凄いと思う >>512
ゴッホを価値あるものとして提示してきたのが美術史でしょ?
逆に無理解だったのは世間様の「なんなの、この変な絵」っつう感覚やないすかね >>514
芸術そのものの価値なんて言うのも嘘な面はあると思うけどね >>513
感動するかしないか
心を動かされるか否かが大事だと思うけどね
鑑賞する側としてはやっぱ面白い漫画読みたいっしょ >>516
死んだあと評価されたからね
だから君が同時代に生きてたとしたら
君はゴッホの生前にはゴッホの絵を無価値とみなしたんだろうね
何故なら死ぬ前は学問的に(笑)評価されていないから >>514
ほら、そういう「芸術を分かってない!」とか叫んでるの
なんでこういう「真の芸術とは!」を叫んで価値否定するやつが湧くんだろう
逆に思うよ、なんかすごい
個人的な好みについてはそりゃあるよ。好みとしてはロシア・アヴァンギャルドなんかのほうが好みだ
社会性を漂白したアメリアの抽象表現主義はあまり好きではない
が、そこから値段の説明なんて出来んよ
かつ、美術史上の価値は自分の好みとはやはりある程度別だろう。思想戦ばかりやってるわけにもいかない >>517
要は自分にとって価値があるかどうかだよ
鑑賞する側としてはね >>520
その値段がバカじゃねって話だからな
78億の絵ももとは数十万だぜ
この値段の変化も君的には学問的価値がそれだけ上がったってことなんかな >>519
要するに、「お前、見る目無い」と煽りたいだけなんだなあ
同時代的に生きてたら、そらゴッホの価値なんてわからんかったかもしれん
ついでに言うと、君だってそうだろう
それをわざわざ美術史に位置付けて取り上げた評論家がいたから、ゴッホの名前は残ってんだよ?
何いってんだい
わからないかもしれない。だからこそ学問なり評論の価値があるんじゃないすかね?
反学問なり反知識主義なり、いい加減におしよ 現代美術の、絵画に絞って話すと、まあある程度見慣れるとテクスチャ―の性質とか古典絵画でも技術的な面に目が向くようになる気はする
AIとかAVのパケ詐欺を見破る能力はまるでついていない気もするが ラーメンとかも口コミの評価より
自分が食って美味いかどうかが1億倍重要なのと同じよな
こんなの真の芸術がどうとか以前の問題よなw >>522
さっき書いたけど、オークション価格はあれ、あくまで別物だよ
ぶっちゃけメルカリの転売ヤー価格とそうやってることは変わらないので、
そこらへんの値段の上下で美術史言われても困るがな
美術史はどちらかと言えばメーカーの定価のほうの世界なんで、
メルカリ世界のこと言われても、みたいな >>523
分かる分からないじゃないんだよ
実際に見て自分が良いと思うかどうか
感動するかどうか
鑑賞する側にとっての芸術が持つ価値なわけよな
君はもっと自分の軸を持ったほうが良いよ
あまりにも外部の評価ばっか気にしすぎだ >>526
つまり事実として
現代アートは投機の対象になっとる
そういう一面もあるってことでしょ
ならふつーにそういうのにしらける人いても当然だよね >>528
逆逆
そういう、「欲しいものは欲しい」こそがオークション価格を数十億にはね上げてる仕組みだよ
メルカリの転売ヤー価格の高騰と同じ
なんであんなオークション値段がつくかって、落札手の個人的欲望、投資価値とかそこらへんでしょ
逆ににだからこそ、「個人の欲望」に価値を還元してしまわないことが大事なわけだけど
言ってること分かるかな? 幼児だってこの絵しゅきーとか言えるわけでしょ
それでいいじゃないか
何故それを恥ずかしがる
学問的評価(笑)から外れて馬鹿にされるのが怖いんか?
でもマズいラーメンより美味いラーメン食ったほうがずっと良いぞ
その方が味覚も発達する品
なぜならうまいもんはどんどん食うけど
不味いもんは無理せんと食わんからな 投機というかマネロン?あるいは税金対策な面は分かるんだけど、古典美術より金額が跳ね上がる感じがするのは、説明のつかなさが都合の良い面もあるのか >>529
いや、転売ヤーに責任持て、とメーカーが言われる気分やな
Switchが転売ヤーのオモチャになってるから、しらけました、みたいな
繰り言だけれど、数十億とか目玉が出るような価格がつくのはサザビースを始めとするオークション市場の話
これらは美術史上の人気によかかってるけれど、
別に美術家が売り買いしてるわけでも、評論家が売り買いしてるわけでもない
正直、高値で売れると売買人と投機家は儲かるけど、芸術家は名声があがるだけ
一点限りの価値なので、そこらへんは商業芸術とは異なる >>530
>>86とか値段伏せられてたら
別に欲しくもなんともないだろぶっちゃけ
値段が高騰するのは純粋なあの絵欲しい!
じゃないわな >>531
しょうもない開き直りしなさんな
美術史学ぼうよ。美術史は楽しいぞ。知見を広めるのは良いこと
食わず嫌いを最初にいいなさんなよ まぁ、河原温のTodayシリーズがアートと呼ばれるのは意味不明だわな >>535
値段がつかなくても、美術史上の価値は変わらんよ
後代に大きく影響を与えた抽象表現主義運動の代表的画家であることには変わらんから
値段が高いから欲しがるのは投機家の話で、
ぶっちゃけ値段でそのまま美術史は書かれない
なんとなれば全く値がつかないけど美術史上に登場する作品って結構あるよ
東京藝大に眠りっぱなしになってる戦争画とか、そうかなあ >>502
だからどうしてそうやって論点を逸らそうと必死になるの?
作品を見た時の感情を言葉や文章にするのが批評だろ
お前はそれが出来ないだけ 美術史の流れを概ね把握して誰がどういう試みをして道を模索してここまで切り開かれている、という文脈が分からないと評価を下せないんだよな。
自分はこんな新境地を切り開こうとしてますよというのをアピールしても、
今まで開拓されたエリアを知らないと開拓しやすいところを開拓した古典的な作品の方が良いやんって感想になる。 >>540
つまり値段の高騰の原因は投機家だから
別に>>528で良いってことね >>544
そはそれで一つの価値でしかないと思うけど >>543
>作品を見た時の感情を言葉や文章にするのが批評だろ
横からだけど、違います
ガチな話、美術史上の一とかj解釈を巡って争うのがガチもんの美術批評の世界
文字通り学会論文の世界だから、
そこらの雑誌に載ってる映画批評とか漫画批評とはちょっと違うようには思う >>544
別に美術史の否定ではないしな
要はウンチクもいいが好きなラーメン食えっていう単純な話でしかない ただ、それこそいわゆる現代芸術程、言うほど感覚に訴えて来るのかなあとは
むしろ情報系、脳で言うと左脳になるのかなと
左脳使っても感覚ではないとは言わないんだろうけど >>545
値段に関してはそうなんじゃね
しかし、こちらが言ってるのは美術史上の価値だよ
なんで数十億の値段がつくのか?そいつはオークション次第じゃないすかね
いまのピカソの一部作品のように、値が下がることもあるしな お前らのダメなところは
専門家でもないのに美術史がーとか言っちゃうところだ
別に一般人の目線での美術鑑賞でいいじゃない
こんなの底辺なのに上級の目線で語るネトウヨと大して変わらんぞ >>550
好きなラーメン食ってもそのせいで価格高騰せんから
好きなラーメン食うのも避ける理由ないよねってこと
客観的評価も大事だけど自分軸での評価も大事だよ
前者だけだとコイツ自分がねーなって言われたりするぜ >>551
まあごめん、ちょっと映画批評をバカにし過ぎだったか
>>552
ごめん、美学美術史専攻で院修了。MOFとか資格もあるよ
で、そういう人上級じゃなくてもそんなに少ないわけでもないし、
最近は美術史教育重視が言われだしてから美術史なんぞ要らん、とか言ってるのはオッサンだけっすよ
いまわんさか美術館に押し寄せてる「一般の人」はそれほど美術史を恐れやせん
逆に反知性ネトウヨみたいなこといつまでいってんだ、な気がするよ
ケンモなら知性高くいこうよ >>552
・・・別に専門家じゃなくても、古典美術、現代美術の歴史とかある程度は学ばないか?大人なら >>553
いや、好きなものは何か?を聞かれるならたとえばロシア・アヴァンギャルドだ、ってな風に答えるよ
ってかそう回答してるじゃね
でも、特に熱狂的に好きではないマーク・ロスコについて、その価値を語れと言われたら、
美術史的にはこの位置だよ。好きじゃない味噌ラーメンだけど、都内中堅泥個らしいね、みたいなな
だから最初、「自分で調べろ」つったわけだけどね
そうすると、「無責任だ」ってな答えが返ってくる。どーしろとw
毎度よ―わからん煽り方されるな、と思うんだが。わかってくれないかい? 黒人はジャズを作ったけど
ジャズを管理(体系立てて位置づけて価値を創る)する側には回れない
と黒人ジャズマンさんが言っていた >>559
完璧に体系づけたかに見えるマルサリスでジャズが終わったこと(失礼かもだけど)考えるとなあ しかしまあ、投機で高騰する世界ばかりが美術史って印象されてんだな
実際には逆というか、売れて高値になったのに美術史には残らない、みたいなのは結構多くて、
そういうのを指して詐欺的というのではないのかなあ、もともとは
たとえば安井賞から日本を代表する「和風洋画」としてロックフェラー財団にも買い上げになるまでになった
智内兄助とか(割と個人的には好きだけど)、いまそんなに高値ついてない
もっとわかりやすい卑近な例なら、ヒロ・ヤマガタとか。マーケットでは人気で一時高値がついたけど、
あれ、美術史には残らないだろうし、そもそもオークションにすらかからない
そもそも土産物なので、あれが「高値がつきますよ」って話自体が詐欺的なわけだが
同様に、いま高値バブルになってるNFTアートなんてことごとく美術史には残らないだろう
マーケットの人気はここではほんとうに美術史にあまり関係がない
というか、ないのに「それが芸術だ!」と言い張ることをそもそもは「詐欺的」と言うんじゃないのか?
なんか言われてることが逆だなあ。と思う
美術史にのらないのに、あたかもそう見せかけることが詐欺なんだぞ まあ現代美術は、逆に時代の流れに淘汰させずに生き残れるのか?という面もあるなそういや >>563
もともと論文は批評だ、みたいな言い方もあるけどね
批評的営みを哲学という、みたいな
批評学って分野があるぐらいなんで、そこらへん参照にして考えるといいかも >>564
いやこちらは一般論として論文と批評文は基本的に別物でしょという当たり前の話をしてるんだけど >「批評」とは、「物事の是非や善悪などを指摘して、自分の評価を述べること」を意味する言葉です。 >>565
批評、クリティークだけど
近代の諸学問では、
カントの「判断力批判」とか「純粋理性批判」とかの「批判(の学)」にあたる概念
として拡張されてるとするのが通例だよ
要するに、単なる感想ではなくて、厳密な知的検証の営みを指す
従って、あらゆる(近代的)学問の基礎は批評だ、っつう話しになるわけで、
論文と批評は違う、とか言ったら笑われる
日本語だと感想文まで含めて批評のニュアンスだけど、
一般に学問で言うところの批評はそんなニュアンスじゃない >>572
読んだことはないんだけど、中世の神秘主義は想像力が後退してる
みたいなこと言ってたのがホイジンガだったような
彼だったかどうかうろ覚えだけど >>569
それってただ単に批評の手続きにもピンキリがあるってだけの話でしかないよね
そういったこととは別に論文と批評文というものは一般論として違うだろってことを言ってんの 神秘主義というか、今で言うミーム研究をかなり早い段階からやってた話ね
心性史という学問です >>574
ピンキリとかではなくてね。大事なポイントだよ
一般論じゃなくて、学問(芸術)はそうであらなければならない、ってポイントだから
簡潔に、ただの感想文であってはならない、という重要なとこだよ?
要するに>>543は違います。学問としての批評はそうであってはならないもんだってことよ >>575
そうじゃなくて、ホイジンガは中世庶民は神秘主義的観念主義者じゃなくて、
もっとリアルな感情で生き生きしてる、みたいなこと書いてた人だったような >>578
なるほど、ではそのうち読んでみるよ。また聞きの話じゃしょうがないしね >>555
なら哲学と哲学史の違いに対して謙虚になろうぜ >>580
まあた哲学は個人の内面的な問い事が崇高、とかいう話か?
別に同一視しはしないが、逆にみな史学を軽視し過ぎだよ >>557
まあある程度は自然に入ってくるケド
そんなの生兵法だろ
それに一般人が知りたいのは
例えばピカソならピカソの良さであって
美術史的な位置づけなんかは割とどうでもいいんだよな
つか別にうんちく聞かんでも重要人物って分かるし >>558
結局聞きたいのはレビューであって
位置づけじゃねんだよな
まあ家系ラーメンがラーメン界でどういう位置づけなのか知るのもいいけど
一般人が知りたいのは気になる店のレビューでしょw >>582
ピカソの良さなら結構説明されてるでしょ
いわく、キュビズムが云々、色彩感覚が云々、その破壊性が云々
美術史的な位置づけとして聞いてるものは、実際にはその良さの説明だよ
そもそも美術史って批評の積み重ね、その良さの説明の繰り返しなんだもの >>583
>>584に書いたけど、与謝野説明も散々聞いてるはずだよ
「位置づけ」としか聞こえないのは、実感持って理解できないってはなしじゃないかい? >>581
一般人はそれが当たり前なんよな
知りたいのはレビューであって
○○系ラーメンの位置づけとか割とどうでもいいっていうw >>586
いやさ、「位置づけ」って、当時の人はこのようにレビューしました
って話でしかないんだけどな
レビューなら散々語られてまっせ >>584
そういう理屈じゃなくてもっと感覚的なものだよ
上でも誰かが言ってたでしょ
単にキュビズムや色彩感覚や破壊性真似ても
それではピカソにはならんでしょ?
例えば家の犬はマルチーズで大きさは小型で体重は....ってやってっても
現実的にその情報は家の犬そのものになり得ないよね
その情報で捉えられないピカソがピカソたる所以
何故他のピカソみたいな画家と違ってピカソは特別なのか
それを知る手がかりにしたいからレビューほしいんよナ >>585
その説明だけではピカソの絵にならないんだよな
>>588みたいな感じね
なんつーんだろうね
落合のバッティングはこうやって打つという説明があったとして
それだけじゃ全然たりないんだよな
足の小指はどうなってるか
股関節は
胸椎の角度は
それらを統合する感覚は
そういうの含めて全然足りない
だから落合のバッティングの説明読んでも落合みたいなバッティングが出来るわけでは限ら無いし
ピカソの絵を理解したわけでもない >>587
感覚的なことが聞きたいんよな
バッティングを研究する大学の先生に学ぶのもいいが
実際に打つときの感覚を知りたいみたいな感じ
絵なら一体何に感動したのか
何が刺さったのか
そういうのが知りたいんだよな >>588
現代時点にもってきたら、ピカソの手法や色彩って社会的に受容されてて既知のもの
手塚漫画と同じで、そらつまらなく見えるし独自性がわかりにくいよ
ところで手塚漫画の解説として、「当時、映画的な手法を持ち込んだ」生き生きしたものだった
ってな解説あるじゃない。それが史的な位置づけってやつで、だいたい同時に説明や手掛かりは出してるよ
ただ、それで面白いと実感できるかどうかは人による
ピカソは簡潔に言えば、プリミティズムとキュビズムの二つ
説明くだくだしいので省くけど、特に後者は絵画上の相対性理論みたいなやつで、
あの時代の時空意識の変化みたいなものを説明しなきゃならないので、
こればっかりは似た体験、をどこかでするしかその特別さを実感する手段はない ラーメンと一緒だよ
絵を見てるんじゃなくて情報を見てるんだ >>594
で、そのプリミティズムとキュビズムの何に感動するのかが知りたいのよな >>595
悪い言い方をすれば
空手の技術書読んで
空手の達人になった顔してるようなもんだよなw
ググれば分かる事を一々云われてもっていう >>595
情報を見てる、のはむしろラーメンレビューを知りたがる方じゃ?
情報じゃない、ならそれこそ食って来いよ、以外の回答はないんよ
映画や演劇なんかも同じでしょ
>>596
プリミティズムは上で言ってたね。一見滑稽なものだけどでも面白い
感想としてはこんなもんで、呪術がどうとか神秘性がどうとか、「説明」はするほど感動からは離れる気もするが
キュビズムについてはまさにSF的な感覚だから、時空の断絶を味わえ、みたいなのが「感想」
理論的にキュビズムとは、とか言い出すとそれまた「説明が長い」とか言われそう 野球で例えたら
実際に打てるようになる事が
技術論を本当に理解したということであって
ただ頭で技術論の理屈を理解しただけでは
本当の理解じゃないんだよな
絵なら実際にその絵を見て深く感動することが
本当の意味でその絵の良さを理解したってことだと思うぜ >>598
悪いけど>>599的な意味で
君はピカソの本当の良さを人に伝えることは出来ないと思う
俺も出来ないけどねw >>597
その例で言うと、空手の技法書で達人になりたがるのが「ラーメンレビューを聞きたがる人」だよ
現代美術は実地だと繰り言するように、とにかく見てくればよろしよ >>599
別にそんなとこまで理解する必要はないんではw
というか無理だし >>601
まあ、繰り言なんだけど、
レビュー聞きたがる人のほうが、情報食ってると思うんだよなあ
最初から繰り言してるように、「観にいけば?」でしかないよ
なんでそれ言ったら無責任だの何だの言われるんだろかな
ほんと >>602
実際に食うわけだから違うのよね
レビューを聞くってのは
技術書に乗ってないその人なりの
コツやポイントを聞くみたいなもんだな >>599
感動ごときでそこまで辿り着けるわけねーだろ
図々しい >>600
でも、美術批評でそれ言ったら笑われます
ここでは一般的な話を論じてるわけではないので >>604
実際に打ってる人からじゃないと
技術書から漏れてるコツやポイントを聞けないのと同じなんよな >>606
どういうところが?
そういう悪いDD論的なのには共感出来ない >>607
別に競争じゃねーんだからその人なりでいいんだよ
本だってそうだろ?
数年がかりで理解が深まるなんざ当たり前の話だしね >>610
映画にしろ何にしろ
ツマランより感動するほうが良いじゃんというごく当たり前の話w >>605
要するに、物凄くわがまま言ってない?
感動するのはあなただよ。そこらへん他人任せにするなよー
なんか、どうやったら絵が上手くなる?と聞きたがるワナビ、じゃないけど、
どうやったら感動できますか?とか、いやそんなこと言われてもなあ
できれば当時の感覚に引き戻して見れば少しは雰囲気に繋がるかもね?
コツとしてはこんなもんだ >>611
その人なりに理解したってことでしかねーじゃん >>614
いやいや、「どうやったら感動できますか?」と聞いた挙句、
感動させることができないお前は無能、とか叫んでるのが「レビュー欲しがる人」だよ
少しは自分でする努力しましょう。感動するのはあなただよ 悪いけどお前らってほんと馬鹿だよなw
多分人生経験自体が足りないんじゃないか?
職人だろうが武道なんかの芸事だろうがあらゆる道について一生修行っていうだろ
学校の勉強みたいに即理解出来るみたいな
そういう浅い学びばかりじゃなく
時間をかけて深く深く潜っていく学びもあるんだよ
だから完全じゃないからと言って全然恥ずかしいことじゃないんよね
と煽ってみるw >>614
あ、レスの内容が違うか
批評に関していったことは、割と当然なことななんだけど、「被害妄想」?
わからんなあ >>619
美術だろうが映画だろうが批評は批評だろ
簡単な日本語の問題 >>613
どうやったら感動できますかじゃなくて
あなたは何に感動したんですか?ね
文芸でも大江健三郎なんか
とある詩についての他人のレビュー見て
数十年越しで認識が変わったとかあるからね
傲慢どころか普通によくあることだぜ >>615
どんどん深めて行けば良いのさ
大江健三郎とかいうノーベル賞受賞者だって
数十年かけて一つの詩に対する解釈が変わったりしてるからな >>625
そう
まあいいんじゃない?
君の自由だし >>620
ここでは、先に行ったように日本語のニュアンスを問題にしてないんだなあ
あなたにとっては感想文でも、美術史上ではそうじゃないっすよ
そういうことは分かってくださいな
>>621
別に、たとえばマーク・ロスコに自分は感動してないからね。困ったよ
マーク・ロスコに感動したいなら、あなたが追及してくださいよ、みたいな答えだったはず
個々の好みと美術史上の価値は別
つかね、そもそも美術作品って全員を感動させるものだ、みたいな思い込みでモノ言ってないか?
気に入らなくても価値あるものはあるし、芸術の自由って本来そういうもんだと思うのだが >>628
何故感動しないのか?を考えるのも大事よね
その結果時として
この作品はゴミである
という結論に達することもある
バッティングならこの打ち方間違ってるわ
あるいは自分には合わないわ
そういう決断するのも必要よな 人を馬鹿というものは地獄におちるということでちょっと地獄で反省してくる
お前らごめんね 現代美術を理解出来る人は、結構ビビッドな情報のやりとりを理解出来るんじゃないかと思ってたけど・・・ >>630
もともと、マーク・ロスコないし戦後アメリカの抽象表現主義については、
政治性を漂白した浮遊の部分があって、フォルマリズムが持っていた力動性や切迫性に欠いている
マーク・ロスコが傾倒した神秘主義なんかについては好みに合わない
個人的な感想としてはこんな感じで、むしろ上で神秘主義推してた人にとってこそ向きそうな作品なんだけど、
(この時期の彼の主要テーマは神秘的インスピレーション)
たぶん、こういうこと上でも言ってるよ
でも、美術史的には価値はあるだろう
ここで彼がなしたのは「アクション・ペインティング」として身体性や身体感覚を強調した抽象表現から
「ドナルド・ジャッドなんかに続く絶対主義への移行だ
解説的にはこんなとこよ >>628
美術分野全般の話じゃなく美術史に限った話だったの?
お前の今までの強がりは >>634
よくわからないんだが、え?美術ってただの感想で出来てると思ってたの? 現代美術って一般大衆が理解できるところまで降りてきた頃には陳腐化してて、上の方では更に先のことやってる
で、わからんわからん理解不能と、いつまでも言い続ける
どの作品にどれほどの価値があるのかは画商と好事家の金持ちが決める
そこにはそれなりの理屈や過程はあるのだが、作り出す方はセンスでも見る側は論理なので、学習すれば誰もが理解できるが、それをどう評価するかは別問題
ぐだぐだととりとめもなく書いてきたけど、結局のところ、わからないままでいいんじゃないか?というのが結論
淘汰されて残るものはいずれ大衆レベルまで降りてくる それを楽しめばいいんじゃねえのかな >>635
いやそれ以前に美術史上という表現は美術史という分野に限った話になってしまうけれども
それでいいのって聞いてんだけど >>637
別に限らん。美術の価値は美術史で決まる、って言ってるじゃね
ここで言ってることは終局的には美術の価値についての話だよ
別に感想だけで決まってないよ。というな >>633
俺自身たまたま神秘主義的経緯を辿って信仰を得たので
もう神秘主義はお腹いっぱい
なんか今までとは違う新しい刺激が欲すい 上でも書いたが
俺が欲するのはジンテーゼとしての進化したアートであって
神秘主義云々は単なるテーゼに過ぎんよ >>638
美術品の価値を決める基準なんて様々でしょ >>641
美術史だっていろんな主義や観点、解釈があるからね
有名な一例はフェミニズムとかだけど
いずれにせよ感想ではなく、美術史を巡ってそれらの主張も争ってんですよ
どーして美術史を言うか、わかるかな? >>642
美術史以外の学問分野もあるでしょ
中卒みたいなこと言ってんなおまえ 哲学は神学のはしためとかいう中々刺激的な言葉があるが
ある意味で美術史もはしためなんだよね
なんの?真理のね
まあ理由はクドくなるから書かんけど
なんのための美術史か
あるいは学問かってとこなんだよな
別に貶める意図はないからスルーしてくれ >>643
「芸術学は美術史をもって成立する」がバウムガルテン以来、芸術学の基本だからだよ
分野はいろいろ別れているように見えるけど、
前提は美術史なんすよ。そこらへんわかって。芸術学の基本のキ
あまり美術史教育してこなかった日本では、なんか一切の前提に囚われないのが芸術だ、
みたいな自由画教育の理念だけが浸透してるけど、
いまそういう時代でもない
そういうこと言ってるのは繰り言だけれど展開を知らないオッサン世代の言だよ
いまの現代美術作家だってそんなこと言わない >>646
ではその違いを述べてみましょうw
ついでにその関連もね? >>647
美学は「美についての哲学」であり、古典を厳密に読解しつつ「美とは何か」「芸術はどうあるべきなのか」といった問いと向き合う。一方で芸術学はより個別研究に近く、絵画、音楽、漫画、漫才などハイカルチャーからポップカルチャーまで幅広く扱う。 >>645
芸術学は美術史をもって成立する
このテーゼって初出は何なの? >>648
どっかの大学の記事そのまま持ってきたような記載だなあ
というか、ググってみたら東大かいな
ちなみにそれは東大の「学科概要」でしかなくて、違う書き方もありますよ?
>古典を厳密に読解しつつ「美とは何か」「芸術はどうあるべきなのか」といった問いと向き合う。
芸術学を個別研究とみなすかどうかは割と異論のあるところ
つかね、美学を美の哲学と呼ぶ場合、芸術を芸術の学/芸術哲学と呼ぶ場合で随分ニュアンスは違う
さて、この違いわかりますか? >>649
書いてる通り、バウムガルテンだよ
「美学辞典」なんかにも載ってる有名な記載さ つうか、美学/芸術学の区別に拘るなら、
>>569で書いたような、「美学は批評的考察である」ってなカントの言も知ってるだろうに
この場合の批評が単なる感想じゃないこと、も良く知ってるはずだと思うのだが >>650
何と何の間でのニュアンスが異なると言ってるの?
美学と芸術学は学問分野が違うのだから
2つの間でそれぞれの言葉の意味合いが変わってくるのは当たり前の話でしょ
で、批評の話はどこに言ったの?
辞書的な意味での批評という行為を否定してる研究者っているの? >>653
>批評の話はどこに言ったの?
>>652に書いてあることを参照のこと
この場合の「批評」がどういう代物であるか、あなた知ってるはずだろう?
美は趣味、感想だから、美学はそうでない批評的考察だって話だけど、
そういう前提どこいったの?
美学/芸術学の性御率をめぐる根本的なお話でっせ? 性御率じゃないやw成立
美学/芸術の成立をめぐる根本的なお話じゃね? >>655
批評的考察だから批評的な要素を含んだ別のアプローチってことだろ
日本語の問題 美を感じる心はそれぞれ。それぞれの感想
だからこそ、美学は批評的考察でなければならない
がカントが言ったことの内容だよ
カントにあやまれw 美学はわざわざそういう学問なんすよ
まるで逆転して捉えてる人が多い気がするけど >>657
>>658に書いてある
わざわざカントはあなたの言ってることを否定してるんす。日本語の問題じゃねえって >>659
俺の言ったことの何を否定してんの?
お前敵ちゃんと見えてる? >>660
見えてるよ。この場合、感想のような批評のこと言わないって
由来上な >>661
この文章が全く以って意味不明なんだけど
何を具体的に言いたいの?
>この場合、感想のような批評のこと言わないって >>662
>作品を見た時の感情を言葉や文章にするのが批評だろ(>>543)
>それってただ単に批評の手続きにもピンキリがあるってだけの話でしかないよね(>>574)
あなたが言ってることはまるで違う。美学における批評ってそういうもんじゃねえす
わざわざ、そうであっては美とは何かが分からない、美学は批評的考察であるべきってことが言われてるんすよ >>664
印象批評も批評じゃん
批評的なアプローチで物事を考えろってことなら
何も俺の言ってることと矛盾しないよな >>664
言葉遊びっぽい。正確にはそれは、その感情を冷徹に曲げず取り出せる、という前提の場合な
ところで印象批評はなんの役に立つと思う?
まあ、横から入った話なのであれだけど、
「印象批評できないやつはおかしい」ってな言い分に反発してるだけなんだけどさ、
(周りで「感動の理由を示せ」と言ってた人達ね)
「批評的アプローチ」なあ
>作品を見た時の感情を言葉や文章にするのが批評
やっぱこの言い方はおかしくて、その感情を「批評的にとりだす」が批評だと思うよ
その上で、時代の違う過去作に関して、そのまま受け取るのは往々にして「つまらない」っつう感想しか出てこない
これを超える観点がないと理解は進まん
乾燥抱いてる鑑賞者のほうの時代性は浮き彫りになるけど、往々にして作品そのものがほったらかしになるのな >>658
芸術を高尚なもんだと思ってるのかも知れないけど
どんなに人の心を打つ作品でも美大を出てなければそれは芸術ではなくサブカル
そういう世界だよ 美を感じる心が人それぞれなら
一体美はどこにあると言える? >>670
別に高尚だとは思ってないよ
むしろ、レス付けてる人達のほうが、「芸術は、あらゆる人々を感動させる崇高なものだ」みたいに見てるような気が
今日、そこまで芸大閥なんて存在しないし、
アーティストとしての活躍は院からだから学歴ロンダし放題
>人の心を打つ作品でも美大を出てなければそれは芸術ではなくサブカル
そういう状況ではないし、逆にそれはサブカルを下に見過ぎじゃないすかね? あ、ごめん、レス先を間違えてるや
>>667は>>666宛ね 哲学は神学のはしため
カントもその例にもれず
原義とは違うかもだが経験的に直観するのは
西洋哲学ってのは宗教感覚の言語化的な面が大きいんだよな
みんな哲学を徹頭徹尾理性で構築したものみたいに思っとるけど
宗教感覚という先立つものがあって
それを理性的に言語化する試みが西洋哲学なんだよな
もちろんそれが全てじゃないけど 余談だが日本人の哲学者が大したことないのも理由があると思うんだよ
つまり宗教感覚という先立つものを持たないから
そこから西洋哲学に比肩する内容を展開出来ないし
本当の意味で西洋哲学を理解してもいない 話を戻すと
だからカントの言う美ってのもアレだよな
クドくなるから多くは言わんけど >>667
批評的に取り出すとはどういったことか
具体例を用いて説明できる?
出来ないだろどうせw >>677
印象批評の目的を尋ねたでしょ?
さて、印象批評はなんのためにおこなうものなのでしょう?
やっぱ
>作品を見た時の感情を言葉や文章にするのが批評
この言い方おかしいや 印象批評出来ないやつはおかしいとは言ってないな
感動を言葉や文章に出来ないのは単にそいつが馬鹿だからと言ってるだけで >>679
神は語りうるか?
こういう前提となる感覚が日本人には欠けとるんよな >>680
「2023年の現代ににおいて」○○はつまらなく見える
私達にとっての芸術は××である
このように限定性を加えて初めて有効になるもんじゃないかなあ?つうこと言ってんだけどね
特に過去作を見る場合に、こういう態度がいるんじゃねえかなあ
って提起なんだけど、話は伝わってないか >>679
やっぱそれ煽りだろw
そこらへん自分で努力しましょうよ >>682
全く意味不明だな
小手先のレトリックにしか見えない
何で昔の作品を見る時にいちいち現代との比較を考える必要があんの
お前正気かる >>684
ほらこれだ
手塚治虫の例で示したように、その面白さを「つまらん」言うてる人に伝えるのは至難の業だよ
歴史的に、生き生きとしたコマ割り、映画的表現の開祖です、みたいなこと言っても、
それよりもっと劇的な演出やコマ割り漫画のあふれた現代じゃ、
感動させるのは至難の業だろう
でも、「感動させない方が馬鹿」とか言われてもな。そら困るよ
どっかでこういう中学生とのやりとりが話題になってたな
一般的に、そういうの、「歴史を知らん馬鹿」ってな話でしかないような >>685
>何で昔の作品を見る時にいちいち現代との比較を考える必要があんの
事例は>>686に示してるでしょ
「真の芸術は、全時代を超えて全員に普遍的なものなんだあ!」とかいう崇高な思い込みでもあるのかいな
というか、そういう思い込みしてる人多そうな >>686
つまらないと言ってる人間を説得しろって話じゃないからな
自分の感情や判断を言語化文章化しろという話であって >>687
必要ないじゃんそんな作業
やりたいやつは勝手にやってろレベルのことでしかないよな >>688
自分はマーク・ロスコについてはあまり面白くないと思ってるけど
「値段の理由を説明せよ!」じゃなかったっけ?
説得しろ、じゃねえかw >>689
やりたい人がいないと、手塚治虫は風化する
記念館立てて、その歴史的異業を説明して、とな
そういうのは必要なんじゃないすかね
えらい反文化主義的やね >>691
風化すればいいよ
作家の生命なんて市場にまかせておけばいい >>692
商業作家、市場人気が全ての観点ならそれええだろうけどね
上の方でサブカルを下に、ってな話があったけど、
いまやアニメ漫画からアート的なものが、みたいなこと言われる時代に
えらいアレな話しやな
ワイはそれに賛同せんよ >>693
今どうでもいいんだけどそんな話
逃げようとしてんのお前 >>694
逃げてるのはお前じゃないすかね
歴史的観点は必要なもんだよ。過去作見る場合にはね
特に間違いありますかね? つうか、つまらん思ってないんだったらそれこそ自分で調べろよー
そこから「逃げないで欲しい」と思うよ
ガイド説明はあくまでガイド説明以上にはならんて
感動させない方が悪い、とかいうのはやっぱ姿勢変えろよ、としか
そも、上手な文章での説明ならそれこそ美術館でガイド頼めばいいだろう >>695
なくたっていいでしょ
どってもいいよそんなもん >>697
平行線だね
やっぱ「真の芸術は、全時代を超えて全員に普遍的なものなんだ」という崇高な思い込みがあるのかな
これ、漫画なんかでもそうだけど、突っ込んでみたらそうでもない、みたいなことすぐわかる
漫画でいえば、なんで鬼滅はあんだけヒットしたんだ、みたいなもんだけど、
ファン/アンチの覇権争いしててもしょうがねえんだわ
美術の世界は特にそういう人気商売ともやや違うし >>698
ホント何言ってんの
普遍性とかどうでもいいし漫画も興味無い
何が言いたいのかさっぱり分かんない >>699
いやあのね、「説明できない方が悪い」ってさ
アニメ漫画の覇権争いで、信者煽りしてるようなもんじゃね
あんだけ売れてるけど、あれ信者だから、工作だから、
あいつらだから説明できないだろ、みたいなこと言われても知らんて
現代美術はそういう世界と違うよ
美術作品の価値は基本的には美術史上の価値で語られます
不思議なもんで、売れてるから人気とは限らないし、
売れたから残るとも限らない。消えてった人気作家はたくさんいる
美術史上、こういう役割を果たしました。基本的にはそういう説明があるだけよ >>700
お前統失か?
文章支離滅裂なんだけども >>701
まあ、感覚的にわからんだろうな。そう煽ってくる人には特に伝えづらいね
たとえば織田信長の価値について語る場合、
普通は安土城を開いて、楽市楽座を開いて、天下統一の目前までいって
みたいなことを説明するよね。このように歴史的役割を語る
で、このとき、君たちが要求してるのはあれだ、
信長がいかに気さくだとか、豪放だとか、こんな人間的エピソードがあるといった
「好きになれそうな」エピソードを語れ、みたいなもんだよ
そういうのは大河ドラマとか転生小説とか、教育とか、そういうのにはいいだろけど、
「価値を語る」ではない。授業を面白くする小話ではあってもだ
そういう要求なら、小説家に頼んだらどうですか?みたいな
あなたの言ってること、求めてるものこそ、こちらは支離滅裂に感じる。それが理由 ハッキリ言ってアートなんて
それこそ普遍的原型の焼き直し作業でしょ
絶え間ない焼き直しの繰り返しの中で
以前よりより良い物を作れる可能性があるだけ >>702
歴史的役割って現代との比較なしでも語れるよね 美術についてもそうだよ
たとえばゴッホの絵の価値について、
それまで自由筆致ながら現実のリアルな色彩を追い求めた印象派に対して、
ゴッホのひまわりの黄色はリアルの色とはかけ離れている
こうしてはじめて色彩的自律性をもたらしたのがゴッホのポスト・印象派としての価値
つまり、歴史上、彼によって画家たちは自由に色彩を遊ばせることができる道が開かれた
これが歴史的価値の説明だとして、一方でゴッホは衝撃的な自殺をしたとか、
弟テオに支えられたニートだったとか、いろんな人間的エピソードを強調して語ることが出来る
そこから類推して、彼の感情とか、そういうこと語ることもできるだろうけど、
それはあくまで面白エピソード、神話に過ぎんよ
別に死ななくてもゴッホの絵はいずれ売れただろうし、なお発狂しなければ活躍機関ももっと長かったろう
で、こういう後者型の語りを望んでるんだろうけどさ、
それは違うんよ >>706
>>707に例示したように、たとえばゴッホの価値は印象派との関係とかがないと出てこないよ >>702
例えば世界初の自動車とか歴史的に価値があるんだろうが
しかし実用的な価値やデザイン的な価値んかは劣るんよな
だから歴史的な価値が絶対的な価値にはならないのといっしょ
アートにも実用的価値があるしな >>705
物語類型なんてワードがあるぐらいだからな >>708
相対的な価値しか認めないってだけじゃんお前の態度は リアルさの追求は写真の出現で不要になった
リアルさが不要なら何を描けば良いか?
それを模索したのが現代美術 現代美術見て美的経験を得られるってあんま無いからなw 現代美術はむしろ美の概念の破壊を目指してきたわけでw その1つの方向性が抽象概念のビジュアライゼーションというもの アートの実用的価値を否定したら
アートの存在意義ってなんになるんだろうね
それこそ投機の対象とかかなw >>713
アンチテーゼとしては正しいよな
つまり正しいゴミ >>709
んー。上の>>703みたいな、完全体からの分岐ってな考えと、
発展主義的な考えがあるよね
デザインや実用もそれぞれデザイン史、文化史としては結構価値あると思うけどな
現代デザインを拓いたバウハウスあたりかなり著名じゃね
>>711
相対じゃないだろう。発明やで?
新発明は相対主義なのか?w >>717
完全体のより良い表現としてのハッテンよな
つかデザインや実用性も歴史的価値で評価するなら
それは単に君のモノに対する評価基準が歴史的価値しかないってことで
それが妥当かと言えば妥当じゃない
というかぶっちゃけ狂ってるw >>718
意味が分からんが?
>>719
歴史的受容とか、そこらへんの観点欠落してね?
たとえばバウハウスが拓いたモダンデザインって、現代でも折り畳みイスとか
集合住宅のエッセンスの基礎として生きてるでしょ
デザインなら実用性も当然それ込みだよ
ただし、この受容の経緯を説明しないと、バウハウスの椅子も単なるありふれた椅子にしか見えないだろう
そういうこといってるわけだけど、誤読が過ぎる
手塚はそのエッセンスが当然、現代漫画のエッセンの基礎として実用性が生きてるし、
各種のデザインもそうだよ。ただ、それ説明しないと理解は難しかろうな 美の概念、美のイデアを人類史上始めて哲学的テーマとしてとりあげたのは、言うまでもなく偉大なるプラトンであるねw
美をテーマとした対話篇の代表はパイドロスであるねw タリバンが仏像を、ただの石だと言って破壊してたけど
気持ちは分かるような…
美術芸術のたぐいは文化大革命してやりたくなる >>722
意味わからん
別のデザイン作家がその影響を受けてより発展したものをつくる。エッセンスを引き継ぐ
それ「紹介」なのか?w >>720
君が歴史的観点以外の価値を欠落しとんのよなw
ただそれだけの話
まあその態度も>>716の観点から言えば正しいと思うよ
ジンテーゼに至る前段階における
アンチテーゼとしての歴史的価値だけは確かにあるからね >>725
いや理解が悪いなあ
わざと歴史的観点「のみ」を言ってると見なしてる
逆にさ、こちらは「感想のみ」に対して反対してるわけだけど
特に感想を語ることを否定してるわけじゃないぜ。上の方で言ってるけど
ただ、批評はそれだけを言うものではない
ついでに、アンチ手―p是としてのアヴァンギャルドは半世紀前にシーンとしては終わったでしょ
いまそれ流行ってないよ >>727
ぶっちゃけ、そういう姿勢こそ実際には投機の温床なんだよなあ
何か隠された歴史上にない名作が眠っている
何かアカデミが見逃した在野の名宝がここにある
それこそ投機詐欺屋の口上でね
それもとに数々のばかばかしい事件が起こってきたのが美術史上だよ
それが詐欺ってもんだよ
株の誘いや仮想通貨の誘いとそっくりだろう?
投機じゃねえんだからちゃんとアカデミの鑑定聞いとけよ、というな
芸術は投機だ、ってやつがNFTなんかで躍ってるわけで
そういう連中の向上真に受けないように >>724
歴史的背景なんて言わずもがなの人間に対してまた改めて説明する必要あんの? >>721
現代アートのアート体験って君の言う通り軽いんだよな
軽いというのは理解の範疇という意味で
美術館で便器見せられたところで(これの焼き直しも大量にあるね)
ああこれって美的体験や価値あるものへの期待を裏切られた事による困惑や混乱狙っとるんだなって即理解出来てしまう
だから予言しよう
思うにプラトン以来の美のイデア追求というテーゼ
そしてそれに対するアンチテーゼとしての現代アート
その止揚たるジンテーゼのアートが今後登場するならば
それはアンチテーゼ的な意識の表層における困惑を惹起するものから
テーゼ的なより深い心の階層において
アンチテーゼ的な困惑を惹起するものであると >>726
>>725において一応歴史的価値を認めてるでしょ皮肉たっぷりだけどw
まあだから感想のみじゃないのよな
ってことでちゃんと読んでね ×ばかばかしい事件が起こってきたのが美術史上だよ
〇ばかばかしい事件が起こってきたのが美術市場だよ
×そういう連中の向上真に受けないように
〇そういう連中の口上真に受けないように
>>729
別に説明する必要はないんじゃね。知ってるなら
あとは自分で味わえばよいのでは? >>732
だから最初から作品そのものを語ればいいわけでしょ >>731
相手が誰だか割と混乱するんだけど、
批評は感想だけを言うものではない、は別のもう一人に向けてかな >>733
それは自分ではなく、あなたの役割なんじゃないすか?
なんで甘えてんの、というか もっと言えば困惑とは右か左か決められないってことだ
つまりあらゆる価値の相対化である
これが苦しみであるときこれは暗夜と呼ばれる
これが喜びであるときこれは空と呼ばれる
つまり光と闇の二律背反であり
これに時間軸を加えれば
闇から光への移行となる >>730
横からごめんね
デュシャンの「泉」は最初、アンデパンダに出展予告されたとき
それはそれで大騒動になったんだよ。自由出展のアンデパンダで出展拒否だったから
時代が過ぎ、そんな立場にない自分らが見てもそりゃ軽いのは当たり前じゃん
しかも、あれ実物(は行方不明)じゃなくて、サインしただけのレプリカ群だし
ついでに、プラトンの美のイデアと、近代美学のイデアと、
アヴァンギャルドのイデアはこれまた違うし、それ以降もまた違う
単純なテーゼ、アンチテーゼ、止揚なんて関係になく、間には4者いる
そこらへんどうなんだろかね >>738
なら自分で説明してくださいw ああ、やっと荷が下りるなあ >>51
そこまでして完成させる現代アートはやばい
良秀かよ >>741
イデアって絶対存在みたいなもんだからな
いわゆる真理と言ってもいいが
違う真理がいくつもあったら
それは真理とは呼べんでしょ
じゃあ美のイデアと混乱イデアと2つあったらおかしいじゃんってなるかもだが
だから二律背反なんだよね
結局美も醜も同じ一者の両側面ってことね >>730
美のジンテーゼというものは既に世界に存在しているのではないか?w >>744
もともとプラトンの「美のイデア」が完成体だ、みたいなニュアンスが飲み込めない
模倣、技術としてあるのがプラトンの美だけど、
どこに自律的完成体、みたいなニュアンスがあるのだろう? あと対立概念の統合だから
必ず対立する2者が一者に統合するって形になるね
仮に対立概念が2組、つまり4つあるならば
ペアが2つ出来るみたいな感じ
で、ペアになった棒(それぞれの端が概念)が十字架みたいにクロスして
その交わる点に中心が出来るイメージ
ペアがいくつ増えようが
この中心点で重なっていくイメージだな >>745
そうだね
いわゆる禅の十牛図における返本還源がそれだね つか興に乗ってテキトー書いてるだけだから真に受けないでね
ここが5chって事を忘れないでw
結構食付きあってビビるわ プラトンにおける美のイデアって、真の「模倣」でっせ
美術の語源が技術(テクネ―)であるように、真なるものを写し取り模倣したものが美、だすよ
ちなみに音楽の語源(ミューズ)のほうが美の女神
そこらへんどうなって? >>751
真の模倣が美なら真そのものも美だしな
つか人間は必ず人間というフィルターを通した認識しか出来ないので
そういう意味では人間の目に映るイデアは全て模倣
つまり美のイデアだな >>753
>真の模倣が美なら真そのものも美だしな
ちょっと違うよ。プラトンにとっては明らかに下位の概念なんだけどね
要するに、じゃあ快楽に溺れてもそれは真や善なのかってな課題があるじゃない >>755
人のイデアについて考える時に
結局人間ってどんな生き方をしていようが
死んだら肉体も含めた全てを他者(人間に限らない)のために手放すわけでしょ
よく死んだら仏になるっていうケド
まさにこういう観点で見れば
人間存在自体もまた美なんだよな
で、人間に限らずあらゆる存在が
この様な美と調和の中にあるというね
カント的に言うならこの世の自称全体が
まさに目的なき合目的的で
つまり美なんだよな ごめんまた調子に乗ってしまった
地獄に行って来るわ >>756
まあ、それはそれで一つの考えではあるんだけれど、
プラトンが求めてるのはただの美ではなくて「真美」とかいうやつ
自然摂理の徹底した模倣によってたどりつくもの
なのでプラトンの名前が出ると気になる >>760
悲しいかな人間には限界があるから
物自体、神、真美、あとなにかあるかな
そういったものにはたどり着けない
でも近づく努力は無駄ではない
言ったらキリストには絶対なれんけどキリスト目指したり
絶対解脱出来んけど解脱目指したり
要はそういう努力目標みたいなものとしての意味がある
まあ何しろ人生一生修行だしな 人間には模倣しか出来んのだけど
模倣の精度を上げてゆくことは出来る
人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが
想起によってイデアを思い出すことによって
フィルターの曇りを取ることで
模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る
人間が真美に至ることが不可能である以上
この作業は死ぬまで続くことになる
つまり死ぬまで修行だ 人間には模倣しか出来んのだけど
模倣の精度を上げてゆくことは出来る
人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが
想起によってイデアを思い出すことによって
フィルターの曇りを取ることで
模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る
人間が真美に至ることが不可能である以上
この作業は死ぬまで続くことになる
つまり死ぬまで修行だ 人間には模倣しか出来んのだけど
模倣の精度を上げてゆくことは出来る
人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが
想起によってイデアを思い出すことによって
フィルターの曇りを取ることで
模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る
人間が真美に至ることが不可能である以上
この作業は死ぬまで続くことになる
つまり死ぬまで修行だ 人間には模倣しか出来んのだけど
模倣の精度を上げてゆくことは出来る
人間というフィルターを通して認識する世界はどこまでいっても模倣だが
想起によってイデアを思い出すことによって
フィルターの曇りを取ることで
模倣即ち認知の精度を上げていくことは出来る
人間が真美に至ることが不可能である以上
この作業は死ぬまで続くことになる
つまり死ぬまで修行だ >>720
あれがありふれた椅子にしか見えないとか
目の玉腐ってんのかおまえは 18 名前:I was not ABE &竹中維新ダメ警報[sage] 投稿日:2021/10/30(土) 20:27:23.09
24節季だと霜降と立冬の間
俺はたぶん季節性の躁鬱ある方なのでこの時期は一番鬱い
13 名前:I WAS NOT ABE & 維新竹中ダメ警報絶対! (ワッチョイ 23a2-6p9H)[sage] 投稿日:2022/04/06(水) 22:28:33.80 ID:KH/p9Afm0 [1/3]
・・・自分の小便と精液は舐めたことあるよ
一度だけだけど
普段、大便は色形匂いとか気にする 275 名前:I WAS NOT ABE & 維新、竹中は自民よりも危険 (ワッチョイ baa2-7EKy)[sage] 投稿日:2023/07/17(月) 19:33:44.38 ID:YW/oROO10 [15/16]
ちなみに今の俺は、かねてから興味あった伊豆網代のイカの軟骨塩辛舐めながら日本酒
https://i.imgur.com/gAhf9rI.jpg
こういうのはやっぱ単離した旨味調味料では無理だと思うよ
旨味は舌の刺激だけじゃない この業界もゴロの宣伝に騙されてしたり顔で語る奴が多くて嫌になった記憶がある >>767
ワシリーチェアなんかはそりゃ名作デザインだろよ
ここでイメージしてんのはもっとシンプルに統制されたブルーノチェアあたりだが
そのあたりが良く見えるなら、
現代美術は意味不明、なんて言わないだろうと思うけど >>720
養老孟司的に言うなら
歴史は不可能ってことなんよな
例えば本能寺の変なんかも
明智の動機が判明したとして
じゃあその動機は何故起こったのか
その原因の原因は何なのか
更に原因の原因の…って再現がないんだよな本当は
だから歴史を真に記述しようと思うなら
宇宙の事象全てを記述しないといかんのよね
何故ならバタフライエフェクトとか言うように
一見関係ないように思えるものでも
全てが繋がってるからだね
で、何が言いたいかと言うと
俺らが思ってる歴史というのは
この様な全体的な繋がりが恣意的に切り離され
部分的に完結した範囲の中で解釈されるあファンタジーってことなんよな本質的にね
だから歴史的価値というのも本質的に人間の創作物なのだから
無批判に受け入れるものではなく
カントの言うように批評的態度で望まないといけないものだと思うよ >>771
ありふれてるかどうかの話だけど
識字障害かおまえ? 例えばアインシュタインはエレベーターを見て相対性理論のアイデアを思いついたらしいが
これってある意味でエレベーターの発明者が相対性理論の出現に貢献したとも言えるんだよな
ゆえにこの様なあらゆる関係性を切り捨てて
アインシュタインが相対性理論を生み出した
という単純な歴史に還元してしまうのは恣意的なファンタジーなんよな本当は
バウハウスデザインの歴史的意義についても同様に恣意的ファンタジーであって
美的価値についてその様な普遍性のない恣意が混入するのって本当は不潔なんだよな >>775
やだやだ、煽り口調でやだねえ。なにがそんなに火をつけるやら
バウハウスの椅子が良い、と言える人達は心配せんでも現代美術の観客だよ
で、そういう人達でいま美術館は盛況なわけだし
このスレで課題になるのはそうじゃなかろ まああれよな
歴史的価値は美の構成要素足りうるか
という話よな
個人的には歴史的価値にも価値はあるんだろうけど
それは美的価値ではなく
ハッキリ言えば極めて世俗的な価値なんだろうなと思うよ
ここで言われとるイデアやら真美やらカントの言う美やら
そういった高尚(笑)な価値と真逆の価値ね >>776
アインシュタインの相対性理論に関しては、マックス・ブランクが彼を見出した
がよく言われることだよね。量子論の開祖の一人
同時代的な物理学の進展のただなかにあるわけで、
そこらへんはふつう歴史として描かれるものではないかな
誰々が単独で、ってのはあまりないのでは
逆に彼はDV男だったとか、こんなユーモラスな出来事が、ってな人間エピソードを強調するほうが
かえってそこらへんの関連が見えづらくなりやすい
単独の人間性に還元し過ぎると良くないのな。これと美術作品も同じ このスレで衝動や感覚が大事だと言ったら現代アート厨にバカにされるケドw
その真意は世俗的汚染に目を曇らされることへのアンチテーゼなんだよな
まあ歴史的価値も大事だけど
素直なガキンチョの心も大切ってことで >>51
不謹慎だがアートとしてかなり強力だよな
燃えたことで皮肉にもアートとして昇華してしまった >>781
別に、衝動や感覚も大事だよ
ダミアン・ハーストの衝撃について上の方で自分も言ってるよ
ただ、それだけに還元し過ぎるのは良くはないように思う
というか、衝撃や感覚で理解できるなら、「現代美術は意味不明」ってな話は出てこないわけで
長々論じたり解説する必要はないんよな >>783
そもそも理解出来るならアートとしてあんま意味がないんだよな
難解と意味不明は違うわけだが
難解な文学と糖質の妄想は区別せんといかんし
小学生向けの読み物と大人向けの難解で高度な文学も区別せんといかんわな
何が言いたいかと言うと
分かってしまうということは
難解で高度ではないってことなんよな だから衝撃や感覚で理解するんじゃねーんだよな
理解はあくまで理性の仕事だからな
理解出来ない、つまり容易に言語感覚出来ない衝撃や感覚を味あわせてくれる作品
そーいうのが芸術の価値だと思う >>787
繰り言だけれど、「理解できない」に理由はいろいろあるから
時代が違う、古臭い、立場が違う、感性が合わない
美術の歴史は栄枯盛衰で、いち時代に流行ったものが廃れ、
その時代に眠っていたものが次代に花開き、の繰り返し
美術オークション市場ではそれを派手にしたショーが繰り広げられていて、
濡れ手に粟の連中がいて、バブルが弾けて消えていく連中がいて
どの時代も最初から普遍的に、誰もが全く理解できる芸術がそこにあるなら、
こんな歴史にはなってない。ケンモメンが嫌う馬鹿みたいなお祭り騒ぎになってないだろう
芸術家が、真美を追及目標として掲げる分には構わないわけだけど、
それを価値として見だすには歴史的視点がいるだろよ、ってことなんね
それがつまらなく意味不明に見えるなら、また逆に見えるなら、何故そう見えるかの視点を持ってほしい
自己推察とか批評的視点と言われるもの
それを持ってはじめて価値が引き出せる >>789
上で書いたように歴史的視点は恣意だからな
つまり本当の美の基準にはなり得ない
時代性、立場、感性の多様
そういった表層的な違いを超えた深層的な普遍
現代でも通用する
今聴いても古くない等等
そういったものってあるよね >>777
また話逸らそうとするんだな
あれをありふれたと認識出来るかって話 現代でも通用する
今聴いても全然古くない
って普通に言うしね >>791
そう認識する人が「現代美術はつまらん」と言ってじゃねえの?
バウハウスだって「現代美術」だぞ
ちなみに、>>799を読んでよ
現代でも通用する、と受け取れる人だけなら、こんな話いらんわけよ >>790
「歴史的視点」はべつに歴史のお勉強、つう話ではなくて
巻となりバウムガルテンなり引用して言ってきた、批評推察的な視点のことよ
たぶん、「歴史的視点」をそのまま歴史のお勉強だと勘違いされてんだなあ、
とずっと他の人と話してて思ったんだけど、
要するに自分の時代性や立場という限定性を越えた全体的視点のことだよ
偉そうな哲学議論になるけど、カントなんかが要求してたのはこれ >>795
ならこのスレ要らないんじゃね
ダミアン・ハーストなりマーク・ロスコなり、
「感性で理解できない」人達に何を説明するか、って話だからね >>794
歴史的視点自体がある種の作品であるから
それ自体批評の対象ということよな
で、その結果世俗的価値足りうるけど
形而上学的価値にはなり得ないという話よな >>797
感性で理解とかその言葉自体本当は矛盾してるでしょw >>798
もちろん、「書かれた歴史」に関しては批評の対象、というか美術批評がやってることはそれ
いろんな立場から歴史をめぐって争ってるね
最近ならフェミニズムによる美術史の問い直しなんてのが例かな
そのうえで世俗的価値と形而上学的価値のくだりがいまいち飲み込めないんだが、
もう少し説明を >>799
じゃあ、感性で「受け取る」あたりに書き直せばいいの?
なんか揚げ足取りに見えるが そもそもアートが世俗に取り込まれてしまうと
アートの存在意義がなくなると思うんだよな
と言ってもそんなに難しい話ではなく
例えば祭りの無礼講とか乱交とかが
日常つまり世俗では許されない行為の開放であるように
芸術も本来日常において味わえない
非日常的な感情を惹起し味わえるもの
そういうもんだと思うんだよね
だからアートは面白いんだよ >>801
理解するのはあくまで理性だからな
受けた衝撃や感覚を理解するのは理性だよ
まあ>>787だな だからアートの価値は非日常体験なんだよな
理解に至る以前の体験自体に価値があるわけよね 美術館のすみっこに眼鏡を置くいたずら
かりあげ君であったな なんで非日常的な開放が必要かと言うと
前提として社会的な日常というものは
現実に人間を抑圧してるからなんよな
言葉を変えて言えばその人の持つ全体性が阻害されてるというかね
例えて言うなら鳥なのに飛ばない縛りされていたり
魚なのに泳ぐの禁止されてるみたいなもんよな
これって自然からしたらまさに文字通り不自然であって
俗ってのはこういうことなんよな >>802
「アートは解放である」の認識自体、かなり理念的な気がするんだけどなあ
それ狙ってやったアヴァンギャルドが今日、「理解できない」と言われる代名詞でしょ
平たく言うと、アートは解放だとか、肉体性だとか、感性に還れだとか
かなり頭でっかちにやってきたのが現代美術の歴史で、結果「わかんない」と言われてしまうという
アヴァンギャルドについて、個人的には大好きな歴史ではあるんだけれど、
それやった結果、これをどう回収するかを問われてるのが現時点だと思うんだよ
非日常、ということでカルチェラタンとか学園解放区とか現実にも侵入したわけだけど、
単にオモシロイ、では終わってねえってのが保守化してしまう今日の時勢じゃね
非日常への志向はいいとして、そう安穏として言える現状にない、が自分の感想 >>807
どういう理解かによる、って話してる最中じゃね?
つうか、お前も持論を提示しろよ。揚げ足に終始せず >>809
そういう意味での開放じゃないね
意味不明な創作なんて日常で許されてるでしょ?
意味不明なものを見て混乱するのも日常的な感覚だしね
だからそういうものではない非日常的なものの開放って事よな 意味不明なものを見て混乱するのが日常かと言えば厳密には違って
ちゃんと言うなら笑いとか
そういう小さな非日常が日常に普通にあるって感じかな だからあれだな
抑圧下の範囲内で好き勝手やる開放じゃなくて
抑圧の外に飛び出す開放よな >>911
そぞれぞの作家にとっては意味不明ではなく、
そういうふうに「ほんとうの非日常」の解放を唱えてたりするんよ
その結果、肉体から乱交から神秘主義から呪術的なものから
いろんなものが試されてきたのが歴史じゃね
そのうち、社会に受容されて定着してきたものも多いし、勿論成果は多い
というか、「アートは解放である」ってな理念自体がそうだ
今日、多くの人がそれを容易く引き移しに口にする
ところで、ほんとうに解放ってできたのか?
このあたりも省察しようよ、っつうのが歴史的視点に立てって話でね
現時点的な課題として考えてしまうところなんよ
というか、00年だから現代美術はそういう方向にいってるな >>814
そりゃ人によってはそういう人もいるのも当たり前だよなw
つうか既存のアートスタイルからの解放を目指すムーブと
非日常からの開放を混同したらいかんし
ましてやその混同を根拠に
現代アートにとって開放なんかとっくに過去のものだ!
みたいに持ち上げたらいかんわなw ホイジンガやカイヨワじゃないが
人間に遊びが絶対必要なのもこういうことだわな
遊びは開放であり
5chに書き込むのも俺にとっては神聖な遊び
肉体労働者の俺にとって
議論ごっこは日常では味わえない体験だからね
しかし所詮遊びと侮るなかれ
仕事じゃないから純粋に楽しくのめりこめるのだ 遊びの面白いところは
ただ真剣に遊んでるだけなのに
気がついたら目的なき合目的的に
いつの間にかなってしまうこと
そういう意味でアートも
作りたいものを作るべきだし
鑑賞したいものを鑑賞するべきだと思う
もちろんこれは歴史的価値等その他の価値やあり方を否定するものではない
つまりこれもそれらに対する単なるアンチテーゼであって
アンチテーゼの目的はテーゼとともに
ジンテーゼへと昇華することにある 何でもいいからニュースになることが現代アートだ
ってウォーホールが言ってたしな
意味不明と認識させるれば勝ち
水面に浮かぶ水蓮を光で描いたのね、は現代アートではない >>810
理解は理解だろ
理解に程度の差なんかねーよw >>822
結局こういう感じで対話は不可能なんだよなあ
トートロジーだねえ >>822
で、結局お前が何が言いたいのかわからん
何がしたいの? >>826
こういうのどうしようもない
「マーク・ロスコ―理解させろ」と要求してたの誰なんだろう
そういう流れだと思うけど
揚げ足取る前に理解なら自分でしようよ
言葉遣いに突っ込んでも意味はなかろう >>827
理解なんてする必要ないと思うけど
何でいちいち意味とか理解とか求めるのかが分からない >>828
なのに、「価値を説明しろ」と言うから説明したわけだけども
理解したくない、言いながら煽られてもこちらは困るよ
なんで高額の値段がつき、歴史的にどう評価されているのか、その理由を説明したわけだけど、
「感情的に納得させられないのはお前が悪い」と言われてもな
必要がないと思うならあきらめてくれ。煽り材料に使わないで欲しい >>829
価値を説明しろなんて言ってないけど
お前ごときが価値を説明出来ると思ってること自体が不遜 >>830
不遜と来たか。そらまた被害妄想な
アヴァンギャルドの歴史の話のところで言ってたのは、
感情や情動中心で、わかりやすい社会性や説明を殴り捨ててきたところあるから、
ちょっとは反省したらいいかもな、ってな話なわけだけど、
そういう議論してたら「不遜」に見えるようだね
いやそら被害妄想だって
感情的には理解できない、なら歴史や立ち位置で見て、その価値を見て認めればいいだろう
自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる
そう諭してるだけなんだけどな。ほんと説明嫌がるね >>831
そもそもお前は日本語が不自由なんだよ
そのくせ長文を描きたがるから言ってることが支離滅裂で意味不明になる
例えばこれ
>自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる
これは具体的に何が納得出来なくて、何に対して価値を持っているのか
それが全く分からない
あと感情的に理解するってどういうこと?
感情的であることと物事を理解することは
相対立する現象だろうが >>832
>あと感情的に理解するってどういうこと?
>感情的であることと物事を理解することは
>相対立する現象だろうが
それ、君の精神の不自由さを表してるだけでは?
感情的に理解できなければ、理性的に他者の価値を認めればいいだけでしょ、
ってだけの話に過ぎんやん
君は結局、理解できないから理解しない!認めたくない!要らない!
を繰り返してるだけ。たとえばマーク・ロスコ―はクソ、認めたくない!要らない!ってね
君が感情的に理解できなくても、納得できなくても、歴史上価値が認められてきた作品はある
自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる
こういう精神的な操作、苦手なのかな?煽るような書き方にはなるが
というか、「自分に納得できなくても、価値を持ってる他者はいる」ってそんなに難しい話か? で、こういう操作が出来なくて、美術史にただ好き嫌いを押しつける方が
自分は「不遜」だと思ってる >>833
理性を失った状態でどうやって物事を理解するの?
日本語の問題
もしかして感性で理解するということを
感情的に理解すると表記してんの? >>835
>理性を失った状態で
なんで突然、その前提が出てくるの?出来れば理性的になろうよ、って話の時に?
というか、あなたは理性を失ってると自己紹介してるのかい?
じゃあ、冷静になれや、以外に言いようないじゃねw 煽らず落ち着けよ、ってね
ちなみに、「感情的に理解できない」を言い出したのは自分じゃなくて、そちらなんだと思う
ひょっとして他の人かもしれんけどね。このスレIDないし
最初「感性で理解する」って書いてたんだけどどっかで感情に入れ替えた >>837
おれは感情的に理解するなんていう
おかしな日本語は生理的に受け付けないので使うはずもない
感情的になるということは理性よりも感情を優先させた状態のこと
そんな状態で何をどう理解出来るの? >>838
wwごめん、失礼ながら笑ってしまった
「感情的」を理性を失う、や感情高ぶってどうしようもない、の意味のみでしか捉えてなかったんだね
というか、それだけしか用法ないと本気で思ってたのか
>おれは感情的に理解するなんていう
>おかしな日本語は生理的に受け付けない
「感情的理解」とか「感情の理解」って、発達教育学なんかで頻出の用語じゃね?
たとえば幼児が親の笑顔を好ましいものとして理解することを感情的理解つうわけだけど
あなたの言ってることは、感情的になって理解できない、じゃないかい?
こちらがいってることは感情的理解だよ。日本語は正確に使おう 例えば映画見て
幼児が親の笑顔を好ましいものとして理解するような理解って何なんだろうなw
意味不明だぞw たんにこの映画いいな〜とか嫌だわあ〜とかってことか?
それって理解なの?
ただの感情じゃね?w
大事なのは何故その感情が惹起したのかを理解する事じゃね?
理性によってねw >>839
感情的
理性を失って感情をむきだしにするさま。「―なものの言い方」⇔理性的。
ちゃんと辞書引いてからもの言えよ
ガイジに限って言葉の意味を調べようとせず手前勝手な定義をするよな
批評の一件しかり >>841
>>842
辞書バカっすね。要するにあなたがモノ知らないってだけでは?
感情的理解能力(EQ)とか感情的知性(EI)とかさ
最近じゃ一般的にも発達障害めぐってよく聞く言葉じゃないかと思うんだけど
美術分野は児童教育に親しいので、現代美術でも割とお馴染みの言葉だよ?
平たい言い回しでいう、「心でわかる」ってやつだけど、
頭では分かってはいても、心ではわからない、ってのは言い回しとしてよくある言い回しだと思うんだけど、
>大事なのは何故その感情が惹起したのかを理解する事じゃね?
>理性によってねw
それはこちらが主張してることでしょ?その感情の意味を理性的に判断せよ、ってね
何捻じ曲げてんだ というか、こんなしょーもない、
「感情的」を一つの意味としてしか捉えられない頭の固い人と延々議論してたのか
ううん
というか、「理解」も理性的判断の意味のみだと勝手に思い込んでるんだね
感情的理解、知識的理解、理性的判断、それぞれ別個のもの、
というか哲学論議や教育論ではありふれた概念操作の範疇だと思うんだけど
ほかのひとが挙げてたテーゼアンチテーゼシンテーゼの弁証法じゃないけど、
カントで言う感性、理性、悟性とかヘーゲルの感性、知性、理性とか
それぞれの領域や段階での理解や受け取りを別個に捉えて操作するのが普通だよ ついでに、
>ガイジに限って
なんて言葉を軽々しく使っちゃいけません。それこそ感情的理解能力(EQ)が低いぞw
頭の固さを強い言葉で胡麻化そうとしちゃいけんよ >>843
感情的理解って概念はないよな
お前は修飾語として感情的という言葉を用いてたんだからな
そうやって言い訳にならない言い訳を繰り返すのは往生際が悪い
日本語ままならないガイジのくせに
衒学的な物言いばかりしようとするから
こうやって足元をすくわれるんだよ >>844
感情的に理解することと
理性敵に理解することは
具体的に何がどう違うの? >>845
ガイジという表現が的確だっため
お前の尊厳を傷つけてしまったということ? >>843
感情って価値観による判断だからな
要は自分にとって好きか嫌いかでしかないわけね
で、EQは感情的理解能力じゃなくて感情的知性ね
それは好き嫌いを判断する独立した一機能であって
同様に独立した理性、論理推論能力と
相互に補完的に働いて
一つの知的能力を形成しとるわけよな
だから感情と理解は別の機能なわけ
ユングが人間の知的能力を理性感情直観感覚に分類したってのはこういうことな理由よな >>847
>感情的理解って概念はないよな
ありますよw
>感情的に理解することと
>理性敵に理解することは
>具体的に何がどう違うの?
それを繰り返し説明死にゃならんのかあ。めんどくせえなあ。ひらたく言うと
感情的に理解する、は「心でわかる」
間に知識的に理解する、が入って「頭でわかる」「知ってる」でもいいかもしれない
理性的判断は理性で理解する、なんて言い方しないで
それらをトータルに判断することだよ。真の理解にたどり着くとかそういうやつだな
一般的なニュアンスとしては
感情的ー理性的の対義語しか知らないみたいだけど、
間に「知識」なり「知性」なりを入れて3つで操作するのが一般的
頭ではわかってる、知識としては知ってる、でも心では腑に落ちない
そういう心の動き、経験ないすかね?
感情的か理性的か、だけの両極が認識の動きではないし、人間の心の動きではないよ
>お前の尊厳を傷つけてしまったということ?
で、そういう操作ができないのを普通、EQが低いという
失礼な言い方をすると、そうなる >>849
それは好き嫌いを判断する
じゃなくて
感情は好き嫌いを
の間違い >>850
感情も知性を構成する一機能であって
知性のうち理解する能力については理性の役割なんよな
君はこの区別がついとらんわけよ >>849
>で、EQは感情的理解能力じゃなくて感情的知性ね
それはEIって用語で言うよ
>一つの知的能力を形成しとるわけよな
>だから感情と理解は別の機能なわけ
また>>847と同じ思い込みしとるなあ
それこそ感性と知性ごっちゃにしてないだろうか >>852
たぶん、あなたは最終的に「理解」にたどりついた観点から
感性や知性を見下ろして、理解とは感性と知性の統合である、ってな感じだろうけど
ここで言ってることはそのもっと前の段階すよ
でないと、心の分裂した動きが出てこない >>850
感情的理解という概念が既に学術的に認知を受けた形で存在するというのであればその証左の提示を
心で分かるという物言いはあまりにも情緒的で文学的すぎる
理解は理解でしかないし
理屈では納得出来るが、心情的には納得出来ないという自覚は
理性的な状態でしかもたらされないもの
お前は手前勝手な理屈を泥縄式にデタラメに肯定してるだけ >>885
>心で分かるという物言いはあまりにも情緒的で文学的すぎる
そういう言い回しが理解できないというだけではないですかね
要するに、これまで長々と語られてる問題は分裂的な状態をどうするか?なわけですよ
たとえばマーク・ロスコ―の絵は心にピンとこない
しかし一方では美術史上価値があると言われ、高値がついていると頭では知っている
この分裂的な状況を措定して、これどうしようって話だと思う
この時、「理解」とは全き理解することである、とか言っても何の意味もないよ
それでも感情的に理解すればいいんだ!教えろ!があなた方の主張だとして、
手前勝手なこと言ってるのはどっちだと思う? >>853
正確に言えば感情的知性の度合ぐらいな感じだな
あとはあれだな
俺はバスキアやソナチネが好きだが
その感情でもって即
バスキアソナチネを理解してるとはならんだろ?
って話 >>854
理解は理性の働きってことな
人の言ってることを都合よく改変するのもやめたほうがいいぞw >>857の様に
感情的理解について分かりやすい具体例を出してくれたらいいんだけどな
個人的には無理だと思ってるけど
その予想を覆して欲しい
そしたら勉強になるから >>858
つうかね、「理解できない」と言ってきたわけだよね?
マーク・ロスコ―なりダミアン・ハーストなり
>理解は理性の働きってことな
要するに、あなたは「俺の判断は理性的なものだから正しい」を繰り返し言いたいだけじゃん
マーク・ロスコ―はクソ、ダミアン・ハードには心動かされない、価値ないってね
「理解は理性の働きである」を掲げて、俺の感情的判断こそ勝利、を言ってるだけに過ぎないように見える
それに対して、価値はあるよ
いったん感情を棚上げして、他者に価値があることを認めたら?なんだけどな >>859
ううん、具体例から出発してる話だと思ってたんだが
もともとの話は、再三だけどマーク・ロスコ―つまんないとか
ダミアン・ハーストしょうもないとか、そういうところから
このしょうもないはちゃんとした理解だから、理性的判断だから価値ないで間違いない、
と言われたら話終わっちゃうよ
マーク・ロスコ―自体は実は実物観にいけばその巨大さに圧倒される
写真で見るだけではわからない、その空間の神秘さが気に入るんじゃねえかとは思うんだけど、
あくまでわからない、この判断は正しい、と言われる場合に、
これどうしよっか?つう話が始まりだよ >>860
俺はバスキアやソナチネを好きってだけであって
その理由は分からないってだけだよ
つまり俺の好きって判断は理性的なものじゃないし
ゆえに客観的に正しいと主張しとるわけじゃないんよな
でもアートって本来そういうもんじゃね?
俺は俺にとって美味いと思うラーメン屋に行きたいのであって
別に正しい(笑)ラーメン屋に行きたいわけではないんだよな
こういう立場だから
君の主張はものすごーく奇妙に思えるのよね >>862
>その理由は分からないってだけだよ
>つまり俺の好きって判断は理性的なものじゃないし
俺だってそんなもんわからん
ただ、理性的判断ってのはそのように感情が正しいと言い張る自己中心的なもんじゃなく、
それ乗り越えたもんじゃないかねえ?
簡潔に、わからないと言い張るのではなく、
わからない他者にも価値はある、乗り越える努力してほしいな、ぐらいなもんだよ
毎度毎度「正しさを押しつけてる」ように見られるみたいだけど、
個々で言ってるのは逆のことだよ
感情を正しいと押しつけるな、ぐらいなもんだ >>861
小学生の読み物にも感動したりするわけじゃん
例えばアンパンマンにも感動したりするわけよな
じゃあアンパンマンもまた
感動するという点で同様のファインアートと同じファインアートと言えるのか?
って話よね
だから何故感動したのかという理解が必要なんよな
その理性によって理解した感動した理由、原因が
程度を分ける根拠になるんだと思うよ
つまり感動すりゃそれで価値あるアートだ!
ってもんでもねーわけよな ここで議論されてることのほとんどは現代美術(コンテンポラリー)ではなくて近代美術(モダン)に関することばかり
大袈裟でなくて100年前の話題だよ
なんでお前らゲージュツに関することになるとそんなに古い価値観を後生大事に持ちつづけるの? >>863
そもそも感情自体自己中心的なものでしょw
あくまでも自分の中の価値観の表出であって
それこそ価値観なんて人それぞれでしょ?
で、上で言ったように分からないってことは難解だって事よな
アンパンマン貶めるのは本位ではないが
何故感動したのか分かってしまえるのは
ハッキリ言えば高度じゃないのよだからわからないって言うのは最大限の褒め言葉だよ >>861
ファインアートと商業美術の区別の話はここではしていないのでは?
というか、アンパンマンっていま割とファインアート扱いな気もする
やなせたかしってもともと絵本作家でもあるし
アニメ漫画にせよ一部はアート扱いになってるような
いずれにせよ、感動しない場合、どうするか?じゃないの?ここでは
感動してその心の動きを探る、について特段反対したり個別の説を加えたりしないよ
感動しない、でも美術史上では価値があるようだ。これどうしよう、なわけで >>865
>ここで議論されてることのほとんどは現代美術(コンテンポラリー)ではなくて
>近代美術(モダン)に関することばかり
それはそう思う
或いは半世紀前にシーンとしては終わったアヴァンギャルドとか
自分も同じこと再三言ってきたけど、「芸術は解放である」だけが実のところ芸術の機能でもないし
「深く感動」だけが芸術の機能でもないような >>867
上で書いたように俺の立場は一鑑賞者としての立場だからねw
だから俺にとってはビビッとくるか否かが全てであって
評価は高いけど自分が不味いと思うラーメンなんかどうでもいい
つまりそういうラーメンについて
不味いケド評価高いな…どうしよう
なんて悩むことは全くない >>868
シェーンベルクの十二音技法以降の音楽は音楽とは言えないっ!みたいなこと平気で言ってるようなもんだからね、、古すぎるよ >>865
現代的な価値というより
芸術そのものの価値についてのほうが興味の対象ってのがあるからしゃーない
例えば現代的なポリコレ的価値観を反映した絵について語るなら
それは絵そのものというよりポリコレの是非について語ることになるんじゃねーかな >>73
画力の勝ち負けの判定ができるのは
世界的画力学者のサイバラ先生ただお一人 >>856
心で理解した状態とそうでは無い理解の状態を
お前は客観的に常に分別してんの? >>857
その理解してるかどうかを判断する主体って何? >>869
いやまあ、そうなんだけど、
最近の現代美術ってたとえばよく「コミュニケーション」とか「異者との交流」とかテーマにしてたりするじゃね
視線を交換して、他者目線になる装置とか、
異性、異文化、異民族に対する理解とか
あれ、「深く感動」とはもうちょっと違った感触を受けるもんでしょ
今日、現代美術はそんなところまでテーマにしてるので、
自分について語る、ではなくて「現代美術を語る」場合には違う視点がいるのではないかいな
というのが自分のいいぶん >>865
だって未だに近代美術の方が市場が大きいからな
仕方ない
音楽や映画、演劇と違って つうかポリコレもそうだが現代的な価値について
個人的には時代の要請としての必然という立場をとるわけさ
上で書いた様にそれがどんなものであれ
いずれにせよそれは既存のテーゼに対するアンチテーゼだろうってこと
だからその一点において存在意義は否定し得ないよな
どんなにゴミだろうがアンチテーゼが存在しなければジンテーゼには至れないのだから
だからその辺の感覚を正直に書くと
上で書いたように
現代アートは正しいゴミ
という感じになる
自分にとってはこんな感じだな >>871
現代的表現以外の表現が、例えばポリコレやらなんやらといった政治的なテーマから自由な純粋な立ち位置から表現されていると想定すること自体が近代芸術(モダンアート)の立場
抽象表現の土壌はここから生まれたわけだけど実はそれ自体も後から見るとその当時の政治的な表明なのだよ
すべての表現は政治的であり同時に純粋表現でもありそこから逃れることは不可能 >>876
それは政治的主張とポリコレを粗雑にごっちゃにし過ぎでは >>875
現代アートだけがそれをしてるかと言うとそうじゃないからな~
そういうのは多くの人がすでに何らかの形ですでに経験しとるわけで
そういうアートの良し悪しは手法についての目新しさがない以上
質的に高度かどうかっつー話になってくるわな >>876
現代的な価値観を反映したアートについて語るなら
その現代的な価値観も俎上に登るのはしゃーない >>882
勿論、それが良い作品かどうかは個々の作品によるよ
いずれにしても現代美術の機能は解放や深く感動といったところにとどまらん >>880
自由になるってことは
一体なにから自由になるのかって事よな
その意味でポリコレだって自由になることの表現のうちよね
まあポリコレは現代的価値観のただの例だからどうでもいいが >>884
その機能が
上で書いたように非日常体験を捨てて
日常で得られる体験を提供する機能であるなら
もはや存在価値がなくなるんじゃねーかと思うけどな
別に芸術じゃなくてもいいじゃんって ポリコレってもともと「頭の固いバカ」っつう罵倒用語から発生したもんで、
中身は正体不明だよ。というか相手を攻撃するための用語なので、
どんなふうにも使える魔法の言葉
みんながニュアンスとして多く思い描いてるのは表現規制じゃねえの?
政治的主張とはまた若干話が違うような それこそパズルの例題集ナゾナゾの例題集でいいんじゃね?
とかね >>887
余談だけどポリコレは事前教育だと思う
将来的にメタバースが現実的になったとき
ポリコレが広く浸透していたなら
例えば美少女アバターの中身が汚いおっさんとか
白人アバターの中身が黒人とか
そういうのに一々引っかからずスムーズに移行できるしな
そういう意味でも個人的にはアンチポリコレはバカだと思うわ
しらんけどね この場合で言えば
メタバースにおける属性の開放がジンテーゼと言えるね
伝統的な価値観がテーゼ
ポリコレがアンチテーゼ
メタバースという限定的な空間における解放という点で
テーゼとアンチテーゼは止揚しうる >>886
日常に価値を見出す、に意味はねえのかな?
なんとなく日常系アニメはつまらん、とかケンモで良く言われてるのに似てるような
勿論、アニメ自体が非日常、とか言えるけど、
特段、あれは芸術ではないと否定する必要もないような
そんなもん見てばっかでどうする弱男、ってな価値判断はあると思うんだけど、
だから芸術ではない、だとちょっと違うかな
アニメに関しては、2004年にベネチアビエンナーレでオタク部屋がアート作品だってことで
(注意すべきは、アニメ作品がそのままアートだってこっちゃない)展示されてたけど、
オタクの日常の生活ぶりがアートなんだね 現実的に止揚しうるの間違い
つうかしらんけどね
俺はこう思うってだけ >>892
例えば恋愛も日常だけど
恋愛経験ないやつにとって恋愛アニメは非日常だしな
だから非日常ってのは決まりきった形があるわけではなく
人によっては様々なんだよな
だからアートでも色んな表現が出来るわけよね >>879
つまりお前の言う理解には客観性はないわけね >>881
どういうこと?
表層を語るか、イデオロギー語るか
そんなもん論者次第なのでは >>895
1+1=3だという意見に客観性があるかどうかは
それこそ理性によって判断することじゃないかな >>897
コンテンポラリー=現代的価値の反映だからしゃーない
つうか人間の活動は全て時代性の反映とおもうけどね >>898
それは客観的な基準が既に外部に存在してるからな >>899
だからといって作品を評する際に必ずイデオロギーまで語る必要は無い
語りたければ語ってもいいけど >>901
であればまさに芸術そのものについて語ることにになるよね >>896
その通りポリコレは論者次第の意味不明なものだから、あまり振りかざして意味あるものではないよ
もともと罵倒用語だから。なんか人権団体が圧力かけてそう、って意味合いでかなく、
その圧力かけてる団体もたいてい正体不明 ちなみに上で書いたように歴史的価値も本当は主観的なものだ
家康の使った枕ってだけで俺は歴史的価値を感じるが
タイの王様の使った枕に対してはそうじゃない
ただどちらにも金銭的価値は感じるけどねw まあポリコレも言ったらそれこそ正しいゴミだわなw
何らかの時代的役割を担うアンチテーゼであって
その評価は時代がジンテーゼに移行した後で定まるものだと思う >>906
たぶん、「理性」と言った場合に、それは絶対的に正しい何か、
正しさの押しつけだ、ポリコレだ、ってな妙な感想があるんだろうと思う
ここで自分が言ってきたことは、感情を前面にしてこれが全て、と肩ひじ張らずに、
理性的に棚上げしようよ、な話
今日、解放でなかろうと深く感動でなかろうとアートはアート
その概念はどんどん拡散されてってる
その結果、一部対抗的に取り上げられるアニメ漫画も一部はアート作品として
アート市場に上ってる
それらバカ騒ぎのうち、価値あるものは淘汰を経て歴史として残っていくだろう
そない肩ひじ張る必要はない 同様に現代アートについても
個人的にはゴミだとかくだらねーとか思ってるけど
だからといってそれは現代アートの存在意義を否定するものじゃないんだ
戦争で破壊された町並みは美しくないけど
一端破壊されなければ新しい町並みの美しさは獲得出来んからな >>903
芸術じゃなくて個別の作品を具体的にかてるということ >>908
歴史による淘汰を未だ経ない以上
俺らは個人的にどう思うかで語るしかないわな
本質的にはアートって個人的なもんだしね >>910
その外部の基準が理性よな
>>898ね >>911
芸術性を語ることになるね
であれば必然的に芸術とかなにか?
というのが前提になって来るよね >>912
個人としてはそうだろう
そして批評は、歴史を巡って争うわけだよ
ただ、半世紀以上前のアヴァンギャルドについてはもうだいたい歴史的結果が出てるように思う >>914
芸術性という概念は主観的で極めて曖昧模糊としてるから
語られた内容を芸術性に関するものと取るかどうかは受け手次第 >>915
数学は理性によってなされるよ
余談だけど厳密に言えば数学もホントは主観的なものだけどね >>916
素人の俺はもうちょっと長いスパンで考えるかな
半世紀前も今も
アンチテーゼという点では同じだと思う
というのは時代性を本質的に覆すような作品が現時点であるとしたら
ピカソlevelで有名になってるだろうからね >>917
つまり芸術性とはなにか?という議論になるわけよな
それぞれの芸術論の議論になる >>918
だから何?
お前が理性的になろうと感情的になろうと
1+1=3という主張は客観性を持たない
なぜなら外部に絶対的な基準が存在するから >>920
それは芸術性という概念に関する議論で
作品そのものに関する議論ではない >>921
その数学的に間違ってるという判断の主体は理性だよねって話 >>922
その作品ってアートだからしゃーないw
もし作品が自動翻訳機とかなら
芸術性じゃなく機能性の議論が主体になるんだろうけどさw >>923
理性は主体にはなれないけど?
判断の主体は個人
個人が外部の基準に照らし合わせて判断する >>924
何がしゃーないの?
アートであろうがなかろうが
芸術性に関する議論抜きで作品を語ることは可能 あとはあれだな
外部の基準に従うだけだったら学問は進歩せんでしょw また苦しくなって意味不明な論点ずらしを仕掛けてきたな >>919
ここらへんで、割と政治的思想が絡むね
たとえば戦後日本というありかたを肯定するか、とかね
ついでにいうとピカソも割とアヴァンギャルドの流れだと思うんだけど、
日本での紹介ではそこらへんの説明が結構欠けとるね
思うんだけど、
たとえば日本のマンガやアニメを評価する場合、やれ浮世絵の継承だとか(ほんとか?)、
20世紀フォルマリズム(ディズニー経由)の継承だとかよく言うじゃね
漫画学会とか、あのあたりそういうことして価値づけしてる
対して、20世紀フォルマリズムよりマンがのほうが面白いじゃん、
だけじゃ、マンガも逆に残っていかないんだよな
価値づけするってこういう営みであると思うんよ 子供の落書きとかその辺に落ちてるゴミでもアートって言い張れば億で売れそう
そんなイメージ >>927
そら可能だけど君の言ってることは机上の空論だよ
ラーメンはその味について議論されるもので
例えばエネルギー効率についてとかそういう事も一応語れはするけど
現実ではそういう奴一握りでしょw >>930
たぶん、別の人と議論しとるよ。なんだろなこのIDなしスレ 何でも芸術だ!って開き直ればそれで勝ち
そして金に汚いヤツが適当な評価を付けてそれを権威付けして俗物が知ったふうな口で能書き垂れるのもセット >>928
個人が何によって判断するかってことだからな
その何かが理性 >>933
ラーメン語る時にいちいち食文化におけるラーメンの存在とか議論しないだろ
俺が言ってるのはそういうこと >>936
個人が理性によって外部の基準に依拠して判断する >>931
ジンテーゼも時間が過ぎればテーゼ化するしね
例えばピカソやダリだって
ドラえもんのスネ夫ヘアーやら
タイムマシンの歪んだ時計とかで一般化しとんのよな
つまり一般化したってことは表現法として定着した、テーゼ化したってことよね
時代性を本質的に覆すってのはこういうことだと思うんだよな
テーゼ化するジンテーゼね >>937
ラーメンならラーメンの話をするし
アートならアートの話になるってだけよね
ラーメンの良し悪しは旨さであり
アートの良し悪しは芸術性なわけだから 歴史的価値を肯定的に捉えるなら>>939みたいな感じよな
だから一般化に至っていない他の現代アートについて
ピカソなんかと同等の歴史的価値があるとは言えんよな 歴史的価値を肯定的に捉えるなら>>939みたいな感じよな
だから一般化に至っていない他の現代アートについて
ピカソなんかと同等の歴史的価値があるとは言えんよな >>941
女性問題で目下、価格下落真っ最中のピカソもアレだけど、
(とはいえ、美術史的価値は消えないとは思うけど)
アヴァンギャルド時代の形式についてはだいたい一般化したとは言われてるよ
だいたいウォーホル時代ぐらいまでの手法、形式に関してほぼ一般化してるじゃね?
一般化に至ってないのは、テーゼの人が言ってる非日常の解放の具現化とかそのあたりではないのかな >>943
一般化したってことはそれ以前は一般的じゃなかったということ
つまり非日常だったということなんよな
だから非日常の解放であるか否かってのは
全てに当てはまる本質的な話であって
ただの一ジャンルてわけではねーんだよな
美術館で便器見るのもそういう点では当てはまるでしょ?
あれも非日常体験だからな >>940
違いますよ
ラーメンそのものを具体的に語るように
作品そのものを具体的に語ることは可能だということ
芸術性という曖昧な概念を抜きに もの凄くイジワルな言い方をするならば
アートに対して分かった!という体験を求める人は
その人にとって分かった!エウレカ!が非日常と言うことであり
逆説的に言えば分からない事が日常であるということ
この様な意味で情報が本体のアートはタチが悪い面があるとすら思う
俺は芸術を理解できる人間なんだ!
というふうにバカを騙すわけだからな >>946
このラーメンは縮れ麺でトンコツスープでって具体的に語るとして
結局それってどういう味かについて語ってるってことだしな >>947
最後
馬鹿を錯覚させるわけだからな
の間違い と言ってももちろんこれはイジワルな皮肉でしかないけどね
エウレカ体験自体そのものは悪いことじゃない
悪いのはそれ以上の錯覚をすること というか、一般化してるから
いまアヴァンギャルドやってもつまんないだの二番煎じだの言われるわけだけど
>>944
繰り返しだけど、非日常への志向それ自体は否定しないよ
ただ、特に「現時点で非日常ではないから」価値はない、と見なすべきではないつう話で、
いま見慣れてるから抽象表現なんてつまんない、言われてもどうしようもない
歴史的パースペクティブで判断しよう、ってことで
その上で、これは言葉づかいの印象の話でしかないんだけど、
日常=既知、非日常=未知の設定よね。未知への憧憬とか言われるとそうだね、と思うんだけど、
なんとなく、非日常と言われるとドッタンバッタン過激な印象で、
やすらぎとか、癒しとか、よく言われるじゃね、ああいうのどこに位置づくの?みたいな
恋愛の話があったけど、自分にとっては日常でも他人にとっては非日常、って
要するに他者とか立場とかをどう見るか、な話のような気がする、というかそちらに現代美術は主要テーマを観る >>951
超簡単に言えば
相対性理論もそれ以前の時代においては非日常だったんよな
非日常ではないってコトはその時点で既出だって事よね
歴史的価値においてはこんな感じ
体験そのものに価値を求める場合も同様
恋愛したことないなら恋愛映画は非日常体験としての価値を持つ >>952
いや、未知としての価値ってのはわかるよ。そうだろとは思う
だけど、やすらぎとか癒しとか、よく言うとるよね。ああいうのどこに位置するのだ?
なんとなく非日常、って言葉からは出てこない気がするな、ってだけで パクリ作品に歴史的価値はないが
そのパクリ作品が自分にとっての非日常なら
それは自分にとって新しい体験だったということ
アートは非日常であるべきとはこういう事
パクリに感動したその感情自体はウソじゃないし
アートは日常にない感情を味わうもんだ >>954
安らぎや癒やしって良い面もあるけど悪い面もあるからな
例えば一切怒らずに子供を溺愛する母親みたいなもんで
それだと子供は成長せんのよね
だからなんて言うんだろうな
確かに安らぎや癒やしも大事なんだけど
イジメられた子供を現状のまま優しく癒やすのと
イジメられない強さを身につけるよう成長を促すのと
どっちが本質的に大事なのかということなんよな
安らぎや癒やしってのはこんな感じで現状維持なんだけど
それには良い面もあるが悪い面もまたあるんだよね
だから変な話
ホントは人は安らぎや癒やしの先にあるものを求めんといかんのよな なので確かに癒やしや安らぎは非日常からは出てこんね
それはその通りだな
この両者は対立するものだ >>956
たぶん、この話芸術の価値と機能の話がごたまぜになってて
ある程度分けて考えたほうがいいような
体験をもたらす機能、で言うなら未知でなく見慣れたものでもやすらぎを覚えたり癒されたり
ああこれが通い慣れたラーメン屋の味、とかね。日本の印象派人気もこれに近いところもあるような
それと、芸術の価値、特に未知としての価値はある程度分けて考えた方がいいとは思うんだな
どちらも芸術のうちに共存するものだよ。どちらか、とかではなくて 確かに俺は先へ先へって意識が強すぎたのかもしれんな
確かに成長も必要だが癒やしも必要だな
ならそういうアートもありってことなんだな
>>954
ありがとう
良い気付きになった >>958
俺は自己改革の意識が強すぎたのかもと思う
現状の自分を肯定するのだって言われてみれば確かに大事なことよね
まあいい勉強したわ
ありがとう なんか昔メッチャ救われたのにも関わらず
成長した後の上から目線でちょっと見下してた小説思い出しちゃったよ
考えてみればとんでもねー傲慢だなw
良い気づきが出来て嬉しいぜ
確かに人を成長させるアートも大事だが
人を救うアートも大事だって事を俺は忘れちゃってたんだな >>948
だから最後まで~性という曖昧な議論抜きに題材そのものを語ることが出来るということ >>962
花を描いた絵だったら題材の花の話をするってこと?
ならそれって別に絵じゃなくても出来る話じゃないかな ウォーホルのブリロ・ボックスとかいうただのダンボール箱を3億で買ったアホ美術館おるよな
鳥取人、おまえのことやで >>593
コアの部分を説明したい
でもそれはできないから
その周辺情報で
なんとか価値を証明(伝達)するんだよ
無理なんだけど
わかってる奴同士のテレパシーなら
一発 だから言葉によるあれこれは嘘というか
必要悪なんだよ
他者に言葉や数字で
説明、客観的に証明出来なきゃ
価値が成立しない
金にならない
飯食えないんだから >>963
絵そのものの話をするんだよ
よくそんな稚拙な誤読が出来るな 分節化して置き換えて
伝える言語は次善の策、不完全。
本当の事をそのまま伝えるなら
テレパシー。わかってる奴同士なら
見ればいきなり全体が分かる。
言葉に置き換えたら
抜け落ちる部分が出てきて
伝達のクオリティ下がる。 万人にわかりやすくする
証明してみせる為の
宣伝のための嘘なのに
全てを語れているかのように振る舞う
もしくはそう信じてる
これが評論家 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。