【悲報】現代美術の意味不明さは異常。 [961998241]
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東京都現代美術館|MUSEUM OF CONTEMPORARY ART TOKYO
https://www.mot-art-museum.jp/
VIPQ2_EXTDAT: none:none:1000:512:: EXT was configured 子供の落書きとかその辺に落ちてるゴミでもアートって言い張れば億で売れそう
そんなイメージ >>927
そら可能だけど君の言ってることは机上の空論だよ
ラーメンはその味について議論されるもので
例えばエネルギー効率についてとかそういう事も一応語れはするけど
現実ではそういう奴一握りでしょw >>930
たぶん、別の人と議論しとるよ。なんだろなこのIDなしスレ 何でも芸術だ!って開き直ればそれで勝ち
そして金に汚いヤツが適当な評価を付けてそれを権威付けして俗物が知ったふうな口で能書き垂れるのもセット >>928
個人が何によって判断するかってことだからな
その何かが理性 >>933
ラーメン語る時にいちいち食文化におけるラーメンの存在とか議論しないだろ
俺が言ってるのはそういうこと >>936
個人が理性によって外部の基準に依拠して判断する >>931
ジンテーゼも時間が過ぎればテーゼ化するしね
例えばピカソやダリだって
ドラえもんのスネ夫ヘアーやら
タイムマシンの歪んだ時計とかで一般化しとんのよな
つまり一般化したってことは表現法として定着した、テーゼ化したってことよね
時代性を本質的に覆すってのはこういうことだと思うんだよな
テーゼ化するジンテーゼね >>937
ラーメンならラーメンの話をするし
アートならアートの話になるってだけよね
ラーメンの良し悪しは旨さであり
アートの良し悪しは芸術性なわけだから 歴史的価値を肯定的に捉えるなら>>939みたいな感じよな
だから一般化に至っていない他の現代アートについて
ピカソなんかと同等の歴史的価値があるとは言えんよな 歴史的価値を肯定的に捉えるなら>>939みたいな感じよな
だから一般化に至っていない他の現代アートについて
ピカソなんかと同等の歴史的価値があるとは言えんよな >>941
女性問題で目下、価格下落真っ最中のピカソもアレだけど、
(とはいえ、美術史的価値は消えないとは思うけど)
アヴァンギャルド時代の形式についてはだいたい一般化したとは言われてるよ
だいたいウォーホル時代ぐらいまでの手法、形式に関してほぼ一般化してるじゃね?
一般化に至ってないのは、テーゼの人が言ってる非日常の解放の具現化とかそのあたりではないのかな >>943
一般化したってことはそれ以前は一般的じゃなかったということ
つまり非日常だったということなんよな
だから非日常の解放であるか否かってのは
全てに当てはまる本質的な話であって
ただの一ジャンルてわけではねーんだよな
美術館で便器見るのもそういう点では当てはまるでしょ?
あれも非日常体験だからな >>940
違いますよ
ラーメンそのものを具体的に語るように
作品そのものを具体的に語ることは可能だということ
芸術性という曖昧な概念を抜きに もの凄くイジワルな言い方をするならば
アートに対して分かった!という体験を求める人は
その人にとって分かった!エウレカ!が非日常と言うことであり
逆説的に言えば分からない事が日常であるということ
この様な意味で情報が本体のアートはタチが悪い面があるとすら思う
俺は芸術を理解できる人間なんだ!
というふうにバカを騙すわけだからな >>946
このラーメンは縮れ麺でトンコツスープでって具体的に語るとして
結局それってどういう味かについて語ってるってことだしな >>947
最後
馬鹿を錯覚させるわけだからな
の間違い と言ってももちろんこれはイジワルな皮肉でしかないけどね
エウレカ体験自体そのものは悪いことじゃない
悪いのはそれ以上の錯覚をすること というか、一般化してるから
いまアヴァンギャルドやってもつまんないだの二番煎じだの言われるわけだけど
>>944
繰り返しだけど、非日常への志向それ自体は否定しないよ
ただ、特に「現時点で非日常ではないから」価値はない、と見なすべきではないつう話で、
いま見慣れてるから抽象表現なんてつまんない、言われてもどうしようもない
歴史的パースペクティブで判断しよう、ってことで
その上で、これは言葉づかいの印象の話でしかないんだけど、
日常=既知、非日常=未知の設定よね。未知への憧憬とか言われるとそうだね、と思うんだけど、
なんとなく、非日常と言われるとドッタンバッタン過激な印象で、
やすらぎとか、癒しとか、よく言われるじゃね、ああいうのどこに位置づくの?みたいな
恋愛の話があったけど、自分にとっては日常でも他人にとっては非日常、って
要するに他者とか立場とかをどう見るか、な話のような気がする、というかそちらに現代美術は主要テーマを観る >>951
超簡単に言えば
相対性理論もそれ以前の時代においては非日常だったんよな
非日常ではないってコトはその時点で既出だって事よね
歴史的価値においてはこんな感じ
体験そのものに価値を求める場合も同様
恋愛したことないなら恋愛映画は非日常体験としての価値を持つ >>952
いや、未知としての価値ってのはわかるよ。そうだろとは思う
だけど、やすらぎとか癒しとか、よく言うとるよね。ああいうのどこに位置するのだ?
なんとなく非日常、って言葉からは出てこない気がするな、ってだけで パクリ作品に歴史的価値はないが
そのパクリ作品が自分にとっての非日常なら
それは自分にとって新しい体験だったということ
アートは非日常であるべきとはこういう事
パクリに感動したその感情自体はウソじゃないし
アートは日常にない感情を味わうもんだ >>954
安らぎや癒やしって良い面もあるけど悪い面もあるからな
例えば一切怒らずに子供を溺愛する母親みたいなもんで
それだと子供は成長せんのよね
だからなんて言うんだろうな
確かに安らぎや癒やしも大事なんだけど
イジメられた子供を現状のまま優しく癒やすのと
イジメられない強さを身につけるよう成長を促すのと
どっちが本質的に大事なのかということなんよな
安らぎや癒やしってのはこんな感じで現状維持なんだけど
それには良い面もあるが悪い面もまたあるんだよね
だから変な話
ホントは人は安らぎや癒やしの先にあるものを求めんといかんのよな なので確かに癒やしや安らぎは非日常からは出てこんね
それはその通りだな
この両者は対立するものだ >>956
たぶん、この話芸術の価値と機能の話がごたまぜになってて
ある程度分けて考えたほうがいいような
体験をもたらす機能、で言うなら未知でなく見慣れたものでもやすらぎを覚えたり癒されたり
ああこれが通い慣れたラーメン屋の味、とかね。日本の印象派人気もこれに近いところもあるような
それと、芸術の価値、特に未知としての価値はある程度分けて考えた方がいいとは思うんだな
どちらも芸術のうちに共存するものだよ。どちらか、とかではなくて 確かに俺は先へ先へって意識が強すぎたのかもしれんな
確かに成長も必要だが癒やしも必要だな
ならそういうアートもありってことなんだな
>>954
ありがとう
良い気付きになった >>958
俺は自己改革の意識が強すぎたのかもと思う
現状の自分を肯定するのだって言われてみれば確かに大事なことよね
まあいい勉強したわ
ありがとう なんか昔メッチャ救われたのにも関わらず
成長した後の上から目線でちょっと見下してた小説思い出しちゃったよ
考えてみればとんでもねー傲慢だなw
良い気づきが出来て嬉しいぜ
確かに人を成長させるアートも大事だが
人を救うアートも大事だって事を俺は忘れちゃってたんだな >>948
だから最後まで~性という曖昧な議論抜きに題材そのものを語ることが出来るということ >>962
花を描いた絵だったら題材の花の話をするってこと?
ならそれって別に絵じゃなくても出来る話じゃないかな ウォーホルのブリロ・ボックスとかいうただのダンボール箱を3億で買ったアホ美術館おるよな
鳥取人、おまえのことやで >>593
コアの部分を説明したい
でもそれはできないから
その周辺情報で
なんとか価値を証明(伝達)するんだよ
無理なんだけど
わかってる奴同士のテレパシーなら
一発 だから言葉によるあれこれは嘘というか
必要悪なんだよ
他者に言葉や数字で
説明、客観的に証明出来なきゃ
価値が成立しない
金にならない
飯食えないんだから >>963
絵そのものの話をするんだよ
よくそんな稚拙な誤読が出来るな 分節化して置き換えて
伝える言語は次善の策、不完全。
本当の事をそのまま伝えるなら
テレパシー。わかってる奴同士なら
見ればいきなり全体が分かる。
言葉に置き換えたら
抜け落ちる部分が出てきて
伝達のクオリティ下がる。 万人にわかりやすくする
証明してみせる為の
宣伝のための嘘なのに
全てを語れているかのように振る舞う
もしくはそう信じてる
これが評論家 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。