タイトルにもなった「福田村事件」は1923年、関東大震災の発生から5日後の9月6日、千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)で起こった。

 震災発生(9月1日)直後から、帝都東京で飛び交った「朝鮮人が集団で襲ってくる」、あるいは「井戸に毒を投げ入れた」などの流言飛語は、瞬く間に福田村など近郊の町村に伝播した。

 当時、香川県から、薬の行商で同村を訪れていた15人が、村人の聞き慣れない讃岐弁で話していたことから朝鮮人に疑われた。15人のうち、幼児や妊婦を含む9人が、地元の自警団を中心とした100人以上の村人によって、とび口や日本刀、猟銃で惨殺され、利根川に流された。

 その後、自警団員8人が逮捕され、実刑となったものの、大正天皇死去に伴う恩赦で2年後に釈放された。

 事件は地元でタブーとなった一方で、殺された行商団が被差別部落出身だったため、差別を恐れ、被害の声を上げにくかったなどの事情から、長らく封印されていた。

 しかし、79年の千葉県の市民団体の調査や、86年の香川県の元高校教師らによる聞き取りによって明らかになったことを機に、地元でも事件を掘り起こす活動が始まった。が、いまだに知る人の少ない、歴史の闇に葬られていた事件だ。

■森達也監督が初めて挑んだ劇映画

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 「この事件を知ったのは02年、野田市で事件の慰霊碑が建てられるという小さな新聞記事でした。調べ始めると、殺されたのは被差別部落出身の人たちだと分かった。当初はテレビでのドキュメンタリー番組を企画したが、朝鮮人虐殺に部落問題が重なるテーマに、各局からハードルが高いと言われ、頓挫した。ただ、ずっと諦めきれなかった」

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■根底にあったのは差別意識だけではない

 映画では“普通の村人”たちが、「朝鮮人が襲ってくる」というデマを信じ、それに対する恐怖から凄惨な虐殺に及ぶまでの動揺や怯えなど、心の中が変化していく様が描かれている。森が語る。

 「根底にはもちろん、朝鮮人に対する差別意識があった。が、差別意識だけで、あれほど残忍なことはできない。『恐怖』ですよ。怖かったんです。恐怖によって人は集団化し、『自衛』のために、集団の“外”の存在を排除し、抹殺した。人間は『不安と恐怖』に弱いから。

 その構図は、関東大震災の直後から『井戸に毒』のデマで多くの朝鮮人が殺された事件でも同じです。もちろんそのベースには当時の内務省の『混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること』という内容の通達や、警察が意図的に流したデマがあった。だが、その内務官僚たちもまた、朝鮮人に対して『恐怖』を抱いていたんです。

 関東大震災の4年前(1919年)には朝鮮で『三・一独立運動』が起こり、当時、朝鮮総督府にいた内務官僚たちは韓国併合(1910年)以来の差別や迫害、圧政に対する朝鮮人の激しい怒りを目の当たりにして、恐怖した。それによって、軍を投入し、より苛烈な弾圧や虐殺に及ぶのですが、彼らは朝鮮人に対して非道いことをしたが故に、仕返しされることを恐れていたのだと思います」

 「実際に、村人に捕らえられた行商人がお経を唱えていたというのは事実のようです。数少ない福田村事件の資料を遡ると、行商人の一人がお経を唱え、それを聞いた村人たちの間から『やっぱり(朝鮮人ではなく)日本人じゃないか……』と、どよめきが起きるなど、激しく動揺していたことが記録に残されている。

 2021年5月4日付「朝日新聞」朝刊に掲載された「毒のデマ、100年経てよみがえる」との見出しの記事だ。1987年の朝日新聞阪神支局襲撃事件を機に同紙が始めた、言論の自由と、それを脅かすものを追い続ける長期連載「『みる・きく・はなす』はいま」のひとつだった。

 記事は、同年2月に福島県沖を震源とする震度6強の地震が発生した際に、旧ツイッター上で、「BLM(ブラック・ライブズ・マター)が井戸に毒を投げ込んでいる!」、「バイデンが福島の井戸に毒を投げ込んでいるのを友達が見ました!」などと、「井戸に毒」と記述した投稿が1日で約3万件にのぼったことや、その受け止めについて伝えていた。

 そして、記者が、実際に投稿した一人の20代男性に会い、「関東大震災のデマと虐殺を知っていますか」と問うたところ、彼はこう答えたという。

 「当時の日本人は愚かだった……」(以下ソース)

8/14(月) 6:33配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/acfaebe66bfbb9dc2bd6c6b52941c0f9798f2ee1