核実験場の広さは約1万8500平方キロ。四国ほどの面積だ。旧ソ連は49〜89年の40年間に、同国による核実験の約6割を占める約470回の核実験を地上や地下で繰り返した。150キロ圏内に放射性降下物が降り注ぎ、約130万人が影響を受けたとされる。このことはソ連崩壊まで伏せられていた。住民たちは「演習」と聞かされ、家の窓ガラスを新聞で覆うよう言われただけ。放射線による健康被害が知られるようになったのは、独立直前の80年代後半になってからだった。
一家は学校長だった父の都合で、核実験場近くの村を転々として暮らした。両親は10人の子をもうけたが、母は3度の流産を経験。54年に生まれた兄は生後間もなく死去した。父は食道がんで、妹も7年ほど前に脳腫瘍(しゅよう)で亡くなった。
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