https://news.yahoo.co.jp/articles/7518ec9bb404f308a2390390ad14445f6c9928e6?page=1

■ 裏切り者は粛正する

 プーチンは、「裏切りだけは絶対に許さない」と日頃から信念を語っており、プリゴジンについても同様である。

 ただ、プーチンは「恐怖による威嚇だけでは失敗する」ということをスターリン時代の教訓としており、今回も綿密に計算してワグネルの反乱に対処したのである。

 一定の期間プリゴジンに行動の自由を許しておいたのも、ロシア国民の中のプリゴジン支持層の離反を阻止するためであり、また、そうしたほうが暗殺を実行する機会が増える。射殺したり、食物に毒物を混入させたり、放射性物質を飲ませたりすると、証拠が残る。

■ 踏襲される“反乱分子排除”の手法

 プーチン政権下で、政権を批判する人物が国内外で不審な死を遂げる事件が相次いでいる。たとえば、2006年10月には『ノーヴァヤ・ガゼータ』紙のアンナ・ポリトコフスカヤ記者が自宅アパートのエレベータ内で射殺された。彼女はチェチェンでの人権抑圧について報道し、プーチン政権やFSBを厳しく批判していた。

 翌月には、元KGB・FSB職員のアレクサンドル・リトビネンコが、亡命先のイギリスで死亡している。放射性物質ポロニウム210による殺害である。リトビネンコは、チェチェン介入の口実にされた連続爆破事件はFSBの謀略だったと告発した人物である。

 この二名の死亡事件はFSBによる暗殺だと考えられているが、プーチン体制下でも、体制に望ましくない人間を完全に排除するスターリン主義者の手法が踏襲されている。

 第二次世界大戦後、スターリンは、支配下にある東欧諸国の締め付けを図り、共産党政権に梃子入れをし、反共産主義分子を政権から排除した。チェコスロバキアでは非共産党員で自由主義者のヤン・マサリク外相が、モスクワに呼び出され、帰国した直後の1948年3月10日に、外務省の中庭で、死体で発見された。公式には窓から飛び降りて自殺したとされたが、ソ連の保安機関によって窓から突き落とされて殺害されたという説もある。近年の調査では、殺害説のほうが有力である。

 1947年末から反ユダヤ主義を色濃くしたスターリンは、1948年1月、「ユダヤ人反ファシスト委員会」の議長で俳優・舞台監督のソロモン・ミヘルスを、自動車事故を装って殺害した。交通事故に見せかける暗殺は日常茶飯事であった。

 今回は飛行機墜落事故であるが、このようなケースでは痕跡が残らない。しかも、海外ではなく、国内の事故であれば、捜査当局はプーチンの手下である。

 ベラルーシに追放したはずのプリゴジンがロシア国内で行動できるようにしたというのは、暗殺のためであろう。リトビネンコの暗殺が、スコットランドヤードの手で暴露されたような愚を避けようとしたのである。

■ 軍部の粛正

 22日、ロシアの有力紙RBCは、プリゴジンの盟友で、6月のワグネルの乱以降、消息が不明であったスロビキン上級大将が航空宇宙軍司令官、そしてウクライナ特別作戦の副司令官を解任されたと伝えた。本人は短期の休暇中だという。

 スロビキンは、プリゴジンの反乱に裏で協力したと見られている。航空宇宙軍参謀長のビクトル・アフザロス大将が司令官代理を務める。

 この人事でも、「裏切り者は絶対に許さない」というプーチンの信念が貫徹されている。