https://news.yahoo.co.jp/articles/6b76048fc616b0643edc4faed95e7dd4a350ebfd?page=1
「福島の海はまた死んでしまった」

 原発から約30キロ離れた港で漁師のAさんは力なくそう話した。

「国と東電は、地元が了解しない限り処理水は流さないとずっと言ってきた。約束をほごにして放出するなんていうのは許せない。海は国、東電のものじゃない。国民や世界の人々のものなんだ」

■「あんたたちにはわからねぇだろが」

 筆者がAさんと出会ったのは、2011年の事故から約2カ月後だった。Aさんは福島県いわき市の港の堤防に腰を掛け、たばこを吸いながら海を見ていた。

 そのときも最初にこう話した。

「もう福島の海は死んだ。あんたたちにはなかなかわかんねぇだろが」

 Aさんの父親も漁師だった。後を継いで15年ほど経ったころだ。

「やっと父親からも一人前と認めてもらえるまでになり、これからというときだ。津波で船がぶっ壊れた。これはしょうがない。あきらめもつく。また船を新しくすればいい。しかし、原発は海をぶっ壊したんだ」

 と怒りに震えていた。

 福島県や漁協などによると、福島では震災前の2010年には約1200隻の漁船が操業していたが、原発事故で12年には29隻に激減した。

 Aさんも海に戻るのをあきらめ、別の職に就いたが、やはり海が忘れられなかった。津波で壊れた船は、大きな費用をかけて修理し、海に戻った。

 試験操業が2012年から始まった。取った魚の検査を繰り返し、徐々に徐々に漁獲量が増えてきた。21年には基準値以上のセシウムが検出され、出荷自粛となる試練もあったが、現在は漁船も800隻近くに増え、沿岸漁業の漁獲量も最盛期の2割程度まで回復してきたという。